結末
花神楽高校で通り魔事件が発生した、次の日。
◇
早朝。
斉賀は自室の隣に住む葛城宅にやって来ていた。
「くる君、おはよー」
「まだ朝の5時なんだけど。こんな早くに何だよ」
「お弁当はもう作っちゃった?」
「今から作ろうとしてたとこだけど」
「いつもこんな朝早くから大変だねー、実おにいさんが褒めてあげよう!」
そう言って、笑いながら斉賀がくるの頭を撫でる。
「で、何の用だよ」
「そうそう、これなんだけどね」
そう言って斉賀はくるの目の前にタッパを掲げた。
「二人のお弁当を!作ってきました!」
「は?」
「大丈夫、ちゃんと毒見はしたよ」
「いやそうじゃなくって、何で実さんがそんな事を」
「くる君昨日右手怪我してたでしょ、だから」
くるが右手に巻かれた包帯を隠すように背に回す。
「こんなの平気だし、事故だったんだから仕方ないし。っつーか、余計な気遣われる方が困る」
「いいから受け取ってよ、早起きして頑張ったんだから!」
言いながらくるへタッパを押し付ける。
完成品を前に突っ返す事も出来ず、口籠りながらくるが受け取ると、斉賀は満足そうに笑った。
「また今度、きちんと二人をパティスリーに誘うからね」
朝早くに突然ごめんね、と言い残して斉賀は隣の部屋、自室へと帰って行った。
タッパからはずしりとした重量が感じられる。
斉賀は料理が出来ない。
以前一度カリフォルニアロールを振る舞ってもらった事があるが、あれ以降レパートリーが増えたのだろうか。
中身が気になり、キッチンへと向かいタッパを開く。
タッパの中にはカリフォルニアロールがぎっしりと詰まっていた。
「これ以外レパートリーないのかよ」
呆れながら呟いた声色は、どこか嬉しそうだった。
◇
「灰花!アンタ昨日何処行ってたの!」
灰花がいつものように学校へ登校すると、彼の姿を見つけたスロワがずかずかと近寄り食いついてきた。
「昨日?」
「先生が教室で待機してろって放送無視して外に出てっちゃったでしょ!」
「よく気付いたな」
「アンタ図体でかいから私の教室を全力ダッシュで横切ったらそりゃ目立つっつーの!携帯に電話しても繋がらないし折り返しの連絡もないし、心配したんだからね!」
「ワリ、急いでたから鞄も全部教室に置きっぱなしでさ」
苦笑いをしながら灰花が自分の机の中から携帯を取り出した。
携帯にはスロワからのものであろうメールや電話の着信履歴が大量に記録されていて、灰花はスロワに頭を下げてもう一度キチンと謝った。
「変な事に巻き込まれてたんじゃないならいいのよ。で、昨日は何をそんなに急いでたのさ」
「くずはさんに呼ばれてさ」
「また葛城絡みか…そんな事だろうと思ってたけど」
「乗ってた車が事故に遭ったから迎えに来てほしいって連絡でさ」
「事故?!ちょ、大丈夫なのソレ!」
「ああ。車の方は見事大破してたけどな。くずはさんに大した怪我がなくって良かったぜほんと。でもバイクで向かってみたらくるさんと斉賀もいて…ああ、斉賀ってのはくずはさんの隣に住んでる奴なんだけど。さすがに三人も乗せられないから、結局三人は警察が手配してくれたパトカーで帰ったんだけど」
「それは…お疲れ様だったわね」
◇
昼休み。
ヴィオーラが図書室へと駆けこんできた。
勢いよく開いた扉の音に驚き、本棚の整理をしていたロッソとアメリアが手を止めてヴィオーラを見る。
「どしたの、ヴィオがそんなに慌ててるなんて珍しいね~」
「いつもなら図書室では静かにーっておじっそをどつくのはヴィオーラ先輩の方なのにな」
「俺そんなに騒いでませーん」
「そうだったか?」
「ロッソ先生、貴方昨日、バットで殴られて病院へ運ばれたって!」
「そうなんだよー、まさか自分がそんな事件に巻き込まれるだなんて夢にも思ってなかったから驚きだよね」
「大丈夫なんですか?!」
「この通りぴんぴん回復しましたとも!一緒に診てもらったレンリツとシギも元気に登校してきてるよー」
「そうですか、なら良いのですが」
無事を聞き安心したのか、ヴィオーラが息を整えいつもの涼しい表情に戻る。
本の整理作業を再開しながらアメリアが口を開いた。
