謝恩
「ご清聴、ありがとー!皆気を付けて帰るんだよ!」
校長による宮神楽出身者への注意喚起は何事もなく終了した。
くるは校長の話が終わると同時に席を立ち、触れもしなかったプリントを机上に放置したまま足早に視聴覚室を出て行く。視聴覚室を出てから走り出したのだろう、「コラ、廊下を走ってはいけないよ!」というアレックスの声が隆弘の耳に届いた。
そんなに視聴覚室から一刻も早く出て行きたかったのかと思ったが、時計を見ると17時を過ぎている。
灰花から、葛城兄弟家の家事は全て弟のくるが担っていると聞いた事がある。
今から帰宅して夕食の準備をはじめる事を考えると、急ぐ気持ちが分かるような気はした。
校長に視線を向けると教師達と集まり何やら話をしている。
ここで話した内容についてなのだろう、長引きそうだなと判断した隆弘は視聴覚室を後にした。
◇
隆弘が玄関を出るとスロワが声を掛けてきた。隣にヴァレンタインもいる。
「西野じゃん、今帰りー?」
「おう、お前今日は彼氏と一緒じゃねえのか」
「ホモ花なら、いつもお世話になってる洋菓子店でプリンの新作が出るってんで可愛い彼女を置いてとっとと帰りやがったし」
「相変わらず苦労してんな」
「いいもん、ウチも楽しんじゃうから。今からヴァレンタインとクレープデートするんだよ、ねー!」
明るいスロワの声にヴァレンタインは気付かないのか、俯いている。
その様子にスロワが隆弘に近寄り小声で尋ねる。
「ねぇ、あの子何かあったの?放課後視聴覚室に呼ばれてたみたいだけど、関係ある?」
隆弘は何と答えたものかと悩み、「俺は知らねぇな」と答えた。
「気分が落ち込んだり沈んだり誰にだってあるじゃねぇか。元気づけてやれよ、センパイ」
「そのつもりだし」
スロワは隆弘に向かってピースサインを送った後、ヴァレンタインの背中を押しながら校門に向かう。
ヴァレンタインはスロワにとって軽音部の仲間であり大事な後輩だ。元気なく歩いている姿を見掛けほっとけず声を掛けたのだろう。
突然同級生が次々に亡くなっているなんて事実を知らされたのだから無理もない。
隆弘も亡くなった生徒の中に知人の名前を見つけて胸中穏やかではなかった。
天倉裕一。
先日ヨシノに会った時彼は何も言っていなかった。
同じ高校に在籍している友達の不幸をまだ知らない?ありえない。
でもヨシノは実際、夏休みに会った時と変わらない笑顔で過ごしていた。
しかも裕一の死因は他殺と添えられていた。詳細は書かれていなかったが穏やかじゃない。
誤字、な訳ねぇよな。
自分の発想にくだらねぇと失笑していると、背後から声が掛かった。
「あ、西野」
振り返ると腕を組み仁王立ちをしている女と、その女の後ろに隠れるようにおどおどしている小動物のような女が二人立っていた。
隆弘は視聴覚室に集まった生徒の制服や顔なんていちいち見ていなかったので確信は持てないが、知らないデザインの制服を着ているので視聴覚室に呼ばれた宮神楽出身の生徒だろうと思った。
今確かに自分の名字を呼ばれた隆弘だったが、彼女達の顔に覚えがなくて眉を寄せる。
「失礼な男ね。私達に覚えがないって顔に書いてる」
「悪ぃな。その通りだ」
「あう、無理もありません、私達と会ったのは一度だけなのですから。あの、突然声を掛けられて驚きましたよね、ごめんなさいなのです」
偉そうな女の後ろに隠れるように立っている女が何度も頭をさげる。
あまりに申し訳なさそうな顔をしながら頭を下げるので、隆弘は自分が悪い事をしている気分にさえなってきて視線を泳がせる。
「残念な記憶力の西野に教えてあげるからよく聞きなさい。アンタ、8月16日、宮神楽小学校の音楽室でヨシノの馬鹿が主催した同窓会に来てたでしょ、そこで会ったわ」
「ああ」
