うるおい
あの日の俺のメッセージに対する咲良からの返信は嬉しくもあり、正直驚いた。
逆に返事をするのが遅れたぐらいだった。
『うん、私も会いたい』
『でも、ちょっと、外はいやかも』
『よかったら、うちに泊まりに来ない?』
『お父さんも、お母さんも田舎に帰ってて、私一人でさみしいから』――
昼過ぎ、俺は咲良の家に向かっていた。
白く照り返すアスファルト、背中にまとわりつく夏の熱気。
だけど、それ以上に胸の内側が火照っている気がした。
久しぶりに会える。
咲良に。
この夏休み、会えない日々は思っていた以上に長く、そして重かった。
会えない時間が続くほど、咲良の存在が、俺の中でどれだけ大きなものだったのかを思い知った。
手に下げたポリ袋の中には、途中で買ったケーキ。
冷たい甘さで、ほんの少しでも咲良の疲れを癒せたらと思った。
インターホンを押すと、玄関の扉がゆっくりと開いて、咲良が出てきた。
「悠真くん」
俺の姿を見て、おでこに手を添えて、唇を嚙んではにかんだ。
白のノースリーブに、薄手のグレーのロングスカート。少しだけ日焼けした肩と、まとめられた髪から覗くうなじに、思わずドキッとする。
「久し……ぶりだね」
咲良は、恥ずかしそうに目を伏せながら笑った。
俺も、心から笑えた気がした。
部屋に入ると、前に来たときよりも絵が増えていた。
壁にも机の上にも、見たことのない色と形が並んでいる。
咲良の手から生まれたものが、そこに静かに息づいていた。
「すごいな……」
「これ、コンクールのやつ」
「部室のやつじゃないの?」
「あっちは大作で、こっちは小品だけど……」
咲良が言葉を探すように、静かに指を伸ばした先。
そこにあったのは、やや大きめのキャンバスに描かれた一枚の風景画だった。
広がる麦畑。
穂はわずかに揺れている。
けれど、風の気配は感じられない。
空は夕暮れ間際のように、焼け落ちる寸前の金と茜が溶けあっていた。
画面の奥――畑の真ん中に、ひとり、少女の後ろ姿が描かれていた。
帽子を押さえて、何かを探すように空を見上げている。
顔は見えない。
けれど、その背中はどこか、迷っているようにも、歩き出そうとしているようにも見えた。
「……これ、すごく……」
喉まで出かけた言葉を、しばらく飲み込んだ。
心に何かが刺さったみたいで、すぐにはうまく言葉にならなかった。
きっと、この少女は咲良だ。
いや、咲良そのものではないけれど――この夏、咲良が過ごした時間、感じた孤独、立ち止まりそうになった瞬間、そして、それでも前を向こうとした意思。
全部が、絵の中の空気になって染みこんでいるような気がした。
見ているうちに、心がじわじわと温かくなっていく。
でも、少しだけ胸が苦しくなって。
けど。
「咲良……これ、俺、すごく好き」
そう言うと、咲良はほんの少し驚いたような顔をして、それから、ふわっと笑った。
今まで見たどんな笑顔よりも、やわらかくて、少しだけ泣きたくなるくらい綺麗だった。
「すごい、頑張ってるんだね」
「今までの作品をポートフォリオにまとめたりしないといけなくて……」
「ポートフォリオ?」
「ああ、作品集のこと。それをね提出するの」
「そうなんだ……」
咲良は、体の前に腕を添えるように下ろして、両手の指先だけを絡めていた。
何か言おうとして、けれど少しためらうような。
咲良は、何か思い出したようにぱっと顔を上げた。
「……あっ。折角だから、食べよケーキ」
そう言って、テーブルの方へ顔を向ける。
「そうしようか」
俺は咲良の隣に腰を下ろす。
久しぶりの距離感でドキドキする。
膝をてて、ケーキの箱を開ける咲良に見入てしまう。
「美味しそう、悠真くんはどれ食べる?」
「咲良が先に選んでいいよ。二個ずつね」
「二個も食べれるかな」
「え?ケーキは別腹じゃないの?」
「そうだけど、二つも食べたら……太っちゃう」
髪を耳に掛けた咲良。
「じゃあ、私ショートケーキにするね」
「俺は、チョコにしようかな」
咲良が丁寧に箱から取り出して、俺の前にそっと置いてくれた。
