だって、男ですから
下校時間、校門を出た頃には、空が不穏な色を帯び始めていた。
雲の隙間から微かに光が射していたのに、それが急に鈍い鉛色に変わっていく。
季節外れの冷たい風が、音もなく俺たちを追い越していった。
「春川くん、あれ……」
咲良先輩が空を見上げた、ちょうどその瞬間。
パラパラと降り始めた雨が、数秒後にはバケツをひっくり返したような土砂降りに変わった。
「わっ……!」
「こっち!」
俺は咲良先輩の手を取って、すぐそばにあった小さなバス停の屋根の下へ駆け込んだ。
肩で息をしながら振り返ると、咲良先輩の白いブラウスが雨で肌に張り付いていた。
薄いインナー越しに透けて見える下着の輪郭。
頬を赤くした咲良先輩は小さく息を呑み、すぐに胸元を押さえて体を少し背ける。
「……見た、でしょ……?」
震えるような、でも少し鋭い声。
「い、いえ! 見てないです、見てませんっ!」
声が裏返り、余計に怪しくなり、必死に首を振る。
言えば言うほど嘘くさくなるのは分かっていたけど、それ以外に言葉が出なかった。
……でもね、咲良先輩、気になりますよ、そりゃあ……少しラベンダーグレーっぽい色だったような……
「……だめ、だよ……」
咲良先輩は少しだけ顔を伏せ、小さく震える声でつぶやいた。
その声は、普段の落ち着いたものじゃなくて、どこか脆く、小さかった。
一瞬、心の中を見透かされたのかって思って、変な汗が出た。
咲良先輩は鞄からハンドタオルを出して顔や髪を拭いていた。
俺も同じように拭いてはみたが、すぐに水分を吸ってびちゃびちゃになる。
バーッと雨がバス停の屋根を叩く音が、重く鋭く響いている。
咲良先輩は胸の前で腕を抱いたまま肩をすくめ、下を向いていた。
「……寒くないですか?」
雨音にかき消されそうな声で問いかけると、咲良先輩は小さくうなずいた。震える唇が、何か言いかけて止まる。
そして、そっと俺の腕に体を寄せてきた。腕を抱えたままの指先で俺の袖口をそっと摘む。
「……あんまり、見ないでね」
声がかすれて、小さく震えている。
「……はい」
けど、咲良先輩の髪の先から滴る雫が、俺の腕にぽたりと落ちて、冷たくて、だけどそれ以上に近くに感じる肌の感触が……。
雨は一層激しくなって、排水溝へ流れ込む水の音が、ゴボゴボと鈍く響いていた。
雨の線で視界も悪く。ヒヤリとした風が吹く度に寒さを感じるほどだった。
「雨なんて、天気予報言ってなかったですよね」
「……うん」
「止まないですね……」
「……うん」
咲良先輩は、ただ肯いて返事をするだけ。
ん?
抱えた腕をさする咲良先輩の指先が、そして肩が、わずかに震えている。
「大丈夫ですか?」
「……うん、ちょっとだけ……寒いかも」
だよな……ジャージでもあれば……
「先輩?ジャージ持ってません?」
咲良先輩は小さく首を振る。
大きなタオルでもあれば……
そう考えてる間も、咲良先輩は震えている。
でも寒そう。どうしよう……
よし!
俺は意を決した。ここは男を見せる時。
決して、咲良先輩に抱きつきたいという気持ちだけが理由ではない。
横にいる咲良先輩に向き直り、そっと抱きしめた。
「う……」
咲良先輩の体が小さく跳ねる。
柔らかい感触と、雨で冷たくなった体温が一度に伝わってきた。
咲良先輩は何も言わず、ただ俺に身を預けるようにしてじっとしていた。
俺は小さく震える体を温めたい。
その一心だった。
どれくらい経ったのだろう――
雨脚が弱まった。
「……ありがとう」
咲良先輩のその言葉で、俺の抱擁は解かれた。
けどでも、ずぶ濡れなのは変わらなくて、咲良先輩はまだ腕を組んだまま。
どうしたもんか?
俺はシャツを脱いで、思いっきり絞る。
それを、両手で、扇ぐ様に広げた。
「先輩、じっとしててください」
俺のシャツを咲良先輩に羽織わせた。
咲良先輩は俺のシャツの袖を胸元で軽く縛る。
「……ねえ、見えてないかな」
咲良先輩の不安そうな声に、俺は迷わず首を振った。
「見えないです。大丈夫です」
でも、咲良先輩。
それは見ないと分からないんだけど。
でも、言われたということは、見てもいいんだよね。
さすがに、直視は出来なくて咲良先輩をチラチラとみる。
良い事なのか残念なのか、俺のシャツを羽織った成果が出ていて。
「見えないです」
はっきり答える。
「ん?」
そんな俺を、目を細めてジッと見つめる咲良先輩。
え?見えないですよ。
大丈夫ですよ。
いや、確認して欲しいって言ったのは、咲良先輩ですけど……。
「……ほんとに、見えてません」
「……ありがとう」
そっと右手を差し出すと、咲良先輩は手を添えるように握り返してきた。
まだ冷たい手だった。
そしてゆっくり歩き出す。
びしょ濡れのまま、駅まで並んで歩く帰り道。
咲良先輩は、うつむき気味で口数が少なかったけれど――
つないだ手はしっかり握られていた。
でも、もうすぐ駅が見えてきたころ、小さく息を吐いて――
「……さっきのこと、忘れてね」
か細い声が、雨上がりの空気の中に消えていく。
「……無理です」
そう答えると、咲良先輩は小さく息を呑み、一度だけ俺を見て、頬を赤くした。
俺の手をぎゅうっと握り、もう片方の手でスカートの裾をぎゅっと握りしめる。
それが、雨上がりの一番の“ご褒美”だった。
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