勇者はこれから……
「あー! ダメだダメだ!」
思い切り首を振り、落ち込む思考を中断し顔を上げた。
このままでは思考の海から戻って来られなくなりそうだったからだ。
ふと、視線を感じて隣を見ると、いつの間にか戻って来ていた少女が椅子に座り、じっと僕の方を見つめていた。
この子の瞳……きれいで深くて、吸い込まれてしまいそうだ……。
自分から視線を反らす事もできず、ぼくは彼女に話しかけてみることにする。
「き、君の名前は何て言うの?」
そう尋ねると彼女はフードを外す。
蒼穹のように壮大な雰囲気を想わせる、美しく青い髪が揺れて露わになった。
水晶より澄んだ瑠璃色の瞳が、髪色をより一層引き立てている。
まるで宝石だ……。
「……カータ……カータ・バレンシア……」
セラのときと同じように目を奪われた僕に、彼女――カータちゃんは自らの名前を教えてくれた。
「……バレンシア? さっきのセラって子は、お姉ちゃんじゃないの?」
確か、セラの名字はミアーレだったよね……?
結婚して姓が変わった……というわけでもないだろうし……。
僕の質問に彼女は驚いたように目を見開く。
この子こういう表情もするのか……。
間違いなく僕が見た中で初めての感情の発露であろう。
こんな表情をすると言うことは、この話題には触れないほうが良かったのかな。
「ごめん、さっき君が起きた時に、お姉ちゃんを呼ぶって言ってたから、てっきり……」
軽率な発言を悔いている僕に彼女は告げる。
「……セラは、幼馴染、お姉ちゃんじゃない……。……寝惚けていただけ……」
彼女は俯いて僕の視線から目を反らす。
ああ、なるほどね、目上の女性をお母さんと言ってしまう現象に近いモノかな。
確かにあの気恥ずかしさは半端なモノではない。
「……そんな事より、あなたの、名前は……?」
顔を上げた彼女の表情は既に無感情で、何事もなかったかのように、僕の名前を独特な口調で尋ねてくる。
あまり、人の失敗を掘り下げても面白くないし、ここはカータちゃんの気持ちを汲んで話題の転換に乗っておこう。
「僕の名前は――」
ん? そういえば僕の名前って言っても大丈夫かな?
さっきセラが知っていたように、勇者の情報は民衆にも広く知られているし、僕の名前が勇者の一人と同じだと不信に思われるかも知れない。
どうするべきかな……。
「……もしかして、覚えてない……?」
カータちゃんが心配そうに僕を見上げる。
僕が答えに窮しているので、そう思ったようだ。
とりあえず今は彼女の言う通りにしておこうかな。
「そ、そうなんだよ、少し記憶が混乱してるみたい……」
僕がそう言うと、カータちゃんは虚空を見上げ、何事かを思案する。
しばらくして、結論が出たのか、僕を真っ直ぐに見つめて提案してくる。
「……なら、私が、付けていい……?」
そう言って彼女は小鳥のように小首を傾げる。
なんだこの可愛い生物は……。
「お願いしようかな」
僕が本心を隠しながら許可を出すと、彼女は答えを用意していたのか、すぐに一つの名を口にした。
「……レナ、で良い……?」
別に名前にこだわりがある訳ではない。
短くて覚えやすいし、せっかくつけてもらったモノを拒否する理由もないかな。
「ありがとう、良い名前だね」
お礼を言うと、今まで無表情だったカータちゃんが花の咲いたような笑顔を見せてくれた。
無表情でも可愛いのに、笑うと更に可愛いなんて……男だったらほっとかないけどなあ。
僕は心の中でため息を吐く。
元々、女の子に免疫がない僕に、話しかける勇気なんてないことに気付いたとか、男でないことを思い出した。とか色々な要因があるが、とりあえず僕は悲しい気持ちになったのだ。
「……レナ、聞いても良い……?」
彼女の可愛さに、思考が錯綜していた僕に、カータちゃんが問いかけてくる。
「うん、何かな? カータちゃん」
「……カータで、いい……」
彼女が首を振る仕草を見て、言葉で表すならきっと「ふるふる」だろうな、と意味のないことを考えた。
「分かったよ。何かな? カータ」
「……レナは、この町の近くで、何をしていたの……?」
「……旅の途中だったんだ。一人で頑張ってきたけど、強い奴と出くわしちゃってね。殺されかけたんだけど、その後のことは分からないんだ……」
そのまま説明するわけにもいかないので、少し真実をぼかす。
「……覚えてないのは、名前だけ……?」
しまった、記憶が曖昧ということになっているんだった!
