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「どうぞ、お姫様」
部屋に着くと、明彦が鍵を開けてくれ、麗を先に入れてくれた。
「……もう、何ゆうてんの」
アホな事言わんといてと、何時もならツッコめる筈なのに、麗はできなかった。本当にお姫様になったかのような気分だからだ。
「悪いな、急だったからそこまでいい部屋がとれなかった」
「すごい!!」
広い廊下を早足で進むと、応接室をバックにして、一面に町が広がり、奥に更に広い寝室に大きなベット。
駆け出してお風呂場を覗くとジャグジーに、ドレッサーまである。
「凄い!綺麗!!」
この感動を伝えるには麗には語彙力が足りないことが悔しい。
「気に入ったか?」
「勿論!」
「そうか。悪いが、俺は仕事が残っているから、スパで時間を潰してくれ」
「へ?」
(スパ? 週刊誌なんか持ってきてたっけ? もしかして、スパゲティ??? いや、当たり前やけどそんなわけないわ。ということはやっぱりSPA?)
「そんなんええよ、贅沢すぎて身に余るわ。私は端で大人しくしてるから気にせんで」
麗は全力で手を横に振った。
現状でも罰が当たりそうなくらい贅沢をしているのに、これ以上贅沢をするなんて……。
「もう予約したから行ってこい」
「嘘やろ!?」
それは、本日何度目かの叫びだった。
麗は施術を受け、普段より更にぽやぽやになった頭で廊下を歩いていた。
指輪も式場も新居も明彦が決めてくれていたが、事務的な手続きは自分でしなければならず、その上、突然倒れた父の入院手続きまであり、結婚式まで怒涛の日々だったこともあり、癒やされに癒やされたのだ。
多分、明彦はこれまでの恋人達にしてきたような扱いを、そのまま麗にまでしてくれているのだろう。
(プライドの高いアキ兄ちゃんは嫌がるやろうけど、この旅行の費用だけでもどうにかせんと……)
「おかえり」
部屋に戻ると、仕事が終わったのか、明彦がコーヒーを淹れている。
麗がそろそろ帰ってくると予想していたのだろう、コーヒーが苦くて飲めない麗のためにお茶まで用意してある。
まさに至れり尽くせりである。
「ただいま、あのね、アキに……明彦さん、この旅行のお金の事やけど……」
麗は明彦のペースに巻き込まれないよう開口一番に大事な話をしようとした。
スパのお金は部屋についているからと払わせてもらえず、その上、旦那さまからのプレゼントとして秘密にするように頼まれておりますと、流暢な日本語で言われ、価格も教えてもらえなかったので本人に交渉するしかないのだ。
「いらん。麗から金を受けとるほど貧乏じゃない」
「いや、でもだって……」
「それより、これを」
明彦が手渡してきたものを麗は思わず受け取った。
「何これ?」
「家族カード」
「いや、めっちゃ光ってるやん」
これは、外資系のカード会社が発行するクレジットカードだ。
銀色だからシルバーカードかな? と思ったが違う、小学校一年生でもないのにピカピカしてるからプラチナカードだ。店舗研修で一度だけ取り扱ったことがあるので間違いない。
指導係のおばちゃんにこれを持っている人と結婚できたら将来安泰よ、と言われたが、麗の心は落としたら凄まじい損害を明彦に与えそうな、このカードを持つことへの恐怖によって安泰とはほど遠くなった。
「断固拒否さして」
「俺と麗は家族でないとでも?」
「そういうことやなくて、落としたらどないすんの。責任とりきれへんわ!」
もし、麗がカードを落としてそれを悪い女が拾ったとしよう。
プラチナカードなんて珍しいとカードの名義から個人情報を特定し、落とし主の夫である明彦に辿り着く。
結果、悪い女が明彦の顔面に一目惚れをして、ストーカーにクラスチェンジしたらどうするのだ。
きっと犯人は、まず邪魔な麗をむごたらしく殺すのだ。
しかし、犯人は捕まらず、自ら事件を調べる明彦は美人でやり手の女刑事と出会う。
最初は反発し合うものの協力して事件を追っていくうち、政略結婚とはいえ俺にとってあいつは妹のように大切な存在だった。と殺された麗を思い出して泣く明彦の背中を女刑事が撫でる。
そして二人の間にいつしか愛が芽生え、秘密の夜を過ごす。
しかし、二人の想いが通じ合ったことを知ったストーカーが怒り狂い、女刑事が刺されそうになる。
だが、ストーカーが刺したのは明彦だった。
明彦が愛する女刑事を庇って大怪我を負ったのだ。
そして、女刑事の怒りの銃弾がストーカーに当たってストーカーは死亡。
急いで女刑事は必死で介抱するも、明彦の意識は薄れていった。
一年後、ウェディングドレスを着た女刑事と体が回復した明彦の姿が!
