56話 There’s no time like the present/今しかない
休みは有効活用しなければ。
片膝をついて、右腕を襲ってきた激痛に耐える。
さすがに、死んだかと思ったが、どうやら生きながらえたらしい。
「つぁっ……」
とはいえ、状況は最悪だ。煙が晴れた先にいたのは、ゼロドライヴによって消し飛んだであろう斧──今となってはただの棒だ──を持つ悪魔。少々のダメージを負っているようだが、ほぼ無傷である。
対するぼくは満身創痍。ステータス画面をチェックすると、右腕が真っ黒の状態。『欠損ダメージ』だ。通常の『切断ダメージ』はダメージが一定時間持続する仕組みで、傷薬と回復薬を併用して治療する。けれど、欠損ダメージは、持続ダメージが無いかわりに、通常の回復薬では回復せず、回復魔法【ライヴズ】をかけてもらう必要がある。
『欠損ダメージ』は、簡単だ。対象の部位が使えない。ただそれだけだ。魔法も使えず、物理攻撃もできないのだ。これで戦闘が終わりならまだしも、眼前に敵がいる状態では、絶望の具現そのものである。
『ゴガァァァァッ!』
自慢の斧を破壊されたことに激昂したのか、悪魔はその巌のような腕を振り下ろそうとする。
あー、こりゃ死んだな。
走馬灯、とでも呼ぶべきだろうか。本来はすごい速度で振り下ろされているであろう腕が、妙にスローに見えた。体は鉛のように重い。あー、こりゃ魔力も残ってねぇなぁ……。
「グリップ!」
リコネッタの声。ぼくの背中をぐっ、と何かが掴むと、一気に後ろに引き寄せられた。
振り下ろされた風圧だけでもすさまじいものがある。これはいけない。なんとかして姫様を逃がさないといけない。──ぼくとリコネッタ、いや、護衛を残さないわけにはいかない。ぼくだけだな。
「何諦めてんの!」
いつに無く真剣なリコネッタ。頼もしいけれど、ぼくを引きずった状態では、移動だって遅くなるだろう。
「ぼくが足止めするから、リコネッタと皇女殿下は──」
「させるわけないでしょ!」「お断りします!」
いや、どう考えたって、皇女を逃がすのが第一優先なんだから、ぼくが足止めするのが普通じゃないの!?
「合理的に見りゃそうかもしれないけどさ! 残されたリコネッタちゃんと姫様の気持ちはどーなるわけ!?」
「クリアミラの言うとおりですね。すぐに自分を犠牲にしようとする。困った男の子です。うんうん」
「じゃあどうするってんだ! このままじゃ3人ともくたばるよ!」
少なくともコイツが空を飛ぶタイプであることは間違いない。背中に黒い翼が生えてるし。ぼくは光の翼を発動できないし。逃げるにしても無理なんじゃ……あ、だから残るつもりなのか? 逃げても追いつかれるから。
「逃げるに決まってるっての! 空飛びそうなら、飛べなくすりゃいーの!」
なぜわかった!?
「顔に出てますよ、スヴェン」
ぬぐぐ……。
「悪いんだけど姫様、グリップ持っといてください アタシはこれを──」
ぼくの背中にくっついた『グリップ』をルクレーシャ皇女に引渡し、リコネッタは円筒状の棒を腰のベルトから引き抜く。……見覚えがあるような無いような。よく、ゲームとかで出てくる……。
「閃光弾!」
怪物が仰け反る。その隙にリコネッタが叫んだ。
「姫様、引っ張って!」
「はいっ!」
うおおおおっ!?
「ぐえっ!」
ぼくの背中を掴んでいた『グリップ』が縮む。その勢いは止まらず、ズドン、とぼくは馬車に激突したのだ。痛い。ちらっと背中をみると、なにやら握りこむタイプの取っ手を持った白い手がぼくの背中を掴んでいる。その先にはトリガー付の持ち手に指をかける皇女の姿。
「大丈夫ですか?」
馬車の窓から顔を見せる皇女は、心配半分、笑い半分、そんな感じの表情だった。いや、HPに問題はないんですが、もちろん背中打ってますから痛いですよ。
「な、なんとか……!」
リコネッタは我々の少し前方に陣取り、鎖でできた網のようなものを投げつけていた。
「鎖蜘蛛の投網よ! しばらくそこでじっとしているがいいわ!」
ぎちぎちに固められた鎖に絡まった悪魔は、ジタバタともがいている。本来なら攻撃のチャンスだろうが、あいにくとそんな余裕はないようだ。
「逃げるよ、Mr.自己犠牲!」
あれ、あだ名が変わった。
「近衛! スヴェンを運びなさい!」
皇女殿下の声に、悪魔とぼくの戦闘からはなれて、雑魚を掃討していたNPCの近衛へいたちが寄ってくる。ぼくを担いで無造作に馬の後ろに乗せた。もちろん、そんなことしたら衝撃がもろに腹に来るわけで。
「ぐえっ」というつぶれた蛙のような声を出すハメになった。もう少し丁寧に扱ってほしいものだ。まったく。
「さぁ、逃げましょう!」
