短編推理小説 『紙一重の殺人』
短編推理小説です。死体が登場するので苦手な方はご遠慮ください。描写は控えているつもりですが・・・
新年を迎え気持ちを新たに始まった2013年。私こと雪村楓は今日も今日とて苦学生としてアルバイトに励んでいた。
「せんぱ~い、この前貸した本ちゃんと読んでくれました~?」
コタツで丸くなりながら私はテレビ画面を凝視する人物へ問いかけた。しかしその人物は「ん~? そのうちな」などと気の無い返事をするのだ。
彼女は私の三つ上で同じ大学の先輩であり、同じサークルにも所属していた。サークルは「ミステリ研究会」などというありきたりなもので、去年まで先輩はその部長だった。
無理難題からミステリの謎をひねり出すその思考に私は感服して慕っていたのだが当時の私は一年生、先輩は卒論に奔走する四年生だ。その付き合いは一年足らずで終わりを告げるはずだったのだが、幸運にも先輩の就職先と引越し先が私の近所だったため今もこうして遊びに行けるのだ。私は今、先輩の部屋で暖を取りながら紅茶をご馳走になっていた。
「その内っていつですか~? 先輩、図書館の本借りたら督促状のハガキ来るまで返さないじゃないですか。だからこうして私個人の本を勧めてるんです。早く読んでください、そして何かミステリを書いてください!」
在学中から先輩にはサークル活動の一環だと言って無理難題からミステリ小説を書かせていたのだ。そしてそれは今でも続いている。迷惑だとは知りつつも、叩けば出る埃のように難題をぶつければ何かしらのミステリになるのが面白くて仕方ないのでつい悪ノリしてしまうのだ。
「それより楓、お前バイトはどうした? こんなとこで油売ってていいのかい」
「バイトはもう終わりました。早く終わったので余計な仕事を押し付けられないために時間を潰しているのです。そして先輩の昔の本を読むのです」
「……お前も物好きだな。早く捨ててくれよ、あんなもの」
『あんなもの』とは先輩が在学中に学園祭で出したサークルの合同誌である。私にとって先輩と最初で最後の学園祭、そこで出版された合同誌なのだ。大事にしないはずがないじゃないか。
「いーえ、後生大事にします。そんで墓まで持っていくのです」
「お前さんは病気だな。いい病院を紹介してやる」
「先輩の知ってる病院って猫病院じゃないですか。それに病気って言ったら……」
私が部屋を見渡すと目に入るのは大量の本棚だった。漫画、小説、薄い本、色々なものが棚に収められているがその一角には黒や緑をベースにしたプラスティックが陳列されている。それはゲームソフト専用の棚であった。数こそ少ないが私が遊びに来るたびにその数は増加の一途をたどっている。
「就職すると時間と共にゲームへの情熱も無くなるって聞きますけどよく続きますね。そろそろ卒業したらどうですか?」
「ゲームに卒業なんてないよ。あるとしたらそれは日本のゲーム産業が壊滅した時だ。それに情熱なら確かに減ったさ。今じゃ期待の最新作か昔の名作しかやらない」
その期待の最新作をチェックしている時点でまだ熱が冷めていない証拠だ。加えてそれを自覚していないのだから病気なのだ。
「ちなみに今は何をやっているんです? 有名なやつ?」
「有名だよ、今度PSPで移植されるらしいぞ」
「ふーん、でもそれPS2じゃないですか」
薄っすらと埃が積もった黒い塊は紛れもなくかつて一世を風靡したPS2であった。私も昔に少しだけ遊んだ事があるがもう壊れてしまったので捨ててしまった。それなのに先輩のPS2は驚きの初期型! BB Unitが内蔵できない骨董品だよと誇らしげに語っていたが、そもそもBB Unitが何なのか私には分からない。
「待ってられなかった。それに1000円しなかった」
「社会人なのに随分とケチくさいですね。それより読書しましょうよ~、そんで何か書いてさいってば~」
駄々をこねる子供のような声で抗議する私だったが先輩は無視してゲームを進める。テレビ画面ではなにやら可愛らしい動物が現れて私のすさみかけた心を癒してくれたのも束の間、そのあと派手なエフェクトと共に並み居る敵らしき人間をなぎ払い戦場は阿鼻叫喚の地獄と化した。
「そうだ! 先輩、ちょっと聞いてくださいよ。今日ちょっと不思議なことがあったんです」
「不思議なこと?」
先輩が興味を示したのかこちらを振り向いた。これはチャンスだ! やはり根っからのミステリ好きは不思議や密室殺人という言葉に反応してしまう因果な生き物なのだ。
「先輩は私のアルバイト先のこと知ってましたっけ?」
「ああ、確か普通の宅配便と会員制野菜宅配サービスの宅配だろ? えっと、確か『キャロット坊主』だったかな? よく宅配のバイト二種類もやる気になったよな」
「大きなお世話です。遠い親戚の頼みだったから断れなかったんですよ」
不運にもバイトの採用通知と叔母からのバイト紹介を同時に受けて断るに断れなくなってしまったのだ。肉体的にもつらいし、もうしばらくしたら片方に絞ろう。
「――ってバイトの話はどうでもいいんです! それでですね、とある家庭に訪問したときのことなんです」
私はつい先ほどの記憶を呼び起こしながら話し始めた。確かほんの数時間前の出来事、今日は講義が休みだったので朝からバイトに励んでいた時のことだ。
「配達の途中で飯田さんの家へ向かったの。そこは一家四人の家庭なんだけど、そこの奥さんは無農薬野菜が好きな大事なお客さん。いつも郵便ポスト、あの外からかぱっと開けられるやつね、そこに注文書が入ってるから野菜を届けたついでに回収しているの。
今日もいつも通りに野菜を届けて郵便ポストを開けたの。そしたら中にね……アガサ・クリスティ『オリエント急行の殺人』の文庫本が入っていたんですよ!」
私がずびしッ!と擬音が付きそうな勢いで人差し指を突き出した。そして先輩は私の指先をじっと見つめて、それ以上の動きがないことを確認すると画面へと目線を戻して「あ、ミスった。全滅か…」と深いため息をするのだった。
「あの、先輩…? もっとこう、何か反応はないんですか? うわー不思議だーとか」
「いや、だって楓ちゃんよ。そりゃ無理な話だ。どーせ話のオチは二人の子供のどちらかが近所の子に文庫本を貸したんだろう。その子が本を返そうと家へ来てみたものの家は留守。仕方なくポストに入れて帰っていったってとこだろ」
セーブした所からやり直し、途中の既読メッセージを読み飛ばしながら素っ気無く先輩は答えるのだった。
「あー、うん。まあそれはそうかも、しれないですけど……で、でも本当に貸し出された本が戻ってきただけだったんですかね! 言っちゃなんですが飯田さんのお子さんは二人とも、その……生活リズムがフリーターのソレですもの! いつ行っても在宅確認すればいますもん! 友達いるはずがありませんよ、ましてやご近所付き合いなんてもってのほか!!」
「……先輩、たまにお前の正直すぎるところが怖くなるのよ」
先輩の哀れみの目線が私の胸を貫いた。だがこんなことでくじける雪村楓ではない!