あの日あの音楽室にヨシノ達の同級生が複数人集っていた。この二人はその中にいたというのだろう。
しかし同じ学び舎同じ学年連中の中に、未だ名前と顔が一致しない人間がいる隆弘にとって、あの日数時間顔を合わせただけの人間など記憶に留まっている訳がない。
「二度目ましてになるのですけど。えっと、私、ハンナと申しますのです。宜しく、お願いたします」
隆弘が覚えていなかった事を特に気にする様子もなく、ハンナと名乗った少女が名乗りながらふかぶかと頭を下げる。
「おう、どーも」
釣られて隆弘も頭を下げる。
ハンナは顔をぱっとあげて、隣に立つ先程から偉そうな少女に視線をうつしながら「こちらはあいちゃんなのです」と紹介をした。
「宜しくしなくていいわ」
あいちゃんと呼ばれた女が鼻を鳴らす。
で、この二人は一体自分に何の用があるのだろうと隆弘が疑問に思い始めた所でハンナが口を開いた。
「あのですね、西野さんはですね、私達の命の恩人なのですよ」
「は?」
「小学校が爆発する前に助け出してくれたのが西野さんだと聞いているのです!」
「ああ。あれ」
「西野さんがいらっしゃらなかったら私達は今日ここに生きて立っていないのです」
先程挨拶を交わした時よりも緩慢な動作で、ハンナがぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございました」
一文字一文字丁寧に口にする。
「助けてくれて、ありがとうございました」
もう一度隆弘への御礼を告げて、ぱっと顔を上げる。ハンナの満面の笑顔と目が合った。
「直接お礼を伝えたいと思っていたのです、よかったのです」
ハンナが胸を撫で下ろす。
その命の恩人は助けた本人たちの顔も名前も覚えていなかったというのに、心からの感謝の気持ちが目に見えるようなまっすぐな御礼の言葉と屈託のない笑顔を向けられ、隆弘は僅かながら居心地の悪さを感じ頭をかく。
「俺だけの力じゃねえよ」
「はい、宮下先輩も救助に助力してくれたと聞いているのです!えっと…」
ハンナがきょろきょろと辺りを見回す。
「あ、あの、えっと、あの、今日は、宮下先輩とは、ご一緒じゃないんですか?」
宮下先輩と呼んでいるという事は、灰花が花神楽に来る前に交流があった仲なのだろうか。
そういえば夏休み、宮神楽小学校の音楽室で灰花が数人に「久しぶり」と挨拶をしていた気がする。
灰花はくずはと同じ高校に通っていたのだ。という事は、灰花も宮神楽に縁のある人間という事か。
先程校長が話していた連続不審死は現在高校一年生の生徒に限った話だそうだが、その年齢に留まった話だという確証はどこにもない。
たまたま偶然が重なったでは納得し難い案件だったので、不審死の件は灰花に伝えておいた方がいいなと隆弘が目を瞑り考えを巡らせると視線を感じたので、隆弘が目を開く。
ハンナが隆弘を見上げながら彼の回答をじっと待っていた。
「ああ、灰花だったな。残念だがアイツ、今日は野暮用でさっさと帰ったぜ」
隆弘の回答を聞いてハンナが肩を落とした。そんなハンナの肩をあいがぽんっと叩く。
「宮下の事だからどうせ葛城兄のおつかいでしょ、いつもの事じゃない」
どうやら灰花は転校前からくずはへプリンを届けるために奔走していたようだ。
肩を落としていたハンナが上目使いでちらりと隆弘を見るので隆弘は頷いてやった。
あいの言葉を肯定したのだと伝わったようで、ハンナの表情がぱっと明るくなる。
「宮下先輩らしいのです」
あいがハンナの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「でもやっぱり残念なのです。折角宮下先輩の転校先に来たのだから、お話したかったのです」
ハンナが再び肩を落とした。
そんなハンナの表情を見て、隆弘の脳裏に「もしかしてコイツ、灰花に惚れてんのか?」という直観が過った。
