1-7
タクシーを降りて、台湾で一番栄えている夜市につくと、人でごった返している。
少しでも気を抜くと、もう明彦には会えなくなりそうなくらいだ。
(ここで離ればなれになったら、確実にアキ兄ちゃんのクレジットカードのお世話になる。気を付けへんと)
「お目当ての屋台はあるのか?」
「ないよ。行列のできている店に並ぶ作戦やねん」
麗は自信満々に夜市の攻略法を披露した。
「外国人が納豆を苦手とする人が多いように、台湾人の口に合っても日本人には食べられないものが出てくる可能性は考えないのか?」
「……その時はその時。それもまた旅の醍醐味」
明彦の至極全うな指摘を麗は力業で切り捨てた。
「臭いが無理そうなところはやめておこうな……」
明彦は何か食べられないものの心当たりがあるのだろうか。
「わかった。にしても、屋台だけやと思ってたら、ちゃんとした居抜きの店もあって服とか雑貨とかも売ってるんやね」
どの店も大音量の音楽を鳴らしていて、マネキンと大きいポップが目を惹き、値段も手頃だ。
「気になる店があれば言えよ。お前には明日と明後日に着る服が無いんだから。さっきのモールで買わせなかったんだから、ここでは絶対に買うからな」
「はーい」
展望台を降りた後、麗は明彦に連れられてビルの下の階にある高級店が軒を連ねるモールを見て回った。
勿論、あの場で麗のものを買うのは拒否だ。高すぎる。
あの高級店ばかりのモールで服を買ってもらうことに比べたら、心理的ハードルはグッと低くなり、キョロキョロと服屋を見渡しながら歩くと、麗は早速気になる店を発見した。
他の店に比べ、間口が広く、明るい雰囲気の店は、ギャル系のファッションの店が続くなかで、少し落ち着いて見えた。
何てったってマネキンが着ている花柄のワンピースが可愛い。
後ろのラックに同じワンピースや色違いが置いてあったので、麗は近くの鏡に向かって自分に合わせてみた。
胸元と袖口が絞られ、お腹部分に紐があり、薄い色のそれは似合っているように思えるが……。
「これ、丈短いね」
中高の制服すらきっちり着て、膝より上にくるスカートなど履いたことがない麗には厳しいものがある。
「そうか? 気になるなら試着室があるようだから、着てみたらどうだ?」
明彦が店の奥を指差した。
路上で服を売っていたり、高いところにある商品は棒でひっかけて上げ下げしている狭い店が多い中で、この店は日本の服屋と変わりない造りをしている。
「うーん」
悩んでいると店員がニコニコ笑顔でやって来て、トライ、トライと薦めてくる。
他の店の前を通った時は、椅子に座ってスマートフォンを弄っているか、同僚と話をしているか、タピオカドリンクを飲んでいる店員しか見なかったので、ここはちゃんと接客してくれる店なんだと、麗は一瞬思ったが、いや違う。
この店員、明彦がよっぽど好みのタイプなのだろう、明彦の顔しか見ていない。
寧ろ明彦に向かってトライと言っている。本当に明彦がトライしたらどうするつもりだ。
やっぱり台湾でも明彦はイケメンなんだー。と麗は美醜の基準のグローバル化について思考を飛ばしつつ、トライすることにして、試着室に入った。
あまり待たせるのもなと、急いで着替え、備え付けの鏡を見る。
(うーん、やっぱり可愛いけど短い)
やめておこうかと麗が思っていると外から明彦に声をかけられる。
「着れたか?」
「うん」
試着室のカーテンを少し開け、明彦に見せる。
「いいんじゃないか」
OK、OK。good、goodと、いつの間にか一人増えて、明彦の両隣を陣取っている二人の店員が明彦の顔を見ながら誉めてくる。
麗は改めて明彦の顔の威力を思い知った。
麗も昔は、明彦と町を歩いて、明彦をガン見する人がいれば、めっちゃ見られてるやん、イケメンは凄いな。
と、いちいち感心していたが、最近では明彦が見られていることを見ることに慣れていたので当たり前のことになっていた。
「でも短いでしょ。台湾で着る分にはええけど……」
台湾人の女性は気温のためか年齢に関わらず、丈が短いスカートを履いている人が多く、地味な麗でも埋没できるだろうが、日本で履くには勇気がいりそうだ。
