5話 I will prepare and some day my chance will come/準備をしておくべきだ、チャンスはいつか訪れるだろう
今回の題名はエイブラハム・リンカーンの言葉より。問題があるようならば、ご一報お願いします。
翌日。朝食を食べたあと、VRギアと財布を持って向かいの尊人の家へ。現在時刻は9時ちょうどだからあいつでも起きているだろう。LOLをやりすぎて徹夜していなければという話になってしまうけれど。
彼の家はぼくのそれとは違って二階建ての極普通の一軒家である。母が株に成功してその資金を元手に大きく建て替えた家とは異なり、実に庶民的だ。ぼくの母も父も別にお坊ちゃまだったとかお嬢様だったとかではない。ただ母は幼いころから大きい家に住みたかったそうである。閑話休題。
家の呼び鈴を鳴らす。「はーい」という女性の声にぼくは「義孝です」とこたえて、扉が開くのを待つ。さっきの声は妹さんではなく、尊人のお母さんだろう。
「あらあら、義孝ちゃん!」
エプロン姿で出てきた尊人のお母さんに挨拶をして、家に上がる。この人も不思議と10年前位から姿が変わっていないような気がする。美人のままだ。尊人の整った顔立ちはこの人からの遺伝だろう。
「尊人なら部屋にいるわよ。起こしに着てくれるなんてまるで通い妻みたいね」
ニコニコとしながらいわれたその言葉にぼくは凍りついた。ついでにリビングのドアを開けて出てきていた女の子──尊人の妹さんである晴那ちゃんも凍りついた。その状態でいったいどれくらいの時間がたっただろう。ドタドタドタッという階段をあわてて駆け下りる音がして、凍りついた廊下に尊人が転がり込んできた。
「……なんだこの空気」
呆然としているぼくと晴那ちゃんをじろじろと見回して、次に相変わらずニコニコとしている自分の母を尊人は見た。
「お袋、今度こいつに何言った?」
「通い妻みたいじゃない? 義孝ちゃん」
「違うだろ」
尊人が真顔でツッコミを入れるなどぼくが見たのは初めてかもしれない。尊人がこの空間に登場したことでやっとぼくは再起動をはたした。
「ぼく男です。もう一度言いましょう、ぼく男です!」
ぼくに続いて晴那ちゃんも再起動を果たす。真っ赤な顔で母親にまくし立てていた。
「そうですよ! なんで義孝君がそんなことになっているんですか!」
3人からの抗議であったけれど、尊人のお母さんは気に止めた風も見せず、尊人をリビングへ誘った。晴那ちゃんはこれから学校の特別カリキュラムを受けに行くそうで、中学校の制服姿であった。ぼくらの3つ下の女の子だけれど、兄貴である尊人とはまったく煮ていない礼儀正しい勉強ができる女の子だ。黒縁のメガネが理知的な印象をさらに高めている。リボンタイをかっちりと閉めているところに委員長らしさがにじみ出ている。
「……もう! 行ってきます」
三者三様に見送ってリビングへ入る。お母さんに「義孝ちゃんも食べていく? 昨日の残りのカレーだけれど──」といわれ、ぼくは食いぎみに「食べます」と答えていた。カレーなのだから食べないという選択肢はない。存在しないのだ。
「……お袋。ヨシにカレーを食べないという選択肢はないよ」
あきれたように額に手を置いてため息をつきながら尊人はそう言った。寝起きのパジャマ姿でそんなことをいわれても全く説得力はない。皆無である。
「昔から義孝ちゃんカレー大好きだものね」
お母さん、なぜそんなに生暖かい目をするんですか?尊人とともにそんな目で見られるとさすがにぼくも立つ瀬がなくなるのだけれども。
尊人とともにカレーを食べて、2階の彼の部屋へ上がる。そこで財布からソフト代を返し、VRギアを頭部に装着して楽な姿勢──VRベットに寝転がる──を取る。ぼくの場合は自分の部屋の自分のベッドなのだけど、彼の場合はバイト代を全額使用したVR専用のベッドを2台。なぜかぼくの分コミコミで購入しているのである。このおかげで一緒にゲームをしようという彼の誘いをぼくは断りづらくなっている。……なるほど、これが孔明の罠か。
「で、昨日はどこまでやったんだ?」
VRギアをつけても起動ボタンを押さなければ起動しないから、二人そろってVRベッドに寝転がって簡単な状況報告を済ます。彼曰く、「俺は深夜までやってたんだけど、お前ログアウトしていたから仕方なく、な」だそうだ。ログアウトしている状態だと、フレンド通信を行おうとすると『ログアウトしています。メッセージを送ることができません』という専用のメッセージが返って来るらしく、悪いことをしたと思ったけど、彼にはいつも振り回されているからまあいいか。
「ワック草原で薬草採集。あとドロップ集めかな」
「ってことは、ワックラビットとかそのへんか?」
