第四話 《ヴェール》
「まったくもう…これで父さんに認められなかったら、私が治療してやることもできなかったと考えると、なんて怖いことをしてくれたのでしょう。」
俺のこまかい傷を拭って、手当をしてくれているのは、夜野幸音。俺の、母親だ。
顔を見るのは何年ぶりだろうか。いつも顔を上げずに、目を合わせないようにしていたから…
それで、父さんのほうはついに母さんにぶん殴られてしばらく頭を冷やしているらしい。
別に、俺に対して取った行動は名家の当主として普通だと思っていた。だが、そうでもないらしい。
謎は深まるばかりだと、そう思った。
第四話 《ヴェール》
母さんにここまで心配されるとは、思っていなかった。俺は、母は単純に俺に興味がないのだと思っていた。後継ぎはまず間違いなく兄さんだ。それなら、わざわざ俺に時間を割く必要はない。
しかし、本当は彼女も父に負い目を感じていただけらしい。名家に相応しくない子を産んだ。だから彼女が、たとえ俺をいくら愛していようと、父の好きなようにさせていたのだ。
しかし、だとすればなぜ今はこうして手当てをされているのだろう。
俺は、学校でのことを思い出してみた。
「うおおおおおおお!」
俺がそう叫ぶと同時に、あたり一面は真っ白になった。
その白さが衰え、視界が開けたころ、グラウンドは球状に抉れていた。
天音は結界魔法でちゃんと身を守ってはいたが、体が震えていて、その顔には笑みが浮かんでいた。
といっても、思わず浮かんだ笑みに近いものを感じたが。
しかし、魔力を50分の1しか使わないつもりが、半分以上も使ってしまった。それに、見えるところに細かい傷もついてしまった。父はそういう見える怪我に厳しい。これを見られれば、まず間違いなく手当てされる。別に手当て自体は問題ないが、兄から魔力を貰い受けていると知られれば、どんなことが起こるかはわからない。
魔力が見える人間は天音以外いない。が、近寄れば些細に感じる程度はできる。隠し通すのは無理だ。
どうしたものか…
「あなた、強いんだね。想像以上だった。」
いつのまに立ち上がっていた天音が、俺にそう言って手を差し伸べる。
俺はその手を取り、立ち上がる。不思議な手だ。年齢の割に、硬い。
こんなふうに感じる手は、父さんくらいなものだ。名家だからこそ、彼は剣を握り、鍛錬を積む。別に、戦いがあるわけでもないのに、なぜそんなことをするのかと、ずっと思っていたものだが…
「随分と硬い手だな。どうしてこんなに硬いんだ?」
俺は、そう彼女に聞いた。
彼女はキョトンとした顔をしながらも、その返答に悩んでいる。
不思議な静寂だ。少しあたりを見回しても、周りはただ唖然としているだけ。魔力がないと思っていた人間が魔法を使った。ただそれだけのことなのに。
「あー、お父さんが、そうしなさいって。」
彼女が口を開いたのは、30秒ほど経ってからだった。
それにしても、父の方針、か。それならば俺の兄だってそうだ。やっぱり、才能あるものは苦労するのだな…
「それより、あなた。やっぱり魔法使うの初めてじゃないでしょ?」
天音が、そう笑いながら言った。どういう意味だろう…
「俺は、正真正銘初めて魔法を使ったぞ?」
とりあえず、俺はそう返答しておいた。真意は知れないが、とりあえず事実は述べなくてはなるまい。
しかし、その返答を聞いた彼女は、その顔から笑みを消した。
「名前のある魔法を、使っていたのに?」
…?どう言う意味だ?
ああ、分かった。《ヴェール》のことだろう。
しかし、魔法理論は習っているが、名前のある魔法なんて聞いたことがない。中学範囲か?
