第7話 異常
僕は共謀者Aこと、花道 珊瑚という女を前にしてひとり、コーヒーをすすっていた。向かいあってニコニコと笑いかけてくる彼女からは、これといって狂気のようなものを感じない。むしろ友達と一緒に遊んでいる小学生のような純粋な子供っぽさを感じる。
「ここのモンブラン、美味しいのよね」
「...花道」
この状況を説明するには、昨日。僕と宮乃が協力者になった日に遡らなければいけない。
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比良川が酒を飲み始めてから数十分ほどして、宮乃から電話がかかってきた。
「もしもし、宮乃?」
「うん。ミドリ、今、あいつが」
インターホンを押す音が声の隙間から聞こえていた。
「分かった10分、10分で行く。住所は昨日聞いたところで間違い無いよね」
「それはそうなんだけど、なんか助けてくれって言ってるの」
「元彼が家に来たのか?」
比良川が酒を片手に僕に尋ねた。なんでこういう時に限って酒を飲んでるんだ。僕は黙って頷いた。
「とりあえず、急いでそっちに向かうよ。もし帰りそうになったらインターホン越しに」
「うん、足止めしておく」
「電話は繋いだままにしとくから」
「比良川はどうする?」
「俺はここに残る。このスマホ渡しておくから、頼む」
そういって、テーブルの上に出した2つのスマホの内、1つを差し出した。いつの間に準備していたんだろう。
「そのまま電話は繋いだままに、な」
「分かってる」
僕は急いで家を飛び出した。宮乃の家まで1駅と少し。電車よりも自転車で行く方が早い。僕は全速力で自転車を漕いだ。
急いでいる時ほど、小さな段差で転んでしまいそうになる。少しタイヤが滑るだけで、重心が大きく崩れそうになる。どれだけ急いでも、所詮ママチャリだ。キィキィと軋む重いペダルを漕ぎながら、僕は自分のどこに、こんな焦燥感が押し込まれていたんだろうと不思議になるくらい焦っていた。
赤信号に捕まっていると、宮乃と繋いでいるスマホが騒がしくなった。
「どうした?」
「家に入れてくれ、ってずっと言ってる」
「もうすぐだ、もう少しだから」
「大丈夫な気もするんだけど」
「いや、とりあえず、もう少し待ってくれ」
「分かった」
「と、トイレに入ってるの!もう少し待ってってば」
インターホンからの声は落ち着いたようだ。それにしても何かと。いや、今はそれどころじゃない。
僕は青に変わった信号を見て、また全力で足を動かした。ようやく宮乃の住むアパートの前に着くと、それらしき男がインターホンに向かって話していた。金髪で、細身のイケメン。身長は僕より少し高いぐらいか。
「家の前に着いた、こいつだね」
「うん、私もドア開けて出るから」
「正直、腕には自信ないんだ」
「大丈夫、アイツは弱いから。肉体的にも、精神的にも」
僕らは示し合わせて、扉が開くと同時に、僕はその男を後ろから羽交締めにした。
「なんだよ、京。どういう事だよ。誰だよこいつ」
「うるさいな、どうでもいいでしょ。とりあえず話は聞いてあげるけど、腕と足はガムテープで縛っておくから」
「分かった、分かったから。とりあえず話だけは聞いてくれ」
どうやら、男は本当に何かしようという気はないらしく、大人しくしているというか、何かに怯えていた。
「ガムテープより、ロープの方がいいんじゃないかな」
「はいこれ」
僕は荷物をまとめるために置いてあったのであろう紐を渡されたので、長袖の上着をめくりあげ素肌を露出させた上で、入念に縛っておいた。
「そういえばこの人の名前って?」
「千田 紅英。一千に田んぼの田、紅に英語の英で紅英。」
「そう。歳は?」
「確か25かな」
多分比良川にも声が届いているだろう。勝手に調べ上げてくれるはずだ。
「で、誰だよこいつ」
「私の協力者」
「彼氏?」
「違うって言ってるでしょ。あんたもしつこいよね」
縛り終えたので、床に座らせ、ベッドのフレームにロープを括りつけておいた。家の中に入っても、千田は未だにもじもじとして落ち着かない様子だった。
「準備できたよ」
「なら、聞きましょうか。あんた何しに来たの」
「それが、少し話は長くなるんだが…」
話によると、千田は共謀者Aこと、花道珊瑚という女が怖くなって宮乃に会いに来たらしい。比良川の情報通り、今日までは共謀して宮乃を自殺に追い込む方法を考えていたようだが、千田にはもう、そんな気力はなさそうに見えた。
「まだ20歳にもなってないただの女子高生だと思ってたんだが、とにかく異常なんだ。今日ようやく理解した。あんな奴と一緒にやってられるか、いつ殺されるか分かったもんじゃない。ずっと隠してやがったんだ、あのくそ女」
「クズ男のあんたとお似合いじゃない?」
今日の夜、ついさっきまで花道と”予行演習”なることをしていた千田は、ある動画を見せられたという。
「今日は予行演習だって言うから場所の下見についていったんだ。この動画を見れば流れは分かるからってスマホを渡されて」
千田が目にしたのは集団自殺の動画だった。それだけ、と言うのもおかしいが、それだけなら千田も怯えることはなかっただろう。
「いつ撮られた動画かは分からないが2,3年前くらいだと思う。自殺したのは女ばかり4人程。他の動画もさらっと見てみたら、とんでもない動画があった。その4人の女を楽しそうに鼻歌を歌いながら解体する花道が映っていた。自殺した女を上半身と下半身に切断して、下半身だけコンクリートの床に並べるんだ。なんだかよく分からない花びらを敷き詰めたコンクリートの床の上に4人分。その上に全裸で寝転がって、恍惚そうに頬擦りしていた。その後も異常なんだ。まるで掛け布団みたいに、切り落とした上半身を自分の体の上に置いて」
その動画は、最後、名残惜しそうに焼却炉のようなものの中にバラバラになった死体を入れて終わったようだ。千田は平常心を装って隣にいた花道にこれは何をしてるんだと聞くと、
「何って、新鮮な死体じゃないと匂いがきつくて、できないでしょ」
そんな風に、懐かしい思い出を語り始めたらしい。とりあえず千田は、花道を刺激しないように内心びくびくしながら帰って来たと言う。
「何が一応かは分からないが、一応、自殺した遺体を燃やすように頼まれていたらしい。ただ、もったいないと思ったからやったんだと」
僕も宮乃も、言葉が出なかった。
しばらくの間、誰も何も話さず、誰も何も聞かなかった。
花道珊瑚。バラバラ死体。僕は千田の言葉を思い起こしていた。
そんな静寂を動かしたのは、響き渡るインターホンの音だった。千田が怯えたように唇を震わせていた。僕がゆっくりと、ドアスコープから外を見ると、なんて事ない、比良川がそこに立っていた。
「大丈夫、僕の知り合いだ」
通話中のままにしていたスマホからも声が聞こえた。
「とりあえず、明日。花道を呼び出すぞ」
顔も見たことのないはずの宮乃の家に入ってきた比良川の第一声は、やはりどこか異常な雰囲気を放っていた。