「だから先輩……これでミステリ書いてくれません?」
「イ ヤ だ」
「即答! しかも三文字ッ!」
大げさに驚いてみたが先輩の視線は相変わらずだ。仕方ない、次なる作戦に移行だ。
「ねー先輩、書いてくださいよ~! ねーってばー、せんぱ~い」
先輩が大人の対応をするなら、私は子供の対応だとばかりに駄々をこねることにした。さっきからこれしかやっていない気がするがきっと気のせいだ。
だが余程効果があったのか先輩は一言「分かったよ」と承諾してくれた。まあ、戦略シュミレーションゲームを遊んでいる横で騒がれたら集中などできないだろう。先輩はPS2本体のボタンを押すとランプが緑から赤くなりスリープモードになった。
「そうだな、楓がミステリをお望みなら書いてもいい。―――だが条件付きだ」
その時、今まで無表情に近かった先輩の口角が釣り上がり悪魔のような笑みを浮かべ、私の背筋に冷たいものが這い上がるような感覚に見舞われた。その笑みにぞくりと本能的な恐怖を感じたからだ。
先輩はミステリが好きだがイタズラも大好きなのだ。そのイタズラをする時には決まってこの笑顔を浮かべる。
「……先輩の条件はロクなもんじゃないですが、どんな条件ですか?」
「そんな身構えなくってもいいよ。なぁに、簡単なことさ。……楓、お前も書け。そんで出来具合を競い合おうじゃないか」
「……は?」
突然のことで言葉の意味が理解できないでいた。だが徐々に先輩の言葉は無慈悲にも私の脳に浸透してくるのだ。
「……え? いや、いやいやいや! 無理ですよ無理ッ! 私ミステリは読むの好きですけど書くのは苦手なんですから!」
嘘ではない。結局、今の今まで所属しているサークルではミステリ小説らしい小説は書いたことがなかった。それは私の愚痴として先輩も聞かされているはずだ。その殻を今すぐに破れと先輩はのたまうのだ!
「いいじゃん、もしかしたら来年あたり部長になるかもしれないしさ。そうなるとミス研の部長がミステリ書けないのに周囲には書かせてるってことになるんだろ? それがダメとは言わないが、せっかくだし書けるようになっておいても損は無いじゃない」
「で、で、でもでも! 私そんな……何から手を付けていいやらさっぱりで………」
「誰だって最初は初心者さ。まずは自分なりに一回、書ききってみようぜ。そしたら自然と改良点が見付かるから、それを糧に次頑張ればいい」
「だからって突然ですよ……」
「大丈夫だ、競い合うって言っただろ? 審査員は薄野にやってもらう」
薄野という名には聞き覚えがあった。確か先輩と同じゲーマーで幼馴染でもあったはずだ。
「え、薄野さん? でもそれ先輩に有利じゃないですか。彼って先輩の幼馴染で先輩サイドの人間だし」
ただでさえ初めての挑戦となるのだ。審査員まで先輩の味方をすれば、それこそ万に一つも勝ち目がない。
「大丈夫だってば。あいつは普段読書をしないんだよ。ミステリも読まない。だから単純で分かりやすい作品の方がウケはいいはずさ。楓はただ基本に忠実な作品を仕上げればいいんだよ」
先輩はやさしく微笑むと私の頭をぽんぽんと軽く叩いた。後輩のためのアドバイス、心温まるエピソードじゃないか。………先輩が堪えきれずまた凶悪な笑みを浮かべなければ。あれはまだ何か含みを残している悪い顔だ。
「……そういえば『競い合う』って言ってましたね。つまりあれですか、勝者には賞品が、もしくは敗者に罰ゲームでもあるんでしょう?」
「お、鋭いね楓ちゃん。当たり前じゃないか、レイズしてもらわないとポーカーが成り立たないじゃない。そうだね、敗者はご飯奢るってのはどうだい? 場所は最近ご無沙汰な鶴舞の炭火やきとり豆鳥にしよう! あそこは日本酒『九平次』が置いてあるからな、一口飲んだら驚くぞ? それに手羽先が違う。『世界のナンチャラ』みたいに肉付きが悪くないからね!」
既に頭は酒と焼き鳥で満たされているようで恍惚とした表情を浮かべていた。私も少なからず美味しい酒や焼き鳥に興味はあったが、これでも一応バイトに励む苦学生であるため勝負に負けてしまった場合には目も当てられない財務状況に陥るだろう。
「というわけだ。もし勝負する気があるならさっさとバイト終わらせて書き始めないと間に合わないよ。明後日の日曜は暇なんだろ? そこでお披露目といこうじゃないか」
「明後日ッ!? いくら何でも早すぎじゃない…?」
「ならこの話はお流れだねえ、どうするよ?」
私が折れないのを見越しての余裕な態度。先輩はこの手の駆け引きだけは誰にも負けたことがないという。結局私は先輩にミステリを書いてもらえる喜びと、自分も書く羽目になってしまった不幸の入り混じった心持で帰路へつくのだった。
☆★☆★☆
冬の冷気は室内においても容赦なく猛威を振るう。けれど文明の利器による恩恵を一身に受け、暖房の効いた部屋でお風呂上りの私は買っておいたアイスクリームを食べながら深いため息と共にベッドに腰掛けていた。
「どうしよ……何も思いつかない」
頭を駆け巡る思考よりもアイスが減る速度の方が数段上だったようで、お風呂上りの体から汗が引く頃には何もいい案が浮かんでいないのにも関わらずアイスはだたの棒切れになっていた。アイスの棒をゴミ箱へ投げ入れるとカランコロンと金属音が鳴り響いた。それが合図になったのか、手持ち無沙汰になった私は仕方なく枕元のぬいぐるみを抱き寄せると壁を背にしてベッドの上で体育座りをするのだ。
テーマ『宅配サービスの注文書がいつも入れられているポストを開けたらオリエント急行の殺人の文庫本が入っていた』の状況を使ってミステリを書け、だ。我ながら無茶苦茶な要望である。その矛先が自分に向けられたのだから嫌でも理解できてしまった。
だが何も思いつかない。ミステリ小説なら数えられないぐらい読み漁ったが、いざ自分で書こうとすると臆してしまうのだ。だが別れ際に先輩から言われた言葉が蘇る。
『とりあえず最後まで書き上げることだ。ネタ被りでもなんでもいい、とにかく書ききれ。そうしたら反省点を次回に活かせばいい』
口では簡単に言ってくれるが実践するのは難しい。心のどこかで過去の偉人たちが残した作品を汚してしまうのではないかと無意識の内にブレーキをかけてしまう。だから一歩が踏み出せない。