「いや……覚えていることと、ないことがあるから……」
「……そう、なんだ……」
苦しい言い訳だが、彼女は納得してくれたようだ。
このままだと、また墓穴を掘りそうだし、話題を変えるとしよう。
「……そういえば、カータは髪に聖女相が出てるけど、もしかして治癒師なのかな?」
「……うん、私の青い髪は、聖女の相……」
相というのは天職相とも呼ばれ、魔法や剣術等の適性が高い者に現れる身体的特徴のことだ。
特に髪の色に現れる事が多く、青は回復魔法、赤は剣術等色々な法則がある。
まあ、髪が青いからといって、必ずしも聖女相である……というわけではない。
水魔法の適性、水精霊との親和性、水泳の才能、単なる遺伝。と、様々な要因が考えられるのだ。
また、才能のレベルによって色が変化し、一部分だけだったり薄かったりと、相と言っても全て同じではないのだ。
それにしても、僕もいろんな人の髪を見てきたが、頭髪全体に現れるこんなに鮮やかな青い髪は見たことがないかも知れない。
「……聖女系の、低位術全般と、中位術までくらいなら、少しは使える……」
治癒師の中位術と言えば大抵の毒を解毒し、怪我も時間をかければ骨折ぐらいなら治せるはずだ。
「そっか……凄いね、まだ若いのに」
いくら才能があろうが中位術まで使える者もそうはいない。聞いた話では確か千人に一人くらいの割合だったはずだ。
「あの子、セラは魔術師かな?」
「……うん、セラは魔術師……。……攻撃魔法が得意で、特に、炎をよく使う……。……私と同じで、低位術全般と、中位術を、少し使える、でも……」
カータが首を捻り不思議そうな顔で僕を見る。
「……なんで、分かるの……?」
「それはね……見た感じセラに魔導相はなかったけど、適性がなくてもできることといえば、自分の肉体を鍛えるか魔導を志すしかない。セラの体はあまり鍛えているようには見えなかったから、多分そうだろと思ったんだ」
魔法だって、多少は才能が影響するが、治癒術と異なり魔法は誰にでも習得可能だ。それでも中位術まで扱えるセラの努力と才能は、素晴らしいモノだと言える。
「……なるほど、確かに、セラは、ブヨブヨしてる……」
「ブヨブヨって……そういう意味じゃ――」
僕がカータの発言を否定しようとした瞬間、ドアがけたたましい音を鳴らす。
何だろう……誰かが暴れてるのかな?
「何か騒がしいね?」
「……気にしないで、いつものこと……」
注意しようかとも思ったが、僕がこの部屋を借りているわけでもないし、すぐに音は止んだので放っておくことにする。
「……さっきセラは僕に仲間になれって言ってたけど、二人なら他に仲間になってくれそうな人達がいると思うけど?」
この辺りにはそれ程強い魔物もいないので、彼女達の実力なら問題なく戦えるだろうし、可愛くて、才能溢れる彼女達を、仲間にしたいと思う人間は少なくないだろう。
「……セラは、男嫌い……。……でも、冒険者は、男が多い……。……だから、仲間が、集まらない……」
「そ、そうなんだ……」
カータの言葉を受けて納得したのと同時に、僕に一つだけ心配事ができた。
今の僕がおかれた状況は〈女のフリをして美少女二人のいるパーティに近付いた男〉だ。
言葉で表すと犯罪臭がヤバい。
もし、僕が男だとバレてしまったら……セラに何をされるか分かったモノではない。
「どのくらい男嫌い……なの?」
とりあえずこれだけは訊いておかないとね……。
男嫌いと言っても度合いはある……セラがどの程度なのかは知っておこう。
もしかしたら謝れば許してくれるかも知れないし。
「……少し前に、仲間になろうと言って、近付いて、セクハラしてきた男に、自分の使える中で、最強の魔法を、何のためらいもなく、打ち込んでた……」
怖い! 怖すぎるよ!
炎が僕の体を焼き尽くす想像をして身震いする。
男の自業自得だとは思うがセラの男嫌いは本物だ。楽観視はできない。
絶対にバレないようにしないと……。
「そっか、だから僕に頼んだってことか……」
前衛で戦える女性を彼女達は欲しているのだ。
正直後衛のみのパーティなどバランスが悪すぎる。
「……うん、私からも、お願いする……。……仲間になって、レナ……」
上目づかいの彼女のまなざしは、どんな願い事でも聞いてあげたくなる程に可愛い。
なんでかな……カータの提案を退けるという選択肢が湧いてこないや……。
まるで一緒にいるのが当然であるかのような……そんな気がするんだ。
まあ、元々勇者の力も失ってしまって途方に暮れていたんだ。
他にアテもないし、助けてもらった恩もある……断る理由は無いか。
「……良いよ。僕で良ければ、二人の仲間になるよ」
それに、勇者じゃない僕が必要とされるのは素直に嬉しかったんだ。
今までそんなことは一度たりともなかったのだから。
読んで下さり、ありがとうございます。
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