彼は既に相当数先の町へ行っているようだ。あのレストランの女性が「最初の町になんでいる」というような言葉を言っていたのが何よりの証拠である。それなのにすぐモンスターの情報が出てくるあたりさすがというべきかゲーマーの面目躍如というべきか。
「うん。捕獲したから」
捕獲という言葉に少々驚いたようだけれど、「無属性魔法の最初は確か妨害系だろ、それを何とかすれば……」などとぶつぶつ自分の世界へ入り込んでいた。まったく、ぼくを放っておくなよ。仕方がないので、胸の辺りに手首のスナップを利かせた裏ビンタをはなってやる。
「ぐえ」
もちろん睨まれたけど、ぼくは我関せず、という態度で嘯いた。
「ワックタウンでいいんでしょ?」
「そこしかお前行けないだろうに」
はっきりいって最初の街なんて経験値的に行ってもおいしくないだろう。尊人のレベルがどれくらいかわからないから強さの度合いもぼくにはわからないけれど。なんだかんだやはりいいやつなのだ。彼は。林尊人という男は、友人、幼なじみとしてはとてもいい男である。……恋人としてという点についてはぼくは女性ではないから知らない。腐ってらっしゃる方々はこちらに目を光らせないでほしいものだ。
「んじゃ、ログインしますか」
尊人のその言葉に合わせて起動スイッチを押す。青い渦が自分を包んで、一瞬ののちに昨日見た草原がぼくの前に広がっていた。
青く光る草はやはり何本かあったので引っこ抜く。アイテムのインベントリをみると、薬草が20本になっていたので、一度町へ帰ることにした。
草原に背を向けて歩いていく。やはり男性キャラクターとしてはかなり小柄に設定されているからか、歩くのが遅い。種族によって異なり、例えば同じレア種族でも龍人などは2メートルを超えているという。そんなでかい身長あるのはいいな。うん。遠くも良く見えるだろうし。
そんなことを思いながらずんずん進んでいると、草も短くなり、城壁の影が大きくなってきた。あと少しでフィールドから出れるというときだった。後ろからドドドドドドドド……という重ったるい駆け音が響いてくる。嫌な予感を感じて振り向くと、緑の毛皮の猪「グリーンボア」がぼくに向かって猛烈な勢いで突進してくるのが見えた。レベルを見ると8と表示されていて、今のぼくにはどうあがいても勝てないモンスターだった。
「なるほどこれがオーバーモンスターというわけだ……ふざけるなぁぁぁぁ!」
全力で絶叫しながら全力で走る。しかし人間と猪の足の速さではやはり人間のほうが遅い。ぼくの種族を人間とするかはまた別の問題ではあるのだけれど。結局、ぼくは跳ね飛ばされ、きれいに空中浮遊を体験することになった。何人かのPCがこちらを見ていた気がするがそんなことを気にしている暇はない。地面に叩きつけられ、意識が吹っ飛びそうになる。地形ダメージというものがLOLには存在し、高いところから叩きつけられたり、壁に顔面をぶつけられたりすればダメージが入るのである。ピコンピコンピコンという光の巨人の戦う時間がなくなったような音がするのでステータスを確認すると、ぼくの体力はあと1を残すのみとなっていた。
つまりこの音はいわゆる危険信号というやつだろう。
「おい、ちょ、まじか!」
聞き覚えのある声がしたと思うと、黒い鎧を着た赤毛の男──ハヤトが滑り込むようにぼくの前に立ち、両腰から抜いた二本の剣で猪の再度の突進を受け止めた。あ、物理法則無視できてる。さすがゲームというべきか。
金属音とともに受け止めていた両手を振り上げ、ハヤトは1回転。
「だぁぁぁりゃあぁぁぁ!!」
裂帛の気合とともに赤いオーラが2本の剣を包み、横一閃。グリーンボアは光のポリゴンになって消えていった。現実ならばキレイに三枚下ろしにでもされていた剣の動きだった。前衛職は動きにアシストが掛かるというのを掲示板で見たが、どうやら本当のことらしい。
そして未だに倒れ伏すぼく前方左からもう1匹。ぼくはそれを視界におさめているだけで、体はまだ動きそうにない。
「まったく、オーバーモンスターに連続で会うとかお前はついてないなっ!」
そうぼくに語りかけて、ハヤトはまたグリーンボアを正面から受け止めた。レベル差あるとはいえ、目測で3mほどある巨大猪を受け止める175センチ程度の人間というものを目の前で見ると、あ、この世界ファンタジーだな、とぼくは実感するのであった。今度は剣ではなく、キバを持って受け止めていたようだ。やや後退はしたようだけれど、ハヤトのHPバーには減りが見られない。それどころかハヤトはキバを持ったまま体を後ろに反らして──。
「ふん!」
ぼくがぶっ倒れている真横にジャーマンスープレックス。ぼくに当たったらどうする気だ。やっと体全体のフラフラ感が抜けてきたので、よろよろとなりながらも立ち上がる。それを見てハヤトはすぐに手を貸してくれた。