先程灰花の名前を口にしてから、やけにハンナがそわそわしているように隆弘には感じられた。
確かに灰花は俺には及ばないが顔立ちはいいし、ガタイもいいし、外見こそ不良ではあるが本人はいたって真面目な気が利く優良物件だ。実際モテる。
隆弘は飛躍した直観に、ハンナの表情と照らし合わせて確信を感じた。
でも、アイツには彼女がいるんだよな。
彼女であるスロワと交際がはじまったのは灰花が花神楽に編入して来てからの話だから、その事実を知らないのかもしれない。
ここは酷だが袖すり合うも多生の縁。失恋の傷が浅く済む内に事実を教えてやった方がこの女のためだろうと隆弘は判断し、告げる事にした。
「アイツ彼女いるからやめとけ」
ショックを受けるかと思っていた隆弘の想定とは違い、ハンナ目はきょとんとしている。
あいが目を細めながら「は?」と眉間の皺を深めた。
「アイツには彼女がいるから諦めなっつってんだよ」
「いや別に聞き返してないんですけど。え、突然何言い出してんの?頭大丈夫?」
うわ…と低い声を漏らしながらあいが隆弘から一歩後ろへ下がった。
そんなあからさまにドン引きなあいの反応を見て、確かに今の自分の発言はあまりに脈絡がなかった、かもしれない。と気付き額を冷や汗が伝う。
ついテオやノハと話しているノリで口から言葉が漏れてしまう。
あの二人は隆弘が突然思い付いた突飛な話題を口にしても、以心伝心であるかのように行間を汲んでくれるのだ。
「宮下先輩…彼女がいるのですか?」
「ああ」
ハンナはきょとんとした表情を固めたまま小さく震え出した。
そんなハンナの変化を目にしたあいが隆弘を思い切り睨みつける。
失言だったかと隆弘が頭をかくと、ハンナの口から言葉が漏れた。
「カ」
「か?」
突然ハンナが目を爛々と輝かせながら身を乗り出し、叫んだ。
「カモフラージュってやつですね!」
「は?」
「同性愛者だと周りに悟られないように彼女を作ってノーマルアピール!でも実際に恋心を抱いているのは葛城君のお兄さんなのですね分かります!」
先程までの弱々しい声を出していた少女と本当に同一人物がこの声を出しているのかと思わず疑問を抱いてしまう程饒舌でハキハキと熱の籠った声色が隆弘の耳に届く。
「あいちゃんは宮下先輩が携帯開いたとこ見ましたか?私はね、見たのです!この目で!なんとなんと!ロック画面に写っていたのは間違いなく葛城君のお兄さんだったのです!彼女がいるのに葛城先輩の写真がロック画面だなんておかしいですよね怪しいのです!私、宮下先輩が転校しちゃう前から、宮下先輩は葛城先輩に気があるなって思っておりました!」
夏休みに見た灰花の携帯画面を思い出しているのだろう、ハンナが目を瞑る。
「そうですか、宮下先輩はお変わりなく、今日も葛城先輩に尽くしているのですね」
ハンナが大きく息を吸いこんで、両手を胸の前でぎゅっと握りしめ力いっぱい叫んだ。
「萌えます!」
隆弘は自分の直感がとんだ的外れだった事を知ったと同時に、目の前の女がどんな趣味嗜好の持ち主なのかを理解した。
「男同士の恋愛妄想で興奮なんてよく出来るわね」
「あいちゃんもBLの魅力に早く気付いたら良いと思うのです」
「ないわ。百合が至高だわ」
どうやらあいもハンナと同類の人間らしい。
ハンナが頬を膨らませる。
「好き嫌いは人生損をするのですよ!」
あいが肩を竦めながら「ないわ」と再び返す。
「それと妄想なんかじゃないのです、宮下先輩は絶対にリアルホモなのです!」
「ハンナ、妄想と現実の区別くらいつけて発言しなさいよ」
「じゃあどうしてロック画面が葛城先輩の画像なのですか!」
「知らないし考えたくもないわ」
「彼女さんがいるのにスマホのロック画面をクラスメイトの男子にしてる理由なんて一つしかないのです!」