何をするでもなくぼんやりと虚空を眺めていると視界に何かが横切った。いや、縦切った? それは私の髪の毛から滴った水滴だった。肩にかかる程度のウェーブがきいたセミロング、昔に比べたら随分短くなったのでドライヤーは使わなかったのだが十分に水滴をふき取れていなかったようだ。私は首に掛かったままのタオルで髪を拭き始めたのだが、ふと視線が胸元にあるぬいぐるみへ移った。白いテレビに目と口が付いたキャラクターのぬいぐるみが先ほどの水滴で少し濡れていた。このぬいぐるみは以前、とあるイベントで手に入れたものなのだが一般人はこれの名前など知る由も無いだろう。私もコレを見せびらかしたり解説したりはしない。世の中にはひっそりとサブカルチャーを楽しみたい瞬間というのがあるのだから。
「……あ、そういえば」
別れ際の先輩の言葉には続きがあったことを思い出す。あれは確か、こんか感じだったはずだ。
『少しでも疑心に駆られたら心に留めておけ。それを誇張させ、都合よく展開するところからミステリは始まるんだ』
私は手元のぬいぐるみをじっと見つめた。ソイツはにっこりと微笑みもせずただ呆然としていた。だけど私は何かを掴めたような気がした。そしてすぐに机へ飛びつくと私は執筆を開始するのだった。
☆★☆★☆
約束の日曜日。天気は相変わらずの快晴で世界を照り付けていた。螺旋階段を上がり、壁にツタが張り巡らされた先輩の部屋へ到着した。はたから見たら人の住まいには見えないだろう。
「やあやあ、いらっしゃい」
扉を開けると先輩が出迎えてくれた。まだ薄野さんの姿は見えない。
「薄野なら昼過ぎに来るよ。それまでにお互いの小説を読み合おうじゃないか」
「はぁ、いいですけど……」
私はUSBメモリを先輩に渡すとスカートがシワにならないよう注意しながら座り込む。USBメモリを受け取った先輩は手馴れた様子で印刷しながら「それにしても楓、化粧で隠れてるとはいえひどい顔してるな。ちゃんと寝てないのか?」と短納期を強要してきた張本人が言ってきた。
「実質一日ぐらいしかありませんでしたからね。寝る暇も食べる暇もありませんでした」
「化粧する暇はあったんだな。……っと、終わったぜ。全部読むと薄野が来ちまうから今は読み飛ばさせてもらうな。出来ればあらすじを語ってくれると助かる」
「分かりました。あ、タイトル書き忘れちゃったみたい。どうしよ………うん、『無言の叫び』でいいかな」
私がそう名付けると先輩は嬉しそうに微笑むのだ。
「即興でタイトルが付けれるあたり作家然としてきたじゃないか。作品に『無題』なんて名付ける輩より断然、作品に対する愛を感じるね」
「や、やめてよ……照れるじゃない。ほら、早く読んじゃってよ」
私が先を促すと先輩はにやけた笑顔をやめて素直に目線を原稿へと移すのだった。彼女の中でスイッチが切り替わり、普段の無邪気な様子からは予想も付かないような無表情に変化した。目は一心に文字を追っている。私も先輩のすぐ隣へと移動して文章に目を通すのだった。
☆★☆★☆
「物語は私が宅配の仕事をしているところから始まります。飯田家の長男である彼の名前は……飯田雄馬君にしておこう。彼宛てにゲームやブルーレイディスク、あとはキャラクターグッツとかが入れられたダンボールを宅配したところね」
「その雄馬君とやらからはアニオタ臭しかしないのは気のせいかな? きっとそのキャラクターグッツ、マスコットキャラのグッツじゃなくて数千円もするPVC製塗装済みのグッツだったりして」
先輩が茶化して話の腰を折ろうとしてくるが無視だ。
「残念ながら雄馬君が不在だったので妹さんに受け取ってもらったの。兄への愚痴とか軽い世間話をしてすぐ仕事に戻る」
「おや、仲がいいんだな」
「ええ、雄馬君や妹さんとは比較的仲良しです。宅配物の話題に相槌を打てる程度にはね。そこから数日後、あの出来事が起こる。私は一昨日のように先輩の部屋に遊びにいって相談するの。注文用紙を回収しようと郵便ポストを開けてみたら用紙の上に『オリエント急行の殺人』の文庫本が置いてあった。そんな不思議な出来事を心優しい先輩が何の見返りもなく一緒に考えてくれるんです」
「その先輩よっぽど暇だったんだな、それで次はどうなる?」
「ん……散々悩んだ挙句、私があれを発見するんです」
私が指差した先を先輩が凝視する。睨まれたのは緑色の箱であった。
「あれは……なんだ、限定版のゲームの箱じゃないか。あれがどうかしたのか?」
「確かに先輩にとってはただのゲームの箱ですけど私みたいな一般人からしたら見方が変わってきます。フィギュア付だなんてどう見ても痛い商品にしか見えません」
指差された箱にはゲームのディスクケースを収めるにしては大きかった。理由は簡単で中にはゲーム以外にも小さなデフォルメキャラクターのフィギュアが入れられていたからだ。
「そう言われてもな、私はフィギュアには興味ないんだよ。あの限定版を買った理由はひとえに特典装備の一言に尽きる。PC版しかなかったが背に腹は変えられん」
「え、じゃあ特典装備欲しさに必要のないPC版のゲームディスクとフィギュアも一緒に買ったんですか?」
「一緒というか、まぁ本丸のついでだな」
それにしたって数千円はするはずだ。そこを気にせず買ってしまうあたりゲーマーの心理は理解し難い。
「話を戻しますね。その箱を見た私は部屋を飛び出て、場面は数日後の飯田家に飛びます。もちろん宅配の仕事です。ここで私は雄馬君に真相を打ち明けると共に謝罪するんです」
「うん……謝罪だって?」
先輩は箱をじっと見つめる。しかし解けるはずがない。あまりにも手がかりが少ない上に一部前知識を必要とするからだ。先輩なら知っていると思うが、それでも特殊な知識に違いない。
「あ、その顔は『解けるはずがない』って顔だな?」
「いやいや、そんなことは………もしかして解けちゃいました?」
「いや、全然」
その言葉に安堵しつつ深く息を付く。先輩は確かに推理小説を書くしミステリも大好きだ。その作中には様々な名探偵が活躍してはいるが、しかし先輩は名探偵ではない。驚異的なひらめきが舞い降りる可能性は、ない。
「だから別の切り口を探すことにした」
「別の……切り口?」
「そう、一種の邪法だ。作品を楽しむのなら本来やってはいけないことかもしれない」
しかし先輩の顔に躊躇の色は見られない。むしろ楽しそうでもあった。確かに先輩は名探偵ではない……しかし色々な推理小説を書いてきた策略家であり、ゲームクリアには手段を選ばないゲーマーだった。盲点を突くことだけなら名探偵すら霞んで見える!
