9. ヒナ鳥の末路
黙ったまま借用書に視線を落とすリアを、高利貸しは余裕たっぷりの態度で待つ。
借用書はもちろん偽造であるが、男にとっては手馴れたものであった。
「……これはまた、すごい値段ね」
「これだけの大金すぐに用意しろだなんて無茶はいいませんよ。すこしづつ働きながら返していただければいいのですよ」
高利貸しはあくまでも下手を装い、姉妹を心配するふりを続ける。
ここが仕掛け時だと、高利貸しは話を切り出すことにした。
「もしも、よかったら私めがお二人を援助しましょう。住み込みで働けるいい場所を知っているのですよ」
降って沸いた話に姉は眉をひそめる。
少女の様子を見ながら高利貸しの演技は続く。
―――蛇はかまくびを持ち上げてヒナを飲み込もうと口を開いた。
「いきなり今日会った人間にこんなことをいわれるのは怪しいでしょう。ごもっともです。いやあ、お嬢さんはしっかりしていらっしゃる。そんなあなたちだからこそ、先方に紹介したいと思ったわけですよ」
「親切でいってもらって悪いけれど、ちょっと急な話ですぐには決められないわ」
高利貸しは姉の返事をききながら、内心で苛立ちを感じていた。
しょせん世間知らずのお嬢様。すこしいい顔をしてうまい話を持っていけば、すぐに食いつくだろうと画策していた。
しかし、そんな内心をおくびにだすことなく、長年つちかった笑顔の仮面をかぶり続ける。
―――もがくヒナの儚い抵抗を蛇は嘲笑う
「管理人さん、やっぱり、ひとつだけでいいので持っていっちゃだめですか?」
「シア、新しく住む場所にそんなもの置けるわけないでしょう。だめよ、あきらめなさい」
リアの首を縦に振らせる方法を考えている最中に、能天気な妹の声に高利貸しは頭痛を感じた。
「いいですか、お嬢さん。ねだれば叶えてもらえると思っているのは大間違いですよ。貴族だったころはそれで通ったかもしれませんが、いまから大変なのですからお姉さんを見習いなさい」
「わかりました……。わがままいってすいません」
すこしきつめなものいいにシアはしゅんとうなだれ、ようやく静かになったと高利貸しがほっとしたときだった。
「ねえ、あなた、どうしてあたしたちが元貴族だって知っているの?」
「そ、それは、あの男から聞いていましたので。元貴族の奴隷を二人購入したと」
リアからの指摘に高利貸しの口元がひきつる。一方で、リアのほうは余裕の笑みをうかべていた。
「それにこの借用書はおかしい」
「な、なにか不備がございましたか?」
男は内心で焦りを感じていた。
普段であれば偽造した証書に不備がないか、最後にセバスに確認をとってもらっていた。
しかし、男の処理をセバスにまかせて屋敷へと急いだせいで、最終確認を怠っていた。
間違いなどない。どうせ大したことではないと、高利貸しは自分に言い聞かせた。
「どこにも利息に関する条項がないのよ。これだけの大金だったら利息だけでそれなりのお金になるはずでしょう」
「……それは、私からの心配りですよ。元金だけ返していただければ結構です」
「ふん、それなら役所までいって確認をとってきましょう。この証書が本物かってことをね」
「……わかりました。では、その借用書は私が預かりましょう」
高利貸しが手を差し出すが、リアはまったく返す気はない様子で男から借用書を遠ざける。
「返していただけませんか?」
「いやよ」
冷たく言い放ったリアの言葉に、とうとう高利貸しのこめかみに青筋が浮き出た。
高利貸しの口からくぐもったうめき声がもれだし、そして笑顔の仮面をかなぐり捨てた。
「ガキが! いい気になりやがって、てめえらは罪人の娘なんだから、だまって言うこときいて償えばいいんだよ!」
急に襲い掛かってきた高利貸しの男に対応できずに、リアは目を見開いて固まる。
本来であれば、こういった荒事は黒服にまかせていた。しかし、小娘二人などどうにでもなると高利貸しは高をくくっていた。
―――がばと開いた蛇の口がヒナ鳥の小さな体を飲み込もうとする。赤黒い口内を見つめながら、無力なヒナは……
即座に反応したシアは二人の間に割って入った。つかみかかろうとする高利貸しの手をするりとくぐりぬけ懐にもぐりこむ。
鍛えられた脚力と上半身の力を一気に解放し、シアの全体重が男の腹にぶつけられた。
「ぐぶぇっ!」
つぶれたカエルのような声を出しながら息を吐き出し、高利貸しの男は床に倒れこんだ。
―――そこには、蛇の体をふみつけ完全勝利したヒナの姿があった。
高利貸しは転倒した痛みでうめきながら、自分の体がひきずられていくのを感じていた。
「……なにをするつもりだ……こんなことをしてタダで済むと思っているのか」
「悪いことを考えるのは体に余分なものがたまっているからだって、ご主人様がおっしゃっていました。体をうごかせば汗と一緒に流れ出ていくはずです!」
シアの手によって、高利貸しの体は拷問器具に固定されていく。
高利貸しが顔をひきつらせていると、シアが無垢な笑顔で告げる。
「さあ、健康な汗を流す時間ですよ!」
「ひぃ、や、やめろ……」
高利貸しの悲鳴とシアの楽しげな声を聞きながら、リアは一人離れた位置で借用書を静かに眺めていた。
リアの視線の先には、債務者の名前があった。
『アルバート・サイサリス』
それはかつて屋敷にいた使用人の名前であり、同時にリアの父が冤罪を着せた相手の名前。
男の正体を知ったリアは、寂しさと悔しさがないまぜになった複雑な表情を浮かべる。
ため息をつき借用書を懐にしまうと、リアは息も絶え絶えの高利貸しに近づく。
「シア、そいつにいろいろ聞きたいことができたから、手伝ってくれる?」
「わかりました! まかせてください!」
リアは知ってしまった男の名前を自分の胸の内にしまい、そして男と再会したとき子爵の娘であった自分がとるべき行動を決めた。