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未来の季節 短編集

雨降る森で、待ち合わせ。

作者: 沙魚川 出海

Ceuiのアルバム【パンドラ・コード ~絶望篇~】に収録されている楽曲『雨降る森で、待ち合わせ。』にインスパイアされて書いた物語です。

セイ子ちゃんが作詞作曲したこの楽曲が大好きすぎて、妄想した結果こうなりました。

物語の世界観は楽曲や史実と全く関係ありません。舞台や時代はある島の背景をイメージしていますが、実際の歴史とは当然ですが異なります。

 ガラガラ、ゴロゴロと土が抉られてゆく。

 奴は今日も、ずっしりとのしかかってくるような疲労感を僕の体に植えつけていた。

 止めどなく流れ落ちる汗が、乾いた大地に染み込んで、その汗を吸い取った黄褐色の土すらも削り取って奴は進む。

「ジュビア! 何をしている、アフまではまだまだだぞ!」

 息を荒くする僕に、父上から叱責が飛んだ。周りのみんなの視線が僕に注がれる。

「す、すみません」

「ほかの者を見ろ! 音を上げているのはお前だけだ。もっと気を引き締めろ!」

 力なく返事をする僕に、村の男達からは溜息とも失笑とも取れる反応が起こった。

 ――いつものことだ。

 男達は皆筋骨逞しく、大柄で、土と同じ褐色の体躯は太陽の光を燦々と受け漲っている。それなのに僕は、まるで小枝のように細く弱々しい体つきをしていて、腕力なんて女の子にも負けるんじゃないかというほどだった。僕は昔から、力仕事というものが嫌で嫌で仕方なかった。

「行くぞ、せーのっ」

 男達の掛け声に、僕も小声で加わる。奥歯が割れそうになるくらい歯を食いしばりながら、縄を懸命に引っ張った。樹皮を編んでつくられた縄は、手に食い込むとすごく痛い。

 後ろを見ると、そりの上に寝そべっている奴は、相変わらず無言で身じろぎ一つしない。

 汗まみれの茹った頭は、いつもぼやきでいっぱいだ。

 父上も母上も、村のみんなも、誰も彼もが『奴』を崇めている。尊んでいる。畏れている。

 あんなの――ただの石の像なのに。

 確かに、昔は僕もそうだった。みんなと同じように、その存在をありがたがっていた。狭い集落の狭い一族に僕が生まれたその時から、いや、そのずっとずっと前から、今後ろで僕達に引き摺られているのとは別の『奴』は、僕達のことをただ黙って見つめていた。何も語らず、動きもせず、雨の日も風の日も、石の祭壇(アフ)の上で海を背にして固まっている――大きな影。

 でも、僕達の村にいた『奴』は今、無残な姿で倒れていた。

 砕かれたのだ。もう何百年もの間、何世代にも渡って僕達の一族と争い続けている敵の部族に。

 それは音を立てて――代わり映えのない、けれども誰もが大切に思っていたはずの平穏な時間と共に、崩れ去り壊された。

 今、僕達がそりに乗せて引っ張っているとんでもない重さでおまけに不細工な巨大顔面像は、壊された奴の代わりというわけだ。

 代々村の守護を司り祈祷を捧げてきた、一族の象徴たる石の像が破壊されてしまったため、男達はすぐに村を飛び出てラノ・ララクへと向かった。そこは噴火口付近にある採石場で、周辺一帯には火山灰が凝り固まった岩の世界が広がっている。ばかでかい奴はそこから生まれるのだ。岩を掘って、削って、彫って、磨いて。何日もかけて、そうして偽物の命を吹き込まれた奴に縄を縛着し、木でつくったそりに乗せ、海沿いの村まで何粁も何粁も、延々と引っ張ってゆく。村を出てから、もう五十回以上朝と夜を繰り返しているわけで、僕はもうほとほと疲れ果てていた。

「もう少しだ――あと少しで村に着く……。新しい御像を奉じたら――奴等に目に物見せてくれよう――」

「愚か者どもに鉄槌を――」

「父祖伝来の我等が地――汚した罪、決して許さんぞ――」

 縄を握る重い足取りの男達が、低く呪うような声で口々に呟いた。かんかん照りの太陽の下、暗く陰に沈んだその瞳はどこに向けられているのだろう。目的地は同じはずなのに、彼等が見ている景色は僕のそれとは違う気がした。