「その邪法とは……?」
「読む限りだとこの小説は短編だ。短編の推理小説の弱点は何だろう?」
短編小説の弱点? 私は眉をひそめるが何も思いつかない。なにせ小説を書くこと自体が珍しいことなのだから。
「普通の短編小説ならばテーマにそった話を書けばいい。その際、描写を削ったり登場人物を少なくする必要がある。ところが推理小説はそれだけでは済まない。こいつは中々に厄介で、どこまでいっても読者に『推理』してもらわなくちゃいけない。しかしテーマが皆無な作品ではいけない。テーマを込めるためにあらゆるものを削る必要がある。描写、人物、展開、しかし一番の被害者は『証拠』だ」
「証拠が、削られる?」
「そうだ。次いで『ミスリード』も削られる。つまり短編の推理小説ってのは解答に至るまでの証拠しか散りばめられていないんだよ」
言われてみれば経験の浅い私にはミスリードを紛れ込ませる余裕がなかった。短編を書きたかったわけではないのだが、素直に手がかりとなる証拠を残さず描写して物語を終えた結果、短編になってしまっただけである。
「つまり今、楓が言った説明は全てが事件を解決に導くための証拠に成りえるんだ。おそらく本格ミステリを書くにはあらゆる時間が足りなかっただろうね。きっと少々いじわるな問題になってるんだろ?」
「う……そこまで見抜きますか」
本当なら私が愛する本格ミステリを書いてみたかった。しかし実質一日という短期間では構成を練るどころかアイディアを出すことすらままならなかったのだ。
「さて、言わずもがなだがあの限定版ボックスが事件を解くヒントになったことは明らかだ。だが何かが足りない。そう思うと気になるのは最初の説明だ。飯田雄馬君……だっけ? 彼がまるで典型的なオタクであることを示唆しているように思える。これが長編だったらキャラ付けだと割り切ってしまう。しかしこれは短編だ、その設定すらもヒントにしたんじゃないのかな?」
私は何も言わない。何も言わないのだが頬が強張るのを防ぐことは出来なかった。その表情から何かを感じ取った先輩はなおも続ける。
「これでヒントは『雄馬君はオタク』『限定版でひらめいた』『楓が謝罪』となった。このように短編では注意しないとヒントが丸裸同然となってしまう。だからいらない描写などない、全てが証拠だ。けれど最初、楓は『雄馬君が不在』と描写してまったく事件と関係なさそうな妹を登場させた。名前すらないキャラクターを登場させる意味はあるのか? いや、必要なのは雄馬の不在、そして妹が宅配物を受け取ったという事実だけだ」
私は目を見張るしかなかった。先輩が言っていることは物語の説明をまとめているに過ぎないが、それでも全てが事件解決に関わっていることに私は己の未熟さと先輩のずる賢さに感服するしかなかった。
「じゃあ作中で楓が謝罪した内容は分かったんですか……?」
「ああ、分かる。妹が兄への愚痴を言っていたことから全てのヒントを掛け合わせると……これはあれだ、いわゆる『宅配テロ』ってやつを楓はやってしまったんだな」
「あー……お見事です。てか、何で分かるんですか…」
『宅配テロ』という言葉に聞き覚えがない人は多いだろう。何故ならネットスラングの一種なのでまず表の舞台に出ることがない言葉なのだ。簡単に説明するならば、他人に見られて恥ずかしい通販の商品や荷物を自分以外の誰がに受け取られてしまい内容が露見してしまうことだ。
近年では表記はかなり曖昧にしてくれるし、聞いたところによるとアダルトショップの通販などでは商品表記を別物にできるところもあるらしい。だが一部の限定品を購入した際、表記名がそのままの場合もあるのだ。
「公式の限定品がダンボールからして『やらかす』ケースもあるらしいね。同人誌の印刷所が送ってくれるダンボールも家の人に隠れて活動してる人にとってはアウトだよね」
「先輩には見抜かれちゃったか。ところでオリエント急行の文庫については分かりました?」
「いや、全然。あれなんの意味があったの?」
何の興味もなさそうなほど簡素な問いが返ってくる。そんな反応をされたら説明するのが躊躇われるじゃないか。
「………あの事件はなんで解決されたと思います?」
「うん? 随分前に読んだから覚えてないんだよな……探偵が優秀だったからか?」
「いえ、確かに探偵が優秀だったことは否定しません。でもそもそも名探偵という病原菌を入れてしまったこと自体が間違いだったんです。オリエント急行は満席でした。しかしお偉方の頼みとはいえ名探偵を車内に招き入れてしまったのは他ならぬ車掌です。だから、その……」
「だから……?」
先輩に促されるも口を堅く結ぶしかない。話がこじづけになってしまうのは仕方ないじゃないか……誰だ、こんな無茶なテーマを振った奴は!
