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不穏

隆弘は学校を出た足でメゾンド・リリーを目指した。

辺りはもう暗い。

アパートの階段をのぼり、205号室の扉を開ける。室内からあたたかい空気が漏れ、隆弘の体に触れた。


「いらっしゃい」


家主であるノハが玄関にやってくる。


「おう、邪魔するぜ」


靴を脱ぎ揃え、洋室へと向かう。

扉を開けるとテオと灰花が寛いでいた。テオはまるでここが自宅であるかのように、菓子袋片手に寝転んでいる。

ノハは一人暮らしなので、室内で飲酒や喫煙を嗜んだところで大人の目が届く事はない。なのでテオ、隆弘、灰花はノハの家で団欒する事が多かった。

灰花が転校して来て4人でつるむようになってからは、高校生男子がノハの家に集まるには狭いという事で、4LDK練に住む斉賀の部屋で集まる事が多かった。

しかし先日、外気の寒さから部屋を閉め切った状態で、原稿に没頭していた事もあり何時間も居座り、斉賀の部屋を酒と煙草の臭いまみれにしてしまったのだ。

斉賀は「気にしないで」と言っていたがさすがに申し訳なく思い、暫く斉賀の家で原稿作業をするのは控えようと、いう運びになったのだった。


「よ、隆弘。今日は遅かったな」


読んでいた音楽雑誌を閉じて灰花が隆弘に声を掛けた。


「ちょっとな」


隆弘は言いながらテオの菓子袋から一つまみスナックを取り出し口に運んだ。


「俺、たかちゃんが校門前で他校の女子高生と話してるの見たぞ」


テオがニヤニヤしながら隆弘を見る。


「モテる男はつらいでござるなあ」

「そんなんじゃねえよ。それにリリアン以外にモテたって嬉しくも何ともねえ」

「その肝心のリリアンちゃんからは脈なし、と」


隆弘は黙ってテオの首根っこを掴みひょいと持ち上げると、そのままベランダに放り出した。

テオが慌てて扉に手をかけるも時既に遅く、部屋へ入る唯一の出入り口は隆弘に施錠されてしまっていた。


「あ!ちょっとたかちゃん寒いでござる!ただの冗談なのにこんなのひどい!入れて!死んじゃう!」

「聞こえねえなあ」


隆弘はテオに背を向け、先程テオが寝転がっていた位置に腰をおろす。


「調子に乗りましたごめんなさい!超脈有りだと思います!お似合いだと思います!」


テオが謝罪しながら扉を叩くがわざと無視し、隆弘は洋室のテーブルの下に置いてあるダンボール箱を取り出した。

中には漫画の原稿作成に使う作業道具一式が詰め込まれている。そこから慣れた手つきで、各画材を机上にそれぞれ使いやすい位置に広げていく。


「今日も宜しく頼む」

「任せとけよ!」


灰花は手に持っていた雑誌を鞄にしまい、部屋の隅に積み重ねられた本の山の一角からスクリーントーンの山を掬いだし傍らに置いた。

隆弘が購入しノハの部屋に置かせてもらっているトーン棚が室内にあるが、よく使用するトーンは取りやすいように別途分けてあるのだ。

隆弘は片想い相手である校長先生のために同人誌を描いている。

そして、その事情を知る三人は隆弘の原稿作業を毎回手伝ってくれているのだ。

基本ノハの部屋に集まり作業を進めるので、画材一式はいつもここに置いてあるのだった。

隆弘が茶封筒の中身を取り出して灰花に渡す。ペン入れが完了した原稿用紙の束だ。


「それ全部仕上げちまってくれ」

「おう」


ノハが灰花の後ろに回り込み原稿用紙を覗き込む。


「今回はロッソ先生とシギの話なの?」

「ああ。いつも寡黙に本を読んでるシギとその隣で本の貸し出し作業をするおじっそ。だが実は図書室側からは死角になっているカウンターの内側では密かに淫らな行為が行われていた。本に目を通しながらシギは多数の生徒が図書室を利用している空間にも関わらず片手でおじっその」

