第13話 風
最初は花道珊瑚も渋っていた。僕は彼女を説得などしなかった。ただ花道蒼海がその決定権を持っていることは分かっていた。僕がどれほどそこに居ようとしても、彼は僕を動かすことが出来る。彼が決めたのなら僕は抗うことは出来ない。
花道蒼海は、小さく笑って了承した。全ての部屋の監視カメラの映像が映る小さなモニタルームから一歩も出ない事を条件に。つまり僕は、何もせず、見ているだけ。
「私は帰るからね。翠夜君、最後にひとついい?」
花道珊瑚は、怒ったような口調で僕に言った。
「君が苦しんでも、誰も救われないんだよ?」
そんなことは分かっていた。そして僕が分かっているということも、花道珊瑚は分かっていただろう。それでも僕にそう言ったのはきっと、僕があまりに弱い人間だからだ。
「僕が幸せでも、誰も救えないんだ」
「君は救える」
「僕は、僕を救えないんだ。幸せな事は僕を幸せにしてくれないんだ。苦しい事だけが僕を幸せにしてくれるんだ。誰かを救うために苦しんでいるんじゃないんだ。誰も救えない僕を救うために、僕はひとりで勝手に苦しんでいるだけなんだ」
ははっ、ひとりで勝手に苦しんでいるだけ。
花道珊瑚は呆れたように僕の顔を見た。情けない面を。
「いつか分かるよ。君は苦しむ必要なんてないんだって」
「でも僕は...」
「もういいよ、分かったから」
そして、僕はモニタルームの机に手錠で繋がれた。
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「久しぶりですね、木禾さん」
「...えぇ。どうも」
僕が思っていたよりも、”消去者”は組織化されているように見えた。花道珊瑚が初代さんの運転する車で帰って30分程。消去者の2人の若い仲間に連れられて、女性はやってきた。その2人は周りを見渡しながら急ぎ足で帰っていった。女性だけが残されて、あの箱庭の、灰の海の浜辺に、花道蒼海と隣り合って座っていた。
「前回と同様です。最初にサインだけ頂ければ、あとは自由にお過ごしください。隣の部屋が、全てが準備された部屋になります」
「えぇ。分かっていますので」
「では、こちらにサインを」
彼女は流れるようにサインをした。用紙を確認し、花道蒼海は手のひらサイズのボタンを手渡した。
「こちらのボタンを押して頂ければ、私が参ります」
「ありがとうございます」
そう言うと、木禾集花という女性はスッと立ち上がり、全てが準備された部屋へ入っていった。あの重い扉を開けて。
「驚いたでしょうか?」
少しして、花道蒼海がモニタルームの扉を開けて入ってきた。
「まぁ、少し」
「木禾さんは誰とも関わろうとしません。私もまた、居るだけです」
「蒼海さんは、どう思いますか。ご自身を」
少し静寂があって、花道蒼海は椅子に座った。
「私は、自分を正義だと言うつもりはありませんが、それでも自分を無闇に否定しようとも思いませんよ。そもそも自分の部屋の中でも自殺することは出来るのですから。違いは、見えるか、見えないか。それだけです」
木禾集花は壁にもたれて座り込んでいた。彼女がどこを見ているのかも僕には分からない。
「以前にも、木禾さんは来たことがある、と」
「その通りです。ここだけでなく、何度も、何度も。彼女は繰り返しています。何かが違えば、死んでいたでしょう。生きるか、死ぬか。その境目にいる人間には何気ない優しささえ苦しみになりうる。そんなものを見ていると、全てが運命に見えます」
「蒼海さんの言う運命って何ですか?」
「どうしようも出来ないこと、でしょうね」
「なら、なぜ消去者を?」
「どうしようも出来なくても、私はただ出来ることをする、それだけの話です」
「それが原因で人が死んでも、ですか?」
「現実はそうやって動いているのですよ。もし翠夜さんが飲食店でアルバイトをしていて、そうですね閉店5分後にお客さんが来たとしましょう。どうしますか?」
「帰ってもらいます。アルバイトですし」
「ですよね。それがそのお客さんを傷つけてしまったとしたら、それが最後の一押しになってその人が死んでしまったとしたら。もしそのお店で温かいお茶を飲むだけで救われたかもしれない。あなたは自分を責めますか?」
「そもそも、その人が死んだということさえ知らないと思います」
