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麗は歩いて明彦の家に帰っていた。
明彦を含め、役員は軒並み残業しているが社長になった麗はノー残業である。
何かが間違っている気がする。
ふと、九份で明彦にされた告白が麗の頭を過った。
(アキ兄ちゃんが、私を好き……。いやいや、あのアキ兄ちゃんやで。アキ兄ちゃんが私を好きになる要素ってある? ないやろ。普通にない)
社長で明彦の妻だと名乗るには地味すぎる女が、駅前にある須藤百貨店のショーウィンドーのガラスに映っている。
就活以降、全くしていなかった自己分析をする必要すらないくらい、これといって優れたところは自分にはない。
ひょっとしたら、明彦はダメな人が好きという、ダメンズウォーカーというやつかもしれない。
(あ、でもアキ兄ちゃんは男だからダレディウォーカー? うーん、語呂が悪い。そもそもアキ兄ちゃんの歴代の恋人って、美人で私にまで優しくしてくれるような性格もいい人が多かったような)
歴代の恋人達と自分を比較しても重なるところは、人類、女、ホモサピエンス、酸素と水と内容は別として食事が必要、後は、日本人は違うな、前、フランス人だかイギリス人だかと付き合っていたことがあった。
それに、胸は麗にも一応あるが、彼女達とは存在感が全く違う。
ふと、脳裏に甘え上手という言葉が浮かぶ。
そういえば、巨乳達は皆、甘え上手だった。明彦に上目遣いでお願いと甘えている場面を結構見た。
(そうや、それや! 甘え上手かどうかは知らんけど、私ほどアキ兄ちゃんに甘えてきた奴はいない)
高校の勉強に始まり、教師毎の癖や気に入られる方法、テストのヤマ。
短大の受験時には過去問の解き方を教えてもらい、お手製の練習問題も作ってもらった。しかも、そこと同じ内容が本番でも結構出題された。
それに、初めてのアルバイトの接客の練習、短大に入ってからはサークルの斡旋、就活ではエントリーシートの書き方と面接の練習。
社会人になってからも、姉にくっついて、ちょこちょことお洒落なパーティーに招待してもらってきたし取り引き先からもらったというタダ券で遊びに連れて行ってもらうことも多かった。
そういえば、事務員になりたての時にはエクセルや電話の取り方、電卓の使い方も習った。
(圧倒的やん、私。どんだけ甘えてきたんや、怖っ。あーあ、姉さんならきっと、釣り合わないなんて思いもせずに、堂々とアキ兄ちゃんの横にならべるんやろうな……)
麗は社長業を格好良くこなす姉を想像しながら、ふらふらと店に入った。
「いらっしゃいませー」
販売員に声をかけられ、麗ははたと気づく。
「あ……」
いかにも高そうな外資系の化粧品ブランドから表れたちょっと化粧が濃い美人販売員の姿に、麗はおののいた。
「よかったら試してみられますか?」
丁度、客がいなかったのだろう、販売員が麗の横に立った。
「えっと、お願いしてみたい気持ちはあるのですが、今日は手持ちがないので……」
遠慮します。と、言って麗は回れ右しようとした。
「勿論、お試しになられるだけでも大丈夫ですよー。それに、カードも使えますし」
「カードも?」
「カードも」
まるで、悪いことを耳打ちするかのようにニヤリと笑って言う販売員の言葉に麗はつい、惹かれてしまった。
結局、新婚旅行代どころか結婚にかかる費用は全て明彦持ちで、麗の貯金は結婚後は全く減っていない。
カードなら麗でも支払える気がした。
「じゃあ、お願いします」
そうして、麗は化粧の仕方を一から教えてもらい、ついつい言われるがまま、化粧品を買ってしまった。
そして、何を考えたのか、そのまま調子に乗って飛び込みで美容院に入ったのだ。
「こんにちは、カリスマ美容師デッス! 今日は、イメチェンしたい感じ??」
突然お願いすることになった、見た目強面スキンヘッドの自称カリスマ美容師に、麗は小さく頭を下げた。
カリスマは刈り上げではなく、スキンヘッドである。自分の髪では一切遊ばない主義なのかもしれない。
「そうなんです。よろしくお願いします」
「どんな感じにしたいか決まってる? それとも、このカリスマに任せてみちゃう?」
親指で自身を指し、ウインクしてみせたカリスマ美容師に麗は頷いた。
完全に彼のペースである。あまりにも明るいキャラクターに、陰キャの自覚がある麗はたじろいでしまっていた。
「はい……それで」
「OK! 可愛くしてあげるからね、ところで、どしたのどしたの? 女のコがイメチェンするってことは、ヤッパ、恋かな??」
「えっと……私、地味でお洒落とかしたことがないので、夫に恥をかかせないように変わりたくて」
「愛だね! なるほど任せて! ヒューウィーゴー! イエぇ!」
「いぇー」
腕を高く上げたカリスマに合わせて麗も小さく手を上げた。
すると、突然表情を無にしたカリスマが麗の髪を分け、素早く切り始めた。
ざっくりバッサリと髪の量が減らされていく。
その様子をついついじっと見つめていると、鏡越しにカリスマと目があった。
すると、カリスマははたと気づいた顔をしてにっこり笑う。
(施術中は無言になる職人気質のカリスマが、無理してキャラを作っているのかもしれない)
『この世は舞台、人は皆役者だ』と、シェイクスピアも言っていた。
(いや、テレビの知識で、シェイクスピア観たことないけど)
麗は、そっとカリスマに会釈し、暇つぶしに用意されている雑誌を手に取った。
だが、ファッション誌というものの読み方が麗にはわからない。
美人がいっぱい並んでいて、眼福ではあるが、どこを参考にすればいいのかすら理解できないのだ。
その上、着回し紹介をみていたはずなのに壮大な物語になっており、不倫やら、幽霊やら、果ては宇宙人に遭遇し始め、もうこれはなんの雑誌かすらわからない。
だから、麗は視線だけ雑誌に向けて、読むのを止めたのだった。