「だから……ほんの些細なことで事件は明るみになってしまう。私が気を利かせなかったばかりに宅配テロが起きてしまった、と雄治が私に向けてメッセージを……」
「……は、ハッハッハハハッ! まじか、そんな理由でか! おいおい雄馬君、もっと他に方法があるだろうに」
盛大に笑われてしまった。耳がかっと熱くなるのがわかる。今すぐに原稿を燃やし尽くしてしまいたい気分だった。しかし先輩は笑いはしたが、次に出たのは労いの言葉だった。
「いや、でもよく書ききったと思うよ。お疲れ様だ。そうだな……あえて言わせてもらうなら作中の『私』の役割が寂しいかな。いっそ今みたいに『私』が謎を解き明かして、そのヒントを聞いた『楓』が雄馬君に説明するなんて展開でもよかったかもね」
「ああ、なるほど。そういう展開もありましたね……次回がんばります」
「完成したら真っ先に見せてくれよな。さて、なら次は私の番だな」
すると先輩から笑顔が消えて部屋の雰囲気が一変した。部屋に痛いほどの静寂が訪れたのだ。
「これが原稿だよ。はい」
「はい……って、何ですかこの量!」
積み上げられた文庫本の山のさらに上に載せられていたのは私の数倍はありそうな原稿の束であった。
「え、先輩って遅筆じゃありませんでしたっけ? プロット練るのに時間がかかって、書くのもプロット見ながらだから人並み以下の速度だって言ってませんでしたか……?」
「いわゆる『士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし』というやつだな」
確か呂蒙の言葉だったかな? しかし現実には二日しか経っていないと思うのだが。
「ほら、早く読め」
「はいはい、えっと……」
私がページをめくると、そこには『一昨日の出来事』がそのまま描写されていた。私がバイトでの不思議体験を話し、先輩が軽くあしらう。結局、お互いに推理小説を書くことになってしまい『楓』は帰宅する。
現実と違うのは次の描写だった。その場所はなんと飯田家だったのだ。
☆★☆★☆
雲ひとつない青空の下、澄んだ冷気がまだ動き始めぬ早朝だというのに飯田家は物々しい雰囲気に包まれていた。家の周囲にはテープが張られ、まだ少ない野次馬を遮るように警官が立っていた。そこへ車を停め、一人の青年が警官の前へと歩き出す。その警官の見知った顔だったのか、彼はテープを持ち上げると青年はくぐるようにして飯田家の玄関へと向かう。
「あら、李刑事じゃないですか。遅かったですね」
現場に到着すると青年に気付いた警官が振り向いた。歳は李刑事と呼ばれた青年と同じ二十代といったところか。鋭い目つきは眼鏡で隠し、背は高く堂々としているが細身なのが警官としては玉に瑕であった。
「そういう松浦警部補はやけに早いじゃないか。また夜更かしで徹夜したんじゃないだろうね」
「はは、ほら刑事。事件は逃げませんが時間はどんどん過ぎていきますよ。監察医がよだれを垂らして待ってますから鮮度がいい内に届けなきゃね。それとも古翠探偵の方がよかったですかね?」
「馬鹿、その名前を出すな……」
李古翠は日本人である。中国の性ではあるが、それは帰化した祖父の名残であり国籍、生まれ、育ちは全て日本である。よく中国の事情を聞かれるが、そもそも祖父がこちらにいるので中国へ行く用事もなく、行ったことすらないのだ。
そんな彼が警官となり、ふとした気の迷いで自分の名前で探偵物の小説を書いたところ、この松浦という青年に身元を特定されてしまったのだ。それ以来、腐れ縁のようによく一緒に仕事をしている。
「それで、状況はどうなっている?」
「はぁ、見ての通りです。これはひどいですよ」
室内を見渡すと古翠はその惨状に苦悶の表情を浮かべる。壁にはなにかのアニメキャラが描かれたポスターが何枚も貼られ、スチール製の棚にはところ狭しとフィギュアが並べられていた。背の高い本棚に並んだ本の背表紙は見るだけで少なくともお堅い小説でないことは明らかだし、薄いB4の本、自重しない背表紙の青年コミック、何かの限定版? それにしては数が多いゲームの箱らしきものが目に付いた。大型テレビの横には有名な据え置き機が立ち並び、その正面には美少女の絵で彩られたゲーム用のアーケードスティックが鎮座している。
「同じ穴のムジナとはいえ、もっと慎ましくはできないものかね」
「いいじゃないですか、とても親には見せられないけど本人は楽しんでるんだし。いや、楽しんでた、が正しいか」
松浦は哀れむような目を室内へ向ける。
「それより被害者はどこだ? 見当たらないが」
「そこですよ、そこ」
松浦に指差された先を見る古翠だったがそこに人の姿はなかった。しかし別のものを見つけることが出来た。捜査員と捜査員のわずかな間、そこから顔をのぞかせていたのはこの家の長男である飯田雄治。昨日まで人であった彼のバラバラ死体が無残にも転がっていたのだった。
「……おいおい、バラバラじゃないか。手足は見付かっているのか?」
飯田雄治は両肩、両太もものところで手足を切断されていた。現場にはおびただしい量の血が見られたが壁やポスターに飛び散った形跡はない。殺されて心臓が停止したあと、ゆっくりと『解体』したのだろう。
「手足は部屋のそこら中に点在してました。ところがですね、ないんですよ……ガイシャの右腕だけが」
「右腕だけがない?」
「ええ、家の周辺も探しているんですが見込みは薄いかと」
遺体がバラバラに切り刻まれる事件などそうない。ましてや体の一部を持ち去るなど二人には経験のないことだった。
「それで発見者は?」
「ここの妹さんですね。両親は旅行中だったので友達の家に遊びにいっていたそうです。帰宅してさっさと就寝、今朝方目覚めて朝食を作り、休日とはいえ一向に起きない兄を不審に思い部屋へ行ったところ発見したそうです。それでその妹さんというのがですね……」
しかし松浦が言うより先に古翠の目線は別のところへ注がれることになる。そこには第一発見者であり、殺された雄治の妹でもあり、そして職場の同僚でもあった飯田泉が立っていた。
「ああ、君か。飯田という名前に引っかかるところがあったが、まさか君のお兄さんが被害者だったとは」
「ええ……こんな形で同僚と話をするのは御免だったんですけどね」
飯田泉は鑑識課の警官だ。優秀な人物でその仕事に隙はなく、海外の論文をチェックすることを忘れず日々精進している鑑識の鑑のような人物である。
「本来なら君に鑑識を頼みたいところだが、残念ながら被害者の関係者だ。一足先に署で事情聴取を受けてくれ」
