視線
放課後の教室。
何となく周りがざわついていた。
誰かが何かを話している声が微かに耳に入ってきて、でもその内容は、最初は気に留めるほどではなかった。
ただ、気がつけば、何人かが俺をチラチラ見ているのを感じる。
それでも気にしないようにしていたけど、ふと顔を上げた瞬間、目が合ったクラスメイトがすぐに視線を逸らした。その瞬間、なんとなく嫌な予感がした。
「あぁ、噂か」
俺は小さくため息をついた。
今日の昼休みから、どうやら俺たちのことが噂になっているらしい。
雨の日、バス停で咲良先輩と抱き合っていた――それがどうやら見られていたらしい。
―まぁ、想像はついた。
咲良先輩を抱きしめたのは確かに事実だし、俺自身も雨で冷えた体を温めたいって思ったから。
でも、あれが誰かに見られて、こんな風に噂になるなんて考えてなかった。
あれだけの雨だったからってなおさら。
その噂は、だんだんと広がっていった。
「ねぇ、聞いた? 三年の美波先輩と、二年の春川くん……最近よく一緒にいるって」
「え、マジ? あの氷の女王が? 嘘でしょ?」
「春川くんと美波先輩が付き合ってるらしいよ」
とか、
「あんなに雨の中で近づいて、付き合っているに決まってる」
みたいな話がクラス中に響いていた。
俺はその場で自分がどう見られているのかを気にしていたけれど、内心、咲良先輩のことが心配だった。
咲良先輩は、普段から冷静で、感情を表に出さないタイプ。
でも、それは本人が苦手なだけで、不器用で繊細な普通の女の子だから。
そんな咲良先輩が、今、どう思っているのか。
それがすごく気になった。
教室を出て、俺は咲良先輩を探しながら校舎を歩いていた。
でも、咲良先輩はすぐには見つからなかった。
やっぱりあそこかな。
咲良先輩は美術部の部室の中で、窓の外を見つめぼんやりと立っている。
その姿が、なんだか小さく見えて、俺は思わず足を速めた。
「咲良先輩!」
俺の声に気づいたのか、咲良先輩が顔を上げた。
でも、目を合わせることなく、すぐに視線を下げてしまう。
噂を気にしているの間違いない。
「先輩……!」
俺はあえて、無理に明るく言ってみた。
でも、咲良先輩はしばらく黙ったままだった。
俺は咲良先輩が沈黙している間、心の中でどう言葉をかけるべきかを考えた。
でも、すぐに分かった。
何かを言いたいんだ。
それが、咲良先輩が黙っている理由だと思った。
「……噂、気にしてますか?」
俺は少しだけ勇気を出して問いかけた。
咲良先輩は、目を伏せたまま、少しだけうなずいた。
右手を胸元に添え、左手はスカートをギュッと握っている。
その瞬間、俺は思わず胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
俺だって、自分がどう思われるのかが気になる。でも、咲良先輩の場合は。俺なんかよりもはるかに繊細だから、きっと必要以上に気にしてしまっている。そう思った。
「……その、気にしないようにって無責任かもしれないけど、俺は噂になってもかまわないんですけど……」
俺は、やっと言葉を絞り出した。
咲良先輩は、顔を上げて俺を見る。
その目は揺れていて、不安とも、恥じらいとも、安堵とも取れそうな複雑なものだった。
視線を逸らし、咲良先輩は深呼吸をして、肩を落とした。
「……ありがとう」
静かにほほ笑む。
どっちの笑顔だろ。安心、喜び、それとも……
「私も、その、頑張る」
抱きしめたかった……立つ距離を、ほんの少しだけ近づけた。けどさすがに自重する。
「……先輩」
俺は咲良先輩の頬を両手で挟んだ。
ビクッと少し顎を引いて、頬が赤く染まり手のひらに温もりが伝わる。両手はスカートをギュッと握っていた。
「俺は……好きですから……どんなことがあっても、だから、無理しなくていいですから」
咲良先輩小さく、目を閉じた。
頷きの代わりのように。
そしてまぶたが開いたその瞳は、真っ直ぐ俺を見てくれた。
「……好きって、そんなにまっすぐ言われたら……ずるい」
咲良先輩の両手が俺のシャツを摘まんだ。
「……離して……」
「あっ……ごめんなさい」
慌てて両手を頬から離していき場のなくなった手でズボンをさする。
「うれしいけど……痛かったから……」
「あ……ごめんなさい」
「春川くん……好き……って、たくさん言って欲しい」
「はい、咲良先輩。好きです。大好きです」
「……そう言うんじゃなくて……じゃなくて、そうなんだけど」
うつむいて、顔を上げて髪を耳に掛ける。
「咲良先輩?」
「……ん?」
「もし、噂が気になったら、そいつのことを、睨んでみてください」
「?」
ぽかんと口を開けている顔が、かわいい。
一瞬、目を奪われて何を言おうとしたのか、忘れそうになる。
「その、ああいう連中は悪意はなくて、面白がってるだけなんですよ、けど、たぶん、咲良先輩、言い返せないでしょ?だから睨んでみて、きっと大丈夫になるから」
「……出来るかな……」
「無理じゃなくていいから、少しずつ。だって、俺たち悪い事何もしてないでしょ?」
咲良先輩の眉がピクリと上がる。
「……だよね」
俺のシャツを握っていた、咲良先輩の手の力が抜けた。
「大丈夫、俺はずっと好きですから」
咲良先輩は俺の両手を握った。
赤い顔をしながら、しっかりとまた、俺を見つめてくる。
「やっぱり、君じゃなきゃダメ」
あの時の言葉に、再び俺の胸は射抜かれた。
俺は握ってくれた手を持ち上げて、咲良先輩に顔の前で両手で包み込んだ。
「俺も、咲良先輩じゃなきゃダメです」
咲良先輩は大きく頷いて、首を傾げて微笑む。
窓から差し込む傾いた陽を浴びた、その笑顔はひときわ輝いていて美しかった。
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