「ヴィオーラ先輩、昨日めちゃくちゃ心配してたんだぞ」
「そうなの?病院は携帯禁止だったから連絡出来なかったんだよね、ごめんなー」
「アメリア、余計な事は言わなくて良いです」
ヴィオーラがロッソとアメリアの作業を手伝いはじめる。
どうやらこれまで新刊コーナーに置いてあった本を分類して、本棚へと納めているようだった。
「ヴィオーラ先輩ってば仕事が全然手につかなくって、昨日は全然図書の仕事がまわらなくて大変だったんだからな」
「話を盛らないで下さい。私はロッソ先生が不在でも図書委員はしっかりと仕事をこなせるという事を証明するために自分の仕事をきちんとこなしました。まあ、何だかんだで貴方がいないと図書委員の仕事で進められない事も多いので、元気でいてもらわないと困るのは確かですけど」
「おじっそが復帰したら仕事しやすいようにって仕事整理してくれてたのはヴィオーラ先輩だぞ」
「え!そうなの!昨日の仕事丸々残っててどうしよーって思ってたんだけど、今日来て見たら俺がしなくちゃいけない仕事だけピンポイントにまとめてデスクの上に積んであってさ、助かったーって思ってたんだよね。あれ、ヴィオーラがしてくれてたんだ、ありがとー」
「貴方の仕事が遅れると私達も困るのですから、図書委員として当然の事をしたまでです」
ふん、と鼻を鳴らしてヴィオーラがロッソから顔を背けた。
「おやおやヴィオーラ先輩、顔が赤いですぞ」
アメリアがからかうように指摘すると、ヴィオーラはアメリアの頭をこつんと叩いた。
◇
「おっはよーですー!」
黄色い声をあげながらリアトリスが、放課後の調理室に勢いよく飛び込んで来た。
調理室には既に直樹と瑠美がいつもの席につき、紅茶を啜っていた。テーブルにはクッキーが置かれている。
「おはよ」
「リアトリスさん、おはよーですう☆」
リアトリスがとてとてと二人に近付きお決まりの席に着席する。クッキーを一つ掴むと温かかった。出来立てなのだろう。
一口齧り、頬に手を添えながらその味を堪能する。
「んー!今日も神前は良い仕事をしてるですー!」
「ありがとうございます」
リアトリスの来訪にすぐに彼女へ紅茶を運んできた神前が、注ぐ手を止め頭を下げた。
「昨日の、あれから何か分かりましたかー?」
リアトリスが二つ目のクッキーに手を伸ばしながら二人に尋ねる。
昨日。
通り魔が出たため生徒達は教室待機を命じられた。
その後、改めて先生から生徒への連絡があったのは10時を過ぎた頃だった。
一度は偵察を控えた暴食トリオことリアトリス・直樹・瑠美の三人だったが、知的好奇心を抑えられなかった瑠美と直樹は放課後、各自情報調達に動いたのだった。
「通り魔の件を調べていたけど他にも面白い事がたくさん分かったんだ。順を追って話すよ。まずは…そうだね、どうやら最近、宮神楽小出身の生徒が立て続けに自殺したり事故死したりしていたそうなんだ」
「はへー、それはまた恐ろしい事件ですねえ」
「そう、事件。どう見ても作為的で人為的。でもさっぱり物証がなくって、警察は自殺・事故死の枠から外れて捜査出来なかったみたい」
「それを知った我が校の校長先生が宮神楽小出身の子達に注意喚起せねばと立ち上がったのですぅ!」
「関係者を集めて視聴覚室で気を付けろって話をしたんだって。本当お節介だよね」
「言われてみれば確かに二日前、やたら人の出入りが激しかったですねー」
リアトリスはクッキーを頬張りながら二人の話に耳を澄ます。
「で、昨日。二日前本校に呼んだ人達宛に、また校長から緊急の話があるから急いで花神楽へ来てほしい旨が書かれたメールが送信されてたんだって」
「おやおや、何やら不穏な展開になってきました!」
「確かに校長のパソコンからメールが送信されていたけど、どうやら外部から操作されて送信したみたいなんだ」
「学校のパソコンなんて潜り込めさえすれば、IDとパスワードを知ってる人間なら誰でも成り済ませますもんねぇ」
「ほうほう、これで何者かが裏で糸を引いている可能性がバッチリ見えてきたですよ!」