「はい、現場お願いしますね」
どこか気落ちしたように見受けられる泉を伴って警官がパトカーへ向かおうとする。しかしそれを松浦が引き止めた。
「ちょっと待ってくれ。一緒にこの証拠を持って帰って鑑定してもらえないか? どうも家の者の指紋じゃないらしいんだ。現場付近の壁から検出された身元不明の指紋だぜ」
松浦は泉に証拠品を渡そうとして、思い留まる。そして隣の警官へ渡すのだった。
「いけね、いつもの癖が出ちゃったぜ。本当は指紋のスペシャリスト様に依頼したいが仕方ない」
「ふふ、別の事件で会いましょうね」
幾分明るくなった泉はそう言って署へ向かっていった。それを見届けると二人は現場へと戻ると調査へと戻るのであった。
☆★☆★☆
事件発生から衝撃のバラバラ死体と息をつかせぬ展開。けれど私が抱いていた感想はそれに関するものとは大きくかけ離れていた。
「あ、あああ………私が殺されなくて安心したのもつかの間、雄治君が殺されてしまった。なんというか申し訳ない気持ちがふつふつと」
所詮は創作、されど創作。いつも先輩の小説で被害者となることが多かった私だが、モデルとなった人物が無残な形で殺されるのも中々に申し訳ないというか、複雑な心境にさせられる。
「所詮は創作、気にするな。それより場面は警察署へ移るぞ」
「先輩は気楽でいいですね。私はバイトを続ける限り雄治君とはずっと顔合わせするのに」
「そうか、なら次はちときついかもしれんな」
「……え?」
私はおそるおそる原稿のページをめくる。李刑事と松浦警部補が署の喫煙所で相談している場面だったのだが……
☆★☆★☆
「それで証拠はどうなった?」
「ええ、押収されたパソコンの中から怪しいファイルが発見されました。……怪しいって言ってもいかがわしい方じゃありませんからね?」
「そんなことは分かっている。それで、何が怪しかったんだ?」
古翠のつっけんどんな態度に松浦はつまらなさそうに続けた。
「それがですね、日記なんですが……タイトルがですね、その『僕の想いよ雪村楓へ届け』だったんですよ」
「は、はあ? 雪村楓って……あの雪村か? 俺の後輩の」
「ええ、以前偶然会って刑事に紹介してもらったあの可愛い子ですよ。もしやと思ったらビンゴです。現場付近の壁から採取された指紋ですが雪村楓本人のものと断定しました」
「指紋が雪村のだと? 状況を詳しく説明してくれ」
「はい。現場から怪しい指紋は出ませんでした。彼女も家には玄関先までしか入ったことがないと証言しています。ですがもし彼女が犯人だとすれば、一瞬の油断から壁に手を付いたという可能性も」
「雪村はそんなことをする子じゃない。で、その指紋に不審な点は?」
「いえ、普通の指紋でしたよ。左手の指紋です。自然に手を開いて手のひらを見てください。そんな形でくっきりと指先の指紋が採取されました。補足するなら親指は全体がしっかり残っており、残り四本は親指側の半分だけという部分指紋でしたが全て本人のものに間違いありません」
突きつけられた証拠に古翠は唸るしかなかった。
「しかし雪村が何故だ。動機がない。知り合いだったりするのか?」
「二人の関係ですが特別な関係はなかったと推測できます。ですが動機ならありそうですよ」
「推測……? それに動機だと?」
『推測』という松浦の言いように古翠は違和感があった。しかしそれを推測できる材料が証拠品の中にあったとすれば頷ける。
「先ほどの日記の内容ですが……要するにこれ、ストーカー日記なんですわ」
「ストーカーだと?」
空気が一気に重苦しいものへと変貌した。哀れな被害者が一変して犯罪予備軍の変質者になったのだから無理もない。
「ええ、どうも雪村楓は宅配のバイトでたびたび飯田家を訪れていたようです。被害者の部屋にあった珍妙な品々、あれどうも通販で買ったものらしいことが履歴から分かったんですが全て雪村楓が宅配してます。日記の内容から察すると二人はその中身について談笑する程度には仲がよかったようです」
「共感されて先走ったのか。雪村はどこかでこの日記の内容を知ってしまったのか……?」
「さぁ、それは分かりません。でももしそうだとしたら、それは仕方ないかもしれないって思っちゃう内容ですから」
「そんなにすごいのか? ちょっと資料を見せてくれ」
「いいですけど、楓ちゃんには見せないであげてくださいね」
そう言うと渋々と、けれどまるで汚物であるかのように書類の束を摘んで寄こすのだった。
☆★☆★☆
「ああああ……ついに雄治君がストーカーに成り果ててしまった…」
「気にするな、ただの創作だ」
「気にするな、じゃありませんよ! ああ、もう。次会うときに私どんな顔をすればいいのやら」
「笑えばいいと思うよ……イタッ」
先輩の頭を叩いて私は先を読む。だが、この手が拳に変わろうとは誰が予測できただろうか?
☆★☆★☆
○月×日
先日競り落としたオークション品が届いたのだがこともあろうに透明のプチプチだけで包装して送りやがったよあの出品者! 受け取りは俺だったからよかったけど両親に見られたらどうなってたことか。
でも宅配の人が変な目で見てこなかったのは不幸中の幸いだった。むしろ中身の話題を振ってきてくれた! 間違いない、彼女もきっとオタクだ! 可愛かったし、これからも届けてくれるといいな……
○月□日
ダンボールを受け取る際に手と手が触れた。けれど彼女は嫌な顔ひとつせず微笑んでくれた。名前は雪村楓というらしい。ああ、あの天使の名前は楓ちゃんって言うのか。僕はこの名前を決して忘れないだろう、例え運命が二人を分かとうとも!
○月△日
楓ちゃん!楓ちゃん!楓ちゃん!楓ぇぇええぇうわぁあああああ!あぁあああ……ああ…あっあー!楓楓楓ぇえうわぁああ!!!あぁクンカクンカ!スーハースーハー!いい匂いだなぁ……んはぁっ!楓たんのブラウンの髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁぁ!間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!今日の楓たんかわいかったよぅ!!バイト代も上がって良かったね楓たん!あぁあああ!かわいい!楓たんかわいい!久々にバイトも休みをもらって羽が伸ばせるって喜んで…いやぁあああ!にゃあああん!ぎゃあああああ!ぐあああああ!楓たんのいない世界なんて現実じゃない!!!!あ……なら僕の人生も現実じゃない?にゃあああああん!うぁああああ!そんなぁあああ!いやぁぁぁあああ!