「地形ダメージでグリーンボアがスタンしてるから持ち帰れ。お前の手柄ということで」
くらくらしながら「ありがとう」と答える。
「まさか本当にオーバーモンスターに遭遇するとは思わなかったな」
そうハヤトがニヤニヤしながら言う。いつもなら言葉を返しているところなのだけれど、あいにくと肩を借りている状態だから、大人しく聞いておく。ゲームに関しては彼は本当に頼りになるのだ。
何とか門までたどり着き、門番に心配されながら門をくぐった。このころになるとさすがにフラフラした感覚も抜けたので自分の足で歩き始める。ハヤトによると物理防御力が低いからスタン状態からの復帰にも普通の人間より時間がかかるそうだ。そのままハヤトと別れるかと思ったが、彼は昼飯まではぼくに付き合う気らしく、ともにギルドの門を開いた。その瞬間、ギルド内がざわめいた。
「おいおい、なんでこんなところに《ライディーン》のクランマスターがいるんだ? ああ?」
人相の悪い金髪の男がこちらに絡んでくる。めんどくさい。
「リア友の手助けをしていただけだが? なんかお前に問題でもあるのか?」
ハヤト、お前馬鹿だろ。そんなことをしたらぼくの今後がやばいじゃないか。この街に入れなくなるだろう。
「ふん、リア友様は随分といいご身分だことで」
そういってぼくのほうに視線を向けてくる。ほらあ、こんな感じになったじゃない過去の馬鹿チンが!という気持ちをこめてハヤトを睨んでおく。
「そりゃ始めてあった他人よりは付き合いの長いこいつを優先するだろ、てかお前誰だよ」
その実も蓋もないハヤトのいい方にギルドの中にいた数人が思わず噴出していだ。ぼくも正直笑いそうだったけど、ここで笑ったら本当に冗談抜きで今後がヤバイので、何とか耐える。ハヤトと人相の悪い金髪(仮名)は連れ立って外に出て行く。ぼくは最後に耳打ちされたとおりにギルドの報酬を受け取って、そしてドロップ品を買い取ってもらう受付へ向かった。
「はい、たしかに常時納品アイテムの薬草20本ですね」
引き換えに200コルバ──Cと印字された金貨が200枚。数えたわけではないけれど。アイテムインベントリから妖精の粉と妖薬草、それとウサギを出しておく。「鑑定いたします」という言葉とともに受付員が奥にドロップ品を持っていった。ちなみに今度の受付員は女性NPCだった。しばらくすると、金色に輝くコインを1山持ってきた。
「妖精の粉が10匙分ございましたので、1匙30コルバとして300コルバ、妖薬草が5本ありましたので、250コルバ──」
ドロップ品ひとまとまりごとに窓口にすえつけられている長方形の木の皿のようなものに金貨が載っていく。
「最後にワックラビットが痛みのない状態で捕獲一匹でしたので、相場の2.5倍を加算させて頂き。2500コルバとなります」
これで5050コルバの資金である。正直服を買い換えるか食事か宿ぐらいしかぼくにはお金の使い道が思いつかない。
「それとでっかい捕獲モンスターはどうしますか?」
忘れないうちにハヤトからゆずられた猪の話をしておく。そうすると、奥に通された。そこはかなり広い場所で、「ここでアイテムインベントリからお出し願います」とにこりとしながら言われたので、言われたとおりにインベントリから巨大猪──グリーンボアを出した。
「あなたが倒したわけではないですよね?」と聞かれた。何かあってはいやなので、先ほどあったことを説明する。すなわち、ハヤト──フレンドが倒してそれを譲ってくれたということを。ギルドカードを職員に渡し、確認をしてもらう。ギルドカードはモンスターをどれくらい倒したなどの記録書も兼ねているようだ。
「……モンスターを倒した場合の経験地も譲る措置をなさっているようですね、問題ありません。頭に多少痛みがございますので相場に−させて頂くことになってしまいますが、8000コルバになります」
先ほどとは比べ物にならないレベルの金貨の山ができた。とりあえず全部インベントリにいれておく。さらに『レベルアップしました』というボイスが聞こえ、ステータスを確認すると、レベルは一気に5までアップしていた。『【シューター】【シューター・ショット】【ショック・ウェイブ】【ブーストアクション】【バリアアクション】が使用可能になりました』というボイスとともに無属性魔法の使用可能な魔法の種類が増えた。同時にスキルツリーごく一部が開放されている。
喜びつつ、時間を見ると11時半になっていた。VRゲームは一部を除いて、現実世界の時間と同期している。プレイヤーの健康に配慮して、体内時計を狂わさないようにできる限りの努力を求められるからである。
魔法については尊人のパソコンでも調べられることだし、とぼくはログアウトした。
感想など、お待ちしています。