「そうかもしれませんね。何にせよ、人を傷つけずに生きることは出来ないと、私は思います。それが誰かの死を生み出したとしても、受け入れて、また出来ることをするしか、それしかないでしょう」
花道蒼海の声は低く響いた。しかし、そんな声が届くはずもなく、木禾集花は自殺した。僕は、僕たちは、ただ見ているだけだった。彼女が何を考えていたのかも、最後に何を見たのかも分からず。
花道蒼海は慣れた手つきで彼女の死体を処理し、丁寧に掃除を行っていた。僕は本当にただ、居ただけだった。
「木禾さんは、以前こういうことをおっしゃっていました。『私の人生は小さな風だった』と。葉を揺らし、ふっと人の髪を揺らすぐらいの小さな風だったと。小さくなんて、ないですよね」
小さくなんて無かった。彼女の人生がどんなものだったのか、僕は知らない。けれどきっと僕をどこかへ運んでくれる大事な風のように思えた。
「僕は、きっと、何かをできたんでしょうね」
「かも、しれないですね」
それは僕にとって、耐え難い苦痛だった。
飛び出した金属棒の下。そこに設置された階段に座る彼女の姿を、そして静かに階段を昇る姿を、ただ僕は見ていた。彼女は最後の階段を昇り、落ちることなく吊られていた。それは振り子時計のように時を刻んでいた。
それを知ってどうするのかも考えないまま、僕はただその全てを脳裏に刻みつけた。耐え難い苦痛と、自分自身に対する強烈な軽蔑と共に。そのまま叫び声をあげて逃げ出したかった。
それでも僕は、逃げられなかった。
座って見ていただけ。
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色々な事が終わって建物の外に出ると、もう明け方だった。初代さんの運転する車に乗り込もうとした時、冷たい風が僕の鼻先を掠めていった。風と共に僕らは海へ向かった。
風車の並ぶ窓の外をぼんやりと眺めながら、ずっと考えていた。ただ居るだけだった僕。彼女の姿を眺めるだけだった僕をずっと思いおこしていた。
「到着いたしました」
「行こうか、翠夜君」
「そうですね」
僕は花道蒼海の後に続いた。耳に聞こえるのは、人の居ない砂浜を歩く音と波の音。そんな静寂の中、花道蒼海は少量の遺灰が入った木箱を引いていく波の上で裏返した。
それはさらさらと流れて、波に飲み込まれて見えなくなった。儀式めいたことは何もなく、押し寄せてはかえす日常に、彼女だったものは消えていった。僕たちは車に戻るまで、黙ったままだった。
座席に座り、車が走り出してから、花道蒼海はようやく口を開いた。
「翠夜さん」
「はい」
「私は間違っていたでしょうか」
「...僕には分かりません」
「そう、ですか」
しばらくの間、静寂があった。
僕は最後に、聞かなければいけないことを聞くことにした。
「消去者という組織に違和感を感じていました。蒼海さんは確かにそれを存続させた方がいいという程の確信を持ってはいない。だから元々大きくする必要はない、1人で十分と感じていた。そして多分、今もそういう気持ちがあるように見える。どうでしょう、蒼海さん?」
「そういう気持ちはありますよ」
花道蒼海は残念そうに笑った。
「でも、消去者と言う組織は、僕が知る限りで5人もいる。木禾さんを連れてきた2人は、まだ慣れていないようにも見えました。それに連れてきただけで帰ってしまった。彼らはどうも蒼海さんとそれほど接点があるようには思えないのですが」
「そろそろ、私も潮時なのかもしれませんね。今の消去者は、いわば下部組織にすぎません。これまでは私が独立的に運営できていたのですが。ここ最近、上からの干渉が強くなって」
「だから、僕があの建物へ行くことを許した。僕があの場所に残ることも。あの場所は丁寧に掃除されていました。あなたにとって、とても大切な場所のはずです。それに、3年近くも珊瑚さんを近づけなかったのに、なぜ僕があんな場所に行くことを許されたのか、ずっと考えていました。僕の出した結論はこうです。つまり、珊瑚さんが同好会に入ってから、何かが変わった」
「珊瑚の言う同好会というのも組織の一部ですよ。珊瑚を通して消去者というものに、組織は意味を見つけてしまったのでしょうね」
「その、組織...とは?」
「ラスト・クリエイター」
花道蒼海はそう言って、ため息をこぼした。
「最もクリエイターとしてふさわしくない者、そう名乗っています」