この!ちきしょー!やめてやる!!現実なんかやめ…て…え!?見守…ってる?貸してくれた楓たんの文庫本が僕を見守ってる?本を通して僕を見てるぞ!!楓ちゃんが僕を見てるぞ!!楓たんが僕に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだ捨てたモンじゃないんだねっ!あ、楓ちゃあああああん!いやぁああああああ!!!!あっあんああっああんあん、楓様ぁあ!!
ううっうぅうう!!僕の想いよ楓へ届け!雪村楓へ届け!
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「痛いな、無言で殴らないでもらえるか」
「これを見て殴らずにいられる人類がいたとすれば、それはもう宇宙人か何かです。なんなんですかこの小学生レベルの日記は!」
「でも内容は大きなお兄さんレベルだったろ? あ、いやごめん。だから殴らないで」
私は握りこぶしをなんとか治めると大きなため息をついた。
「あとこれ薄野さん読むんですよね? いくら私のプライバシーを知ってるからってここまで書かなくても」
「リアリティを追求した結果だ。なに、『この物語はフィクションです』とでも書いておけばいいじゃないか」
「何がリアリティですが、白々しくて逆に怪しいですよ! それに、なんでこうも気持ち悪い文章が書けるんですか」
「大丈夫、君は正常だよ。私も酒を飲んでいなければ書いていられなかった」
「全然うれしくないです。で、こっから事件はどうなるんですか?」
「うん、後日君がバラバラ死体で発見される」
「そうかバラバラで―――えええ?」
どうやら今回の作品でも雪村楓は無事ではないらしい。先輩の作品では恒例となりつつあるイベントだ。
「現場には解体に使用されたチェーンソーが発見される。飯田雄治のDNAも検出されて彼をバラバラにした得物であることは明白かと思われたが指紋がおかしかった」
「おかしかったとは?」
「購入履歴を辿ると、なんとこのチェーンソーは雄治の死後に購入されたことが分かった。しかしだね、このチェーンソーには雄治の指紋が検出され、幽霊の仕業だとささやかれるようになるんだ」
「そんな幽霊だなんて……ん?」
今の先輩の言葉には何か引っかかるものを感じた。記憶を辿り、そして原稿をさかのぼる。そして私は見つけた。
「あ、分かりましたよ先輩! これ、あれでしょ? 欠けた雄治の右腕を使って指紋を付けたんでしょ!」
「そうそう、そう考えてくれると思ったよ」
「え?」
私は素っ頓狂な声を上げた。もしやと思ったのだが違ったらしい。
「作中の松浦も同じ推理をしてくれる。でもね、残念ながら指紋は『左右の指紋』が織り交ざっていたんだよ。ちなみに左腕は警察署で持ち出すことは出来ないぜ」
「そんな、なら事件はどうなるんですか?」
「どうなるもなにも、これから何を調査すればいいかの指標が決まる。刑事物だからここが隠れた解決編ってところだね、さて楓なら何をする?」
「これから、ですか? そうですね……指紋の一件もありますし、飯田雄治の遺体を再調査してみたいです。もしかしたら入れ替わりが行われたとか」
「ああ、楓は本当に素直で可愛いなぁ。世間の悪意と瘴気に汚されないようにホルマリン漬けにして飾りたいぐらいだ」
先輩は両腕で自分を抱きしめる仕草をすると恍惚の表情を浮かべる。完全に危ない人だ。
「それはどういう意味です?」
「みなまで言わさないでくれ。松浦もそう提案するんだよ。君を作中で殺して、はいおしまいじゃやりきれないだろ? 君の精神は松浦に投影して生き続けるんだ」
それは要するに私の行動がそのまま松浦に反映されるということだ。どうやら私は意図せず先輩にとって都合のいい助手役を演じているらしい。そうすると探偵役はもう一人の刑事が請け負うのだろうか。
「なら古翠刑事が?」
「そう、彼が矛盾点に気付いて事件を解決へ一歩近づける。楓に分かるかな?」
分からない。けれど潔く諦めるのが癪だったので少しでも足掻こうと状況を頭の中で反芻する。被害者は飯田雄二。死亡推定時刻は……語られていない。聞けばそれらしいことを教えてくれるだろうが、この時点で言っていないのなら解決の糸口にはならないのだろう。それより目を引く特徴は死体の惨状だ。今時珍しくも無いバラバラ死体、けれど現実には珍しい部類のバラバラ死体。その右腕だけが無く、おそらく何かの意図で犯人によって持ち去られたと考えられる。この右腕が何かしらの形で矛盾に絡んでくると思うのだが私には妙案が浮かばなかった。
容疑者は数少ない登場人物、古翠刑事、松浦警部補、雪村楓、先輩、飯田雄治、飯田泉、この六人だ。名前のない警官などはいたが先ほどの先輩の邪法からすると排除してしまってもいいだろう。共犯の線も先輩の作風からして考えなくてよさそうだ。さて、誰が犯人だろうか? 既に情報は出尽くしているということは警官の二人は探偵役と思ってしまってもいいだろう。出番の少ない先輩も同様だ。バラバラ死体ということは間違いなく他殺、残りの容疑者から私と雄治君を排除すると……あれ?
「え……第一発見者の飯田泉?」
「ほう、何故そう思う?」
「いや、その消去法で……」
推理というにはおこがましい消去法。だが容疑者が偶然にも絞れてしまった。どうにかここから真相に辿り着けないだろうか?
