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ただ、君を見ていた。  作者: ぽんこつ


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20/37

うるおい

あの日の俺のメッセージに対する咲良からの返信は嬉しくもあり、正直驚いた。

逆に返事をするのが遅れたぐらいだった。

『うん、私も会いたい』

『でも、ちょっと、外はいやかも』

『よかったら、うちに泊まりに来ない?』

『お父さんも、お母さんも田舎に帰ってて、私一人でさみしいから』――

昼過ぎ、俺は咲良の家に向かっていた。

白く照り返すアスファルト、背中にまとわりつく夏の熱気。

だけど、それ以上に胸の内側が火照っている気がした。

久しぶりに会える。

咲良に。

この夏休み、会えない日々は思っていた以上に長く、そして重かった。

会えない時間が続くほど、咲良の存在が、俺の中でどれだけ大きなものだったのかを思い知った。

手に下げたポリ袋の中には、途中で買ったケーキ。

冷たい甘さで、ほんの少しでも咲良の疲れを癒せたらと思った。

インターホンを押すと、玄関の扉がゆっくりと開いて、咲良が出てきた。

「悠真くん」

俺の姿を見て、おでこに手を添えて、唇を嚙んではにかんだ。

白のノースリーブに、薄手のグレーのロングスカート。少しだけ日焼けした肩と、まとめられた髪から覗くうなじに、思わずドキッとする。

「久し……ぶりだね」

咲良は、恥ずかしそうに目を伏せながら笑った。

俺も、心から笑えた気がした。

部屋に入ると、前に来たときよりも絵が増えていた。

壁にも机の上にも、見たことのない色と形が並んでいる。

咲良の手から生まれたものが、そこに静かに息づいていた。

「すごいな……」

「これ、コンクールのやつ」

「部室のやつじゃないの?」

「あっちは大作で、こっちは小品だけど……」

咲良が言葉を探すように、静かに指を伸ばした先。

そこにあったのは、やや大きめのキャンバスに描かれた一枚の風景画だった。

広がる麦畑。

穂はわずかに揺れている。

けれど、風の気配は感じられない。

空は夕暮れ間際のように、焼け落ちる寸前の金と茜が溶けあっていた。

画面の奥――畑の真ん中に、ひとり、少女の後ろ姿が描かれていた。

帽子を押さえて、何かを探すように空を見上げている。

顔は見えない。

けれど、その背中はどこか、迷っているようにも、歩き出そうとしているようにも見えた。

「……これ、すごく……」

喉まで出かけた言葉を、しばらく飲み込んだ。

心に何かが刺さったみたいで、すぐにはうまく言葉にならなかった。

きっと、この少女は咲良だ。

いや、咲良そのものではないけれど――この夏、咲良が過ごした時間、感じた孤独、立ち止まりそうになった瞬間、そして、それでも前を向こうとした意思。

全部が、絵の中の空気になって染みこんでいるような気がした。

見ているうちに、心がじわじわと温かくなっていく。

でも、少しだけ胸が苦しくなって。

けど。

「咲良……これ、俺、すごく好き」

そう言うと、咲良はほんの少し驚いたような顔をして、それから、ふわっと笑った。

今まで見たどんな笑顔よりも、やわらかくて、少しだけ泣きたくなるくらい綺麗だった。

「すごい、頑張ってるんだね」

「今までの作品をポートフォリオにまとめたりしないといけなくて……」

「ポートフォリオ?」

「ああ、作品集のこと。それをね提出するの」

「そうなんだ……」

咲良は、体の前に腕を添えるように下ろして、両手の指先だけを絡めていた。

何か言おうとして、けれど少しためらうような。

咲良は、何か思い出したようにぱっと顔を上げた。

「……あっ。折角だから、食べよケーキ」

そう言って、テーブルの方へ顔を向ける。

「そうしようか」

俺は咲良の隣に腰を下ろす。

久しぶりの距離感でドキドキする。

膝をてて、ケーキの箱を開ける咲良に見入てしまう。

「美味しそう、悠真くんはどれ食べる?」

「咲良が先に選んでいいよ。二個ずつね」

「二個も食べれるかな」

「え?ケーキは別腹じゃないの?」

「そうだけど、二つも食べたら……太っちゃう」