「そう。しかもそのメールを発信した後、どうやら花神楽高校のネットは切断されてたんだ。恐らく校長がメールチェック出来ないようにね」
「妨害電波って事ですか?でも携帯は普通に使えてましたよね」
リアトリスが昨日自分が学校の敷地内で携帯を使用していた事を思い出し首を傾げると、瑠美がくすくすと笑った。
「これが笑える話なんですがね、文字通り、切断なんですよおー」
「つまりどういう事ですかあ?」
「配線がね、切られてたんだって」
「うげげぇ、大胆ですう」
「うちまだ有線だからね。職員室のネット配線がさ、もう、ばっさり」
直樹が紅茶を一口啜る。
「まだあるよ。そして視聴覚室に集まった関係者各位はなんとスプリンクラーの故障により全員漏れなくびしょぬれになってしまったんだ」
「そういえば昨日、タオルで身体拭きながら校舎から出て行く人達がいた気がしますねー。勿論、スプリンクラーの故障なんかじゃないんですよね?」
「御名答。どうやらスプリンクラーの水が貯蔵してあるタンクに無機化合物が水中保存されてたんだって」
「ん、急に難しい話になりましたね?」
「スプリンクラーが放出された事でタンクの中に保存されてた化合物も一緒に散布されてたんだ。要するに、火を投げ込まれたら大火災が発生してたって事」
「皮膚からも吸収されるんで救急車で運ばれた人もいたみだいですよぉ」
「ふむむ!それは宮神楽小出身の人達を連続で狙ってるっぽい人の仕業の気配が濃厚ですね!一網打尽を狙った企てが丸見えですー!」
「未遂に終わったみたいだけどね」
「視聴覚室を爆破なんてされたらたまったもんじゃありませんよ」
「そんな事が私達が教室待機してる間に起こってたんですか、怖いですう!」
リアトリスが大袈裟に身を震わせる。
その時瑠美の携帯が鳴った。メールのようだ。画面に視線を滑らせて瑠美が口の端を上げる。
「まだまだ面白い事が起こってたんですよぉ、知ってます?グラウンドにドラム缶が置かれてた件」
「あ、見ました見ました!グラウンドにぽつーんと置いてあったので何だろうとは思ってましたぁ」
「私達が見たのは教室待機が解除されてからですけどぉ、それよりも前、ドラム缶の中にガソリン撒いた上で火ついてたんですって」
「通り魔に続き放火魔の出現ですか?!」
「で、中身を焼却炉に捨ててたんで一部こっそり頂いて成分分析してもらいましたぁ☆これはその結果報告ですぅ」
瑠美がリアトリスに携帯を渡す。
「綿、ウール、アクリル、合成皮革……何だか洋服を連想しますねえ」
「私もそう思いますぅ」
「これも何か意図があってした事なのかな」
「まったく分かりませーん。でも、昨日私達がおとなしく教室待機してる間にこれだけの事しでかしてくれるなんて、まったく楽しませてくれる奴がいたもんですぅ☆是非お近づきになりたかったですよお」
瑠美がニヤニヤと笑いながらクッキーを口へと運ぶ。
「お近づきになったら良いじゃないですか。あれ?それとも誰の仕業か特定出来なかったんですか?」
リアトリスが瑠美に携帯を返しながら直樹と瑠美を見る。
「特定出来なかったって言うか、ですねぇ」
「この一連の犯人、僕達が教室待機するはめになった元凶こと通り魔はね、うちの敷地内で死んだんだよ」
「あらまあ」
◇
隆弘は病室のベッドの上で目を覚ましていた。
部屋には放課後の空いた時間を使い、病室へと見舞いに寄ってくれたリリアンの姿があった。
ベッドの傍らに立ち、その表情は眉を吊り上げ怒っている事が伺えた。
「校舎の屋上から落ちるとか何やってるんだお前は!しかも教室待機してろって指示無視しやがった挙句のノーロープバンジーとか何だ反抗期か?!暫くお前だけ屋上行くの禁止だからなこのバタタレ!」
病室である事はおかまいなしに隆弘を怒鳴りつける。
「悪ぃ」
「運良く落下地点に車停まっててうまい事クッションになって命助かるとかGTOかよ!」
「あれ誰の車だったんだ」
「深夜。お前の命救ったって思えば安いもんだっつってたよ」
「…センセーらしいな」
「さっさと退院して元気な姿見せてやれ。車壊した事土下座で謝られるより、そっちの方がずっと嬉しいだろ」
「おう」
