4章
投稿をミスしていました。正しくはこれが4章の最初です。
翌日、代表取締役社長という名の傀儡である麗はさっそく社長室で困っていた。
給湯室で自分と父の関係を説明して以降、噂として回ったのか、社員から向けられる目はずいぶんと優しくなったと思う。
だからと言って社長として認めてもらっているわけではなく、麗は判子を押し終わって暇だった。自分で仕事を探さねばと思うのだが、身近な例が最悪すぎて社長の仕事って何をするのかわからない。
だが、傀儡政権のマリオネットである麗に、影の社長として扱われている明彦と上層部の人たちが忙しく働いているのに、これってなんですかー? どういう意味ですかー? この数字の意味はー? などと、口に出して聞く勇気がない。
そうなれば、するしかないじゃないか、片付けを。
父の私物がたっぷり置いてある社長室から、まずは荷物を出していく。
ゴルフクラブはまあ、付き合いがあるのかもしれないが、パターセットは絶対いらない。会社内でパター練習とかドラマかCMでしかみないやつである。
あと、きれいな状態で置いてある英語の経済本。これも買って満足して絶対読んでいない。
パラパラっとめくったが当然、麗には全く欠片も全然一分も理解できない。多分父もだろう。
麗はパターセットと本をまとめた。
フリマアプリで売っぱらってやろうか。
(流石に勝手には駄目か……あのせこい父のことだから経費で買っているかもしれないし……)
若干、すごく、とても残念ではあるが我慢し、麗は片付けを続けた。
「麗、そんな格好で何をしているんだ」
四つん這いになって片付けをしていたのでスカートが捲れ上がっている事に気づいたが、何事もなかったかのように麗は立ち上がった。
恥というものは、恥じらうから恥なのである。
「お片付け。明彦さんは何しに来たん? 私がおさなあかん判子でもある?」
「社長じゃなくて、妻に用があってきた。昼飯買ってきた」
妻という言葉に否応なく顔が赤くなるのを感じ、麗は時計を見た。
「あら、もうこんな時間」
時計の針が昼を指しているのを見ると、現金なもので急にお腹が空きはじめた。
「ガパオパオかトムヤムクンのどっちがいい?」
「?」
麗は呪文のような言葉に首を傾げた。
「タイ料理だ。下にキッチンカーが来ていたから買ってみた」
会社はオフィス街にあり、近くの公園には色々なキッチンカーが来ていた。
興味はあったがキッチンカーは高く、安くて不味い社食があるので、購入したことがなかった。
「タイ料理は食べたことないわ。一回食べてみたいと思っててん。ありがとう!」
明彦が弁当を袋から出したので、麗は机の上を片付けた。
「このスープ凄い色してるね」
オレンジ色のスープには、海老としめじが浮かんでいる。
魔女が毒薬を作るために高笑いをしながらかき混ぜている鍋の中身のようだ。
「それはトムヤムクンだ。で、もう一つは鶏ミンチをバジルで炒めているらしい。鶏肉にするか?」
「うん、ありがとう」
忙しい明彦がペットボトルのお茶まで買ってきてくれていたようで、至れり尽くせりである。
暇な麗が行くべきだったのに。
「いただきます」
麗は手を合わせた。
「ん……美味しい」
少しピリッと辛いが下に敷かれたご飯と混ぜて食べるとマイルドになって食べやすい。
上に乗っている目玉焼きも混ぜてしまおうか。
「明彦さん?」
トムヤムクンを何も言わずに食べている明彦を見て、麗は気づいた。
「口に合わなかったんだね。トムヤムクン」
「いや……」
すー、と明彦が目を反らす。
「一口もらうね」
麗はスプーンでスープを掬って飲んでみた。
ここ数日明彦に餌付けされ続けており、遠慮がなくなったのだ。
(酸っぱい。そして辛い)
結構癖になる味だが、成る程、人を選ぶ。
「これも美味しい。交換しよっか」
麗が弁当を交換しようとすると、明彦にその手を捕まれた。
「麗、無理しなくていい」
「してないよ。私にはトムヤムクンも美味しいから」
「本当に?」
「本当」
弁当を交換し、麗はトムヤムクンを食べながら思わず笑ってしまった。
「笑うなよ」
「だって……」
(なんだか、可愛い)
明彦とは長い付き合いだが、結婚してから知らなかった一面を多く見るようになった。
笑い続けたからだろう、黙らせようとしたのだろう明彦にガパオパオを口に入れられたのだった。
「はじめまして、この度はこちらの我が儘で突然すみま……」
その午後、営業部長の引き合わせにより、本社の玄関で映像会社の人と互いに頭を下げた時だった。
突然、客のありきたりな口上が止まったので、麗はそっと顔をあげた。