「聞いてるこっちが恥ずかしくなるだろ!」


隆弘の作品解説を灰花が遮った。


「つまり、今回もプロレスごっこ?」

「ああそうだ、プロレスごっこ」

「そっか」


ノハが灰花から原稿用紙を半分程受け取る。


「僕、そのシール貼るのしてみたい」

「いいぞ、じゃあ俺はベタだな。説明いるか?」

「大丈夫。隆弘が割り振ってくれた番号のトーンを、この青色鉛筆で塗りつぶしたとこに貼ればいいんだよね」

「お、よく分かってるじゃねえか」

「いつも皆の作業を見てるからね、僕も漫画の事たくさん覚えてもっと手伝えるように頑張るよ」

「ノハ…!俺はいい友達を持って幸せだ!」


隆弘がノハの頭をがしがしと乱暴に撫でるとノハが嬉しそうに笑った。



3人が3人共作業に没頭していたため、隆弘がテオをベランダに放り出した事を思い出したのは作業を開始して30分程経過した頃だった。


「たかちゃんひどいでござる…」


テオは鼻水をすすりながら毛布にくるまり部屋の隅で丸くなっている。


「自業自得ってやつだと思うけどな」

「親友をベランダに放置しといて反省の色がないでござる!」


テオが泣き真似をしようと隆弘は原稿から目を逸らさない。

原稿作業の戦力になるテオが作業不能となってしまい、このままのペースでは脱稿を予定していた時間に完成が難しい事に気付き焦っているのだ。

まだ原稿作業を開始して30分だが、その判断が出来るまでに隆弘は原稿制作の数をこなしていた。

隆弘が難しい顔をしている事に気付き灰花が声をかける。


「原稿、他に手伝ってくれそうな奴に心当たりはねえのか?」

「そんな連中は今頃俺と同じ締切に追われてるだろうよ…」


近々同人誌即売会が催されるのだ。


「ヨシノは?」


ノハが口にした名前に隆弘がハッと顔を上げる。


「そうか!アイツ仕上げ作業うまいって校長のお墨付きだったな!」


瞳に希望の光が宿った隆弘が管轄入れず携帯を手にし操作する。

画面に指を滑らせ、先日登録したばかりの友人の連絡先を探しだし電話をかける。


「連絡先交換しといて良かったぜ」

「でもヨシノって宮神楽に住んでるんじゃ…」

「片道1時間!いける!」


時計を見ると19時を過ぎたところだった。

携帯からコール音が聞こえる。

そういえば、と今日の放課後交わした会話をふと思い出し隆弘が灰花に尋ねる。


「なぁ灰花、お前、携帯のロック画面くずはなのか?」

「ああ」


本人に肯定されてしまった。ハンナの妄言ではなかったという訳だ。

テオが小さく「ホモだ…」と呟いたのが隆弘の耳に届いた。


「そこはかわいい彼女にしとけよ」

「ば!そんな恥ずかしい事出来るか!」


灰花が赤面し握り拳でテーブルを叩く。

隆弘が灰花の羞恥心を感じるポイントがどこかずれているように感じていると、コール音が途切れヨシノの声が聞こえた。


『もしもし隆弘クン?どしたのかな?』

「おう、ヨシノ、お前今から花神楽来れるか」

『にゃ?突然だね、急用なの?』

「今晩中に仕上げちまいたい原稿の進行状況がどうにも思わしくなくてな、お前に助っ人を頼みたいんだよ」

『え?今から?もう夜のとばりは下りてるよ?』

「交通費も飯も奢るからさ、こっちに泊まってけ。始発でそっち戻れば学校には間に合うだろ」

『徹夜させる気満々だね。どうして漫画を描く人って皆そんなギリギリなタイムスケジュールなのかな』

「俺も漫画を描き始める前は同じ事思ってたけどな。漫画描きはじめてみりゃ分かるさ。で、どうなんだよ」

『んー、お手伝いしてあげたいのはやまやまなんだけど、今ちょっと手が離せないんだ。ごめんね』

「そうか…いや、こっちこそ突然だったな」