「まったく、屋上から落ちてその程度で済むとはどんな強運の持ち主なんだか」
隆弘の怪我は屋上から落下したにも関わらず命に係わるような怪我は負っていなかった。
「ところでよ」
「何?」
尋ねたい事はたくさんあった。
ヨシノの事、屋上に残されたあいの事、他にもたくさん。
昨日一日で花神楽高校で起こったあらゆる事後処理をどうしたのか。
しかし涼しい顔でいつも通り振る舞っているリリアンを見て、まるで何も聞くなと言われているようで、隆弘の口からは言葉が出てこなかった。
「…何でもない」
「そっか?なら私はもう行くぞ。校長先生はこう見えても多忙だからな」
そう言ってリリアンは持って来ていた紙袋を机の上に置いた。
「何だそれ」
「入院生活は暇だろうと思って、私のおすすめ小説持って来てやったんだよ」
「ホモか」
「何だよ不満か?お前だって読んだり観たりしてるの知ってるんだからな!」
「そりゃ資料のためだよ」
「これも資料になるって!いやあ久々に胸が熱くなる濃厚な絡みだったからよ」
小説の中身を思い出しているのか目をきらきらと輝かせた。
そこで壁にかけられた時計が目に留まる。
「おっと、ほんとにもう戻らないとだわ。安静にしてろよ」
「見舞いサンキュな」
リリアンが隆弘に手をひらひらと振りながら病室から扉へ向かう。扉から廊下に出てたところでリリアンは立ち止まり振り向いた。
「西野」
背中を見送っていた隆弘と目が合う。
「よく頑張ったよ、お前は」
◇
昨日。
本館の屋上か落下する人影を見たリリアンは、持っていた消火器を放り投げ落下地点へと向かった。
直後に響いたのはガラスが割れるような音と重たい衝突音。
突然全力で走り出した校長を見て驚いた様子で顔を見合わせていたソウルとイセリタも、何かがあったのだと察してついていく。
駆けつけると校舎に寄って駐車されていた深夜の車の上に隆弘が仰向けに倒れていた。
車は隆弘を受け止めたかのような形で凹み、ガラスは砕け辺りに飛び散っている。
先程見た落下する人影と次いで聞こえてきた衝突音と目の前の光景から、隆弘が屋上から落下したビジョンが脳裏に浮かび校長の顔が青ざめる。
遅れて駆けつけたソウルとイセリタが息を呑んだ。
「イ、イセリタ先生救急車を!私は隆弘君の方を!」
「分かりました!」
イセリタはすぐに携帯を取り出して救急車を要請する。
ソウルは車に上り隆弘の口元に耳を当て容態を確認しはじめた。
「呼吸はしてる」
「よし!どこの骨が折れてるか分かんねえから、下手に素人が動かさねえ方がいい!」
「そうだな」
ソウルが車に衝撃を与えないよう慎重に降りる。
急いで職員室に向かいたいところだが、救急車が来るまでここを動く訳にもいかない。
リリアンがどう判断したものかと難しい顔をしていると、ソウルが
「職員室へは私が行ってくるよ。ドラム缶の件も大事なかったと留守番組にも報告しといた方がいいだろうし」
と提案した。
「人手がいるでしょう。私も行きます。校長は一人で大丈夫ですよね?」
それにイセリタが続く。
リリアンは一瞬呆けた顔をしたが、すぐに引き締めた。
「良い部下を持ったよ、私は」
「誰が部下だ」
「チームワークですよ」
軽く笑い合ってから、ソウルとイセリタは本館の方へと駆けて行った。
あの二人が職員室に戻ればなんとか場を治める事は出来るだろう。
花神楽高校に昨日集ってもらった教員生徒がメールで呼び出されたといい花神楽高校へと集っていた。勿論リリアンにそんなメールを誤送信した記憶などない。ネットは今朝から繋がらなかったのだから。
つまりこの事態は一体どういう事なのだろうか。
あれこれ考えていると、車の後ろから物音が聞こえた。
咄嗟に通り魔が出没した事を思い出し、リリアンの顔が強張る。
「おい!そこに誰かいるのか!」
声を張り上げると「にゃ?」と呑気な声が聞こえ、車の後ろから子供がひょっこりと姿を現した。
顔に見覚えがある。
「お前、確か夏休みうちに遊びに来てた…」
「ヨシノだよー!校長先生だったよね、こんにちはー」
夏休みに原稿を手伝ってくれた隆弘の友人だった事を思い出す。
