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第12話 空気

僕はしばらくの間、その消去部屋で、ひとりになる事にした。まるで博物館の展覧会のように、ここで人が亡くなりました、こちらがその当時の自殺方法です、ここにロープをかけて死んでいったんですね、悲しい事です、では次の展示に参りましょう、なんていう風な認識の仕方をするには僕の体は向いていないようだった。


壁にもたれて僕は座り込んだ。そうしてひとりになると、ようやく頭が動き出す。今も昔も、変わっていない、僕の癖だ。他人が周りにいる時は適当な事ばかり考えているような気もする。空気みたいなものにすっと流されてしまう。そんな風に流されるのはきっと僕が嘘つきで、そして子供だからだろう。未だに自分がこの肉体にはいない。ガラス張りの空き箱に閉じ込めたまま、まだあの家に生きた化石みたいにして埋もれている。


僕は真っ暗な部屋で、空から降り注ぐ四角い光が、飛び出した金属棒を照らしているその風景を眺めていた。きっと、夜に死んでいこうとしたら少し眩しかっただろうな、とか、昼間の真っ青な空が目に入ると余計絶望したんじゃないかとかそんなことを考えていた。


この施設には、随所にそういう仕掛けが施されている。部屋に入るドアノブだってそうだ。箱庭の扉は捻りやすく、軽い力で開くし、この部屋の扉は、重厚で、捻りにくく、しっかりとした力を加えなければ開かない。一方で、この部屋の内装は死を連想させやすくしている。空からの光、少し黒く汚れたコンクリートの壁、そしてちょうどロープを引っ掛けられそうな長さの飛び出した金属棒。これらは自殺を止めるものではなく、加速させるものだ。


なぜそうなっているのか。死ぬ間際にやっぱり生きたいと言う気持ちを増幅させるような部屋にしないためだろう。そんなこと言っても首を吊ってちゃ間に合わない。首を引っ掛けてぶら下がったら、多分この部屋ではそれでおしまい。どんな悲鳴をあげても外には届かない。中には自分が死ぬ姿を誰かに見ていて欲しいと言う人もいるかもしれないけれど、大抵はひとりで死にたがるものなんだと思う。誰かにニヤニヤされながら見られていたら、じゃそろそろ首を引っ掛けるかぁなんて思うはずがないし、だからと言って目を背けて泣き出しそうな表情で見られていると、自分が悪いことをしているみたいで気分が優れない。


優れないといっても、今から自殺する人間がそんなスッキリした顔でニコニコしてたらそれはそれで奇妙な姿に映るので、優れない方が自然なのだろう。僕はなぜこんな所で、こんなものを見て、こんなことを考えて、こんな空気を吸っているんだろうか。僕は訳が分からなくなってきていた。


床についた左手と右手が目に入る。ザラザラとしたガラス張りの床と灰色の壁でできたこの空間こそ、最後に残された居場所なのかもしれない。日常はあまりに死が遠すぎる。空は青いし、海は美しい。夜は明るいし、昼は眩しい。人は動いているし、自動車も走っている。電車は規則通りにガタガタ騒音を鳴らすし、子どもたちは歩いているだけで飛び跳ねる。そんな世界で、僕は強烈な壁を感じていた。


そんな風に世界の全てが嘘のように思えるのは、きっとそれがあまりに死を排除してしまったからだ。生々しい死を。生々しい死を排除してしまった生は、生々しい生ではなく、陽気な道化師のシナリオのように薄く、脆い。


僕はこの灰色の部屋と本当の意味で十分に向き合ってはいなかった。けれど、僕はその重厚なドアノブをそっと撫でて、形を確かめるように指で挟んだ。振り返ってもう一度、内臓に刻みつけるようにゆっくりと深呼吸をして、僕はその部屋を出た。


