宣戦
突然姿を現したヨシノに隆弘は度肝を抜かれていた。
隆弘は念のため道中誰か潜んでいないかと目を配っていたが、そんな気配はなかった。人の気配を察知する達人という訳ではないので絶対とは言い切れないが、自分が見える範囲に人影はなかった。
ただ自分が見逃していた、見落としていただけだろうに、こうしてヨシノは通話を切った直後同じ空間に現れたものだからまるで狐につままれたように感じられた。
その不気味さに頬を汗が伝う。
「テメエ、何でこんなとこにいるんだよ」
「隆弘クンが来いって言ったんでしょ?」
「来いと言われたからやってきましたじゃ通らねえだろ」
隆弘が威嚇するように鋭い目つきをヨシノに向ける。
「えっとねー、校長先生がここで大事なお話するって連絡貰ったの。遅刻しちゃって、今着いたとこで、そんな時隆弘クンから電話を貰ったんだ。これでいーい?」
平然とヨシノが語る。
「ね、ね。それよりさ、遊ぼうよ」
ヨシノが無邪気に笑う。
隆弘が二の句を継げずにいると、あいが動いた。
駆け出してヨシノとの間合いを縮め握った右拳を首元目掛け打ち上げた。
距離があったためあいのモーションが読めていたヨシノは身体を右に半回転させて避ける。
あいは舌打ちをした後踏み止まりヨシノに向き直りながら飛躍した。顔面を狙って左膝を飛ばす。
しかし膝が目標に届く寸での所で、接近していた隆弘があいの腹を抱えるようにして引き戻した。
「何すんのよ!邪魔するならあんたから折るわよ独活の大木!」
「無暗につっこんでんじゃねえよ猪かテメエは!」
あいを脇に抱えたまま隆弘がヨシノと距離を取る。
隆弘があいを引き留めなければ反撃するつもりだったのだろうか、ヨシノの手にはいつの間にかスタンガンが握られていた。
「テメエ、そんな物騒なモン持ち歩いてるんじゃねえよ!」
「護身用だよー」
ヨシノがさらりと答える。
「熊も一発昇天改造スタンガン!」
「過剰防衛だろそれ!」
「何言ってんの。現に今、俺、首折られそうだったじゃん。正当防衛だよ」
あいが舌打ちする。
「スタンガンの改造って犯罪にならないの」
「スタンガン自体が合法品だから口頭注意止まりだろうよ」
「それにこれ改造したの俺じゃなくてくるちゃんだからね。俺は借りただけー」
隆弘はくずはがスタンガンを所持していた事を思い出す。
「アイツがよく貸してくれたわね」
「改造したのはくるちゃんでも、スタンガンはくずは先輩のだからね。くずは先輩に貸して下さいってお願いして、ちゃんと了承を貰って借りたんだよ」
くずはは何事にも無関心なので、大抵の物は貸してと頼まれれば二つ返事で了承するであろう事は容易に想像がついた。
しかし今問題なのは所有者が誰かではない。ヨシノがスタンガンを所持しているという点が問題だった。
スタンガンとはいえどんな使い方をしてくるか分からないと隆弘は懸念する。
「そんな事よりさ、ね、何して遊ぶの?」
ヨシノが子供のような笑顔で隆弘の返答を待っている。
そういえば余裕を見せようと電話越しにそんな事を言った気がする。
隆弘はこの場をどう切り抜けるか数秒思案して、抱えていたあいをヨシノの方へ放り投げる事にした。
あいを放り投げたと同時に駆け出す。
ヨシノが一瞬でもあいに気を取られてくれれば詰められると判断した間合いを駆ける。
全身水に濡れた女子高生を放り投げるのは躊躇われたが、他にヨシノの気を逸らせそうな行動が思い付かなかった。運悪くスタンガンを食らったところで感電死はしないだろう。
なるべく奪い取る選択肢も選びたくはなかった。
