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第20話 繋がりの日

茂木真が指定した金曜日の18時30分。僕はもう常連のようになったバーに足を運んでいた。いつもは時間ぴったりにやってくる茂木真は、実に10分も前にひとりでやってきた。この前と同じように、タバコの箱をテーブルの上に丁寧に置いて、1本だけのタバコに火をつけた。


「今日は実にいい夜だ。ミドリ君もそう思うだろ」

「まぁ。今日は空気が澄んでいる気がしますね。梅雨の合間で、晴れていたし」


僕は茂木真の軽口に、少しだけ付き合った。


「なんて言ったって、今日は咲瀬美澄の誕生日だから当然だね」

「今日が、誕生日だったんですね」

「知らなかったんだ」

「本当に、知らなかったです」


はははっ、と茂木真は笑った。

「そろそろ、本題に入ろうか。LCに大きな動きがある。まもなく何かが起きる。そんな話を聞いたんだっけ?」

「えぇ。それについて全て、話すと。あなたはそう言いました」


「話してもいいけれど、後悔するかもしれないよ。何も出来なかったって。君が咲瀬に何も出来なかったように。とても醜い話だから」

「いいんです。僕は少しだけ、ひとりで生きることを手放せそうなので」

そう言うと、茂木真はきょとんとした顔になった。


「ひとりで生きることを手放せそう?なんだいそれは」

「簡単に言えば、少しだけ大人になれそうってことですよ」

「傑作だな。君は今日大人になるかもしれないって事か。自分の誕生日に、自殺者を目の当たりにして、咲瀬美澄の誕生日に、今日この日に、大人になるって言うのか。本当にミドリ君は傑作だ」


「僕の誕生日も知っていたんですね。ならあの男の自殺は」

「もちろん意図的なものだ。当然だろう。偶然、誕生日に自殺を目にするなんて、どんな微小確率だよ」

僕はため息をついた。


「とりあえず、その大きな動きってのを説明してもらえますか」

茂木真は勿体ぶるように、酒を煽った。いつもよりも機嫌が良いのは、今日が咲瀬の誕生日だからだろうか。


「自殺映像を一挙公開する。私が統括する自殺動画収集部署、アーカイブで集めた動画を、あらゆる動画サイトに投稿する。それも一気に。大量に。驚くだろうなぁ。行方不明になったはずの数百人の自殺動画が、インターネット上に一気にばら撒かれるんだ」

「そんなことをすれば...」

「そう。そんな事をすればLCは滅んでしまう。まさに自殺行為。だけども、それでいいんだ。この歴史の一部に僕たちが組み込まれれば。その準備を咲瀬美澄が死んでからずっと、僕たちは準備してきた。衝撃的で、それでいて死んでいくのは死にたいと思っている人間だけ。そういうとんでもない事件を起こすことが必要な事だったんだ」


「あなたは、その後、どうするんですか?」

「その後なんて、私にはないよ」


「山田さんも、雪灯さんも?」

「ふふっ。気になって仕方がないと言う顔をしているね」


そういうと、また勿体ぶって腕時計を見た。18時55分。


「僕たちだけじゃない」

「どういう事ですか」

「繋がりの日。繋がりの日にこの街で100人の同時自殺ライブ配信を行う。最高だろ?ミドリ君」

「まさか、その繋がりの日ってのは...」


「そうさ、繋がりの日ってのは今日のことだよ。今日の19時、僕らは死と繋がる。そして僕らを通して死の世界と、生の世界が繋がるんだ。見ないようにしていた影が、日常に侵食するんだ。はははっ。だから言ったんだよ。君には何も出来やしないって。後悔するだけだぞって。あと5分だ。さぁ君に何が出来るんだ教えてくれ、ミドリ君。君が何したって手遅れだよ。ははっはははっ」


「雪灯さんは、どこにいるんですか」

「始まりの場所。そして今の君の姿もライブ配信されているよ。ほらっ、このタバコの箱。気づかなかっただろう。カメラになってるんだ。今この映像が、流れている。君の愚かで、どうしようもない、慌てふためいた姿が。どうなるんだろう。気になるなぁ...」


そう早口でいうと、茂木真は、口から血を吐いた。

「残念だ、残念だなぁ...。でも、最後に君に会えて良かったよ。ミ、ドリ、く」

僕の名前を言い終わるギリギリのところで、茂木真は机に崩れ落ちた。


僕は、僕に出来ることは。比良川に連絡しながら、僕は始まりの場所に走り出した。


---

僕が息も絶え絶えに、以前彼らに案内された建物の地下室についた時は、19時になる5秒前だった。鍵のかかっていないその部屋の扉を僕が開けた時、まさしく幽生雪灯は首を吊るためにロープに手をかけていた。


僕は衝動的に、彼女の腕を掴み、ロープから距離を取った。足がもつれて、僕を下敷きにして幽生雪灯の身体も倒れた。その灰色の床に僕は強く頭を打ち付けながら、それでも幽生雪灯の手を離さなかった。


