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【エブリスタ143万PV突破】政略奪結婚  作者: 有栖賀馬頭 (TL名義は朱里雀)
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4-5


 それは、祖母の日記だった。

 日記と言っても何日か連続で書かれている日もあれば、何ヵ月も放置されていることもあった。

 だが、その日記は、紛れもなく祖母の人生だった。


 綴り始めたばかりの女学生の頃は希望で溢れていた。

 こんな服を作りたい、あんな会社を作りたい。子供服を変えたい。人生を、女性を、世界を変えたい。

 輝かしい未来が頭の中で踊っていて止まらないという印象だった。

 そうして卒業後、仕立て屋での修行期間に入る。

 そこでの修行は厳しいもので愚痴ばかりだったが、いつも負けてなるものかという決意で締め括られている。

 言葉通り、早々に役職を得たようだ。

 更に、そこで、親友となる少女と出会う。そのころの日記には彼女のことばかり書かれていた。

 二人でパーラーに行ったとか、彼女がこんなことで喜んだとか、悲しんでいたとか。


 そして、独立。

 そこから日記に暗い感情が登場し始める。


『子供がいない人が子供服を作っているの?』と、買い手になかなか信用してもらえなかったり、女というだけで、取引先に馬鹿にされると荒れた字で書かれている。

 それでも必死で働いて2店舗目を出したとき、祖母に悲劇が訪れた。


 親友の結婚だ。

 それで初めて祖母は親友を恋愛的な意味で好き、いや、愛しているのだと気づいてしまった。

 そして、祖母は自分が女性しか愛せないという事実に打ちのめされる。

 絶対に誰にも気づかれてはいけないという恐怖と悲しみは祖母を変えた。


 親友とは二度と会わなかった。

 明るく未来への希望に満ちた少女はいなくなり、強烈な指導力を持った女社長へと変わっていく。

 陰鬱な日記とは裏腹に事業は成功していき、従業員は増え、工場を建設するための準備を始める。

 その時、融資先の銀行から紹介された見合いを祖母は受けた。

 相手の印象はしょうもないが邪魔にはならないヒモ男。

 銀行家の三男である見合い相手は働いてもいない昼行灯で、甘やかして育てられ、社会に適合できなかった。

 そこで、可愛い三男の人生を守りたかった銀行家は融資の代わりにやり手の女実業家の祖母と縁組みさせることにしたのだ。


 後ろ楯の大きな夫を得た祖母は一躍躍進する。

 順調に店舗を増やし、品質への絶対の自信と画期的なデザインで、他を圧倒してみせた。

 時代の変化にも上手く対応し、流行を作り、関西の有名デパート内に店舗を入れ、勝者となった祖母はそこでやっと、お飾りの役職を与えていた夫の存在を思い出す。

 愛人の家に居座り、よろしくやっている夫を呼び出し、子作りをし、妊娠した途端、愛人の家に戻した。


 つまり、種馬である。

 その結果、産まれたのが父だ。高齢出産だった。

 子供服の店の社長として産んでおいた方がいいか。あと、子供服を作るときの参考にもなればいいな。

 程度の気持ちで妊娠したため、妊娠中もお腹を気遣わず、精力的に働き、陣痛が来るまで会社で部下に指示を出していた。


 なのに、何故だろう。

 産まれたばかりの息子を抱いた瞬間、祖母は号泣した。

 腕のなかにいる、小さな命は激しく自己主張をしていて、離れがたい。

 私はこの子のためにこの世に産まれてきたのだと感じた。

 愛しくて、ずっと見ていたくて、自分だけのものにしてしまいたくて、それでいて、自慢したい。

 息子を抱いているだけで子供服の案が次々と浮かんでくる。

 息子に着せたい服が沢山あった。

 だから、小学校に上がるまでは社長室に乳母を呼び寄せ、息子を手元に置きながらそれまで以上に精力的に仕事をした。


