4-3
4章転載ミスしていました。
4章の最初にこの話を持ってきていましたが正確には4-3でした。
代表取締役社長という名の判子を押す係の麗にはもう一つ重要な仕事があった。
取引先への挨拶回りである。
初めまして、このたび社長に就任いたしました須藤麗です、よろしくお願いいたします。
とだけ言って、後はニコニコしておくのだ。
重要な取引先は明彦が、そのほかはそれぞれ担当の上役がついてきて一緒に挨拶してくれるので、そのあとは仕事の話をし始める彼らを隣で待つ、といった具合である。
取引先も、麗が傀儡でしかないことは端から理解しているため、挨拶だけしたら存在を忘れられてしまうことが多い。
父も同じような働き方をしていたのではないか。それこそ下請け相手にはふんぞり返ってたのでは? と、不安に襲われつつ、麗はただひたすら畏まってニコニコしていた。
だから、取引先の社長が麗とサシで話したいと言い出したと聞き、かなり緊張していた。
着いてきて下で待っている専務から何を提案されても『社に持ち帰ってから検討します』と、伝えるようにと耳にたこができるくらい言われている。
それでも引かなければ『須藤明彦氏に相談してから決めます』と言いなさいと。
いくつかの駅直結の丸山ビルを所有、商業施設として運営している丸山氏にとって須藤ホールディングス傘下の百貨店はライバル関係と言え、余計な情報が関係者に流れるのは嫌がるだろうからと。
まだ見ぬ丸山氏にこれから何を言われるのかわからず胃がキリキリ痛むというのに、秘書に出された茶の茶柱が立っている。
茶柱が立つと幸運だと言うが、逆に今茶柱を立たせたことで運を使い切ったのでは? と、考えていると、丸山氏が入ってきたので、麗は立って頭を下げた。
「いやあ、こちらから呼び出したのに遅れてすまないね」
「いえ、私も今お邪魔させていただいたところです。初めまして、このたび、佐橋児童衣料の代表取締役社長に就任いたしました須藤麗と申します」
たっぷり三十分は待たされたが、デートで遅刻した彼氏への慰めの言葉のような返事をした。
「どうも。丸山ビル社長の丸山です。これはこれは、お祖母さんの麗華さんに似た美人さんだ。目元が特に似てるね」
自分の名刺が下に行くように気をつけ、名刺交換をする。
ソファに座るとさっそく丸山は深く腰掛け、ふんぞり返った。
専務曰く、祖母とは知古だというその人は、未だ衰えをみせないほどのやり手の経営者らしく、完全に舐められているのを感じる。
まあ、舐められて当然であるのだが。
「麗華さんにはね、大変世話になったんだよ。昔、テナントが入らないと周りの反対を押し切って建てたビルがあってね。そこに初めて入居表明をしてくれたのが麗華さんだったんだよ。それをきっかけにたくさんの企業が入居してくれて、そのビルは大成功。あの人には感謝しかないね」
「そうだったんですね」
麗は微笑みつつ頷いた。
「惜しい人を亡くしたねぇ。あの人が生きていたら、おたくの会社も今こんなことにはなってなかったろうに。君もおばあさんが亡くなって寂しいだろう」
じっと丸山が麗の顔をのぞき込んでいる。試されているのかもしれない。嘘は言えなさそうだ。
「私は祖母とは一度も会ったことがございませんので、寂しさ、と聞かれますとどうにも」
あるのは姉に残した遺産を分けてもらったことへの感謝と、せめてもうちょっと父をまともに育ててくれていればという恨みだけだ。
「ああ、そうか。君が佐橋の家に引き取られたのは、麗華さんが亡くなってからだったもんなぁ」
「よくご存じですね」
麗は笑みを崩さなかった。怒らせようとされているのだろうか。
生憎と、麗としては愛人の娘だと当てこすられるのは慣れたもので、ワイドショーにまで取り上げられているのだから今更である。
「てっきり次の社長は麗華さんそっくりの麗音ちゃんだと思っていたからびっくりしてん」
「驚かせてすみません。これが巷でよく聞くサプライズ人事というやつでして」
「君、社長が務まる器か? 前の社長並みに使えへんのちゃうん?」
「実は私も同じ懸念を抱いています。なので、余計なことはせず、会社の舵取りは上役たちに任せることにしています」
「えらいかわいらしいお人形さんやないの」
「可愛いだなんて、ありがとうございます」
これで確信した。丸山は麗を怒らせたいのだ。それで多分判断を鈍らせたい。なにか社に持ち帰らせたくないことがあるのだろう。
すると、ふっと、丸山が座り直し、膝の上に手を乗せた。
「こんだけ言ったら普通の人間は少しくらい怒るか悲しむかして体のどこかが反応するんやけど、君はよっぽど隠すのが上手いのか? それとも傷つけられることに慣れすぎて気にもとまらないのか?」
「丸山社長は私が傷つくようなことはなにもおっしゃられていませんよ。すべて事実ですから」
そう言うと、丸山が不意に眉を寄せた。
「あんた不憫なやっちやなぁ。可哀想に。麗華さんは、会社は上手く育て上げたのに、子育ては大失敗やで」
同情されることもよくあることなので麗は深く頷いた。
「父がご迷惑をおかけいたしました」
頭を下げると、ため息をつかれた。
「ああ、いい、いい。儂が悪かったわ。自分の立場をちゃんと理解して、わきまえて生きてきたお嬢ちゃんに他人に反発させようと思う方が無茶やったわ」
「実はいつも父には反発しています。万年反抗期なんです」
言いながら、多分これは丸山が望んでいた返事ではないなと思った。
「それは君が従う誰かが、君の父親に反発しているからやろ? 君の意思やない」