飯田泉は友人の家に遊びに行っていた。けれど帰宅してから死体発見までのアリバイはない。彼女なら犯行が可能に思えた。そう考えると指紋については合点がいく。『私』の殺害現場に残されたチェーンソーに付けられた雄治の両手の指紋。持ち去られた右腕だけではどうすることのできないこの問題も、警察官である飯田泉ならば左手と接触して指紋を残すことができるかもしれない。
「飯田泉は警察官という立場を利用したんでしょうか」
「そう来たか。なるほど、きっといい線いってると思うよ。でも雪村楓の指紋はどう説明する? 彼女は部屋に入っていない、でも指紋があったからこそ彼女は容疑者として疑わしい立場にあるんだ。まずはそれを否定してもらわないと身内である飯田泉にさらなる調査の手が及ぶことはない」
確かに『私』が死ぬ前ならば雪村楓は唯一の容疑者。私がした消去法は小説だから許された手法だ。つまり『私』が殺された時点で疑わしいのは飯田泉であるという結論にはならない。明確に現場に残された雪村楓の指紋の謎を解明し、飯田泉へ繋がる何かが必要となる。
「指紋は工作だったと思う。でもどんな工作なのか検討もつかないかな…」
「おや、それはうれしいね。そんな楓にプレゼントだ」
すると先輩は原稿が載せられていた文庫本をこちらに差し出す。裏だったので何の本かは分からなかったが私はそれを素直に右手で受け取った。
「この本が何か?」
「左手で壁に手をついてもらえないかな」
先輩はたった今差し出された本のことなど気にせず左にある壁を見つめて指示をしてきた。不思議に思いながらも空いている左手で壁に手をつく。ひんやりとした冷気が伝わってくる。この部屋はさぞ冷えるのだろう。
「それだと左手全体の指紋が残ることになるよ。指の開き具合はそのままで指先の指紋が残るようにしてくれないかな」
「指先だけですか? えっと結構、力いりますね……」
手全体で分散していた力が五本の指先に集中する。もう少し親指の位置をずらせば楽になるのだが、それは先輩に許可されていない。
「現場に残された指紋はそんな感じで残されたんだ。それについて楓は何か意見があるかな?」
「意見ですか? いや、特には」
それを聞くと先輩の表情がぱっと花咲いた。
「それはよかった。謎掛けは私の勝ちらしい。なら答え合わせといこうか。現場に残された指紋の状態を覚えているかな? 左手の完全な親指の指紋、そして不完全な残りの指の指紋だ。それらは全て親指側の半分しか残されていない部分指紋だった。さあ、壁を見て考えてごらん」
「壁を見てって……え?」
私は自分の左手を見た。確かに五本全てが壁に接している。だが『これではいけない』んだ。
「気付いたかな。壁に手をついたときに残されるのはね、親指の部分指紋と残り四本のほぼ完全な指紋でないとおかしいんだよ」
「確かに親指は側面が壁に接してる。それに証拠通りに指紋を残そうとするとすごく不自然な捻れ方になっちゃう。ということは……この指紋はどうやって付けられたの……?」
「答えは君の手の中だ」
そして指差された先にあるのは私の右手の中にある文庫本だった。
「あ……そっか、そうなのね! え、でもそんなことが可能なの……」
文庫本を持つ私の右手。その親指はしっかりと正面で裏表紙を押さえており、表紙は四本の指の側面により支えられていた! 作中の雪村楓が不審に思った郵便ポストの文庫本。それを持った時についてしまう指紋がまさに現場に残された証拠と一致したのだ。
「実際問題どうなんだろうね。ドラマの中では可能かもしれないってことで許してもらえないかな。まぁ海外のドラマだったけど」
「どっかの事件でもありましたよね。蝋印に残された指紋から『指紋のスタンプ』を複製するのって」
私は文庫本を動機のこじつけとして利用した。しかし先輩は指紋を採取するための道具として利用したのだ。
「そうだね、題名は『紙一重の殺人』にしよう。これ以上相応しい名前はないだろ? だって一枚の表紙に残された指紋が引き金となって殺人が起きたんだもの」
題名という最後のピースをはめられた作品は見事完成し、それを見計らうかのように螺旋階段を上る音が響いてくるのだった。
☆★☆★☆
あとのことはもう蛇足だろうが一応解説しておく。薄野さんによる読み比べと判定が行われ、夕方までだらだらと時間を過ごして居酒屋へと向かった。気になる読み比べだったのだが予想外にも勝者は私となった。短編で読みやすかったこともあったし、先輩の内容が穿ちすぎたのが勝敗を決めた。私は喜びの実感が沸かずただ驚くばかりで、先輩のそっけない反応をただ見つめることしかできなかった。まるで初めからこうなることを予想していたかのような態度だった。
「そうだ、せっかくだから雄治君も招待しようぜ。彼も殺されたり性格捻じ曲げられたままだとやるせないだろ?」
先輩がそう提案してきた時は面食らったものだ。急な話ではあったし、そもそも私は面識があまりなかったので躊躇われた。しかし「ゲームの趣味も合うだろうから大丈夫だって」と根拠の無い自信に背中を押され、控えてあった彼の携帯に渋々連絡すると快諾されてしまい私は更なる困惑の渦へと巻き込まれた。
「あー雄治君はあのゲームやるんだ! 使用キャラは何? ……あの変態か! 今の環境どうよ? 俺下手だからさ、A吹雪で簡単に吹き飛ばされるんだよね。苦労してダウン取ってもリバサで切り返されたり」
正体された雄治君は薄野さんと意気投合したのか意味不明な用語飛び交う会話で盛り上がっていた。私と先輩もミステリ漫談に花を咲かせ、平均的な居酒屋のそれよりも数段はたくましい手羽先を頬張りながら日本酒を飲むのだった。
こうして私の初めてのミステリ小説は課題点を浮き彫りにされながらも評価してもらい、次なる作品への意欲をみんなにもらった。まだまだ未熟ではあるけれど、いつかは本格ミステリにも手を出してみたいと思う。私の作品なんかに頭悩ませ、思考を巡らせてくれる人がいるのなら私は本望だ。
……ところでひとつの疑問が頭をもたげていた。思えば先輩は何故、あのことを知っていたのだろうか……?
☆★☆★☆
私は一人、自分の部屋で佇んでいた。つい先ほどまでの飲み会の余韻に浸りながら水を飲んで体の火照りを冷ます。予想以上にことが上手く運んだことに満足していた。久々に美味しい酒も飲めたし、気の合いそうな二人を会わせることも出来た。楓に作品を書かせることが出来たのも僥倖だった。私の作品がこんな形で役に立つとは思っていなかったからだ。
「あ、いけない」
私は目の前にあった文庫本を手に取った。表紙を見るとくすりと一笑して立ち上がり、本棚へと向かう。一冊分空きのある隙間にその本を差し込もうとする。
「よかった、もし見付かっていたらバラバラ死体にされていたのは私だったかもしれないね」
部屋を見渡し、早々に掃除をしようと心に決める。文庫本から手を離して私は布団へと潜り込む。その本の背表紙にはこう書かれていた。
『オリエント急行の殺人』 アガサ・クリスティ、と……
先輩の言動、名前、行動、そして本。全ては仕組まれていたのかもしれません