ヨシノは上着についた埃を払いながら、訝しげに自分を見るリリアンの視線に気付き、夏休みと変わらない人懐こい笑顔を見せた。
「お前、どうしてこんなとこに」
言い終る前にヨシノの左腕が赤黒く濡れている事に気付き言葉を詰まらせる。
その視線を受けて、ヨシノは表情を変えずまっすぐに答える。
「校長先生が花神楽へ来るようにメールしたんでしょ?だから来たんだよ」
「そうか、お前も宮神楽出身だったのか」
「そうだよ」
「で、お前、その傷は」
傷口を見ていないが左手を伝いぱたぱたと滴り落ちる血から、その傷が深いであろう事は容易に想像がついた。
しかし処置を施そうにも、血を含んで袖が肌に貼り付いている。
下手に動かして服が擦れ傷口を更に傷つける訳にはいかなかった。
リリアンが悔しさで握り拳を作る。
「あ、そうそう、大変なの」
「何があったんだ」
「校内で襲われたの。びっくりしちゃった!」
◇
校長が帰った後、隆弘はなんとはなしにテレビを付けた。
チャンネルを回していると花神楽高校が映っていて、何事だと思い音量を上げる。
報道番組のようだった。
それは、昨日、花神楽高校に通り魔が出た件についてだった。
通り魔が野放しになってるんだから報道して注意喚起するのが普通か、と思い、恐らくそれら全部を引き起こした張本人であるヨシノの事を思い出す。
あの時屋上から飛び降りたヨシノの後を追って、咄嗟に駆け出し助けようと身を乗り出して、勢いのまま自分も落下して、手を掴んだ事までは覚えている。
それから気付いた時には病院のベッドの上だったので、隆弘はヨシノがどうなったのかを知らない。
生きているのか死んでいるのか。
それさえも、誰に聞けば答えが返ってくるのかも分からない。
ベッドに背を預け大きなため息をつく。
リリアンは出て行く時に「よく頑張ったよ」と言った。
何があったのか、知っているのだろうか。
報道番組では今年8月末から、宮神楽小出身の生徒が立て続けに相次いで自殺・事故死していた事も報じられている。
そして。
それらを引き起こしていた主犯と思われる人物が、屋上で首を裂かれて死んでいるのが発見されたと報道されていた。
「…は?」
隆弘は耳を疑った。
◇
学校に戻ったリリアンは校長室の椅子へとどかりと座り天井を仰いだ。
「お疲れみたいだな」
職員室からコーヒーを二つ持って深夜がやってきた。一つをリリアンの目の前に置き、一つを自分の口へと運ぶ。
「もう事後処理が大変でさー…昨日から電話鳴りっぱなし。コール音トラウマになりそう」
深夜が運んできたコーヒーを啜る。
リリアンが言った通り今日一日職員室の電話は鳴りっぱなしだった。今は職員室と校長室に繋がる電話線を外しているのでコール音は落ち着いていた。
「そういえば、昨日お前が保護したっていう子はどうなったんだ?」
「あー宮神楽の子ね。左腕怪我して屋上から落ちたっていうのに元気にしてるよ」
「何でうちに来てたんだ」
「ほら昨日、私から連絡受けたっつって二日前に集まって貰った人達集まってたでしょ。その子も宮神楽小出身の子でね、一緒に来てたんだって」
「なるほどな。それで、そこからどうして屋上から落ちる事になるんだ」
「本人によると、校内で切り付けられて襲われたから逃げたんだって。で、気付いたら屋上に出ていたって話よ。追い詰められて、突き落とされそうになって、そのまま、だって。西野が庇ってくれたみたいだけど漫画みたいな展開だよね。拾ったガラス片で応戦したって話だから、その際に首を切り裂いてたんだろうって事情聴取しに来てた警察は自己完結してたよ」
「…通り魔、か」
深夜の呟きを聞き、リリアンが目を細める。
昨日、花神楽の屋上で子供の遺体が発見された。
未成年のため名前は伏せられているが、子供の名前は百々瀬あい。
宮神楽高校在籍の生徒だった。
今年の夏から続発していた宮神楽小出身生徒の連続不審死の関連を疑われている人物。
昨日出没した通り魔だと疑われている人物。
「納得いかないって顔だな」
「あの子の証言を鵜呑みにして、通り魔だって決めつけちゃって良いもんかねえ。早く収集つけたいって宮神楽のお偉いさん方の気持ちは分かるけど、賛成は出来ねえわ」