力比べでは負ける気がしないのに、ヨシノの間合いに入るのは躊躇われた。
根拠はないが、嫌な予感しかしない。
けれどスタンガンを持たせたままにしておくのも嫌な予感しかしなかった。
スタンガンを奪い取ろうと手を伸ばす。
「にゃは」
ヨシノは隆弘を遊び相手と認識しているので隆弘から目が逸れる事はなかった。
隆弘は舌打ちをするが、次の瞬間ヨシノがスタンガンを横へと放り投げた。
「?!」
結果的にスタンガンを手放させる事が出来たが、何故、と脳内に疑問符が湧くと同時にヨシノが両手の掌を開き隆弘に向け突き出すのが見えた。
ヨシノがスタンガンを手放したのは行動の邪魔だと判断したからである。
目潰し。親指が隆弘の両目を狙っているのは明白だった。
隆弘は急ブレーキをかけるがヨシノも隆弘に向かって踏み込んでいた。
目を潰そうと悪ふざけで向かってきているのだと誤解しそうになる程楽しそうに無邪気にヨシノが笑っている。
目の前にいる人間の目を潰そうとしているのに、悪気も悪意も感じない。
人に危害を与えたところで、きっと次の瞬間隆弘の目を潰し目の前で苦しみ悶え呻いたところで、変わらず笑っているのだろう。
関わった時間は短いけれど、八千代紫乃とはそんな人間なのだと充分過ぎる程隆弘は理解していた。
隆弘が叫ぶ。
「俺に触れたらお前の負けだからな!」
ヨシノの動きが止まる。軽やかに数歩下がり隆弘から距離をとった。
目の端にうつるその後ろ、投げ飛ばされた体勢からうまく着地したあいが鬼の形相で隆弘を睨んでいたが、睨まれている当の本人は見なかった事にした。今は目の前の友人に集中する事だけを考える。
「負け?」
ヨシノが首を傾げる。
咄嗟にヨシノを止められそうな台詞を口にしただけだったが効果は抜群のようだった。
動かす口を止める訳にはいかない。考えながら続ける。
「ああ。俺に触られてもお前の負けだ」
くずはが花神楽に編入してくる前に騒ぎを起こした事を思い出す。
その時灰花はくずはは加減が分からないだけだと言った。道を踏み外さないように見守るのが自分の役目だとも言った。
それに対し隆弘は騒ぎを止められなかった灰花へ何故身体張ってでも止めなかったのかと、何故殴ってでも引き留めなかったのかと叱責した。
後に、くずはが騒ぎを起こしている時分灰花はプリンを買いにくずはの傍を離れていたと知った。
今はどうだ。
友人が騒ぎを起こしている張本人かもしれなくて。張本人だと疑われている。
「呑み込みが悪ぃな」
「隆弘クンが言葉足らずなんだよ」
「簡単な話だろ。時間はそうだな、10分間。その間お前は俺から逃げ回れ。時間内にお前が俺にタッチされたら負け。逃げ切れたらお前の勝ちだ。あ、校内からは出るなよ」
本当に友人が連続殺人を行っているのだとしたら、身体を張ってでも止める。殴ってでも引き留める。その気持ちに偽りはない。
けれど友人が犯人だという証拠は何一つなく、いくら怪しくともこの先決定打になる証拠など見つかる事はないのだろう。
だから、友人がそんな凶悪な犯罪者ではないという甘ったれた妄想に縋っていられる。
「勿論負けた方には罰ゲームだ。勝った方の言う事をなんでもひとつ聞く!」
「にゃ、それは負けらんないね!」
真犯人を見つけ友人にかけられている疑いを晴らすなんて事はしてやれない。
それでも、考えずにはいられない。
友人のために今の自分に出来る事。
どんなに絶望的な状況下でもリリアンなら決して見捨てたりしないと思うから。
「鬼ごっこだ、はじめようぜ」