馬車ごと反転、一端撤退をはかる。当たり前だ。あんな化け物を相手にするには戦力が足りない。具体的に言うとライディーン。
皇女殿下が誰かと通信している。話は聞き取れないが、丁寧な口調の中にも焦りがみてとれる。……そりゃそうだよな。うちの最高戦力来てくれないとやばいよやばいよ。
ふー。ああ言われたけどさ。皇女殿下を悲しませたくないけどさ。わかってるよ。皇女殿下優しいから。NPCについても思わず考えちゃうような人だもの。はー、本当に、もう。悲しませたくないよ。でもさ。しょうがないよね。
ニコ謹製のポーションとMPポーションを飲み干す。……よし、右手が使えないのは痛いけど、何とか回復するスキはあった。付け焼刃でもなんとか足止めはできる。攻撃さえ喰らわなければ。
「よっしゃいくか」
『スヴェン殿、何を……! まさか……!』
NPCがさすがに気づく。だけど、遅い。光の翼を発動。乗せられていた馬から飛び立とうとした──。
「がふっ」
ところがどっこい。できなかった。
飛び立とうとしたその瞬間に、紫電がぼくの頭を押さえたのだ。眩しすぎる電光がやむと、そこに立っていたのは、紫色の髪の美丈夫。
「ラートさん……!?」
「無理をしすぎだ。スヴェン君。君が皇女殿下を大切に思っていることはよくわかる。君らしからぬ大声だったしな。それでも、女性の涙には変えられない」
一体全体どこから見てたんですか。
「ちょっと雑魚の掃除に手間取ってしまってね。上空で戦闘していたら君と皇女殿下とリコネッタ嬢の言い争いが聞こえてきたわけだ」
うっわ恥ずかしい。二重の意味で恥ずかしい。『大切に思っている』ということを知られてしまったということと、大声を聞かれていたということが。ああ、顔が熱い。
ちらり、と皇女殿下を見てみると、あれれ、なんだかほんのり赤いようだ。白磁のような肌だから、よくわかる。やっべ。
「憎からず、といったところか」
ボソリ、とラート氏が呟いた言葉を、ぼくは聞き取れなかった。
「何ですって?」
「気にするな」
ダメだ、これは応えてくれそうにないぞ。僕の質問をしれっとスルーしたラート氏は、視線を睨み付ける悪魔へとゆっくりと動かした。
「これはこれは、爵位持ちがお出ましか……」
ぼく達にはわからなかったステータスが、ラート氏にはわかったようで、獰猛な笑みを浮かべながら、両手を構えている。日は水平線上に姿を落とし始めていて、そろそろ夜が来ようとしている。一端、エリアが切り替わるだろうから、それまでに少しでも敵の戦力を減らさなければならず、ここで敵の幹部級を落とせれば、次の第2段階がすごく楽になるぞ。まったくの他人任せで、しょうがないけれど、ラート氏のレベルもなんだか上がっているみたいだし、任せておいて良さそうだ。
「スヴェン君に錬金アイテムの戻し薬を使ってやれ。いくらなんでも欠損ダメージをずっと放っておくのはかわいそうだろう?」
「リコネッタちゃん印の薬を与えればいいのね? わかったわ!」
ぼくはペットじゃないぞ。
「ああ、後もう少し部隊ごと後退させてください。今の距離だと戦闘に巻き込んでしまいます。皇女殿下、申し訳ございませんが、よろしくお願いします」
「え? わかりました。全員撤退! 特にそこの妖精は逃げないように捕まえといて!」
いや、ちょっ、待って……!
「りょーかい☆ そのまま飛んでてね。引っ張るよ」
リコネッタが身をひるがえして馬に乗り、そのまま『グリップ』でぼくを引っ張った。光の翼を低強度で発動して、浮いている程度の力に調整する。
「そ、そ。そんな感じでもうちょっと我慢してね」
ぼく達が離れていくのを待っていたのか、空気を呼んだのか。安全な距離まで離れたあと、あの悪魔を中心に、円を描くように爆炎が巻きあがった。遠眼鏡を使わなくともわかる距離だけれど、リコネッタが相手に投げつけた錬金アイテム、『鎖蜘蛛の投網』は粉々に吹き飛ばされたようだった。
「あんだけの大爆発起こすのってどう考えても火属性の爵位持ちじゃない。あんなガチガチの武闘派相手にしたくなかったってのよ!」
「そんなことより、そろそろぼくを下ろしてくれないかな」
「嫌よ。Mr.自己犠牲なんだから」
はいはい、すいません。
『ゴガァァァァァアッ』
悪魔が薙ぎ払う豪腕、その下を軽やかにくぐり抜けて、攻撃をかわすラート氏。とりあえず、あの様子だと、不慮の事態が起きても、対応できるだろう。彼の実力はすさまじいのだから。
「ここは通さん。──お前の心臓、貰い受ける!」
ここまでお読みいただきありがとうございました。次回の投稿は未定です。ゆっくりと57話をお待ちくださいませ。
それでは、次回でお目にかかりましょう。