リリアンがコーヒーを飲みほし、カップをことりとデスクの上に置く。
「おいしかったよ、サーンキュ!」
「その子、昨日は病院で診て貰った後お前んとこ泊まったって聞いたけど、親御さんと連絡とれなかったのか?」
リリアンが首を横に振った。
「親、いないんだってさ」
◇
夜。
病室の窓が自然に開いた。
一瞬心霊現象かと肝を冷やした隆弘は、よく見知った顔が窓から顔を覗かせた事に胸を撫で下ろした。
「やっほー!お見舞いに来ました!」
ヨシノが明るい声を出す。
「テメエ何処から入って来るんだよ」
「もう面会時間過ぎちゃったから玄関閉まってて」
「面会時間どころか良い子は寝てる時間だけどな」
時刻は23時を過ぎた頃だった。
ヨシノが窓枠を飛び越え室内に着地する。
「テメエは屋上から落ちたっつーのに元気そうだな」
「隆弘クンがクッションになってくれたから、助かっちゃった!」
「そうかよ」
「隆弘クンも元気そうで良かったよ!」
軽快に笑い元気に振る舞うその姿からは、昨日左腕に深い傷を負い屋上から落下しただなんて、現場を見ていない人間には信じられないだろう。
「あの時、何で飛び降りたんだ」
低く、呻る様に尋ねる。
なんとなく答えの察しはついていたが、尋ねずにはいられなかった。
「俺は宮神楽小出身だよ」
「知ってる」
「綾の友達なんだ」
「知ってる」
「一人でも多い方が賑やかで楽しいでしょ。だから」
やはり到底納得が出来る答えではなかった。
つまり、宮神楽小出身の生徒を殺す延長で、自分さえも殺そうとした。
「救いようのない馬鹿だな」
隆弘は一人ごちる。
そんな気落ちする隆弘の事はおかまいなしにヨシノは話を続ける。
「それでね、今日はお願いを聞きに来たんだよ」
「あ?」
「ほら鬼ごっこの罰ゲーム。負けた方が勝った方の言う事なんでも一つ聞くってルールだったでしょ!もう俺の勝ちだと思ったんだけどなー。あんなギリギリで手を掴まれちゃうなんて想定外だったよ」
ヨシノががっくりと肩を落とす。
どうやら図らずも、落下するヨシノの手を掴んだ時点ではまだ鬼ごっこが終了していなかったようだ。どこで時間を確認していたのかは謎だが、体内時計で計っていましたと言われても今更驚かないし、自分にとって悪い話ではないので隆弘は触れないでおく。
「さ、どーぞ?」
ヨシノはいつもの笑顔で隆弘に問いかける。
罰ゲーム。
勝った方が、負けた方の言う事をなんでもひとつ聞く。
鬼ごっこ開始当初は正直に答えろと添えた上で、事件への関与を問うつもりだった。
しかしその必要はもうなくなってしまった。
目の前のコイツが。
ヨシノが。
友人が。
宮神楽小出身の生徒を殺して回っていたのは疑いようのない事実だった。
そして昨日の通り魔も、恐らく。
しかし何故かその一連の犯人はあいであったと報道されていた。
屋上で死亡していた犯人と思しき宮神楽在住の生徒。
犯人と攻防の末屋上から落下した被害者。
事情聴取から浮き彫りになった、校内での出来事。
もはやしっかりと耳に入ってはこなかったが、おおよその想像は出来た。ヨシノがそう疑いの矛先が向くように証言したのだろう。
自分がどう証言したところで覆らない。
リリアンの「よく頑張ったな」は、友達を助けに屋上へ向かった事や、庇い落下した事に対しての労いであったのだろう。
必死に動き回ったつもりで、結局何も変えられなかった。
ヨシノはにこにこと返事を待っている。
どんなプレゼントが貰えるのかと期待する、無邪気な子供のような笑顔を浮かべている。
隆弘は再度考える。
今の自分に出来る事を。
「……殺すな」
「にゃ?」
ぼそりと呟いた声はヨシノの耳には届かなかったようで首を傾げられた。
隆弘はもう一度、はっきりと口にした。
「金輪際、誰も殺すな」
物騒な願い事にも関わらずヨシノは大して気にした様子もなく、いつもの調子で頷いた。
「分かった、約束だね!」
「ああ、約束だ」
こうして、鬼ごっこは決着がついたのだった。
◇
後日。
花神楽高校に、八千代紫乃という転入生がやってくるのは、また別の話。