第11話 灰の海
「消去者...。それは蒼海さんが?」
「えぇ。私ひとりが」
「なら、珊瑚さんは?」
「昔、一度だけ。私を手伝った事があります。でもそれ以降は全然。最近までは全く。当時、私ひとりで管理できないくらいに増えてしまったんですよね」
それは花道蒼海にとって、悲しい事だったのかもしれない。少しだけ、瞼から見える目が細くなった。
「おにーちゃん、そんな話、しちゃっていいの?」
花道珊瑚は、なぜ手伝ったのだろう。花道珊瑚はその増加をどう感じたのだろう。
「良いさ。初代。例の場所に向かってくれ」
「かしこまりました」
「初代さん、ということはこちらの方が始めた、という事か?」
「ドライブはまだ始まったばかりですよ。ひとつづつ整理して話すことにしましょう」
例の場所、という事は。つまり僕は、人が何人も死んだであろう場所を直視することになるのだろう。”消去者”たちと共に。
「『消去者』は自殺者の死体をしっかりと消去しなくてはなりません。今から向かうのは、その死に場所であり、焼却施設です。産地直送、なんてね」
そう言って僕にウインクをしてきた。これは多分、心の準備をしておけよ、という彼なりの配慮なのだと僕は受け取った。
「ですが、『消去者』は、その人の死そのものを消すわけではありません。もちろん、私たちがその死に関与したと警察なり行政機関なりに知られれば、問題です。だから、依頼者には遺書を残してから、私たちの元に来るように説明します。そうすれば、『どこか遠く、私たちの見えない場所で』きっと死んだのだろう、と分かってもらえる訳です」
「その、例えば監視カメラなんかから、辿られたりしないか?」
「もちろん、手間をかけなくてはいけませんね。でも、今までなんとかやって来れました。それは初代のおかげですよ。初代は、元警察なんです。僕と珊瑚が危なっかしい真似をしていたのを助けてくれて以来の関係です」
どおりで、ただの運転手にしては体格がいいと思った。
「そういえば、今から向かう施設では、焼却までを行なっているんだよね。その後はどうするんだ?」
僕はまるで工場見学に向かう学生のように、そんな質問を投げかけた。
「焼却された後は、一緒に海に行くの。広い海に、灰を撒くの。きっと、ずっと、長い間、自由を失ってたから。世界の美しさを忘れていたから。美しい世界を感じられるように」
僕はこの時まで、花道珊瑚は人間の解体に快楽を感じる異常者なのではないかと思っていた。でも、彼女のその言葉には確かな慈しみがこもっていた。人間は不思議だ。
「そう3年前に手伝った珊瑚が言い出しましてね。それまでは山に灰を埋めていただけだったのに。それ以来、よく海に撒いているんです。もちろん、依頼者に選んでもらいますが」
「千田から、珊瑚さんが死体を解体して、その上半身と下半身に挟まれて恍惚とした表情をしているビデオを見た、と言われた。それも、許可があったんですか?」
僕は、どうしても聞きたかった事をようやく聞いた。
「あぁ、3年前の事ですね。基本的に私は魂というものを信じていないのですが、生きている内に許可をとっておいた方がスッキリする性なので。『自分の死体の扱いに対して一切の制限を設けない』という契約書にサインを頂いています。その代わり『必ず速やかに焼却し、この世から消去すること』を約束していますが」
「死の契約、か」
「彼らにとっては解放、らしいですよ」
解放。死によってしか解放されない生き方がある、というのは残酷なものだ。それが良いか、悪いかは別として。
「私がこの事業を立ち上げたばかり、最初の依頼者がこう言っていました。鶏はいいよなぁ、殺してもらえて、その後美味しそうに食べて貰って、と。食用の鶏を羨むくらいですから、相当な過去があったのでしょうけれど。なんというか、おかしな話ですね」
「なぜ、消去者を?お金、か?」
「いえ。お金は頂いていませんけれど。足がつくのでボランティアです」
ボランティアという言葉は社会貢献事業に対して使われる言葉だと、僕は思うのだけれど。理由がお金ではないなら、他に何があるのだろうか。
「お金もなしになぜこんな事をしているのか、という顔ですね。他のボランティアと同じですよ。生きがいなんです。人の役に立っている、感謝してもらえる。それが嬉しいんですね」
花道蒼海は確かにそう言った。消去者は人の役に立っているのだと。僕は、それを、認めるのか。それでいいのだろうか。
「普段は、どんな仕事を?」
「私は投資家でもあるので」
色々と彼らの生活について聞きたい事があったが、それよりもまず聞く必要がある事を僕は思い出した。
「ビデオ。動画を撮っているだろう。それは何のために」
「動画、ですか。それを始めたのも珊瑚です」
花道珊瑚は、不思議なほど静かに窓の外を見つめていた。過ぎ去っていく景色を、遠くに浮かぶ雲を、それらを包み込む空を。僕はその姿に高校の同級生を重ねずにはいられなかった。
「どうして珊瑚さんは、動画を?」