 会社はどんどん成功していき、関西から東京。更に全国へ。

 各地の有名デパートのほとんど全てに店舗を作った。

 しかし、母親の働く姿を見続けた息子が、仕事の手を止めてくれないのは愛されていないからだと、思い違いをしていることに気づいたのは、息子が小学校高学年の頃。


 息子は母親が嫌いだった。

 いつだって仕事しか見ていないから。たまに目があっても、そのつぎの瞬間、服を作るために机に向かう。

 息子は母親の机にかじりつく頭ばかり見ていた。そう、顔ではなく頭だけ。

 本当は目が合えば、にっこりと笑って、この世に産まれてきてくれてありがとう。あなたを愛していると言えばよかったのだ。

 時間はなくとも、言葉を使う機会はいくらでもあった。抱きしめる手はちゃんと二本あった。

 後悔しても、もう遅かった。

 愛していると口に出しても、会社の次にだろうと罵られる。

 愛してる、息子との関わり方がわからない、愛してる、信じて欲しい。

 以降、日記は事業記録と祖母の悲哀ばかりで埋め尽くされる。

 そんな中、大人になった息子が会社に入社してきて、祖母の日記は再び明るさを取り戻した。


 だが、すぐに祖母は気づいてしまった。

 息子は夫に似ていて、経営者の器ではないことに。

 祖母は下積みだと言って、小さい部署に息子を送った。失敗してもいいように。

 そして、家柄のいい妻を迎えさせ縁故関係を作ることで、息子を上流階級への伝手を持った特別な存在に仕立て、会社に居場所がない状況に陥らないようにした。

 妻を迎えることで爛れた生活を送る息子に落ち着いて欲しかったところもある。


 だが、息子は子供が産まれても、変わらなかった。

 息子夫妻に産まれた孫娘は利発で、年々賢くなっていく。

 祖母は会社を別の人間に継がせようと思っていたし、そのつもりで育てていた部下もいた。

 だが、三代目は孫娘に継いで欲しいと、会う度、経営者としての心構えを説いた。


 しかし、それに気づいた息子が、俺には何も教えてくれなかっただろうと激怒した。

 息子は二代目は自分だと勘違いしていたのだ。

 祖母はお前に社長は無理だと諭そうとしたが、「俺よりも会社が大事だから俺に継がせないのだろう!」という息子の言葉を、切り捨てることができなかった。

 だから、後継者として育てていた部下を転職させ、息子に株のすべてを譲り、遺言を書き換えた。

 祖母は息子に愛していることを信じてもらいたかった。


 ただそれだけだった。




「馬鹿じゃないの?」

 麗はポツリと呟いた。

「麗ちゃん、どうしたの、大丈夫?」

 角田に声をかけられて、麗は床に座って日記を読みながら、目頭が熱くなっていることに気づいた。


 祖母の墓まで行って罵りたい。お前が息子を育て損ねたせいで、皆苦労したと。

 麗の胸が苦しいのは祖母のためでも、まして父のためでもない。

 ただ、散々迷惑をかけられた姉と己が可哀想だからだ。


「ごめんね、ビックリさせてしもて。ちょっとお茶飲んで落ち着くわー」

 息を整えて、笑う。

 立とうとして、涙が零れ落ちそうになった。

「無理しないで」

 角田が目の前に来て膝をついた。

「あ、本当に大丈夫だから……」

「駄目、一人で悲しまないで」

 麗の涙を拭ってくれようと、角田の指がそっと近付いてくる。


 その時、ドアが開く音がした。

「ただいま、麗、お土産にカツサンド買ってきたぞ。好きだろ?」

 出張から帰った明彦が社長室に入ってきたのだ。

 角田から顔を反らし、明彦と目が合った瞬間、その顔が剣呑なものになった。

「何をしている」

 明彦の声は底冷えしそうなくらい冷たかった。

「あ、アキにい……明彦さん。帰ってくるの明日やなかったっけ? ああ、そんなことより、彼、サークルで一緒やった角田君やねん。今、映像会社にいるんやって。久しぶりやろ?」