「日本で着る時は下に何か履けばいいだろ」
「あ、ほんまや。天才」
日本で着れないものを買ってもらうのは勿体ないなーと思っていたお洒落レベルが低い麗には、その言葉は天啓だった。
下にジーパンなりレギンスなり履いてチュニック扱いにしてしまえばいいのだ。
「じゃあ、一着目はこれで決まりだな」
明彦が両隣の店員に中国語で何やら話すと、二人の店員が競うように店から何着か服を持ってきてくれた。
「麗に似合う服を頼んだから着てみろ」
ここは高級ブティックですか? とツッコミたくなったが、恩恵を受けている立場なので何も言えず、順番に試着しては明彦に見せる。
明彦はいつも女性に服を買ってあげる時はこうしているのだろうか。
カーテンを開ける度、似合うかどうか判定され、明彦が似合うと言った服が、更に一人増えた店員によって集められていった。
「二着以上になってもうたし……」
選ぶからちょっと待って、と麗が言おうとしている間に、三人目の店員が電卓を叩いてお会計を明彦に見せ、明彦も払ってしまった。
Thank Youと三人の店員がニコニコしながらビニール袋に服を入れて明彦に渡した。
最後まで三人の店員は明彦の顔を見ていた。
夜市は人の動く方向ができていて、沢山の店を冷やかしながら流されるまま歩いているだけでも楽しめる。
洋服は勿論、寝具やペットの服、果ては水着まで売られている。
「欲しい水着はないか?」
「水着?」
麗は明彦の言葉に首を傾げた。
「ホテルにプールがあるから、明日は泳がないか?」
「泳ぎたい!!」
あの美しいホテルにただ泊まるだけでは勿体ないと感じていたので、明彦の提案に麗は飛び付いた。
水着を売っている店はさきほどの店に比べるとかなり小さく、人が一人通るスペースしかない。
明彦が路上に出ているサーフパンツを選んでいる間に、麗は中に入り、セクシーすぎるものや、虹色の派手なもの、果ては昭和の有名アイドルの代名詞である貝殻の水着が並ぶ中で、一番地味に見える黒の胸にフリルがついたビキニとプールの中でも使える丈の長いメッシュタイプの紺のパーカーを選んだ。
試着ができないので、ビキニは勿論一番小さいカップだ。間違いがない。
「地味だな」
明彦が麗の後ろから声をかけてきた。
(そりゃぁ、歴代の恋人たちは脱いだときにバーン!と実ってらしたから、派手なものでも着こなせたでしょうけどねー。こちとら不毛の大地なんやぞ)
と、麗は思ったが、言えば貧乳を認めることになるので、口には出さなかった。
「これが気に入ってん」
「わかった」
明彦が店の奥でかき氷を食べている店員に声をかけ、水着を買ってくれた。
「ありがとう、いっぱい買ってもらってごめんね」
麗は明彦の手を握り、再び人の波に乗り、夜市を歩く。
また人が増えた気がし、通行人の邪魔にならないよう明彦に更に近づいた。
「謝られるほど高い買い物はしていない。それより、ほら、お目当ての行列ができてるぞ」
明彦の視線の先は、道幅が広くなっており、衣料品の店が多く並ぶゾーンから屋台が並ぶゾーンに着いたようだ。
「これは並んでどんな名物か確かめなあかんね」
行列の先が見えないので何の店かはわからない。
そこがまたワクワクする麗は、早速行列に加わろうと明彦を引っ張る。
「何が出てきても知らないからな」
「大丈夫。何が出てきても美味しく食べてみせる!」
自信満々に麗は宣言し列に並ぶ。
店の回転率はそこそこで、一歩、暫く待ち、また一歩と、ゆっくりと前に進んでいく。
現地人に人気の店のようで、外国人らしき人は列の前にも後ろにもあまり見受けられない。
「ママー!!!」
ふと、列の外から子供の泣き声が聞こえ、麗は目を向けた。
親とはぐれてしまったのだろうか、5才くらいの男の子が泣きながら一人で歩いている。
大変だ! と麗は思ったが、それは他の人もそうだったようで、近くを歩いていた台湾人のおばさんが声をかけた。
現地人が保護してくれるなら中国語のわからない他国民の麗が出る幕はない。
「ママー! どこー!!!」
(日本人やん!)