冷えた麦茶と並んだケーキ。
フォークを手に取りながら、咲良の横顔をちらりと見る。
「美味しい」
肩をすぼめて咲良は笑う。
ケーキを口に運ぶその表情が嬉しそうで、俺の頬も緩んでいた。
「ん?」
こっちを向いて眉を上げる。
「なんか、こうしていると、会ってなかったのが嘘みたいに思えた」
俺の言葉に、咲良はフォークを皿の上に置いて。
「うん」
その言葉と笑顔に、いっぱいの想いが込められている気がして、俺の頬は綻びたまま。
ケーキを食べ終えると、部屋にはやさしい静寂が流れた。
俺は自然と手を伸ばして、咲良の手をそっと取る。
咲良は少しだけ驚いたように瞬きをして、それでも、指を絡めてきた。
汗ばんだ手のひら、だけどあたたかくて、安心できる。
俺は温めていた想いを口にする。
「ねえ、咲良。インスタ始めてみない?」
「ん?どうしたの……いきなり?」
小首を傾げる咲良に、伝えたいことを話す。
「咲良の絵、もっといろんな人に見てもらいたいんだ。すごく素敵だし、きっと何かを感じてくれる人いると思う。それに進学とかにも、こういう活動って、きっと役に立つと思う」
「でも、そういうの得意じゃないから……」
「俺も手伝う。アカウント、もう作ってあるんだ。運用は俺がする。咲良もログインできるしさ。それに写真もさ、一緒に考えながら撮ったら面白いかなって」
咲良は一瞬驚いた表情をして、すぐに柔らかく微笑んだ。
「うん、じゃあ、やってみようかな」
「咲良が感じたことを言葉で添えてさ、きっと評判呼ぶと思うんだ、時間は掛るかもだけど」
「私のこと考えてくれてたんだ。ありがとう」
あれからずっと考えていた。俺が出来る応援の方法。
俺じゃなきゃできない支え方で。
伝えられて、咲良も受け入れてくれて、ホッと胸を撫で下ろす。
咲良の顔から笑みがスーッと消えて、少し俯いた。
その視線の先には絡みだした指先。
小さく息をした咲良が口を開いた。
「……私ね、悠真くんに言ってなかったことがあるの」
もしかして――
あのことこかもしれない。
俺は少し背筋を伸ばした。
「うん、なに?」
「私……海外に留学しようって思ってたの……私の好きな画家、日下雫がそうだったから」
「うん」
「あの人みたいに、世界を見て絵を描きたいって……」
咲良の手から、スーッと力が抜ける。
「うん」
うつむいた咲良の口元が優しく上がる。
「でも、やめた」
「……どうして?」
咲良は視線を落としたまま、俺の手をきゅっと強く握った。
そして、小さく息を吸って言った。
「日本にいても、絵は描ける。夢の形を、変えてもいいんじゃないかって……この夏、ずっと考えてた。悠真くんに……会えなかったから、余計に」
俺は言葉が出なかった。
夢のために遠くへ行こうとしていた咲良が、俺のために進路を変えた。
そんなことがあっていいのか。
でも――
正直、嬉しい。
けど。
「それでいいの? 本当に」
俺がそう問うと、咲良は一度うなずいてから、俺をまっすぐ見つめて、
「うん。私……悠真くんと一緒にいたい。それが、一番大事だって思ったから」
小さくても、確かな決意がその声に宿っていた。
沈黙の中、ただ手を繋いだまま。
咲良の手の震えが、伝わってくる。
俺の手も、たぶん震えてる。
「悠真くん」
咲良がぽつりと名前を呼ぶ。
「……好きだよ。そしてね、悠真くんが傍にいてくれることで、私の絵に感情が乗せられるようになった気がするの」
「そうなの?俺は前から気持ち入ってたと思うけど」
「うん、それはね。でも違うんだ。悠真くんがいてくれて芽生えた感情だから」
窓の外、夕陽がゆっくりと角度を変えて、部屋の中の絵を赤く照らしていた。
ぬくもりの中で、手と手だけが語り合っていた。
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
感想やご意見ありましたら、お気軽にコメントしてください。
また、どこかいいなと感じて頂けたら評価をポチッと押して頂けると、励みになり幸いです。




