救援
隆弘は視聴覚室に向け駆け足で向かっていた。
「助けに来なさい」と一方的に告げて電話をきったあいの言う通り動くのは癪だが、視聴覚室の扉が開かずスプリンクラーの故障で放水が止まらないという話を聞かされ知らんぷりを通しては後がうるさそうだと思ったからだ。
生徒は指示通り教室で待機しているようで、教室から話し声は漏れてくるので静かにとはいかないようだが、廊下を出歩いている人間は一人もいない。
視聴覚室がある別館へ移るため階段を下り渡り廊下を進む。
左手に職員室が見えたが、教員が出て来そうな気配はなかった。
教師に視聴覚室の件を話した方が良いだろうかと一瞬悩んだが、現状を見るに教師達は今通り魔の件で手一杯なのだろうし、報告をするなら視聴覚室の様子を自分が見て来てからの方が校長の負担が減るだろうと判断し隆弘は一直線に視聴覚室に向かう。
あいの命令ではなく校長の負担を減らすためだと思えば俄然やる気が湧いてくる。
別館の階段を上りきると視聴覚室が見えた。ぎゃあぎゃあと騒がしい声が廊下に漏れている。
扉の前には木製書架がずしりと鎮座していた。
何故そんな所に、と隆弘は疑問に思ったが、視聴覚室の扉が開かない原因はこれだと推測する。単純に書架がJレバーが降りるのを邪魔しているだけの話なのだろう。
図書室から運ばれたようで、図書室から視聴覚室の前まで、その書架に収納されていたのであろう書籍が廊下に点在している。
書架をどかせば難なく扉を開ける事が出来そうだと安堵する。
しかし、視聴覚室の扉が開かないのは事故ではなく人の故意によるものだという事実に隆弘は気が重くなるのを感じた。
「通り魔とやらが校内に侵入してるなんてオチはやめてくれよな」
ああ、でもそれだと通り魔が視聴覚室の扉を塞ぐ意味が分からない。
そもそも校舎の別館三階に人が集まっているなんて情報どんなルートで仕入れられるのだろうか。
誰が、とか。
何故、とか。
あいの言う通り今回の件も犯人をヨシノにしてしまえば疑問に思う事すべてに答えが出る。
視聴覚室に閉じ込められているという連中は宮神楽小の出身者達なのだから、一連の事件の主犯から見ればまとめて殺してくれと言っているようなものだから。
書架を持ち上げ運ぶ事は出来ないが、押せば自分一人でも移動させられそうだったので、移動させる。書架と廊下が擦れ擦り傷がつくような甲高い音が聞こえるが気にしてはいられない。
隆弘がヨシノを疑いたくない理由など、友人だからという根拠もなく筋も通っていない小さな子供の意地のような感情論でしかない。
きっと最近巻き起こる物騒事はすべて妖怪のしわざなのだ。
友達になったら騒動はおさまり、以後召喚に応じ助けになってくれる。
いつだったかテオと共にノハに吹き込んだ冗談を思い出しながら、隆弘は障害物がなくなった視聴覚室の扉の開ける。
室内はあいの言った通りスプリンクラーによりシャワーが撒き散っていた。扉の前に設置された書架を見た隆弘には、このスプリンクラーの誤作動すら一概に故障とは思えなかった。
辺りを見渡すと呼び出された生徒教師達は少しでも濡れないようにだろうか壁際に寄りっていたり、濡れる事に諦めを覚えたのだろうか椅子に座って机に伏したりしている。
扉が開いた音は吹き出すシャワー音にかき消され、誰も気付いていない様子だった。
隆弘は出られる事を伝えてやろうと声を張り上げようとした。が、あいが目の前にいる事に気付き思わず咳込む。
「来てくれたのね」
本人が言っていた通りずぶ濡れだった。
「礼を言うわ、ありがと」
「お前も素直に礼が言えるんだな」
朝会った時よりも遥かに不機嫌そうに見えた表情が更に険悪になる。
「失礼な男ね、言い損だわ」
「褒めたつもりだったんだがな」
「アンタに褒められたって嬉しくないわ」