従う誰か。勿論、姉のことである。
確かに、父に言いたいことを言えるようになったのは佐橋の家に引き取られてからだ。母と二人のころは不満はあれど、我慢していた。
しかしそれは、姉が父をボロカス言っているところを見て、我慢しなくて良いんだと気づいて姉を真似するようになったから、それだけである。
(あの人が嫌いなのはちゃんと私の意思)
「それで私を反発させてどうさせようとお考えだったのですか?」
口が達者な方ではない自覚がある麗は、話を変えることにした。
すると、一枚、見覚えのある駅ビルの資料を丸山が机に置いた。
「ここの賃貸契約、まだ更新前やけどそっちの都合で打ち切らせたかってん。きみんとこの店、採算全然とれてないのに一等地にあるから正直邪魔でなぁ。もっと集客できる店入れたいねん」
「社に持ち帰ってから検討させていただきます」
すかさず定型文を言うと、丸山は鼻で笑った。
「わかった。お嬢ちゃんにはいろいろゆうて悪かったわ。儂もな、実は妾の子や。まあ、昔の話やし、今の時代と違って金持ちにはお妾さんがいて当たり前の時代やってんけどな」
麗は口を挟まずに頷いた。
「それでもやっぱり色々言われることが多くてな。お嬢ちゃんくらいの年ごろには全てに反発して、絶対成功してやる。こいつら全員見返してやるって、思ってたわ」
「そうだったんですね」
丸山が何が言いたいのかわからない。だが、何か伝えようとしていることはわかった。
「お嬢ちゃんは儂と違って素直でいい子なんやろうなぁ。だから我慢して、我慢し続けて、我慢してることにすら気づいてない。唯々諾々と従うことが、正しいことなんやって思い込んでる。だから社長にならされて、今、儂の説教なんか聞かされてる」
「説教だなんて……。心配してくださりありがとうございます」
麗は首を横に振った。
「お嬢ちゃん、この仕事にプライドはあるんか? 君が今着いている地位に、いやそもそも君にプライドはあるか? 今回の件は社に持ち帰ってくれていい。言い過ぎた詫びに更新を打ち切ってくれる場合は、中途解約料は取らへんと約束する。だから次は仕事にプライドもってる奴を連れてきてくれ。そんでお嬢ちゃんはちゃんと自分の人生、ちょっとは自分で考えろ」
麗が丸山ビルを途中解約した場合、解約料を無料にするという話を持ち帰ると、上役達は皆、顔を輝かせた。
「麗ちゃん、あの古狸からどうやったん? すごいやん!」
喜びを隠しきれない副社長に、常務が眉をひそめた。
「なんか変なこと要求されていないよね?」
「えっ、大丈夫なの? そういえばあの人が初代社長に熱を上げてたのは有名な話だし……」
途端に専務が心配そうに顔をのぞき込んでくる。
「あ、いえ。えっと、育ち? が似ていたのでシンパシーを感じてくださったみたいで。次からはもっと話のわかるものを、と言われてしまいました」
正確には仕事にプライドを持っている人を要求されたわけだが、そこは彼らに任せれば間違いないだろう。
「麗ちゃんほんっとすごいよ。きっと麗ちゃんがいい子だって丸山さんもわかったから甘くなったんだろうね」
副社長が褒めてくれた。麗は何もしていない。丸山社長が勝手におまけしてくれただけである。
(……いい子。そう、私はいい子じゃないといけない)
『その仕事にプライドはあるんか? いや、そもそも君にプライドはあるか?』
プライドがないから今、皆が喜んでいるのを他所に、麗だけ喜べないでいるのだろうか。
達成感がまるでない。
でも、そんなことを言うわけにはいかないので麗はへらりと笑った。
そもそも仕事にプライドってなんだろう。麗は元々はただの主任で、今はただ挨拶して判子を押しているだけである。
でも、同僚達は麗とは違ってプライドを持っていたのだろうか。
(周り、全然見てなかったなぁ)
姉にしか興味がなさ過ぎて、同僚が仕事に情熱を傾けているかどうかなんて気にもとめたことがなかった。
「あの……その店で働いていた人たちはどうなるんでしょうか」
ふと、そんな言葉が口を突いて出てきた。
人事部長が苦笑した。素人質問過ぎたようだ。
「パートさん達にはやめてもらうことになるだろうね。クレームもそこある店だし。昔は地域で一番売れている店だったんだけど、こればっかりは栄枯盛衰だね」
「そう、ですか……。あの、他店で働いていただくとかはできないんですか?」
「できないことはないけれど、そもそもパートさん側から断ってくると思うよ。今でも定年後再雇用の人が多くて皆、結構高齢だからね」
人事部長が仕方ないよと、子供に向けるように優しく微笑みかけてくれる。
そう、麗など彼らにとって子供だ。
「ひとまず挨拶回りももうすぐ一段落つくし、興味があるなら今度の閉店作業、手伝いに行ったらどうだかな? きっと勉強になるし」
その言葉に麗はぱっと専務の顔を見た。
「え、いいんですか?」
「それ、ボクも良いと思うよ、社長自ら現場に出ることはわるいことじゃないし。やっぱり社長は現場を知ってないとね」
父は現場を知ってくれなかったからという副音声が聞こえてくる副社長の言葉に、常務が頷いた。
「閉店作業なら、多少失敗しても大丈夫だから行っておいで」
(自分の立場をちゃんと理解して、わきまえて生きてきたお嬢ちゃん)
そうだ、麗はちゃんとわきまえている。
既婚者の男が、いつか家柄の良い正妻を捨てて自分を迎えに来てくれるなんて馬鹿な夢を見続けた母のようにはならない。
「ありがとうございます! 頑張ります!」
麗は求められている通り、元気に頭を下げた。