ハンナの声にどんどん熱が籠る。
「西野さんもそう思いますよね!」
びしっと指をさされてまさか自分に飛んでくるとは思っていなかった話題を降られ、思わず隆弘の身体が強張った。
「西野にBLの話題なんか振っても分かんないでしょ」
「そんな事ないのです。同窓会でヨシノちゃんが、西野さんは趣味でBL漫画描いてるって紹介してたのです」
隆弘は心の中で頭を抱えた。
そんな紹介をされた事を思い出したのと同時に、ヨシノは灰花を紹介する時に「彼女持ちだけどホモ」などと紹介していた事を思い出した。
が、ハンナは先程灰花に彼女がいると聞いて、はじめて知ったような顔をしていた。恐らくこの熱弁っぷりから察するに、隆弘が男でありながら「趣味でBL漫画を描いている」という情報を聞いて他の言葉が耳に入っていなかったのだろう。
心の中であのホモ野郎何やってんだよ何残念な誤解されてるんだよっつーかロック画面がくずはって何だよやっぱホモかよホモだろそこは彼女の写真にしとけよと叫びながら呆れ果てるもしかしここは灰花の親友として、彼にかけられたあらぬ誤解を解かねばならないと使命感を感じた。
「正直俺もそうだろうなと思ってる」
感じたけれど本音の方が先に口から漏れてしまった。
隆弘の同意を得てハンナは両腕を振り回しながらその場でぴょんぴょん飛び跳ねる。
「ね!ね!今の聞きましたか?!妄想なんかじゃないのです、やっぱり宮下先輩はリアルホモなのです!」
「はいはい」
「お話したかったのです」
「また来たら良いでしょ」
「話したがってたって伝えといてやるよ」
「あうぅ!それは恥ずかしいのです!」
ハンナが眉尻を下げ、両手を胸の前でぶんぶんと横に振る。
「まったくハンナはかわいいな」
あいがハンナの頬を人差し指でつんつんと突く。
ほっぺをつつくというシチュはどこかで使えるなと、隆弘は脳内のネタ庫へ書き込んでいるとハンナと目が合った。
「西野さんとももっとお話ししたいのです」
ハンナがにこりと微笑む。
「BLのお話が出来る方と巡り合えるだなんて、この縁は大事にしないといけないのです。今度会った時は是非、西野さんが描いた同人誌読ませてくださいね!」
もっと話したいとはそんな意味だろうと思っていた隆弘は苦笑いを返す。
「ところで西野さんはどんなジャンルで描いているのですか?」
まさか隆弘が三次元、しかも自分自身が受け側でR指定のBL漫画を描いてるなど夢にも思っていないであろうハンナが興味津々に質問を口にした。隆弘が硬直する。
「何、答えられないようなジャンルなの?」
あからさまに顔色が変わった隆弘に目敏く気付いたあいが訝しむ。
「大丈夫なのです!私、守備範囲広いのです!引いたりしません!」
「マジか、ドン引きさせてやるから楽しみにしてろよ」
うまい躱し方が思い付かず、もうどうにでもなれと隆弘は腹をくくって胸を張った。
ハンナが歓喜の叫び声をあげている。
確かにBLの話が出来る人間と巡り合った折角の機会なのだ、交流を持っておけば後々自分のためにもなるかもしれない。それにこのハンナという腐女子はもしかしたらリリアンと趣味があうかもしれない。
校長との恋路成就のためにはどんな苦労も惜しまない、西野隆弘とはそんな男なのだ。
「っと、もうこんな時間じゃない。ハンナ、帰りましょ」
空が暮れなずんでいる。
ハンナの手を引きあいが隆弘の横を通り過ぎる。
「じゃ、あの時のお礼は伝えたから」
お前からは礼を言われた記憶がねえんだが、と思わず口に出しそうになったツッコミを飲み込み、隆弘はあいとハンナの後ろ姿に声を掛けた。
「気ぃ付けて帰れよ」
「はい!ありがとうございます!西野さんもお気をつけて!」
ハンナは校門を曲がり、その姿が見えなくなるまで隆弘に手を降っていた。
賑やかな声が遠ざかり、隆弘は急に肌寒さを感じた。