第19話 融解
梅雨が近づいていた月曜日。僕はまた、茂木真がやって来るのをバーで待っていた。
茂木真は時間通りにやってきた。予想外だったのは、隣に男女がひとりずつ居た事だった。
「今日はね、未成年がいるんだ。お酒は飲ませないでやってくれよ」
男も若かったが、未成年とまではいかないような気がした。髪の長い女の方が随分と若く見える。僕は、その艶々とした髪を見て、ふと思い出した。僕の誕生日の日。喫茶店にやってきたカップルだった。
「こっちの男は山田」
「山田 浩二です。よろしく。翠夜さん」
山田はにこやかに握手を求めてきた。ごく普通のサラリーマンのような風貌をしていた。
僕は、ジンジャエールを飲むもうひとりの方を向く。長い髪の女の子は、うっすらと笑みを浮かべていた。
「こんばんは。ミドリさん」
「こっちが幽生」
「現在のゴート、か」
「その通り」
「で、僕に彼らを紹介する理由は?」
「LCについて知りたいんだろう。だから紹介してあげたのさ。特別だよ?ミドリ君が咲瀬美澄のお友達だからだ。そうじゃなかったらこんな無謀なことはしないさ」
「僕は、LCが今、何をしようとしているのか。それを知るためにここに来たんだ」
「防ぐため、では無いんですね。本当に、美澄さんから聞いた通りの人柄だ」
山田浩二が笑い声を上げた。
「そう焦らないで、今日はゆっくり話をしようじゃないか。ミドリ君」
茂木真は箱からタバコを取り出し、火をつけた。
「なら、私山田から」
そう言って山田浩二は、LCに入った経緯を事細かに話し始めた。それはまるで、そうなることが初めから予定されていた様に滑らかな話ぶりだった。
「私は3年前の春までからっぽに生きていました。当初は、自殺実験、あぁ死を若者に突きつける事です、その自殺実験はまだ準備段階でした。そして私はその自殺者の側にいました。絶望していたし、自分の命なんてどうでも良かったです。ただ、この人たちの言う通りに死ぬことで最後、私の人生に意味が生まれるのならと、むしろ微かな希望を抱いていました」
「ただ、飛び降り自殺を見ても何も思わない若者達を実際に目にした時です。写真を撮ったり、SNSで拡散したり。そういう姿を見た時、からっぽだと思っていた自分自身の中に、どうしようもないほど禍々しい動物的な感覚を思い出しました」
「本当にからっぽだったのは彼らの方ではないのか、と。つまり充実しているふりをして、人間的な感情を感じることもできない彼らの方がからっぽなのではないかと。そして、死ぬべきは、自分ではなくて彼らのような人間ではないのか、と。だってそうでしょう。どちらの方が人間らしい人間でしょうか。法律で裁くべきは彼らですよ。でも裁けない。なら私が、この手で法律で裁けないからっぽな人間の遺伝子を破壊したい、と思いました。それを、当時私の見送り役だった茂木さんに言ったんです。茂木さんは分かってくれました。独創的で素晴らしい、と。君のような人間が生まれることを望んでいたと」
「だから私は、彼らのようなからっぽの人間を自殺させるにはどうしたらいいのか、しばらくそればかり考えていました」
山田浩二は、真面目な顔で話し続けた。
「僕が、それを茂木さんに相談すると、こう言いました。『いいんだ、からっぽな彼らにも生きるだけの価値がある』と。最初は何を言っているのかと思いましたよ。そんな訳がないでしょうと。でも次の言葉を聞いて、ようやく茂木さんの意図が理解できました。『簡単なことだ。僕らの奴隷になってもらおう。彼らの性質をうまく利用してやれ。それだけで簡単に彼らは都合のいい奴隷になってくれる』と。なるほど、と思いましたね。そして私は、まず1ヶ月で1人の奴隷を作り出すことから始めることにしました」
「動画サイトと同じですよ。最初はユーザーを増やすのに時間がかかる。でも、彼らの性質を上手く理解できれば何万という奴隷を生み出すことができる。これは正当なマーケティングと同じなんです。それ以来、私は本業の仕事で、高い評価を得られるようになれました。マーケティング戦略を考えるのは、私の性格に合っていたようですね」
