五話
輝夜、妹紅、永琳の三人が死後の世界に旅立って数日後の出来事だった。
仕事がひと段落して休憩時間を取っていた映姫の眼前に突如として、空間に亀裂が入ったかのような奇妙な縦線が出現した。
奇妙な縦線は左右に分かれていき、無数の瞳が浮かぶ異空間の中から一人の女性が姿を現した。
女性は九本の尾と足元まで伸びた金の髪を揺らしながら、空間のスキマから一歩、二歩と足を踏み出した。
「そろそろ来る頃だと思っていましたよ。八雲藍」
「突然な上に不躾な訪問で申し訳ない。どうしても時間の都合が取れなかったものでな」
「構いません。貴方が善行に励んでいるのは良く知っております」
「そう言ってもらえると助かるよ」
寛大な映姫の言葉に、藍は柔らかい笑みを浮かべた。
「早速だが質問があるんだ」
「三人の蓬莱人について、でしょう?」
「流石…話が早いな。教えてくれ閻魔よ。不老不死から解き放たれた事によって、彼女達の魂は救われたのだろうか」
映姫は机に置いていた悔悟棒を片手で掴み、複雑な表情でそれに視線を向けたまま口を開いた。
「なにを持って救われたと見做すのかは個人の解釈です。確かに彼女達は、自然の摂理に背く己の大罪を償った。しかし、まだ全ての精算が完了したわけではありません。結論から言ってしまうと私は彼女達三人に地獄行きの判決を下した。彼女達は長きに渡る責め苦を受ける事でしょう」
とても淡々とした口調だった。映姫が己の中に絶対的な善悪の基準とプロ意識を持つが故の、冷静な事実確認の言葉だ。
「とはいえ、本来なら避けられなかったであろう魂の消滅は免れました。貴方の主人の尽力によってね」
今まで暗く険しかった藍の表情が一気に明るくなる。
「って事は!!紫様は間に合ったのですね!!」
「えぇ。まったく、大したものですよ。自ら地獄行きを志願しだしたから何を企んでいるのかと思えば、我々ですら持て余す悪人達の受け皿となる世界を地獄に創り出すのですからね。色々と面倒くさい部分も多い人物ですが、幻想郷という楽園を1から創造しただけはありますよ。本当に大したものです」
凄すぎて褒める言葉を探す事すら馬鹿らしいと言うかのように、短い溜め息を吐きながら映姫が笑った。
「えぇ!はい!!やはり紫様は最高の主人です!!」
子供のように藍がはしゃぐなど何千年以来だろうか。それほどまでに紫の功績は偉大なものだった。
「初めは懐疑的だった十王様達も徐々に彼女への賛意を示しています。なによりヘカーティア様が彼女を気に入っているのも大きな強みですしね。無論、公私混同は程々にしないといけませんが……まぁ、ここまでくれば特別区の存在が否定される事もないでしょう」
「そうですか……良かった……………本当に良かった」
感極まる余り、藍の瞳が僅かに潤んでいく。
「今の貴方の気持ちは理解しているつもりです。ですが、帰宅するまで涙は取っておいた方が賢明かも知れませんよ?仮に私がお喋りな性分だったらどうするつもりですか?紫の補佐に尽力を尽くす橙に貴方の現状を話した時に、彼女に笑われないとも限らない」
「っ!橙も頑張っているのですね!」
「はい。贔屓目の無い私の立場から見ても、彼女は既に立派な一人前と言えるでしょう」
「そうか……ハハハ…確かに、私だけ泣いてる場合じゃないな」
藍は僅かに滲んでいた涙を、人差し指の背で拭った。
「彼女達には長く苦しい罰が待ち受けている。しかし、刑期を終えれば天国へ昇る事も可能です。先程も言いましたが、なにをして救われるのかは本人の解釈次第。ですが、二人の尽力………いや…色々な者達の繋がりによって、叶う望みが無かった筈の妹紅の夢が叶う事になるのは間違いないでしょう」
天を仰ぐ映姫の視線の遥か先、遠い世界の果ての、明るく美しい空間の中で過ごす慧音の名を誰かが呼んだ。
「純狐か。何の用だ?」
「ヘカーティアが嬉しそうに言っていたわ。三人の蓬莱人が私の世界にやって来たって」
「そうか………しかし、地獄に落ちてしまうとはな……」
「落ち込む必要は無いわ。虚無のまま漂うよりかは遥かにマシ。程度の差異はあれど、どんな世界にも救いはあるしね」
「純狐が言うと説得力があるな」
「それともうひとつ。ヘカーティアを通して妹紅から伝言を預かっている」
「なに?妹紅から?」
「そのうち会いに行くから気長に待っててくれ。と、言っていたらしい」
「あぁ…そうか……分かったよ。教えてくれてありがとう。使うようで悪いが、次にまたヘカーティアにあった時に妹紅への伝言を頼んどいてくれないか。何時迄も待っているってな」
「近い内に必ず伝えるわ」