麗が列から抜けたのは、明彦と同時だった。
明彦の手を離し、麗は子供の前まで行ってしゃがんだ。
「ボク、ママとはぐれたんやね。一人で頑張って偉かったな。お姉ちゃんも一緒に探してあげるから安心してな」
麗は男の子と目線を合わせ、ゆっくりと優しいトーンを心がけて誉めた。
子供を安心させる方法として、店舗研修で習った事を異国の地で発揮することになるとは。
「大丈夫だからな。名前は言えるか?」
明彦の質問に男の子がしゃくりをあげながら口を開いた。
「よう……くん」
「じゃあ、よう君、お姉ちゃんと一緒に探しにいこうか?」
麗が繋ぐために手を差し出したが男の子は首を振った。
「ダメ、知らないっ人には、着いていっちゃ、ダメってママが、言ってた」
ちゃんとした理由で拒否され、麗は困った。
(私より賢い)
親御さんの教育が行き届いているようだ。
「偉いね、でも……」
今回はそうは言っている場合ではない。
怪しい人間ではないとどうやって証明しようかと麗は悩んだ。
「麗、無闇にこの子をつれて歩き回ったところで、逆に親が探している場所から離れてしまうかもしれない。俺が親を探してくるから、この子と待っていてくれ」
明彦が辺りを見渡しながら、親がいないか確認している。
「そっか、わかった」
明彦が腕時計を外し、麗に持たせてくれた。
また高そうな時計である。
「10分探しても見つからなかったら一旦ここに戻ってくる」
よう君のお母さんいませんか、保護してますと、日本語と中国語で大声を出しながら、男の子が歩いて来た方向に向かって明彦は走って行ってしまい、男の子と二人、取り残された。
「大丈夫だからね、さっきのお兄ちゃんがお母さん探してくれるからね」
「……うん」
尚も泣き止まない男の子に、台湾人の若い女性がティッシュをわけてくれた。
麗は謝謝と言って受け取り、男の子の顔を拭いてあげる。
すると今度はおじさんが飴玉を男の子に渡そうと見せたり、おばさんが水はいらないかと買ったばかりのペットボトルを渡そうとしたり、別のおばさんが男の子を団扇で扇いであげだした。
台湾は親切な人が多い。と、驚きつつも、男の子と同様に麗も本当は不安だった。
明彦に借りた腕時計を、時が速く進むわけでもないのに、チラチラと何度も見てしまう。
この旅行で如何に自分が明彦に頼りきっていたか麗は思い知った。
言葉が通じないと言うのはこうも孤独なものなのか。
(もし、アキ兄ちゃんが10分たっても帰ってこなかったらどうしよう? 30分いや一時間くらいはここで待つべきやろうか。最後は大使館に助けを求めに行くとして、大使館ってどこ? そもそもあるんかな?)
「……ママ」
麗は涙が引いてきた男の子の声に思考が極端な方に飛んでいたことに気づく。
「もうちょっと待っててね。そうだ、お水もらう?」
麗はおばさんが差し出してくれている水を指差すが、男の子は首を振った。
「ううん」
すると、日本で人気のアニメに出てくるキャラクターのキーホルダーを青年がpresentと言って、男の子に渡した。
「これ知ってる! ありがとう!!」
「よかったね」
男の子にやっと笑顔が出てきて麗も周りにいる台湾人の人達もほっとした。
「陽ちゃん!!」
「陽一!!!」
少し離れたところから声がして、男の子の親と明彦が走ってくる。
「ママ! パパ!!」
男の子も両親の元へ駆け出し、母親に抱きついて泣き出す。
(よかった。見つかった)
胸を撫で下ろしていると、明彦が麗の元へ帰ってきた。結構走っただろうに、息一つ乱していない。
「探すの大変やったやろ?お疲れ様」
「いや、結構すぐ見つかった。親も子供の名前を大声で呼びながら探していたみたいで、あっちで子供を探してる様子の親を見た、ってわざわざ声をかけてくれる人が何人かいたから、その方向に行けば会えた。優しい人が多くて助かった。麗こそ、一人でよく頑張ったな」
「一人じゃなかったよ。周りにいた皆で見てたから全然平気やったわ」
異国の地の人混みの中で親を見つけたのだからもっと自画自賛すればいいのに。麗ならする。
「本当にありがとうございました。僕がちょっと目を離したばっかりに、すみません」
「奥様が預かって下さっていると旦那様が声をかけて下さって。奥様もありがとうございました」
夫婦は子供をしっかりと抱き抱えながら何度も頭を下げてくれた。
「いえ、私は一緒にいただけで何もしていないので……。むしろ周りにいてくれた人達の方が面倒を見てくれたくらいで」
麗がそう言うと、母親はペコペコと男の子を見守っていた人達に頭を下げだした。
皆一様に、OK、OKと笑って泣きそうな母親を慰めている。
「本当に助かりました。旦那様も奥様もご迷惑をおかけしてすみませんでした」
尚も頭を下げる父親に明彦は軽く頭を下げ、麗の手を繋いだ。
「お気になさらず。我々はこれで失礼しますので」
「いえ、そんな!」
「あの、あちらの青年がお子さんにキーホルダーをプレゼントしてくれましたよ」
麗は、青年を生け贄に捧げた。
今度は青年が父親に何度も頭を下げられて居心地が悪そうだ。
「今のうちに行こうか」
「うん」
麗は新たな行列を探しに明彦と歩きだした。