ひからびたパン
夏休みも半分ほどが過ぎようとしていた。
咲良と会えない事が想像以上に寂しい。辛い。
咲良も同じ気持ちなんだと分かっていても。
最初の頃は、咲良がやっていたゲームを練習して会った時に驚かせよう。
バイトでためたお金で、何か美味しいものをごちそうしよう。
将来の目標が明確な咲良に負けないように、俺も勉強に力を入れてみたりして。
そうやって自分なりに、時間の過ごし方を工夫していた。
それなりに目標もあって、毎日が少しだけ前向きだった。
毎日メッセージはしてるし、たまに電話で話すたびに、聞こえる声に好きが膨らんでいって、聞かせた声に同じように思ってくれていると願って。
――ただ、学校がある時なら、特別なことをしなくても、咲良はそこにいた。
それが今は、会えない。触れられない。
こんなに長い期間、いや短いのかもしれない。
けれど会えない事が、余計な感情や思考を運んでくる、訳で。
もし咲良が噂通り、海外に留学したら。
二人はどうなってしまうんだろう。
「会えない」のレベルが、今どころの騒ぎじゃなくなる。
でも、それが咲良の夢であり願いであるなら。
笑って、背中を押してあげたい。応援したい。
それだけは、揺るがない。嘘のない気持ち。
けれど。
それでも、心にエゴやネガティブな不確実な想いが残ってしまうものがあるのも事実で。
それをどう扱えばいいのか分からなくて、
自分の感情に追いつけないまま、日々だけが過ぎていく。
バイト先のテラス席に出ると、店のパラソルの隙間から、雲一つない真っ青な空がのぞいていた。
真夏の陽射しは、コンクリートの床にまぶしく照り返っている。
それとは正反対の、どんよりとした雲が俺の心の中には居座っていた。
「どうしたの春川くん?何かここのところボーっとしてるね?」
テーブルを拭いていた俺に声を掛けてきたのは、バイトの先輩の日比野風夏。
私立の大学に通う二年生で、アンシンメトリのショートボブが印象的な女性。
気さくな性格で、誰とでも壁を作らない、男女問わず好かれるタイプ。
いわゆるこの店の看板娘で、彼女を目当てに来る常連さんも多い。
「そうですか?」
俺は、視線を拭き掃除の手元に戻しながら聞き返す。
「うん、なんか夏の日差しを受けても乾かない、日陰に残った水たまりみたいに濁った感じ」
「……ん?」
「図星でしょ?」
「いや、全然普通ですよ」
そう返す俺の声は、思った以上に淡白で。
笑顔も、いつもよりうまく作れない気がした。
「そっかな、いつもお客さんに笑顔で、柔らかい声で応対してるのに、ひからびたパンみたい」
「パン……ですか?」
思わず噴き出してしまう。
「フフ」
それだけ言って、風夏さんは、くるっと回れ右して店内に引っ込んで行った。
ひからびたパン――
妙にその響きが頭の中に残った。
今日はバイトは15時まで。
更衣室で制服を脱ぎながら、ふとスマホを開く。
待ち受けには、咲良との初デートで撮ったツーショット――
少しの間、見つめていると、スッと情けない笑顔が浮いた。
そっと画面を閉じて、ポケットにしまう。
着替えを済ませ、ドアを開けたところで、風夏さんと鉢合わせになった。
「あれ、日比野さん、今日早いですね」
「まあね」
「お疲れさまでした」
「はい、お疲れさま」
そう言い合って、自然と一緒に店を出た。
前を歩く風夏さんは、肩に鞄を掛けて、オレンジのフリルスカートが風に揺れ、サンダルのかかとを弾ませながら歩く。
タン、タン――規則的なリズムが静かな商店街に響く。
けれど、その足音がぴたりと止まる。
風夏さんは、肩越しに振り向いて、
「駅まで一緒に帰る?若者よ」
と、小首を傾げた。
思わず数秒、返答に詰まる。
「ああ、いや、ええ」
咲良以外の女性と並んで歩くのは初めて。
厳密に言えば、母や祖母を除けば、だけど。
何か違和感がある。
風夏さんは、前を向いたまま、何も言わずに歩き出す。
沈黙が続くのに耐え切れず、俺は問いかけた。
「ひからびたパンって、その、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だけど。潤いがなくなって固くなってしまったパン」
前を向いたまま、風夏さんは答える。
けれどその声音は、どこか優しくて。
「でもね直せるんだよ、知ってる?」
「いえ、知らないです」
「レンジでチンしたり、ラップで包んで一晩おいておくとか、そうすると、柔らかくなるんだよ、元通りに」
「じゃあ……俺もそうしたらいいってことですか?」
「ふふっ」
風夏さんはくすっと笑う。
「ようは、潤いがなくなっちゃたんだね。だからそれを戻してあげたらいい」
「潤い……ですか」
「どうした?彼女と喧嘩でもした?」
腕組をして、前を向いたまま。
風夏さんは、俺の問いには答えずに聞き返してきた。
「いえ、そう言う訳じゃないんですけど」
「ふーん。――恋は悩み多き方がね、楽しいと思うよ」
「……はあ」
「それだけ想いが強いってことだよ、頭も心も。恋って心が変になるって書くの。愛は心を受けるって書くの?」
人差し指を顎に当てて、空を見ながら自分で納得すように頷いている。
「何かの名言か何かですか?」
「私の名言。気に入ったら使っていいよ」
「……」
「不安があるなら、ちゃんと伝えた方がいい、聞いた方がいい、大切な存在ならなおさら。澄んだ心なら届けてくれる。星の瞬きと同じだね」
真っ直ぐ前を見つめたまま――
まるで俺の心を見透かしたように。
「不安というか、なんというか……」
「だーめ。私に話してもなんいもならないよ。口に出すことで少しは楽になるけれど、本気の想いは春川くんにしか分からない。当人同士のことならなおさらね」
「……」
「励めよ、若者」
風夏さんは、俺の背中をバシンと叩く。
その勢いの強さに、胸のつかえが飛び出していくような気がした。
「じゃあ、私、向こうだから」
「お疲れ様でした」
風夏さんは、軽く片手を上げると、反対側のホームに続く階段に姿を消していった。
ガタン、ガタンと電車の音が上から降って来て、ポーンと自動改札の音が横から流れてくる。
喧騒に取り残された様な空気。
俺はポケットからスマホを取り出し、指を走らせた。
――咲良、会いたい。今度の週末、どうかな?
送信ボタンを押すと、画面に表示されたままのメッセージ。
既読はすぐには付かなかった。
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
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