15話 Beauty draws with a single hair/美人は髪1本で惹きつける
今回はつなぎなので短めですが、重要人物が出てきてます。
簡単に僕の行動をまとめてしまうならば、レストランでLOLについて様々なこと──例えばアンデットの効率的な倒し方や、グリーンスキンと呼ばれる種族の総数、LOLの設定などについて、知り合った人々と情報交換をしながら、カレーを食べてゲーム内資金を払い、解散した、ということになる。
実際の現実でも食事を取らねばならないから、ステータス画面を開いてログアウトをタップする。
「またね」
消えゆくぼくに向けてクリアミラが手を振った。やっぱり人には人の予定というものがあるから、一度ログアウトして、またログインする時間も違うし、一緒に行動するかどうかなんてことはその人の裁量に任されるところが多いのである。
現実で目を覚ます。天頂に昇った太陽の光が窓からぼくをさんさんと照らしていた。春に入ったはいいけど、まだ肌寒い季節なのだけど、ここまで太陽の光を浴びると暖かく感じるから、人間の体というものは不思議なものだ。
VRギアをはずして起き上がる。今日は母さんがいたはずだから、食事の用意を自分でする必要もないだろう。ぐっと手を上に伸ばして伸びをする。ねてゲームをやっていたといっても、体には相応に疲れが溜まる。首を左右に倒すとゴキゴキと骨が鳴った。
階段を下りてリビングに行くと、そこには湯気を立てているパスタが置かれていた。タラコだ。
「あら、いい時間にきたわね」
そういう母さんに頷いてぼくは冷蔵庫を開けて、ペットボトルに入れた冷えたお茶を飲む。外で買ったペットボトルを再利用したものだけど、正直な話、ぶっつづけでゲームをするというのは喉も渇くのだ。こういうものを自分の部屋においていくというのもいいかもしれないとぼくは漫然と思った。
父親はどうやらゴルフにでもいっているようで、家の中に気配がなかった。忙しいといっていたが、休まなくてもいいのだろうか。
「さっさと食べちゃいなさい。ゲームを続けすぎるのは良くないから、散歩にでもいってきなさい」
そう洗い物をしながら言う母さんに頷いて、ぼくは言われたとおりに食事をさっさと済ませた。母親の料理というものが一番慣れ親しんだ味だし、おいしいと思うようになっているから、いつものようにごちそうさまを言って、2階へあがった。尊人の家に行って彼を引っ張り出してもいいのだけど、さすがに何も言わずに尊人をただの散歩に連れ出すのはいくら幼い頃からの付き合いでも気が引けた。だから1人で行くしかない。まあ人間の最低単位は1人という説があるように、いつでもどこでも誰かといれるわけではない。
そんなどうでもいいことを思いながら、ぼくは外着に着替えて財布を持って外に出た。春になったばかりで、まだ桜も咲き始めくらい。空は白と青が浮かんで、わずかに風が吹いていた。街を東に行けば、海辺に出る。まだ春だから寒いだろうけど、気分転換にはちょうどいいだろう。そう思って、体を東に向けた。
30分くらい歩くと、吹いている風に潮の匂いが混ざり始めた。ああ、海も近い。
ぼくの前から、クリーム色のワンピースを着た同年代くらいの女性が歩いてきた。頭には麦藁帽子というスタイルだった。顔は日の光が入ってきて、よく見えない。別全驚くようなことではないような気がしたけれど、すれ違いざまに見えた顔にぼくは息を忘れた。黒曜石のような瞳。しゅっとした鼻。優しげな唇。思わず他の光景が抜け落ちたような美しさだった。ぼくはそこに立ったままその女性を見送った。
でも、ぼくは知らないはずのその女性をどこかで見たような気がしていた。そう、ぼくが忘れているようなどこかで。それと、すれ違いざまの柑橘系の香りが、どうしても記憶を刺激した。匂いというのは意外と忘れないものである。人の印象として深く残るものでもある。だから、ぼくは余計にその人のことが気になった。
でも、どうしてもその引っかかった記憶が思い出せない。おそらく相当幼いころのことなのだろうから、思い出せなくても仕方がないことかもしれないが、魚の小骨のように引っかかったのは気分が良くない。記憶を探ってもさっきの女性のような人と話した記憶はないのだ。でもどうしようもないので、気分を切り替えて風で砂埃が舞い上がる道をぼくは歩いていった。
そこからしばらくさらに歩くと、古ぼけた灯台のような建物がある。この建物にも、分からない懐かしさをぼくは感じた。
潮風が強くなってきていた。ぼくの髪を舞い上げて、後ろに吹いていく風は、まだ夏の匂いを含んでいなかった。少しずつ暖かくなってきていたけど、まだまだ夏には程遠い。
時計を見ると、ちょうど45分くらいは外にいることが分かった。ここから家までそれくらいかかるだろうから、もういいだろうと自分で結論付けて、もと来た道を引き返す。分からない記憶が後ろ髪を引いたけれど、そのことは考えないようにして、やや早足に家への帰り道を歩いた。
途中で炭酸飲料を自販機で買って、それを飲みつつ、家を目指す。30位すると、見覚えのある白い家が見えてきた。母親が鍵を閉めているところだった。危ない危ない。締め出されるところだった。
「どこか出かけんの」
「ええ、買い物にいってくるから」
「わかった」と返事をして、鍵を開けてもらった。親がいると思ってつい鍵を持っていかなかったから、本当にぎりぎりであった。手を洗って部屋着に着替えて自分の部屋へ行く。VRギアをつけていつものようにベッドに寝転んだ。
『パーソナルデータを読み込み中です。VRギアの電源を切らないでください。思わぬ事故につながることがあります』
もう既に聞きなれた機械音声が注意を促したあと、ぼくの意識は一瞬消えた。
『帰還位置を選択できます』
1・2という数字が出る。1というのが最初の街で、2がその次だろう。2を選択した。
『あなたの帰還を歓迎します。LOLをお楽しみください』
シュウン!という自動ドアが開くような音がして、ぼくが目を開けると、ぼくは広場に立っていた。相変わらずの混雑振りだったけれど、行きかう人々の間に見知った顔はなかった。でもまぁ、たまたまクリアミラがぼくのそばにいただけで、基本はこうなんだ。そう思って、大きく伸びをした。
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