そう語る山田浩二の目は、ギラギラと輝いていた。茂木真が酒を飲みながら、僕に語った。
「そう。本当に大切なのは、嫌いなやつを排除することじゃない。嫌いなやつを生かさず殺さず、都合のいい奴隷にするにはどうしたらいいのかってのを考えることなんだ。美澄さんは、その辺りがよく理解できなかった様だけれどね」
僕自身、まさにそのからっぽの彼らのうちのひとりと言えるかもしれない。茂木真や、山田浩二の主張は実に激しいものだったけれど、少しだけ理解はできた。茂木も山田も、僕のような人間を憎悪していた。そして僕も、僕自身を憎んでいたから。
「LCの活動でも、マーケティングは、うまくいったようですね」
「ええ。活動資金をたんまりと。これは悪ではありませんよ。むしろ市場の世界では勝者であり、正義です」
「そして、今はどうすれば自殺動画の再生数を増やせるかを考えていると」
「その通りです」
山田浩二はおそらく、彼自身の中にそういう部分がある事を自覚はせずとも知っている。そして茂木もまた同様に。なぜなら、彼らはひとりで生きている。僕と同じように。誰かと関わるふりをして、その実、何も関わっていない。彼らは僕の同類だ。彼らが憎むからっぽの人間というものに、彼ら自身が所属している。それに気づけないから、歪んでいく。
「幽生さんは、どう思いますか?」
「人間なんて、大小はあれど、そんなもんだと思うよ。自分が可愛い生き物だから」
なんとなく、幽生も、ひとりで生きているように感じられた。
「幽生、あの事、そろそろミドリ君に教えてあげたらどうだ?」
「そうだね」
幽生はゴクリとジンジャエールを飲み込むと、僕の目を見た。
「3年前のクリスマス。ラブホテルで死んだ男がいたでしょ?」
「うん」
「私のストーカーだったの」
「なら君が、ユキちゃん...か」
「懐かしい呼び方だね。そうだよ。幽生雪灯。いい名前でしょ。雪灯でいいよ」
幽生雪灯は僕が持っていたメモ帳に、彼女の名前を書いた。
「雪に、灯りか」
「生まれた時、今にも死んでしまいそうだったから、そんな名前にしたみたい。本当は雪菜って名前にしたかったみたいだけど、刹那的に聞こえるからって。だから、ちょっと力強い、男の子っぽい名前にしたんだってお母さんが言ってた。周りで雪が降っていても、優しく温かい灯りを灯せるような、そんな人にって」
「そっか」
「真逆になっちゃったけどね」
きっと、幽生雪灯も死んでしまおうと考えているのだろう。この1年を過ぎる事なく。18になる事なく。
「雪灯さんは、どうしてLCに」
「あの男が死んだのを知って、しばらくは安心した。良かったって。同時に美澄ちゃんが死んだって事は知ってたのに。私は事件が起こるよりも前に、その計画を知ってたの。美澄ちゃんがそのシナリオを話してくれたから。9割は嘘だと思ってはいたけど、1割は本当かもしれないって期待してた」
「美澄ちゃんはさ、ずっと死にたがっていたんだ。だから、自分の死を最高の形で創造した。美澄ちゃんは自身の身体でそれを示したんだ。私も同じ。結局は、生きているだけで死にたかったんだ。じゃ死ねばって思うかな?でもそんな簡単な話でもないでしょ。だから、『もし死にたいと思ったらこの電話番号にかけたらいいよ』って美澄ちゃんにもらった電話番号にかけてみた。それが茂木さんの番号だったの」
「少しして、茂木さんにある部屋に案内された。そこで知ったんだ。美澄ちゃんが残していたメモ書き。20歳になったらしたい事って書かれたその紙を初めて見て、意志を継ぐのは私なんだって思った。私じゃなきゃいけないんだって。茂木さんじゃ見えない世界を、私と美澄ちゃんは共有しているんだって分かった。茂木さんは確かに能力は高いけれど、美澄ちゃんと同じものは持っていなかった。美澄ちゃんは、とても普通の女の子だったから、だからこそ、私のような普通で空虚な人間の自殺に意義を持たせる事が出来るんだ。それで人の意識を変える事が出来るんだって。彼らの自殺を、人類に最大の効果を与える創造にしながら、死んでいく彼らの心を満たすことが私には出来るんだって」
「20歳になったらしたい事?」
「うん。今から案内しようか?いいよね、茂木さん」