『うん。今度は空けとくから、事前に連絡頂戴』

「さんきゅ」


そこまで話した所で、一呼吸置く。


「話は変わるんだけどよ」


ヨシノに電話する事になり、彼に尋ねたかった幾つかの質問が隆弘の脳内にちらついていた。

尋ねて良いものか悩んだが、件の不審死事件にはヨシノは無関係なのだと確信する材料が欲しくて、夏休みの騒動の主犯である彼をどうしても疑ってしまう自分を払拭したかったので隆弘は思い切って口を開く。


「裕一の事、聞いた」


返事はない。


「残念だったな」

『そうだね。でも、きっと綾に会えたと思うよ』


ヨシノは裕一の死をやはり知っていたようだ。

裕一の何が残念だったのかと、会話の中身が分からないのだろう灰花が不思議そうな顔をしている。


「思ってもない事言うなよ」

『まったく隆弘クンは失礼だなあ』


ヨシノがくすくすと笑っているのが携帯越しに聞こえた。隆弘が友人の死を話題に出した所で彼の明るい声色は変わらない。


「何で黙ってた」

『わざわざ言う事でもないでしょ』


それはとても冷たい言葉だったが、確かにその通りでもあった。

正論だった。


「そうだな」


隆弘はそれ以上何も言えない。


「お前も、気を付けろよ」

『にゃ?』

「ほら、宮神楽小学校の卒業生が事故だの自殺だので不審死続いてるって。お前今日聞かなかったのか?」

『ああ、それね』

「各々関連性はないっつー話だったけど、故意的なものを感じてならねえからな」

『ほほう』

「一連の犯人お前じゃねえよな」

『おっと直球だね!例え正解であったとしても、犯行を認める程俺はマヌケじゃないもんね!』


隆弘が喉の奥で笑う。


「お前はほら、前科があるから」

『夏休みの事?もう水に流してよ』

「流れるとでも思ってんのか!!」


電話の向こうから、からからと笑い声が聞こえてきた。



隆弘が目を開けるとベランダ越しに朝焼けが見えた。

どうやら眠ってしまったらしい。

テーブルにつっぷして眠ってしまっていたせいか身体が固まってしまっている。

伸びをしながら辺りを見回すと灰花とテオも眠っていた。

ノハは起きて部屋に設置されたテレビを観ている。


「あ、隆弘。おはよ」

「はよ」


テーブルの上には完成原稿が丁寧に重ねて置かれていた。

ヨシノへの電話を切った後、食べる物も食べず飲む物も飲まず作業に突入したのだ。

仕上げた記憶が隆弘にはないが、いつも修羅場に突入すると原稿作業時の記憶が飛ぶので問題はない。

手伝ってくれた友人達には今晩飯を奢ろう。そんな事を考えながら隆弘はのそりと立ち上がる。体が重い。


「シャワー借りるぞ」

「うん、どうぞ」


昨夜はノハの家に訪れてそのまま原稿作業を開始したので身体を洗っていない。

今日は平日、さすがにこのまま登校する程隆弘は自分に無頓着ではない。

浴室に足を向ける隆弘の耳にテレビの音声が届いた。


『昨夜―…自宅の浴室で亡くなっているのを……―…は一人暮らしで…』


テレビを観ていたノハが隆弘の背中に声を掛ける。


「隆弘も浴室で寝ちゃわないようにね」


どうやら浴室で眠ってしまい溺死してしまったという事故の報道らしい。

徹夜明けは気をつけねえと俺も危ねえな。

そんな事をぼんやり考えながらなんとなく振り返りテレビに視線を移すと、テレビ画面には昨日放課後会話を交わした少女の写真が写しだされていた。


『亡くなったのは宮神楽に在住のハンナさん15歳。死亡推定時刻は19時頃と見られます。警察は事故、事件両方の面から捜査を…――』

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