そう吐き捨て、あいが教師に扉が開いた旨を伝えたらしい、話を聞いた教師が生徒に外へ出るよう指示を出しているようだった。
扉を開けた時には気付かなかったが、内側にある筈のドアノブは取り外されなくなっていた。
「これじゃ開けられねえなあ」
昨日見た時には確かにドアノブはあった。あれから外れ紛失したとは考えにくい。
ドアノブが取り外されていなかったところで、外側には書架が置かれているのでドアノブは下りないのだが。
苦笑いすら出来ない。
何人かの教師からも扉を開けた事への礼を言われたが、大抵の人間は動揺していたり青ざめていたり周りを気にする余裕がないのだろう、隆弘に気付きもせず教師に誘導され彼の目の前を通り過ぎていく。
隆弘としては礼など求めての行動ではないので、邪魔にならないよう廊下の端に寄る。
視聴覚室から出た後の事は自分には関係ないし、余計な事に巻き込まれないので早々に教室へ戻っても良かったのだが、なんとなく廊下の壁にもたれ掛かり視聴覚室から出てくる人間を見る。
昨日見た顔の筈だが、いちいちその場にいた人の顔など注視する訳もないので一人一人をぼんやりとも思い出せない。
それでも、昨日よりも生徒の数が減っている事だけは分かった。
ヴァレンタインのように危険から身を守るため外出を控えているのかもしれない。
体調不良かもしれない。
ハンナ以外にも被害者がいたのかもしれない。
他校の教師に職員室の場所を尋ねられ答える。
これから校長はまた忙しくなるだろう。
自分が彼女のために出来る事はないだろうか、なんて隆弘が考えていると、室内にいたほとんどが階下に降りたにも関わらずあいが立ち止まりこちらを見ている事に気が付いた。
「お前は行かなくていいのかよ」
水が滴る前髪をあいがかきあげる。
「ヨシノと連絡取れるんでしょ」
隆弘の問いには答えない。
「呼びなさい」
「行方不明の奴がはいそうですかってのこのこ出てくると思うのか」
あいは何も言葉を返さない。じっと隆弘を見ている。
尋ねるまでもなく今回の件を仕掛けたのもヨシノと当たりをつけているようだ。
友人を殺した犯人だと思っている人物と連絡が取れるかもしれないのだ、断ったところであいは譲らないだろう。
ここまで来たのだから電話をかけるくらい良いか、と。
わざと相手に聞こえるように大きくため息をつき、携帯電話を取り出す。
発信履歴を遡りヨシノの番号をタップする。
呼び出し音がなる。
出てほしくもあったし、出てほしくないとも思った。
数秒も経たず呼び出し音が途切れると、聞き慣れたいつも通りのヨシノの声が耳に届いた。
あっさりと電話が通じ隆弘から緊張感が抜ける。
『ほいほい隆弘クン、何か用かな?』
声が漏れ聞こえたのであろう、あいの眉間がぴくりと動き険しい顔つきに変わる。
『今授業中でしょ、電話なんかしちゃいけないんだー』
「そういうお前だって電話に出てるじゃねえか」
『そうか、お互い様だね!』
電話の向こうでヨシノがからからと笑う。
「お前、今どこにいるんだ?」
『そんなプライベートな質問にはお答えできません!』
「どうせ暇だろ、ちょっと付き合えよ」
『原稿のお手伝い?』
「違う。この前遊びに誘ってやるっつったろ」
『にゃ?そうだね。ん?もしかして今から?』
「ああ」
『学校サボッて遊んじゃうなんて隆弘クンったら不良だー!校長せんせーに失望されちゃうぞ!』
「つべこべ言わずに出て来い」
隆弘が肩を竦める。一呼吸置いて、挑発的に笑う。
「遊んでやるよ」
『……』
ほんの少し沈黙した後、ヨシノの愉快そうな笑い声が聞こえた。
通話が切れる。
「いーよ」
通話が途切れたと同時に隆弘の耳に届いたのは、たった今通話していた相手の肉声だった。
顔をあげ声がする方に隆弘が視線を向けると、いつも通りにこにこと笑うヨシノと目が合った。