 角田の存在を伝えるも、明彦は角田を睨むのをやめない。

「あの……須藤先輩お久しぶりです」

 角田も明彦の剣幕に血の気が引いている。


「角田、お前はここで何をしている」

「CMの資料集めに来ました。それに、麗ちゃんのことは慰めていただけです」

 角田は優しかっただけだ。

 もしかして、キスしようとしていると明彦は勘違いしてしまったのだろうか。


「そうか。退社時間だ。角田君はもう帰りなさい。俺と妻も帰る」

 大股で明彦が近付いてきて麗の腕をつかんで促され、何も言えないまま麗は立った。

「妻?」

 角田が目を丸くしている。

「聞いてないのか? 麗は俺の妻だ」

 明彦の手に力が入っていて痛い。

「え?」

 角田の混乱は深まり、麗は耐えきれなくなった。


「いやー、我が家も色々あってん。色々ありすぎて話しきれへんくらいで。今日は明彦さんも出張帰りで疲れてるみたいやし、また今度」

 麗は努めて明るい声を出したが、無意味だった。

「疲れていない。それよりも、麗は俺の妻だ。お前は大学時代、麗に惚れていたようがどうにもならない。とっとと帰れ」

「ちょっと、何言って……」

 明彦が変なことを言うので、麗は戸惑った。


「っ失礼します!」

 顔を真っ赤にした角田が荷物をもって、すれ違うように部屋を出ていく。

「待って!」

 角田が濡れ衣で恥をかかされて怒ったと思った麗は追いかけようとしたが、明彦の腕に囚われた。


「明彦さん、何て失礼な事を!」

「失礼なのは奴だ! 人の妻に手を出しやがって!!」

「違うて、私を慰めてくれただけやで!」

 そう言った瞬間、麗は強く抱きすくめられた。

「麗、自分が誰の物なのかまだ理解できていないのか?」


 腹の底が冷える感覚がした。

 自分の心臓の音が聞こえ、少しでも動いたら死んでしまう気さえするくらい速い。


 明彦の目が本気だと語っている。逃がす気はないと。

 ドサリ、と上半身を執務机の上に押し倒された。

「あ、きひこさん……ヒっ!」


 突然、首筋を噛まれた。

 痛みは一瞬だったが、それでも恐怖が襲ってくる。

 喉がカラカラに乾いていつもの軽口が出てこない。

 明彦を怖いと感じたことが、これまでにあっただろうか。

 結婚したものの、これまでと変わらず、いや一層甘やかされてきただけだった。以前と大して関係は変わっていなかった。

 それが、今、兄ではなく男なのだと思い知らされようとしているのだ。


 明彦をすぐ近くで見上げている状態で考えるのもおかしいが、明彦は綺麗だ。完璧に整った造形に、まるで深海のような黒い瞳。

 魅入られてしまいそうだ。麗が現実逃避していると、赤い唇が近付いてきて麗のそれに重なった。

「んんんっ」

 舌が喉の奥に入ってきて、苦しい。我が物のように明彦の舌が動き回る。


 いや、麗はもう、明彦の物なのだ。麗が気づいていなかっただけで。


 舌が絡み、足の間に明彦の体が入ってきて、当たる。

(嘘。違う、そんなわけがない。こんなのは知らない)


「ふぅんんんっ!」

 見知らぬ感覚に暴れようとすると、口づけは深くなり、のし掛かってくる体は重く、拘束は深くなる。息が苦しくて涙が出る。

 それでも、明彦の舌を噛むという選択肢はなかった。麗如きが明彦を傷つけていいわけがない。

 酸欠になっているせいで、段々と力が抜けていくと、やっと明彦の唇が離れた。

 大きく息を吸いながら、涙でかすむ視界の向こうで、明彦の舌から唾液の糸が出て、自分と繋がっていることに麗は気づいた。


「あ……、ほんまに、ほんまに、ちゃうねん。ただ、お婆様の日記を見つけて……」

「そうか。今、初代社長の功績を見直すため伝記を作ろうかという話になっているからちょうどいい」 

 違う。そんな事を言われたいのではない。

「角田君は、その、日記を読んだ私が、泣きそうになってたから、慰めて、くれただけで、浮気とかじゃ……」


 麗の言葉はたどたどしかった。

 本当は明彦に慰めて欲しい。察して欲しい。どんな内容だったのかと日記の事を聞いて欲しい。いつもみたいに優しくして欲しい。


 明彦が甘やかしてくれることを当たり前だと図々しくも思い込んでいたことを、そうではないとはっきりと突きつけられて、麗は息を呑んだ。 

「角田の前で泣くなよ! 麗音の代わりにするなら俺だろう!」

 初めて、明彦にむき出しの感情をぶつけられたきがした。

「な、に言って……」

「そもそもお前は、麗音、麗音、麗音って、麗音が麗を助けたのはたった一回だけだろ! しかも、あいつにも思惑があってやったことで、ずっとずっと、そばにいて守ってきたのは俺だろう!」


『あのクソ親父も愛人に子供まで産ませるとはね、ほんと、厄介だわ』

 ため息交じりの姉の声が頭の中で響く。

 かつて、明彦と姉が話していたのを盗み聞きしてしまった、あのとき……。


「やめて」

 麗という人間の根幹が揺らぐ。

 姉は麗のすべてだ。だから、あのときの言葉は忘れることにしていた。

 そう、忘れたのに。


「姉さんは……、私のすべて」

 声は震え、いつものように堂々と言えない。

(姉さん、姉さん、姉さん。助けて。姉さん)

「麗音は来ない。損得勘定なしにお前を助けたりしない」

 明彦の言葉の意味が頭に入ってこない。

「やめてよ……なんで、そんな酷いこと言うん。姉さんは明彦さんの友達やろ?」

 麗は明彦を直視できなくなり、視線を彷徨わせた。


「だからこそだ。あいつのことはお前よりよくわかっている。目をそらすな、麗! 俺を見ろ。俺だけを見ろよ!」

 両腕を痛いくらいに捕まれ、真正面を向かされる。

 涙が頬を伝う感覚がした。

「っ!」

 息を強く吸った明彦の手が顔に近付いてきて、麗はギュッと目をつぶった。

 少し間を置いて、指で涙を拭われる。


「……悪い。嫉妬して大人げのないことを言った」

 麗には明彦の大人げがなかったという言葉は、つまり、麗は対等な大人ではなく幼い子供だと思っているという意味に聞こえた。

「ごめんなさい」

 うつむいて謝罪すると今度は目を合わせるよう強要されなかった。


「麗が謝ることじゃない。悪いのは俺だ」

 麗はふるふると首を横に振った。

「あの、私、帰るね。終業時間だから」

 言い訳にもならない言い訳をして麗は明彦から離れたのだった

 社長室の豪華な椅子に座り一息ついていた麗の横に明彦が膝をついた。

 悲壮感を漂わせる明彦に麗は口角を上げ明るく対応した。


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