「あぁ。良いよ。一緒に行こうか、ミドリ君」
そのバーから歩いて15分ほど離れた場所に、その部屋はあった。小さな建物の、小さな地下室。灰色のコンクリートと重い扉で塞がれた部屋だった。部屋の中にはシステムデスクと、ひとり用の椅子がぽつんと置いてあった。
「ここは...」
「この場所から、LCは始まったんだ」
机の上には、咲瀬の文字で書かれた手紙が置かれていた。
***
20歳になったらしたい事
人を愛してみたい
心から好きな趣味を持ちたい
バンドを組んでステージに立ってみたい
高級スイーツパラダイスで美味しいモンブランを沢山食べてみたい
比良川君と、ミドリ君と、お酒を飲み交わして、煙草を燻らせて、馬鹿みたいな話がしたい。
免許とって、バイクに乗って、海岸沿いを走ってみたい。
大切なものを大切にできる人になりたい。
それから、私が生きてきた事を肯定したい。
***
「本当に、普通の女の子だったんだよ。美澄ちゃんは。どこにでもいる、私みたいな」
多分、そこに書かれていた事が咲瀬にとって、大人になるって事だったのかもしれない。
「金曜日の夜、18時30分。また、あのバーに君がきたら、LCがしようとしている事の全てを君に話してあげるよ。今日はこれから、やることがあるからね」
「分かりました。その代わり、全部、話してください。何もかも全て」
茂木真は笑って、手を振った。
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バーを出た僕は、あらかじめ連絡しておいた宮乃の家へ向かった。全てを曝け出すために。
「夜遅くにごめん」
「別に。気にしなくていいよ」
「ちゃんと話をしたくて。一応、協力者、だから」
「うん」
僕はポツリポツリと話を始めた。小学生、中学生、高校生の頃の僕の話を。咲瀬美澄の話を。出来るだけ、かいつまんで。変に緊張しながら。消去者の話を、LCの話を。幽生雪灯の話を。そして最後に、いつまでもひとりで生きている僕の話をした。
宮乃は時々考え込みながら、僕の話を聞いてくれていた。
「大変、だったんだね」
「そうかも。でも多分、ずっとひとりで生きてきた罰みたいな、そういうものなんだ。宮乃はさ、大人になるってどういう事だと思う?」
「今はまだ分からないよ。でもね、時々立ち止まりながら、歩いたり、走ったりして自分と向き合いながら、真っ直ぐ生きていく事。そうやって生きていけば、きっといつの間にか大人になってるんじゃないかなって」
「そっか」
「私は、物凄い普通の人生で。誰よりも普通の人間だからさ。ミドリにこんな事言えないかもしれないけど」
宮乃は小さく笑みを浮かべた。
「抱え込みすぎなんだよ、ミドリは。ほら、お水飲む?」
「ありがと」
僕はちびちびと水を飲んだ。
「でもさ。僕は本当に、弱虫で、意気地なしで、どうしようもない奴なんだよ」
「自分を卑下しすぎだよ。何もかも否定してたら、いつの日か消えてしまうよ」
「本当に何も出来ていないんだ。本当に何も。ずっとひとりで生きていただけだったんだ。誰とも交わる事なく。そしてそれが、心の歪みになっていたんだ。だから僕は大切な人を見捨ててしまったんだと、こんなどうしようもない最低で最悪で、本当に醜い、その精神から腐敗臭すら漂うようなそんな人間になっていたんだと思う」
「それでも、あなたは立ちあがろうとしてるじゃない」
宮乃の声は力強かった。誰よりも普通だと言った宮乃は、とても強く、優しさに溢れていた。
「私の肩を使えばいいよ。少しの間、寄りかかればいいよ。そしたら君はきっと君の足で歩き出せるはずだから」
そう、僕が出会った誰よりも。宮乃は強い人間だった。
「僕はいつか、宮乃に寄りかかってもらえるような人間になりたいよ」
「あれっ?それって......告白?」
「ち、違っ...。ほら、人間として、僕はこう、尊敬しているというか。そういう意味で」
「へー違うんだ。なら勝手に歩いて出ていけば良いんだよ」
「それはほら。違いはしないかもしれないけどさ...」
変な空気が流れた。でも妙に居心地のいい、初めて感じる空気だった。