「……やっぱり、麗ちゃんだ」
「えっ? あ、角田くん……さん」
そこにいたのは、短大時代に参加していたインカレサークルの同期の角田悠祐だった。
「あれ? 二人は知り合いなの?」
部長が首を傾げると、角田がサークルで一緒だった旨を伝えた。
「じゃあ積もる話もあるだろうし、後はお若い二人で」
サクサクと去っていく部長の背中に見合いじゃないんだから待って、と麗は言いたかった。
なぜならサークルで一緒だった頃、麗は角田がとても苦手だったからだ。
天然だと罵られたり、マスコットキャラだと嘲笑われていたので、多分彼もまた麗のことが嫌いなはずだ。
「えっと、部屋にご案内させていただきますね」
麗はエレベーターのボタンを押しながら気まずいこの状況をどう打破しようかと迷っていた。
久しぶりー! 元気だったー? 私は超元気だった。それに結婚したのー、相手はな・ん・と明彦さんなの! キャッ、言っちゃったー。
(うん、無理。もれなくなんで佐橋なんかが須藤先輩と!? と驚かれて結婚の経緯を聞かれそう……)
できるだけ己の名字が変わったことは言わないでおこうと麗は決意した。
「久しぶりだね」
エレベーターに乗ると、角田が話しかけてきた。
「そう、です、だね」
角田が敬語を使わなかったので、麗も敬語を止めた。
「この会社は麗ちゃんと麗音先輩の家が経営してるって、サークルにいたころに聞いたことがあったから、もしかしたらすれ違ったりするかもしれないと思ってはいたけど、早速会えてビックリしたよ」
(私はあんたがこの会社が佐橋家の物だって知ってたことにビックリだよ)
いや、姉も麗も敢えて言ったりはしなかったが、なんてったって社名からして佐橋児童衣料だし、父のせいで噂になりやすい状況ではあったので仕方ないのかもしれないと麗は思い直す。
「ホント、私もびっくりした。角田君は、今映像会社にいるんだね。確か法学部だったよね、てっきり、弁護士さんになるものかと」
追い出された姉の話題にならないよう麗は取り敢えず、近況を聞き出すことにした。
「俺がいたのは法学部でも政治学科だからね、弁護士は元々関係ないよ」
「そうだったんだ」
角田がカラカラと笑った。
「大学時代にある映画に出会ってね。将来、映画監督になりたいと思い立った結果なんだ」
「じゃあ、夢に向かって修行中なんだね」
(やっぱり、凄い人)
折角、難関大学を卒業しエリートコースに乗れたというのに、蹴って、己のやりたいことをしている。
貧乏性の麗には真似できない生き方だ。
麗が角田を苦手ではあるが大学時代から垣間見えていた、その行動力には憧れていた。
「そんなとこ」
エレベーターが停まり、再び二人で歩く。
「まだまだ使いっ走り。今日は急にごめんね。監督に資料作りを頼まれたんだ」
「監督に信頼されているんだね」
照れている角田は大学時代に比べると、随分落ち着いて見えた。
背も高く、短く揃えた髪に、明彦や麗音のような規格外ではないが、整った顔立ちはよくモテるだろう。
もしかしたら、もう結婚しているのかもしれない。
確か、麗が卒業した後、サークルの同期の女性と付き合いだしたと、偶然町であった別の同期から聞いた気がする。
麗は社長室の扉を開けた。
「ごめんね、散らかってて。何か資料がいる場合は探すから言ってね」
お茶の準備をしていると角田がお気遣いなくと言ってくるが、そういうわけにもいかない。
「それで、社長さんはどちらに?」
角田がキョロキョロとあたりを見渡している。
きっと、麗のことは社長秘書だと思っているのだ。
「えっと……実はー、そのぅ。シャチョウハワタシデス」
二人の間に沈黙が生まれる。
「………………あはは、面白い」
角田の乾いた笑いが響く。
「……本当に私なの」
自分でも自分がふさわしいと思えないため麗は俯いた。
「いやいや、またまたー、そんな馬鹿な。え、なんで? 麗音先輩は?」
最終的に真顔になった角田に麗は目を泳がせ頬をかいた。
サークルにいたころ、麗からリーダーシップというものを感じたことがなかったはずだ。
角田は本気で不思議そうな顔をしている。
「上層部の傀儡、てきな?」
「あー、なるほどぉ。あ、ごめん、なるほどって言っちゃった」
角田が慌てて手を横に振ったが、別に気にしなくていい。
「父と姉さん、仲悪くてさ。とりあえず中継ぎ? みたいな感じで。いずれ姉さんが継ぐまでの代打?」
「大変だな、佐橋も」
「これも世界で一番大好きな姉さんのためだから、仕方ないよ」
麗が頷くと、角田が笑った。
「相変わらずのシスコン」




