一途
葛城兄弟を乗せた斉賀の車はブレーキが利かない状態で一般道を走行していた。
通勤ラッシュが落ち着いた時間帯だからか、幸い車通りの少ない一般道を加速しながら爆走していく。
法定速度を超過しているなど端から見れば一目瞭然の有様だというのに、未だ警察に追われていない現状は奇跡と呼べた。
まだスピードが出ていない状態だったならエンジンブレーキを使いながら減速させるなど方法はあったが、斉賀がブレーキが利かない事に気付く数秒前に信号に差し掛かり、黄色だったので一時停止しようとした彼がうっかりブレーキとアクセルを間違えて踏み込んでしまっていたのだった。
後部座席に乗るくずはは荒い運転にも関わらずいつもの表情いつもの調子でぼんやりと窓の外を眺めている。
助手席に座るくるは斉賀を信頼しているので、乗車すれば車内が非難轟々の嵐になる斉賀のドライバーテクニックに不安を感じた事は一切ない。
しかし今回ばかりは強張った表情を斉賀に向けていた。
斉賀はブレーキが利かない状態である事を明言してはいないが、聞かずとも現状を理解する事が出来る程の危険運転だった。
「舌噛んじゃうかもだから、暫くお口チャックしててね！」
「は？！」
言いながら斉賀は長い直線に出たので躊躇いもなくハンドルを切り車体をガードレールに擦り付けて減速を試みる。
衝突の衝撃が車内にいる三人に伝わると同時に甲高い轟音が鼓膜を突き刺す。
生まれつき音に敏感なくるが短く悲鳴をあげ耳を塞いだが、空気を震わせる音の暴力が和らぐ事はなかった。
「ごめんね！」
一旦ガードレールから離れ再び激突する。
激しい振動でハンドルから手が離れてしまいそうになったが、斉賀は強く握り込み車体をガードレールに擦り付け続ける。
僅かに減速したが停車を望める速度にはならない。
「運転が荒いです」
「もうちょっと我慢しててね」
後部座席から不満そうな声が飛んでくる。
“もうちょっと”と答えたが、もうちょっとでこの窮地から脱する事が出来るのか斉賀には分からなかった。
スピードがつきすぎているのか、ガードレールに擦り付けていてもこれ以上の結果は望めそうにないと判断し離れる。
すると、耳を塞ぎ身体を丸め悲痛な呻き声を漏らしていたくるが大きく息をはきながらゆるゆると顔をあげた。
よほど苦痛だったのだろう、呼吸が荒い。
「車、故障ですか？」
「あはは、そうかも」
「笑い事ではありません。これでは店舗に辿り着けません」
不服そうにくずははシートにもたれかかる。
斉賀が一瞬でもハンドル操作を誤れば命を落としかねない事態の渦中にいるというのに、くずはは目的地に辿り着けないかもしれない事に立腹しているようだった。
命の危機だというのに自分のペースを崩さない兄の将来を心配するようにくるが後部座席の方に視線だけ向け、小さくため息をついた。
「パティスリーはまたの機会だね。折角学校休んでまでついてきてくれたのに災難に巻き込んじゃってごめんねー」
「実さんは何も悪くないんだから謝るなよ」
「待ってください。車の故障ごときでどうして今日はもう無理だと決めつけるのですか」
「くず兄は何でこの状況でまだ行けると思ってんだよ！店は逃げねえから次の機会でいいじゃん！」
「諦めてはいけません」
「今日予定してたプリンを食べる事は諦めろよ！」
あはは、と斉賀が笑う。
笑いながら、車を停車させる方法を模索する。
同乗している二人だけでも無傷で帰したい。
追い越し車線が併設されているので車線変更を行いながら直進出来てはいるものの、いつまでもは続かない。
「ねえ、くる君。この前うちで一緒に観た洋画覚えてる？」
「どれの事だよ」
突然逸れた話題にくるの声色は困惑していたが、律儀に斉賀の質問に答えようと記憶を辿る。
くるはよく斉賀の家に遊びに行く。その際レンタルしてきたDVDを観る事もあるのだった。
「田舎町で繰り広げられる元麻薬潜入捜査官と麻薬密売人のアクション映画！」
「覚えてるけどそれがどうしたんだよ」
「ラストのカーチェイスシーン、盛り上がったよねー」
「それが何…」
映画のラストは悪党を主人公が追うカーチェイスだった。
悪党の車が可動している沿岸間橋に無理矢理突っ込み、それを追う主人公の車が段差に乗り上げ車が横転してしまうシーンが頭を過る。
「え、実さんもしかして」
映像の中でひっくり返った車は走行不能になり、“停車”していた。
斉賀は前方を見たまま、くるの想定を肯定するかのようにこっと笑う。
「うまくいくように、僕の分まで神様にお祈りしといて！」
加速する。
「神様なんて信じてねえよ！」
「じゃあ僕を信じてて！」
勢いよく三人を乗せた斉賀の車の片車輪が縁石に乗り上げる。
車体の傾きに沿うようにハンドルを操作する。
くるが想定した方法で、車は横転した。
地面に叩き付けられた衝撃で車のガラスは砕け、装甲は拉げ、剥がれた金属片がコンクリート上に散らばった。
斉賀の希望的観測通り、車は停車した。
