染まって
大きな川沿いの土手を、咲良と手をつないでゆっくり歩く。
暮れゆく空にぽっかりと浮かぶ半月が、我が物顔で夜の支度を始めている。
土手を歩く人々の雑踏の中で、カタ……カタッと響く下駄の音だけが、不思議と耳に心地よく届いてくる。
咲良が一歩ごとに刻むその音が、まるで咲良の心のリズムのように感じられた。
俺の右手の先にあるのは、浴衣に身を包んだ咲良の姿。
淡い青緑色の布地には、白と薄紫の小さな桜の花が静かに舞うように散りばめられていて、光の加減でほんのりと浮かび上がって見える。
帯は深い藍色。凛とした色合いが咲良の背筋の美しさを際立たせていた。
こめかみからふわりと垂れた髪の束が柔らかく頬にかかっていて、少しだけアップにした後ろ髪には、細い金具の髪飾りがさりげなく添えられ、白いうなじに思わず見惚れてしまう――。
「綺麗だね、咲良」
いつもより、ずっと大人びて見えて、今までの咲良とは違う魅力を放っていた。
女の子ってすごいな。
単純にそう思った。
笑った顔ひとつで、胸がいっぱいになる。
ちょっとした仕草。
ふとした表情。
やわらかな声の響き。
紡がれる言葉も。
髪型や服装の違いもあるけど、きっとそこには色んな感情や想いがあって「どう思ってくれるかな」っていう不安とか、「喜んでほしい」っていう願いとか。
そういうのが、きっと一秒一秒、咲良の中で、何かを感じ揺れ動いてる。
それが、俺のためだったりするのが――もう、どうしようもなく、嬉しくて。
一生懸命に考えてくれて。
たくさんの時間を使ってくれて。
そんな想いがちゃんと伝わってくるから。
だからこそ、俺も、ちゃんと応えたいって思った。
言葉に乗せて、自分の気持ちをきちんと伝えたい。
咲良の隣にいる自分が、ただ幸運だっただけじゃないって。
――そう、思えた。
咲良は、ほのかに耳と頬を赤くして、うなじをそっと触る。
「ありがとう……悠真くん」
チラッと俺を見上げて口元が緩む。
儚げな美しさに、自然と心が高鳴っていく。
その瞬間、俺は気づく。
咲良とこうして一緒に過ごせることの喜びが、じわじわと体中に広がっていく。
――でも、未だに、こんなにもドキドキするのは、なんだか恥ずかしい気がしない訳でもない。
咲良の浴衣姿が、予想以上に綺麗で可愛くて、目の前にいることすら不思議なくらいだ。
「ん?」
咲良と並んで歩いていると、ふといつもと違う感覚が胸に広がった。
なんだろう。
繋いだ手はしっかり握られている。
しっかり指を絡めて。
それでも心なしか力がはいっているような、はいっていないような。
視線は伏し目がち。
空いた右手は浴衣の袖を握っている。
でも、何か違う。
その時、咲良は少し頬を膨らませた。
どこか遠くを見つめているような表情をして、わからないくらいの、小さなため息。
でもすぐに、スッと元の表情に戻る。
「咲良?」
思わず声をかけると、咲良はハッとしたように顔を上げた。
そして、ちょっとおぼつかない笑みを浮かべる。
「うん?」
「どうしたの? なんか元気ないみたいだけど」
俺の言葉に、咲良はほんの少し下を向いて歩みを止める。
「あ……」
咲良は口を小さく開けたまま、俺を見つめていた。
そしてホッとしたように肩を撫でおろす。
「元気、ないわけじゃないんだけど……」
咲良が言葉を濁しながら、カタ……カタッと下駄を鳴らしてゆっくりと歩き出す。
その視線はちらちらと揺れている。
何かを言いかけては飲み込んでいるような感じ。
咲良は、自分の気持ちを表現するのは苦手。
それでも、徐々に少しずつ、俺と一緒にいる時は、甘えたり、素直な表情や言葉で表現してくれていた。
けれど、今日はどうしてもその「少し」が見えない。
それがすごく不安で、何か言いたいけれど言えなくなった。
言葉をかけるべきか、それとも沈黙を守るべきか、心の中で何度も葛藤しながら、俺はただ咲良の横顔を見つめた。
「……咲良、何かあったの?」
もう一度、問いかける。
その声に、少し強い思いを込めて。
咲良は再び、俺の視線を避けるように、また一歩、歩を進める。
「……実は、夏休み中はちょっと忙しくなるから、あまり悠真くんと会えないかもって思って」
その言葉に、俺は少し驚いた。
「忙しいって……?」
「うん、大学の推薦のために、準備しなきゃいけないことが多いの。それに、実技も練習しないといけないから、どうしても悠真くんと会う時間が少なくなっちゃう」
咲良の声には、どこか申し訳なさが含まれていて、言葉が少し震えている。
その声に、俺は思わず足を止めた。
咲良が頑張っているのは知ってたし、普段どれだけ努力しているかも理解している。
でも、どうしても寂しさが込み上げてくる。
「そうか……」
その一言だけが、なんだか重たく響く。
咲良は少しだけ顔を上げて、俺の表情を覗き込むように見つめた。
「……ごめんね、悠真くん。私、ちょっと無理言ってるのかも」
唇をギュッと結び、浴衣の袖を引っ張るように握っていた。
俺は咲良の目を見つめて、静かに笑顔を作る。
「そんなことないよ、咲良が頑張っているのは知ってるから。応援するよ」
咲良は黙って、こくん、こくんと頷いた。
「……ありがとう、悠真くん」
咲良の笑顔が戻った。
気がした。
俺は握った手を軽く振りながら歩き出す。
そう、風の噂で聞いたことがあった。
俺達が付き合い始める前のこと。
うちのクラスの美術部員が、咲良が海外の大学進学を目指していると。
会えないのは確かに寂しい、けどそれは咲良も同じはず。
俺だけがわがまま言っていい訳じゃない。
何かできることがあれば、と思わずにはいられなかった。
忙しいことをわかっているけれど、少しでも咲良が楽になれるように、力になりたい。
しばらくして、咲良がふっと息を吐いた。
「……今日、私、ちょっとだけ寂しかったんだ」
きっとその事を俺に伝えるのに、咲良は思いつめていたんだろう。
今の言葉が、俺と同じ気持ちだというのを物語っている。
「俺は、どこにも行きませんから」
咲良は俺の言葉に目を丸くした。
「……うん」
コクリと頷く咲良はそっと髪を撫で、うなじに手を添えた。
カラン、カラン。
少し弾んだ下駄の音。
そして――。
ドンッ!ドンッ!
空に大きな花火が上がり、瞬く間に夜空が色とりどりに染まっていく。
「わあ……きれい」
咲良がは眉を上げて、花火を見つめている。
その横顔を青、紫、金色と次々に染められていく。
「本当にきれいだね……」
「うん」
視線に気づいた咲良が、俺を見上げ、小首を傾げて笑う。
ドンッ!
赤い花火がその頬を優しく染めていた。
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