「離してよ」

「嫌だ」

「どうして」

「...分からない」


幽生雪灯の手は冷たかった。僕の手もまた。しばらく無言の時が流れた。僕は手を握りつづけるしかできなかった。


ふと目の端に青いものが見えた。


「蝶々だ」

この灰色の部屋に、青い蝶々が迷い込んでいた。いつからそこにいたのだろうか。弱々しく儚げに羽を広げ、外へ出ようとする。しかし頑丈なコンクリートで覆われたこの部屋から、飛び出る事は出来なかった。


その姿はまるで、僕のようだった。


僕がその様子を眺めていると、

「死ぬの、待っててあげる。あの子を外に出してあげたいんでしょ?」

「うん」

「行って来なよ」

「でも...」

この冷たい手を、離さなくちゃいけない。


その間もその青い蝶々は右にいったり、左にいったり。その度に壁に遮られていた。そしてその青い蝶々は僕たちの周りをぐるりと一周したかと思うと、僕たちの目の前に止まった。


その一瞬、本当にその一瞬、幻影を見た。僕と幽生雪灯の体からすうっと、白い影が抜けていったような気がして気がつくと咲瀬美澄がそこに佇んでいた。


彼女は亡霊というにはあまりに柔らかな笑顔を僕たちに向けていて、だけれども彼女の首筋には確かな深い傷跡があった。死んだ人間がそんな風に見えるはずがない。見えているのは幻想で、空想で、妄想で、虚像に過ぎない。けれど、それでも良かった。


ずっと会いたかった。ただそうやって優しく笑って欲しかった。それだけを伝えたいのに僕の声は出なかった。しかし、そんな事をする必要はきっとなかった。


咲瀬美澄はその柔らかい笑顔のまま、ひと言だけ、たったひと言だけ、こう言った。



『ごめんね』



多分その時、僕は救われた。


咲瀬美澄以外の、誰に何を言われても、僕は救われることはなかっただろう。その幻影の告げた言葉もただの嘘に過ぎないかもしれない。でも僕は、どうしようもなくその言葉に救われてしまった。謝って欲しかった訳じゃない。そんな言葉よりまた会えて、笑ってくれれば何でもいいと思っていたのに。分からない、理由は分からないけれど、救われたのだ。


その幻影が消えて、僕と幽生雪灯は、自然と目を合わせた。


「咲瀬が…」

「うん…」

幽生雪灯の小さな声は震えていた。


僕は幽生雪灯の手を離して、咲瀬美澄の幻影が消えていった灰色の天井を眺めていた。また蝶々が弱々しく飛び回って休んで、また飛び回って休んで。その繰り返しを、僕たちは暫くの間ぼんやりと眺めていた。


そして、

「...外に出してあげよっか」と、幽生雪灯が呟いて、その手で優しくその青い蝶々を包み込んだ。


僕は重い扉を開いた。幽生雪灯は誰にその手を引かれることなく、その扉の外へ出た。そして、その日、その部屋に僕たちが戻る事はなかった。


---

僕が連絡するよりも随分前に、比良川はその日起きる出来事を既に知っていたらしい。「出来る限りは救う」そんな言葉を僕に言った。比良川が連絡した誰かが、また違う誰かに連絡して、結果として3分の2程の人間は命を絶たなかった。


それでも3分の1程は、約30人がその日、その街でその命を絶った。名前も分からない多くの人を、僕は見殺しにしたし、結局僕は何かをした訳ではなかった。


僕の力はそれほどまでに弱い。それでも僕はその日、ひとりではなかった。幽生雪灯という人間の紡ぐ物語のひとコマに、僕はとても小さく関わっていた。


---

100人の自殺ライブと、それまでに死んでいった人たちの数百人の自殺動画がその日、インターネットを騒がした。茂木真が計画したように。もしくは、咲瀬が望んでいたように。


結果的にLCの目的自体は、咲瀬が最後に望んだ願いは、少しばかり達成されたように思えた。また新しい死を伴いながら。


幽生雪灯は自首した。社会に強い影響を与えた事件という事もあり、逮捕され勾留される事になったけれど、17歳の彼女にどんな判決が下されるのか、僕には分からない。ただ彼女は何かを命令した事はなかったようだった。その日起きた自殺の主要因を生み出した訳でもなかった。


彼女は彼らと一緒に死のうとしただけだった。


首謀者の咲瀬は3年前に死んでいるし、実務的に全てを統括していたらしい茂木真もその日、僕の隣で命を絶った。山田浩二も、自殺配信で死んだ。花道珊瑚と花道蒼海は事件後、姿をくらまし、消去者という存在はまた暗い闇に消えていった。


こうして、奇妙な自殺現象は、奇妙な終わりを迎えた。僕がそれを解決した訳ではないし、誰かが解決した訳でもない。ただラスト・クリエイターによる自殺行為によって、ラスト・クリエイターは消滅し、奇妙な自殺現象も終わりを迎えたのだった。


最初から終わる事が決まっていた物語に、僕は少しだけ関わっただけだった。僕はひとりの女の子を救った訳でもなかったし、ヒーローになる事もなかった。


そして、この騒動も、数日後には忘れ去られてしまうのだろうと、僕は思っていた。咲瀬美澄という女の子が起こした事件をすぐに世間が忘れてしまったように。


ただひとつ、比良川がなぜ、繋がりの日を知っていたのか。いつから知っていたのか。そして何をしなかったのか。僕はそれだけが気がかりだった。

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