 ――きっと、もうすぐ戦が始まる。

 大人達は皆、武器を取って戦いに出るだろう。ずっと昔から――僕が生まれる何年も前から、連綿と受け継がれている争いの系譜。

 この狭い島に生まれた時から、きっと僕の名前もその系図に刻みつけられていて、一度彫られたものを消すことなんてできやしないのだ。

 それこそ、あの石の像みたいに破壊しない限りは。

 小枝の僕に――そんな力はない。

 ガラガラ、ゴロゴロと土が抉られてゆく。

 青色の大空と土色の大地。

 僕達を鎖す世界。

 奴を乗せたそりの木が、みしみしと軋んで悲鳴にも似た音を立てた。

 それでも奴は、何も語らない。



「生まれ変わったら、人間になりたいな」

 咲いたばかりの花のような気もするし、今にも散りそうな花のようにも思える――不思議な儚さを持った彼は、いつもと同じ枝に腰かけてそう言った。

「バカだなあ、スェロ。人間なんかになったって、いいことなんて一つもないぜ? 嫌なことばっかりだし、疲れるだけだよ」

「そうかな? ぼくには君達がとても楽しそうに見えるよ」

「どこがだよ。争ってばかりじゃないか。父上は厳しいし、あの像造りももうたくさんだし、全然楽しくなんかないよ」

「楽しくないのに、どうしてずっと同じことを続けているんだい?」

「そんなの――知らないよ。ずっと、そうだったんだから」

 不貞腐れる僕に、それにね――と付け加えてスェロは笑みを零した。

「人間になれたら、ジュビアといろんなところに行けるよ」

「…………」

 僕達二人を包む森。

 ぽつぽつと降る雨が、木の葉に当たって小気味よい音を奏でる。

 僕は慣れた動きで樹に登り、スェロと向かい合うように太い枝に腰を下ろした。

 心地好い森閑を唄う雨の中、大樹の枝に座るのは真っ白な服を纏った真っ白な少年。綺麗な碧い瞳はこの島で見つかるどんな石や貝殻よりも美しい色をしていて、まるで透き通った海のように光を抱き揺れていた。

 ――君、いつもここへ来るね。名前はなんていうんだい?

 初めてスェロと会ったのは、今から数か月前。あの日も、今日と同じような雨が降っていた。

 ――泣きたくなったら、またここへおいでよ。ぼくはいつでも、ここにいるから。

 僕はよく、一人でこの森に遊びにきていた。村から離れたこの場所を訪れる人なんてまずいないし、何より僕は――大勢の樹と、緑色の豊かな葉と、足の裏から伝わる土の感触と、たくさんの動物達に囲まれたこの森が好きだった。

 一番大きな樹の幹に背を預けながら、雨宿りをしていた僕に――いつからか枝の上に腰かけていた少年が話しかけてきた。

 それが僕とスェロの出逢いだ。

 スェロがいったいどこから来て、いつからそこにいたのか、僕は知らない。でもこれだけはわかる。

 スェロは人間ではない。

 それはあの石の像に宿っているらしい、何がしかの存在と似たようなものなのかもしれない。会ったばかりの頃、スェロに「君は、人間を創り出した豊穣の神マケマケなんじゃないか」と冗談混じりに言ったことがある。それを聞いたスェロは、枝の上で器用に笑い転げた後、「ぼくがそんな立派なカミサマなわけないじゃないか。でも、半分は正解。ニンゲンじゃないっていうのは、当たりだよ」と答えた。

 以来、スェロと名乗った少年は僕の中で、この森を護っている精霊の類なのだろうという認識がなされた。

 スェロはこの森から出られないという。

 自分の魂はこの森に鎖されているからだと、そう言っていた。

「いろんなところって――どこに行くって言うんだよ。村の外は危ないし。あいつら、島にある像を壊して回ってるんだ。また戦を始める気なんだよ」

 僕は最近気がかりになっていることを話した。

採石場(ラノ・ララク)に行く途中、見たんだ。また一つの森が丸ごと消えてた。どこかの部族が切り倒したんだ。石の像を造れば造るほど、それを運ぶのに大量の木材が必要になるから。それなのにあいつら、まだほかの村の像を壊す気でいる。このままじゃ、いずれこの島から森がなくなっちゃうよ」

 スェロは僕の声に耳を傾けている。

「みんなバカだ。自分達のことしか考えてないじゃないか。結局、それで自分の首を絞めてるんだ。みんな必死に岩を削ってるけど、違うよ、削ってるのは岩じゃない。自分自身を削ってるんだ、あの像を造ることで僕達は。みんなバカだよ。人間なんてさ――みんな、バカなんだ。それなら僕は――人間なんかよりも、樹になりたい。独りで苦しむくらいなら、ただ閑かに、たくさんの樹に囲まれて眠っていたい」