僕は過去を振り切るように、声を出した。今はまだ。いや、もう、そこまで来ているのかもしれない。3年前と3年前。偶然でなく必然。忘れることもできず、ただ見ないようにそっと閉じ込めておいた過去に、僕は未だに囚われているのかもしれない。
「ちょっとね、残しておきたかったから。こんな人もいたんだよ、って。こんな風に死んだんだよって。そのありのままの姿を。さすがに映画みたいにドラマティックにする事はないけどね」
「でも珊瑚さんは死体で...。それに鼻歌を歌っていたって」
「そんな事まで聞いてたんだ。ま、確かに鼻歌を歌っていたけど。あれは鎮魂歌。音楽は心を癒すから」
「じゃ半分に切った死体に挟まれてたってのは?」
「遊んでた訳じゃないよ。抱きしめてあげたかったの。よく生きたねって。忘れないよって。先に半分に切ったのは、死んでしまった証のようなものを刻みつけておきたかったから。それでも死ぬってのは取り返しのつかない事なんだよって刻みつけなくちゃいけないと思ったから。その証なんだ」
「死体であることの烙印...か」
「うん。私が死を良いことだって思いたくなかったから、それだけは、ね」
「そんなことを考えながら、笑顔だったのは?」
「何だろ。死んだ人たちの代わりに笑ってたのかも。それはあんまり覚えてないや。無意識の反応ってやつかな?」
僕が想像していた花道珊瑚と、実際の花道珊瑚は全く違っていた。いや、彼女の優しさは最初から感じていた。どこか不思議な優しさの正体はこれだったのだろう。恍惚の笑顔に見えたのは、多分、慈愛の笑顔だ。僕なんかよりもずっと、愛を持って人と接している人だ。
「そう、か。いや、そうですか」
僕は少し気を緩めた。屈してはならないと、僕が敵だと勝手に決めつけていた相手に対して語気を強めてきたけれど、ここまで来て、その必要は多分ないんだなと思った。警戒はしつつも、敵意は持たなくていいんだと感じた。それでも少し、心に引っかかるものはあった。
「蒼海さん、どうして、僕に話をしてくれようと思ったんですか?」
「大した事はありません。私はあなたを心優しい方だと思ったからですよ」
「僕が、優しい?冗談でしょう?」
「いずれご自身で自覚される時が来ればいいですね」
もし、僕が優しいように見えたのだとしたら、きっと僕が嘘つきだからだ。僕はそう思った。
その通り。僕は嘘つき。
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「到着いたしました」
随分と長い間、車が走っていた気がした。空はすっかり真っ暗になっていた。ポツポツとついている灯りから考えるに、どこかの農村のような場所だった。施設はこじんまりとしていて、血の匂いがするどころか、清潔な印象だった。
「昔は、炭を作っていたようです。それを改造して煙が出ないように、燃やしても分からないようにしました」
「随分、静かですね」
「実はこの辺りは墓地が多いの。それで夜に近づく人はほとんどいないんだよね」
建物の中に響くのは僕達の声だけ。これほどの静けさを僕は体験した事がなかった。こんな静かな場所で、死んでいったのか。
「こちらが、依頼人が自殺する前に滞在する部屋になります」
そこは、箱庭のように幻想的だった。色彩豊かなガラス張りの部屋に植えられた低木、草花の生い茂る浜辺。海の代わりになっているのはおそらく灰色の砂だろうか。浜辺はとても色彩豊かなのに、海だけが灰色だ。多分、これを作ったのは。
「私が設計したの。綺麗でしょ」
「もしかして、千田には?」
「見せないよ。あんなやつに。案内したのもそもそも関係ない場所。でも上手くいったでしょ、私の計画。もうこんな事やらないってなったんじゃないかな?」
まさに、計画通りに千田はすっかり騙されて更生したような気もする。
「綺麗な、場所だ」
「ここに来た人もね、そう言うの。それでやっぱりもう少し生きますって帰る人も多いの。そういう時はちゃんと契約を守って貰うんだけどね」
「珊瑚、言い方が悪いよ。私たちのことは話しませんって契約書にサインして貰って、帰ってもらうだけさ」
僕は、消去者をただ消去するだけの仕事だと勘違いしていたようだ。そうでもないらしい。ただ、それでも、僕は彼らを、その仕事をどう考えているのだろうか。いや、僕は内心認めたがっていた。もういいじゃないかと。これは安楽死制度の代わりのようなものだと。
「隣の部屋が、消去部屋です。その部屋で、依頼人はこの世界から消去される。見るでしょう翠夜さん」
「はい」
その部屋の壁はコンクリート打ちっぱなし。その壁から金属製の棒が飛び出していた。
「ここで、人が死にます」
花道蒼海の声が、重く響いた。何人分の思いがこもっているのだろう。
花道蒼海はそのまま蛍光灯の明かりを消した。すると、上から優しい光が降り注いでいた。上を見上げると、天井に小さな空があった。
「空が、見えますね」
「見えれば、いいですね」
僕の目に映る小さな空は、とても綺麗だった。