髪を耳に掛けた咲良。

「じゃあ、私ショートケーキにするね」

「俺は、チョコにしようかな」

咲良が丁寧に箱から取り出して、俺の前にそっと置いてくれた。

冷えた麦茶と並んだケーキ。

フォークを手に取りながら、咲良の横顔をちらりと見る。

「美味しい」

肩をすぼめて咲良は笑う。

ケーキを口に運ぶその表情が嬉しそうで、俺の頬も緩んでいた。

「ん?」

こっちを向いて眉を上げる。

「なんか、こうしていると、会ってなかったのが嘘みたいに思えた」

俺の言葉に、咲良はフォークを皿の上に置いて。

「うん」

その言葉と笑顔に、いっぱいの想いが込められている気がして、俺の頬は綻びたまま。

ケーキを食べ終えると、部屋にはやさしい静寂が流れた。

俺は自然と手を伸ばして、咲良の手をそっと取る。

咲良は少しだけ驚いたように瞬きをして、それでも、指を絡めてきた。

汗ばんだ手のひら、だけどあたたかくて、安心できる。

俺は温めていた想いを口にする。

「ねえ、咲良。インスタ始めてみない?」

「ん?どうしたの……いきなり?」

小首を傾げる咲良に、伝えたいことを話す。

「咲良の絵、もっといろんな人に見てもらいたいんだ。すごく素敵だし、きっと何かを感じてくれる人いると思う。それに進学とかにも、こういう活動って、きっと役に立つと思う」

「でも、そういうの得意じゃないから……」

「俺も手伝う。アカウント、もう作ってあるんだ。運用は俺がする。咲良もログインできるしさ。それに写真もさ、一緒に考えながら撮ったら面白いかなって」

咲良は一瞬驚いた表情をして、すぐに柔らかく微笑んだ。

「うん、じゃあ、やってみようかな」

「咲良が感じたことを言葉で添えてさ、きっと評判呼ぶと思うんだ、時間は掛るかもだけど」

「私のこと考えてくれてたんだ。ありがとう」

あれからずっと考えていた。俺が出来る応援の方法。

俺じゃなきゃできない支え方で。

伝えられて、咲良も受け入れてくれて、ホッと胸を撫で下ろす。

咲良の顔から笑みがスーッと消えて、少し俯いた。

その視線の先には絡みだした指先。

小さく息をした咲良が口を開いた。

「……私ね、悠真くんに言ってなかったことがあるの」

もしかして――

あのことこかもしれない。

俺は少し背筋を伸ばした。

「うん、なに?」

「私……海外に留学しようって思ってたの……私の好きな画家、日下雫がそうだったから」

「うん」

「あの人みたいに、世界を見て絵を描きたいって……」

咲良の手から、スーッと力が抜ける。

「うん」

うつむいた咲良の口元が優しく上がる。

「でも、やめた」

「……どうして?」

咲良は視線を落としたまま、俺の手をきゅっと強く握った。

そして、小さく息を吸って言った。

「日本にいても、絵は描ける。夢の形を、変えてもいいんじゃないかって……この夏、ずっと考えてた。悠真くんに……会えなかったから、余計に」

俺は言葉が出なかった。

夢のために遠くへ行こうとしていた咲良が、俺のために進路を変えた。

そんなことがあっていいのか。

でも――

正直、嬉しい。

けど。

「それでいいの? 本当に」

俺がそう問うと、咲良は一度うなずいてから、俺をまっすぐ見つめて、

「うん。私……悠真くんと一緒にいたい。それが、一番大事だって思ったから」

小さくても、確かな決意がその声に宿っていた。

沈黙の中、ただ手を繋いだまま。

咲良の手の震えが、伝わってくる。

俺の手も、たぶん震えてる。

「悠真くん」

咲良がぽつりと名前を呼ぶ。

「……好きだよ。そしてね、悠真くんが傍にいてくれることで、私の絵に感情が乗せられるようになった気がするの」

「そうなの?俺は前から気持ち入ってたと思うけど」

「うん、それはね。でも違うんだ。悠真くんがいてくれて芽生えた感情だから」

窓の外、夕陽がゆっくりと角度を変えて、部屋の中の絵を赤く照らしていた。

ぬくもりの中で、手と手だけが語り合っていた。


お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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