 木の葉から零れた雨雫が、顔に当たった。冷たい雫が頬を流れてゆく。

「ジュビア、君は独りじゃないよ。この世界は君を一人にはしない。その証拠に、ほら。風に、空に、雲に、花びらたちに――君は愛されてる。でも、そうだね――君の言う通り、間もなく戦が起こる。森は減り、土地が痩せ衰えて実りが減れば、部族間抗争は激しさを増すだろう」

「どうすれば争いは止まるの? どうすれば――」

 スェロは悲しそうに首を振る。

「残念だけど、争いはなくならない。遠い時代、ずっとずっと昔から、ニンゲンはそういう生き物だから。なんてったって、カミサマと戦うことすら厭わない連中だから。――でもね、ジュビア。ぼくは君に、人間のままでいてほしいな。いつか君と、外の世界を旅してみたいんだ」 

「外の世界って?」

「海の向こう側――遥か遠くにある大陸さ。もう憶い出せないけれど――ぼくは昔、そこからやってきたような気がするんだ。知ってるかい? 人間は昔、翼を広げた天使だったのさ。彼等は翼を休めるために、この島に立ち寄った。今のぼくたちみたいに、樹の枝に座って休憩していたんだろうね」

「それってマケマケの鳥人のこと? 大陸って、聞いたことはあるけど、あの海の向こうにはそんなに大きな島があるの?」

「違うよ、大陸ってのは島じゃなくて、ずっと大地が続いてるんだ。どこまでもどこまでも。この島の何倍もの大きさで、そこにはもっといっぱい、多くの種類の人間がいるんだよ」

「ほんとかよ! 信じられないなあ!」

「ほんとだよ! だからさ、ぼくの分まで君に見てきてほしいんだよ。そしてもっと聞かせてよ、いろんな話を」

 君と僕の秘密。

 雨の中のお喋りは、いつまでも続いた。

 時間も忘れて、僕達は語り合った。

 未だ見ぬ世界を、夢見ながら。






 ――ジュビア。

 遠くない日、海を越えてやってくる者が現れる。君にとって、つらく険しい旅路になるかもしれない。それでも――外の世界へ征くんだ。

 生きるんだ、ジュビア。






 乾いた土に、涙雨が零れ堕つ。

 争いの歴史を――醜い魔獣を、わずかばかりの焔を燃やした程度で屠ることなど、到底できやしない。

「父上――」

 村のあちこちに、屍体が転がっていた。血濡れた大地を洗い流すように、雨は善きものも悪きものも全てに等しく降り注ぐ。

「母上――」

 奴もまた、壊され、砕かれていた。霊力が宿る瞳は粉々に潰され、もはや守り神はただの石の欠片に成り果てていた。

 生き残った村の者達が集まり、武器を手に話し合っている。

 殺せ。

 壊せ。

 戦え――

 ぎらぎらと目を血走らせる男達から、僕は自然と遠ざかった。震えが止まらない。息が苦しい。雨が――止まない。

「――――」

 今回の石像運搬は、長い道のりだった。途中でそりが壊れたため木材の確保が難航し、時間がかかってしまったのだ。

 しばらく会っていない友の名を呟く。

 いてもたってもいられなくて、僕は駈け出した。

 なあ。

 また聞いてくれよ、僕の話。

 話したいことがいっぱいあるんだ。

 哀しいことがたくさんあったんだ。

 また聞かせてよ、君の声。

 人は昔天使だったと君は言ったけれど、あんな話、信じられないよ。だってこんなにも人間は悪魔じゃないか。翼を失った鳥人はもう死んだ。もし本当に天使がいるのなら、それはきっと――君みたいな奴だよ。

 枝に腰かけて唄う真っ白な天使の姿を思い浮かべながら、僕は泣いた。

 殺された森を前に、膝を突いて、僕は。

 天使が舞い降りた大樹は、無残にも伐り採られていた。僕は何度も何度も、君の名を叫んだ。返事はなかった。

 ああ、やっぱり君はこの樹だったんだ。この森だったんだ。

 僕は樹になりたかった。

 樹になって、君を枝に乗せたかったよ。

 さめざめと泣く空は、土に悼みを運んで溜めてゆく。

 ふと、足下で何かが光った。

 切り株の傍に落ちていたそれを、僕は抱き締めた――



 空から優しく降りしきる雨が、土に滲みてゆく。

 ――ああ。

 ずっと忘れないよ。

 胸の内側にあの日の光を感じながら、僕は。

 雨降る森で、君を待ってる。



〈了〉

物語音楽最高!! ということで、普段Sound HorizonとかCeuiの曲ばかり聴いている私ですが、【パンドラ・コード】が予想以上に神盤だったのでつい書いてしまいました。

オリジナルシリーズに組み込んだので、最後のほうがたぶん意味わからんと思いますが、勘弁してください。

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