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ふたり

作者: 鰯田鰹節

ふたり


 春子は、156センチ45キロ。普通よりも細身で、タイトスカートがよく似合う華奢な体型をしていた。

 仕事は大手の広告代理店で、11年目。今年で40歳になる。

 今の会社に勤めるまでは、東京都で、臨時任用として教員をしていた。科目は英語で、学生時代の留学経験を存分に活かして活躍した。

 しかし、教員採用試験に合格できなかった。

 たまたま、何の気なしに受けた企業から内定をもらい、教員の道を諦めた。

 それがやってみたら、今の仕事が楽しいのなんの。

ー性に合う。

ー臨任時代とは違う。

そう痛感した春子だった。


 20代で婦人科疾患が見つかり、30代前半では医師から「自然妊娠は難しい。」と言われた。悩みに悩んだ。泣きに泣いた。

 その年は大雪が何度も降った。厳しい冬の寒さが彼女を襲い、その冷たさは彼氏との仲をも凍らせた。別れた。

 マンションを購入した。春子は1人で生きていくことに決めたのだ。

 駅からは徒歩15分だ。少し遠いかもしれない。でも、目の前にコンビニがあることが決め手だった。

 それから、車を走らせれば、すぐに賑やかな街に出られることも魅力だった。喧騒や夜の光は、寂しさを紛らわせることができた。

 ーこれなら、年をとってもバスを利用すれば大丈夫だわ。

 春子は、マンションから一番近いジムに入会した。今も、週に3日はジム通いをしている。


 夏美は、156センチと小柄だった。

 産後、夫が、

「おいおい。幸せ太りなんて、勘弁してくれよ。

俺、見た目は大事だと思うよ?」

なんていうから、20代と変わらず、45キロを維持することが大変だ。

 今は39歳だが、半年後には40歳になる。上の子は小学3年生になるのだ。肌質だって変わったし、体質だって変わった。

 太りやすくなったのに、運動する時間なんてない。下の子の幼稚園が終わると、すぐに上の子が帰ってくる。

 着替え、おやつ、宿題まで見なくてはならない。家事と並行してそれらをやり切るのは、本当につらい。自分の時間が無いのだ。

 痩せるには、食事量を減らすしか無かった。

 「ママは、おやつたべないの?」

優しい10歳息子の言葉に、こう答えるしかなかった。

「うん、ママ、お腹空いてないの…。」


 下の子の手を繋ぎ、上の子の頭に手を置きながら、信号を待つ。向かいのコンビニに行くためだ。今日はバレンタインだから、好きなお菓子を買っていいことにした。

 横断歩道の向こう側に、ハイヒールの女性がいた。

 コートが真っ白。でも、ふわりと広がるスカートとパンプス、タイツがグレーで、足首がきゅっと細い。モデルのような格好だ。

 マスクをしているから正確にはわからない。けれど、同い年くらいに見える。

 スニーカー、もこもこのジャンバー、ニット帽の夏美からしたら、住む世界が違う。夏美は上の子の頭を知らず撫でた。


 ーいいなあ。


 春子は、信号が変わるのを待っていた。

ーいいなあ。

ー可愛いなあ。

ーなんて可愛らしい子たちなんだろう…。

視線は、母親ではなく、子どもたちに注がれていた。

 信号が変わった。

 すれ違う瞬間、春子は夏美からミルクのような香りを感じた。懐かしい、子どもを持つ母独特の香りだった。

 子どもたちの手を引きながら、夏美は晴子から、外資系の香水の香りを感じた。昔、ドキドキしながら素通りしたデパートの化粧品売り場を思い出した。

 実は、夏美が春子から受け取ったのは、イヴ・サンローランの『リブレ』の香りだった。

 夏美も、春子も、最後にはバニラを思わせる、柔らかな甘みを後に残して…


 信号が変わった。車が次々と通った。

 2人の美しい軌跡は、2月の空にすうっと溶けて消えていった。



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― 新着の感想 ―
[良い点]  友達と自分のことを思い出しました。  作品に置き換えていうなら、友達が夏美で私が春子です。当時、「結局ない物ねだりだよねー」と話しました。  でも、どちらかが幸せで、どちらかが不幸という…
[良い点] ないものねだりかもしれませんが、他人を羨ましく思う事ありますよね。 日常の何気ない行動を文字にして小説に出来るなんて、すごいです。 とっても素敵な作品でした。 ブックマークつけさせて頂…
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