本を読むこと
ページを捲る度、そこには未知なる言葉が広がっている。それでも、何となくその意味がわかるのだから言語というのは実に不思議なものだ。
緑茶の入ったペットボトルの上部が内側から曇っているのを見ると、視覚的にストーブの暖かさが伝わってくる。
目の前には、ノートと分厚い辞書を広げ、左手には小説を、右手にはシャーペンを持つ。捲りは書き、書いては捲る。思考はすでに文章というものに満たされ、それらが身体に染み込み、そして私は安心を覚える。
この中に居れることで私は一層温かく、深く、清らかに自己と対峙している。
『美しいもの』を美しいと感じ、その感覚と向き合い、そこに新しい自分を発見するのだ。その度に内在する精神世界の深淵を見、また人間というものの光と闇を見た気分にもなる。
だが、それらは結局、私だけのものでしかない。そう、誰でもなく、私だけの。
だから、この部屋のドアを開け、そこから冷たい空気が入り込む時、今までの煌めきや憂い、そう言った私の心を動かし、揺さぶり、思考を巡らせていた事はどこかへ無抵抗に落下していく。
私がいくら、それらについてを他の人に熱烈に語ったとしても、それらが私に与える純粋的な価値は決して伝わることはない。
私にはそれが私自身の前にある、暗く、赤黒い、何かそこに立つと全てを無意味にしてしまうような大きな亀裂に思えてならない。その亀裂が憎く、とてもやるせない気持ちにさせるのだ。
しかし、同時に私はその亀裂に強く惹かれてもあるのだった。
その底を見つめても、そこには漠然とした黒が広がっているだけで、寂しくもあり、その寂しさが私を捕らえているのだ。その黒は何度見ても、どれだけ見つめても、『飽き』というものを私に感じさせることはない。
私はその亀裂の無限の闇に自分を見ているのだ。