「俺は、ただイメージしやすいようにヴェールって言っただけだ。特に、意味なんてないよ。」
「嘘だ。エネルギー結界のベクトル即時反射なんて、聞いたことがない。しかも、布状の結界なんて…」
そういえば、彼女の魔法を跳ね返した時に、驚いていたな。
「なあ、俺にはよくわからないんだが、魔法に名前がついていると、何かあるのか?」
俺がそう聞くと、彼女はため息をついた。
本当に何も知らないのか、と言いたげな顔だ。
「魔法に名前をつけるってのは、この名前が知れ渡り、いくら対策されようと、問題ない、この魔法はそれだけ強いんだっていう意思表示になる。つまりは、魔法を使えるもの…要は全世界の人間が一度は辿り着いてみたい領域のこと。そうだね、例えば私であればこの…」
彼女はそう言いながら、何か白い…五線譜のようなものを取り出した。そこには、始まりにト音記号がついている。つまるところ、楽譜だ。
彼女が楽譜に、四分音符やら二分音符、八分音符などを貼り付けるたびに、ポロンポロンと心地の良い音が鳴る。
「奏始《幻想の序曲》とかね。この世界にはいろんな魔法があって、アイディア次第でどんな魔法でも使える。変身とか、治癒以外。そんな魔法にわざわざ属性とかの区分けをする必要はない。やってられない。だから、古くからやられてきたのは、名付けだけ。でも、名付けをすれば、その魔法がどのようなものかがわかるようになってしまう。古くから闘争の手段となっている魔法に名前をつけるのは、非常にリスクのある行為。それを、あなたはしたんだ。」
だから、名前をつけたつもりはないと、言ったのだが…いや、意味がないと言っただけで、つけてないと明言してはいないのか。
では、そう言えばいいか。
「俺は、別に魔法に名前をつけたつもりはない。」
俺がそう言うと、彼女は露骨に恥ずかしそうな顔をした。
「あ、そう。それは早とちりしたね、ごめん。」
彼女はそう言って、譜面を上にあげた。
「ヴェールなんて魔法、聞いたことなかったから。軽はずみに作ったのかなって思ってた。ほら、ラノベとか漫画とか読んでたらよくあるじゃん。名前付きの魔法。」
そう言って彼女は精一杯弁明する。
漫画…は読んだ量が少ないからわからないが、ラノベには確かに多い。なるほど、年相応ならば確かにふざけて名前をつけそうな年齢だ。
お互いに。
「お前、そんなこと言うってことは…その魔法には、随分自信があるんだな」
俺は彼女をそう言って煽った。彼女の談によると、齢11にして、彼女は魔法の境地にたどり着いたということだ。本当かどうか、試したい気持ちと、正直に、見せてほしいという気持ちがあったからだ。
まあ、煽ったと言ったのだ。想像はつくだろうが、俺は彼女が怒ることを想像した。しかし、彼女は笑ったのだ。余裕のある笑みだ。
そうか、そこまで自信があるのか。それならば、確かに名付けに対してやたら厳しくなるのは頷ける。
名付けをすることは、自分の域に至ると同義。自分の圧倒的な自信に、軽はずみに近づかれると怒るのは当たり前だ。
「自信がある。当たり前だよ。私は最強の魔法使いになるんだから。見たら、わかると思うよ!」
そう言う彼女の目はすごい生き生きとしていた。闘争もなく、科学も十分に発展した世界で、そんなことを言う奴がいるとは。俺は少し、口角が上がった。
焦りだった。譜面の色がだんだん変わっていくのが見える。どうにも、やばいものがきそうな匂いがする。
決めた。これを防げたなら、彼女と同等になろう。《ヴェール》を、名付けしよう。そう思った。
「『積層』!『+8』!」
彼女の上にある音符の下に、五線譜が8列追加された。音符の配置も、違う。
途端に風が彼女に集まる。魔力の流れ、なのだろうか。心なしか、雲も集まっている?
彼女をふと見る。上昇気流でも働いているのか、彼女の服はばたばたとはためいている。
顔は、実に楽しそうだった。一心に魔法を見つめ、譜面を作っている。
「『属性付与』!『イスザータ』!」
譜面の色が、まるで南極の白い氷のような色に、定まった。来る…!
「行くよ!」
奏始《幻想の序曲》『イスザータ+8』!
彼女がそう叫んだ瞬間、俺の耳には心地よい音がなった。とても、眠くなる、そんな音だった。
まずいと、一瞬で気づいた。物理結界で、耳を覆い、咄嗟に身体強化を行って動体視力を上げる。
魔法の使い方はあの2回で分かった。魔力を押し出し形にするか、その前に何かごちゃごちゃ行う、それだけだ。
結局はイメージ勝負。楽なものだ。こんなことで名家を名乗れるとは。いや、注目されているのは魔力の量か。
そんなことを考えている暇はなかった。譜面から奏でられる音と、そこから出る無数の光の帯。
光の帯はとてつもない速さだった。残りの魔力の半分を目につぎ込んでやっと見えるくらいだった。音速は軽く超えているのではないだろうか。そもそも耳を塞いでいるから音は聞こえないのだが。
しかし、これを見る奴らは大丈夫なのだろうか。
そんなことを考えている暇はないと分かっていたが、気になってふと左右を見回す。その両目には、誰もいない空間が広がっていた。よかった、俺の魔法で、みんな逃げていたのだ。
一瞬目を離した隙に、光の帯が一本、地面を抉りながら目の前へと飛んできた。まずい、かわせない…!
俺は、一か八か、《ヴェール》を出した。防げるか…?
