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児童文学

返品しろくま

作者: 空見タイガ

 担当者はしろくまの毛につよく息を吹きかけて、あっと驚いてみせました。

「この黒いキズはなんだね」

「むかしからのものなんです。でも支障はないと思います」

「支障はないんだって、なんでキミが分かるんだね」

 ねっとりとした視線に、しろくまはぎゅっと目をつむりました。その間にも、担当者はぐるぐるとしろくまの隅々を見やって、時には足をつかんで裏までじっくりとなぞります。

 机上の氷時計が溶けて、床に水音を響かせたとき、検分はようやく終わりました。担当者は無言でしろくまから離れて、背中で隠すように紙に検査結果を書きつけています。不安でいっぱいのしろくまが、こっそりと担当者の方に近づけば、影に気付いた担当者が勢いよく振り向いて、怒鳴りました。

「他人の評価を気にするな!」

「でも、これは僕の生活にかかわることでして……」

 担当者はぷいと検査用紙に向き直り、書きたてほやほやの「ごうかく」の下に「すこしのキズ、きがよわい」と続けました。


 大きくてずっしりとしたしろくまに任せられたのは、りんご運びでした。木箱につめられたりんごを檻の中にいる人間たちのところにまで持っていく仕事です。

 道のりについて説明を受けたしろくまは、さっそくりんごを運ぼうと、すでに用意された木箱を持ち上げようとしました。ところが、その木箱の重いこと。指導者がじっと自分の背を見ていることに恥ずかしくなったしろくまはあたふたと力をでたらめに加えて、木箱をひっくりかえしてしまいました。

「こんなこともできないのか、おまえは!」

 指導者はしろくまをどんと押しのけて、床に散らばったりんごのうち一個を拾い上げて、うらめしそうにしろくまを見ました。

「りんごは有限だ。おまえがへたくそなせいで、他のだれかが汚れたりんごを口に運ばねばならなくなるのだ」

 指導者の剣幕に、しろくまは落ちた衝撃でくずれてしまったりんごたちから目を離すことができませんでした。

「申し訳ありません」


 それからというもの、しろくまはりんご運びを何度も失敗してしまいました。木箱をつかもうとすると、どうしても担当者に怒られたこと、その後で汚れたりんごを拾って人間に配ったことを思い出し、手が震えてしまうのです。しろくまが失敗するたびに、指導者は怒り狂いました。

「おまえはりんご運びがしたくて、やってきたんじゃないのか」

 しろくまは返事ができないぐらいに、硬直してしまいました。

 最初はそれなりに迎えてくれた仲間たちも、指導者がしろくまに対して怒っているのを見続けてからというもの、そっけない態度をとりはじめました。

「あんなにからだが大きいのに、できないなんて」

「力仕事が得意だって担当者は聞いたそうだが」

「自分からすすんでやりたいとも言っていた」

「最初は意欲があるふりをして、まんまと人間の輪に入りこんだと思うと、本性をあらわして怠けぐまになる。よくあることだよ」

 主語のない言葉に、しろくまは立ち上がることができませんでした。仲間たちの話はやがて逸れてゆきましたが、しろくまの頭には耳から入った呪いがこびりついてはとれません。仲間たちが自分とはまったく関係のない話題で笑っているにもかかわらず、しろくまは身を守るようにして縮こまってしまうのでした。

 りんご運びはしろくまには少し重たい仕事だった。そのような判断をくだした指導者は新たな仕事をしろくまに与えました。それはりんごにきずがないかどうかを確かめ、よいりんごだけを木箱に入れる仕事でした。

 しろくまは固くて冷たい椅子に座って、りんごをひたすらに選別し続けました。非常に集中力を要するその作業は、延々と続けられるうちに誤りが目立ち、やはり指導者に怒られることになりました。

「目が痛いんです。それに休みなくずっと座っていて、すごく疲れるんです」

 か細い声でそう伝えたしろくまに、指導者はぎらぎらとした目で言いました。

「他のみんなは、おまえよりはるかに疲れている。自分の仕事に加えて、りんご運びもできないおまえの尻拭いをするために頑張っているんだ。それだというのにおまえは、なんでこんなこともできないのか……本当におまえは純正なんだろうな?」

 居場所のないしろくまは、じりじりと焼ける暑さの中でぽつんと草原に座り込み、魚をごくっと丸のみしながら考えました――僕はりんご運びをしたかったらしい。そのためにここにやってきたんだ。指導者がそういっていた。でも、本当にそうだったんだろうか。だって僕はそこまで落ち込んでいない。苦しいという気持ちはある。ふがいなさを感じる。だけどりんご運びをできなかったということが堪えているわけじゃない。みんなの期待に応えられなかったことが……役に立ちたかったんだ。りんご運びをするために、ここにきたんじゃない。みんなのために何かをしたいという思いで、きたんだ。だったらどんなことでも、もうすこし頑張れるはずだ――しろくまは立ち上がり、まぶしそうに太陽の方を見ました。


 決意を新たにして、しろくまは一生懸命にりんごの検品を行いました。それはもう、一瞬のすきもないぐらいに一個のりんごを調べ上げて、きれいなりんごだけを木箱にそっとつめてゆきます。指導者に怒られることは少なくなり、最初はていねいすぎて遅かった作業も、だんだんと早くこなせるようになりました。そうしている内にみんなの目が変わったことに気付いたしろくまは、その変化をかみしめるようにそっと喜んでいました。


 ……。

 

 担当者の苦悶を見つけて、指導者は大きなため息をつきました。

「辛いのはこっちのほうだよ。あんなのをよこしやがって」

「最近はうまくいっていたと聞いたんだが」

 つらそうな担当者の言葉に、指導者は目を逸らしました。

「でも一か所、腐っていたんだ。それはなによりも致命的なことだったんだ」

 かつて検査報告書に書いた文字をなぞりながら、担当者はふかく頷きました。

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