---

扉を開けると、花道珊瑚は、すぐそこに居た。


「どうだった?」と花道珊瑚は笑顔で尋ねた。

「どうと言われても。あまり長くは居れない部屋だと思った」

僕はゆっくりと肺の空気を入れ替えた。随分と軽い空気に感じた。


「そんなに居心地悪いかな。あまり刺激しないように色とか質感とか、その時の気持ちに一体になって寄り添うような、落ち着くような部屋にしたつもりだったんだけど」

「居心地が、良すぎる」

花道珊瑚は苦笑いした。彼女の感覚は、僕が感じていた部屋の印象に近い。

あの部屋には確かに死があった。


それは時間的なものだけでなく、色彩的にも、そして扉の手触りにさえ。


「じゃ、帰ろうか。居心地の悪い世界へ」

「居心地も悪いし、意地も悪い世界だ」

「ついでに、親切でバリアフリー」

「僕は自分からバリアを張ってるっていうのに。もう少しバリアが欲しいくらいだ」


そんな軽口を交わしながら、花道珊瑚は僕の胸に手を当てた。

「なに?」

「生きてるね」

「まぁそれなりに」

「もし、ロープが置いてあったら、どうしてた?」


少し、心臓の鼓動が速くなった。

「別に何も」

「嘘だね」


そう。気持ちいい顔して、死んでたかもしれない。


僕は花道珊瑚の手首を持ち、そっと僕の胸から離した。

「環境を揃えてしまうと、人間の心理は誘導されるの。少なくともあなたのような人はきっと、ね」

「僕はこれでも、疑り深い性格をしていると思うけど」

「そうだね。疑って、疑って、疑っているんだけど、ふらっと空気に流されてしまう。疑いたいだけ。結論は決まっているの」


きっとその通りに思えた。

「そういえば、蒼海さんは?」

「これからここで、お仕事があるからね。ちょっと準備してる」

「もしかして...」

「もちろん」


もちろん、消去者のお仕事、だろう。今からここに来るのだ、生身の人間が。先程まで部屋で感じていた重厚感が嘘のように軽く感じた。僕は、どうすればいい。所詮、さっきまでのあんなものは展覧会だった。僕が浸っていたのはただの幻想だった。


「だから、ね。帰ろうか。私たちは」

「僕は...」

僕は、僕には何ができるっていうんだろう。僕は自分の口から言ったはずだ。罪滅ぼしをしなければいけないんだと。見放していった人間に、そしてこれから見放すことになる全ての人間に対する罪滅ぼしだと。そのためにここに来たはずだ。


「僕は...」

知るだけ知って帰ると。僕は何もしないと。知らなければいけないと。


それだけの理論で自分を焚き付けても、全て嘘のように感じた。これは僕の本心ではないと、僕の心臓が、脳が、内臓がそう言っていた。違うだろ、と。知りたくない、見たくない、聞きたくない、と。本当は分かりたくなんてない。分かったようなふりをして自分を納得させたいだけだ。そんな大人のふりをしているだけだ。


違う。そもそも、人が死ぬと決まった訳じゃない。あの幻想的な部屋を見ただろう。あの心静まる部屋を。珊瑚さんだって言ってたじゃないか。やっぱり生きますっていう人も多いって。いや、そんなものは確率的な事象に過ぎない。待て、混乱するな。落ち着け。深呼吸だ、深呼吸。まずは落ち着くこと、ゆっくりと吸って、そして吐いて。冷静に、冷静に。ひとつずつ、情報を整理すること。


「珊瑚さんも、帰るの?」

「うん。私は明日学校があるし」


学校があるから。学校があるから家に帰る。僕も明日学校に行かなくてはいけない。だから帰る。とてもありきたりで、当たり前の理由だ。当たり前すぎて何かおかしい。今からやってくる依頼人が生きるか死ぬか。その瀬戸際が今日の夜なんじゃないのか。


「例えばの話なんだけど。珊瑚さんが残ることで、何かが変わったりはしないの?」

何もできない、まともな人間関係も築けない、大嘘つきの僕が残る、のではなく。そんなものに何の確からしい意味も見出せず。その代わりにまだ17歳の女の子を残す。その口から出た文章の馬鹿らしさ、愚かさ。自分には出来ないと決めつけて誰かにしてもらうという、それでも自分は関わったのだという、そんな馬鹿らしい無責任でずるい偽善者が僕だった。


「私が居ても、どうしようもないんだ。どうしようも」

「そう」

どうしようもない。とても便利な言葉だ。確かに、自分にはどうしようもない事はこの世界に存在する。生まれる親は選べない。生まれる環境は選べない。自分自身の遺伝子も。僕たちは、そういうものの上で生きている。ただ、ある種類の事柄は、どうしようもない事と、どうにかなってしまう事の重ね合わせで出来ている。今、僕がこの場所にいる事も、その1つなのかもしれない。


花道珊瑚は、どうしようもないと言った。


もし、どうしようもない事だったら、どれだけの時間を費やそうと、どれだけの情熱を費やそうと、どれだけの能力を獲得しようと確かにどうしようもない事だったら、きっと苦しむだけ、無力感を突きつけられるだけだろう。


逆に、どうにかなってしまう事だったとしたら。今の僕にまさに十分な時間と、十分な情熱と、十分な能力があり、どうにかなってしまう事だったとしたら。その状況で、僕が逃げたのだとしたなら、僕は人を殺したも同然だ。責められて当然かもしれない。


いや、こんな2択に意味はない。そんなものは誰も分からないのだから。結果以外を僕らは分からないのだから。


「帰ろうか、翠夜君」

そんな声が聞こえた。それは天使か、もしくは悪魔か。


「僕は...僕は、」


咲瀬の苦笑いが思い浮かんだ。どうしようもできなかった事。あの時、僕はただそこにいるだけだった。あの時、僕は何もしない事を選択した。それまでも、これまでも。


僕は、そんな僕が大嫌いだ。だけど。


「ただ、ここに居ようと思うんだ」


それだけが、僕にできる事だった。僕は、逃げなかったのではなく居るしか出来なかったのだ。部屋に閉じ込められた灰色の空気のように。他に選択肢など最初から無かった。

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