俺の手に出すのでは間に合わない。それは分かっていた。だからこそ、俺は真っ直ぐ突撃してくる、腹の辺りに出した。帯は速い。まず間違いなく、ヴェールが落ちる前にはたどり着いてくれる。
跳ね返らなければ、死ぬだけだ。
俺は、目を瞑る。
生き残った。どうやら、思った通り跳ね返ってくれたようだ。俺は、無意識にとんでもない魔法を作ってしまったらしい。
だが、そう思ったのも束の間、ゴト、と、音はしないのだが、そのような音を立てて落ちていそうな姿のヴェールが地面に落ちていた。
凍ったのだ。
これが属性付与ってやつか。この調子なら凍結魔法を付与したようだ。
そう思ってふと上を向くと、帯の通ったところから無数の先が尖った氷が顔を出していた。
おっと、氷魔法だったか。
俺は、跳ね返すために急いでヴェールを拾おうとした。
しかし、最初から手にあったからじゃないからか、反発される。それも、作用反作用の反発のされ方ではない。天音の言った通り、ベクトルの即時反射だった。つまり、ヴェールは生き残っている。
対策されてもいい。替えは必要ないってことが、ここで証明された。ただし、落とさなければ、の話だが…
俺は、新しくヴェールを生成する。今度は、こう叫んで。
「《ヴェール》!」
俺がそう叫んだ瞬間、氷が俺めがけて飛び出し、光の帯が加速した。俺はそれらをしっかりと一つ一つ跳ね返す。
魔法は、腕の振りも、強化できる。なんて素晴らしいことだ。
跳ね返した帯は、さまざまなところへ飛んだ。校舎の方、校外のビルにかするような方、あとは単純にグラウンド。
グラウンドには反射結界が貼られている。そう思って安心していたが、あろうことか天音の魔法は反射結界を突き破った。どんな威力だ。
今訂正する。天音の魔法の実力、確か上の上だと言った。だが、これを見ればわかる。バケモノだ。
物理結界を突き抜くのは、名だたる国のミサイルでも叶わないと言われているのに、彼女はそれを突き破ったのだ。
だが、ここでありがたいことがわかった。おそらく、エネルギー結界はまだ破れていないからこそ、彼女は《ヴェール》にも警戒したのだろうということだ。ヴェールは、原理としてはエネルギー結界の物質化だから。
天音の言うこの魔法のすごいところとは、ベクトルをスカラーに直してから望む形にしてまたベクトルに直すのではなく、ベクトルをそのまま逆方向のベクトルに、術者の判断なしで、ようはものすごい速さで変化させること。を、布で行っているから、ベクトルがいくつもの方向に分離するというのもすごいポイントだ。
つまり、本来なら光の帯は全て、貫けないどうこうとは別に何本にも分かれてとっくのとうにどこかへ霧散しているはずだ。そうなっていないのは、凍ったから。
よく観察すると、ずいぶん気味の悪い凍り方をしている。振るったはずなのに、なぜかピンと張られたまま跳ね返っている。
1回目はまあ振るっていないからともかく、2回目以降はそうだとおかしいのだ。
しかし、理由はわかる。ヴェールは振るう程度…要は、風程度には反発しない。というか、変換漏れが起こると言った方が正しいか。
初めて使った魔法の、怪我の功名部分だ。これのおかげで振るえるのだから。
話を戻すと、光の帯が超速で突っ込んできたら、そりゃあ風も圧縮されてヴェールを軽く押すだろう。その時に、形がピンとなる。だが、そのまま直撃するとヴェールは曲がる帯に耐えられず変な形へと変わるだろう。それを見越しての、氷魔法だ。
氷魔法ならば単純に分子の運動を止めるだけだ。当然だが、ベクトル反射が反応するわけもない。
彼女なりの、《ヴェール》対策だ。
…で、考えが長くなってしまったが、反射させたのももはや半分程度になっただろうか。20?50?100?具体的な数字は覚えていない。
そろそろ終わりにしていいだろう。エネルギー結界で身を守るのだ。対策どうこうとか言っていたから、多分まだ何かあるだろうが、大丈夫であると祈りたい。
そう思ってエネルギー結界を体の周りを球体に覆うように作るや否や、光の帯5本ほど傘が結界にまとわりついて点をずらそうとしてくる。
点というのは、結界を存在させるためにある、核となる頂点のことだ。
三つ以上じゃないと成り立たない。
それを遠隔でずらす…道理で、物理結界が破壊されたわけだ。
対策方法は《ヴェール》だけ、か…
俺はエネルギー結界を解除して、5つ同時に跳ね返した。
そうしたら、帯の本数はのこり5本ほどとなっていた。それもあえてこちらから近寄り跳ね返し、耳栓の結界を外す。
そのタイミングで、ちょうど、曲は終了した。
あの後、確か天音は微笑んで、
《ヴェール》、いい魔法だね。
とだけ言って去っていったはずだ。
その後、俺を騒がしいからと迎えにきた兄によって母の方へ引き渡されて、今日有ったことを聞かれた。
一言一句逃さずいうと、母さんはなんだかほっとしたような息をついて、笑った。
俺には、魔力はないが、魔法の才能はピカイチだと。
なんとも、皮肉な話だ。
そして、今に至るわけである。
しかし、魔法の才能、ね。確かに、魔法理論はスイスイと頭に入ってくるはくるが。
そんなものが本当に俺にあるのだろうかと、不安になる。
だが、俺はもう一度兄に魔力を補充してもらおうと思う。
俺自身、魔法には興味があったのだ。使えなかったし、言い出せなかったが。だからこそ、これからは俺は魔法を使って行こうかと思っている。
他の誰でもない。何よりも、夜野家の名誉のために。
第四話 終