―完― と、なったらどうするというのだ。
(あれ? ハッピーエンドになってるやん、私殺されたけど。ハッピーエンドや、良かった。いや、あかん。これじゃあ、カードを受け取らなあかんくなる)
「普通にカードを止めたらいいだろ? 暗証番号は麗のお母さんの誕生日にしておいたから」
「え? 母さんの誕生日なんか、昔ちらっと言っただけやのによく覚えてるわ。流石、頭良いね」
「たまたまだ。どうしても嫌なら旅行期間中だけの保険だと思え。これさえあれば、もし俺に何かあっても、裏面に載っているコンシェルジュデスクに電話すれば、日本に帰る手配をしてもらえる」
「ううう、わかった。ありがとう」
いざという時の保険と言われると麗は弱かった。
母は転ばぬ先に杖を立てていなかったから酷い目にあったのだから。
麗はカードを財布に入れようとして、ふと、思い出した。
「そや、さっき買った下着!」
「ああ、ちゃんと買えたか」
「うん、待っててね」
急いで麗はドレッサーに入り、下着の入った紙袋に別けて入れておいたお釣りを鞄から取り出す。
今一度金額があっているか確認してから麗はドレッサーの中からでた。
「はい、お釣りだけ先に返させてね。残りは日本で返すから」
口ではそう言ったが、明彦は下着代を受け取ってくれず、ちょっとがっかりした顔までしている。
「わかってた。時間がかかっていたから、期待していないと言えば嘘になるが、麗がその格好のまま出てくるのはわかっていた」
明彦はボソボソと意味のわからないことを言いながらため息をついた。
「とっておくといい、残りは小遣いだ。俺はちょっとシャワー浴びてくる」
疲れているのだろう明彦が目頭を抑えて、風呂へと旅立っていく。
「ゆっくりしてね」
麗はスパでシャワーを浴びたので着替えてしまおうと思い、ドレッサーに戻り下着を出した。
「……しまった」
麗は着替えて気づいた。
箱に入っていたから気づかなかったが、パンツがみっつとも面積が小さい。
セクシーセクシーセクシーなのだ。セクシーが並んでいる。
ブラジャーもハーフカップの上にレースだと思っていたが、レースの方が面積が大きく、淫靡である。
因みにサイズはぴったりだ。流石はセクシー界の守り手の店員さんである。
取り敢えずバスローブを着てみたが、心もとない。
麗はドレッサーから出て、窓の外を見た。
外はもう暗い。
豪華なホテルの一室、シャワーを浴びている男、バスローブを着て、下にエロい下着を穿いているいる自分。
以前、テレビの再放送で見たトレンディドラマのようだ。
明彦はヒロインと最悪な出会いをした運命の相手で、麗はヒロインの友達といったところか。
最終話で、ヒロインに恋をしていた三枚目役が、ヒロインと明彦が大雨の中、互いに駆け寄ってキスしているところに偶然出くわすのだ。
それで、麗は失恋した三枚目を慰めつつ、最後には「あんたの良さは私がわかってるから」みたいなことを言ってくっつく。
(意外と大事な役どころだな)
麗は髪をかき上げ、ソファに横座りして、トレンディな雰囲気を醸し出している気分になりながらテレビをつけたのだった。