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核なき器、その覚悟

 校舎に叩きつけられた智春は、立ち上がる気配がなかった。

 

 煙の向こうから、重い足音が近づいてくる。


 全身を覆う濃い褐色の毛並み。

 制服の上からでもはっきりと分かるほど盛り上がった胸板。

 肩幅は異様に広く、太い首の上から緩やかに曲がった二本の角が天を向いている。


 獣人族を統べる二年生。

 ハリス・トルマン。


トルマンは倒れた智春を一瞥し、そのまま通り過ぎた。


「智春っ!」


 ブレアが駆け寄り、エリックも後に続く。


 智春は白目を剥いたまま、ぴくりとも動かなかった。


 トルマンはゆっくりと歩き、アイゼンの前で立ち止まった。

 そして、低い声が落ちた。

「タイマンか。

 ……甘いな、アイゼン」


「トルマンさん……」


 次の瞬間、アイゼンの腹に拳がめり込んだ。


「ぐふっ……!」


 アイゼンは腹を抱え、その場に膝をついた。


「こんなやつに手こずってんじゃねえよ。今はあんなガキに構ってる暇はねぇんだ」


 アイゼンはよろめきながらも立ち上がる。

 口元を拭い、視線だけを上げた。


「す……すいません……」


 トルマンは舌打ちをした。

 そして、ゆっくりと校舎を見上げる。




 屋上の縁に、赤い鬼が腕を組んで立っている。

 渡り廊下の柵に、黒い外套の影が寄りかかっていた。

 校舎の窓枠に、炎を纏った気配。

 赤レンガの塔の頂。最も高い場所から見下ろす影が一つ。




「っち」


 トルマンは目を細め、吐き捨てるように言った。


「あいつらの前で醜態を晒しやがって」


 振り返ることなく、低く告げる。


「行くぞ」


「おぅ!」


 獣人たちの声が重なった。

 トルマンを先頭に、獣人の群れが引き上げていく。


 その背中に、声がかかった。


「待ちなさいよ」


 パットンが前に出た。

 大柄な体を真っ直ぐ立て、トルマンの背中を見据えている。


「あなた……獣人としての誇りもないのね」


 パットンは静かに続けた。


「いや、忘れたの間違いかしら?」


 トルマンが、ゆっくりと振り返った。


「はっ。そんなもんでこの学園が獲れるかよ」


 一歩、パットンへ近づく。


「同族のよしみでお前は勘弁しといてやる。ただ」


 声のトーンが落ちた。


「次、俺に舐めた口を聞いたら…… どうなるかわかってるか?」


 パットンは微笑んだ。

 目は笑っていない。


「あら、どうなるのかしら。今試してみてもいいけどねぇ」


 トルマンは鼻で笑い、踵を返した。


「面白い野郎だ。その気があるならこいよ。歓迎してやるから」


「誰が野郎よ」




 歩き出したトルマンの目が、ブレアと合った。

 ブレアはその視線を受け止め、一歩も退かなかった。


「あなた、恥ずかしくないの?」


 トルマンの眉がわずかに動く。


「あ?」


 短く息を吐き、肩をすくめた。


「はぁ……今年の一年は本当に舐めたやつばっかだな。お前もこの場でやってもいいんだぜ?」


「やれるならやってみなさい」


 ブレアは静かに言い返した。


「私の兄を恐れてどうせできないでしょう」


 トルマンの目が、一瞬だけ鋭くなった。


「お前も、兄貴もそのうち殺してやるよ。楽しみに待ってな」


 足音が遠ざかる。

 獣人たちがその後に続き、広場から引いていった。


 静寂が戻る。

 残ったのは、倒れた智春と、その周囲に立つ三人だけだった。




 夜が更けた頃。

 重い瞼が、ゆっくりと開いた。


 天井が見えた。

 あたりを見渡すと細長い部屋だった。


 両側の壁に沿って木製のベッドが5つほど並び、今は智春が使っているもの以外は空だった。


 壁際の棚には大小様々な瓶が並び、中の液体がそれぞれ違う色で仄かに光っている。

 白い壁にぶら下がったランタンは、青白い炎を揺らしている。

 薬草の青臭さと、何か甘いものが混ざった匂いがする。


 

「どこや……」


 体を動かそうとした瞬間、腹に鈍い痛みが走る。

 思わず顔をしかめ、視線を落とす。


 腹には包帯が幾重にも巻かれていた。

 湿布の匂いが鼻をついた。

 包帯の端から、縫合の跡が覗いている。


 その横に、もう一つ。

 ナイフで抉ったような古い傷跡が残っていた。


「あら、起きたのね」


 声がした。

 顔を向けると、ベッドの横にブレアが立っていた。

 腕を組み、こちらを見下ろしている。


 その後ろにエリック。

 そして、パットンが椅子に腰かけて足を組んでいた。


「ブレア……ここは?」


「医務室よ。気絶したあんたをパットンが運んでくれたの」


「そうか……」


 智春は枕に頭を預け直した。

 天井を見たまま、小さく呟く。


「俺、負けたんか……」


 誰も、すぐには答えなかった。


「これで気が済んだかしら」


 ブレアが口を開いた。


「獣人たちとは私が話をつけるわ。あんたに手出ししないようにさせる。だからあんたも──」


「無理や」


 ブレアの言葉が止まった。


「えっ?」


「このまま黙って大人しくしとく? ケツを女に拭いてもらう? そんなん死んでもごめんやな」


「智春くん……」


 エリックが静かに割って入った。


「気持ちは……まぁ全くわからないですが。でも今は調査に専念しませんか? この学園の恐ろしさ、わかったでしょう?」


「調査?」


 パットンが首を傾げた。

 エリックが振り返り、一瞬固まる。


「あっ……パットンさんがいたんでしたね」


「気にしないで続けてちょうだい」


 パットンは涼しい顔で言った。


「転校生と姫様が仲良くしてるなんて、何かあるとは思ってたわ。他言はしないから」


「……信じますね」


 エリックは小さく息を吐き、智春に向き直った。


「どうですか、智春くん」


「すまんなエリック」


 智春は目を閉じたまま言った。


「お前の言うてるのが正しいのはわかる。でも無理や。あの俺を殴った牛をしばかな気が済まへん」


「ちょっと智春!」


 その時、扉の外から声がした。


「ふふ、起きたのね」


 扉が静かに開いた。

 白衣を羽織った女が入ってくる。




 腰まで届く銀白の髪が、ランタンの光を受けて揺れる。

 白衣の下は黒いレースのドレスで、十字架のネックレスが胸元で光っている。

 切れ長の青い瞳が、智春を見て柔らかく細くなった。

 とがったエルフの耳が、髪の間から覗いていた。

 片手にはクリップボード、もう片手には青く発光する小瓶を持っている。




 智春は一瞬、目を丸くした。


「……エロいねーちゃんやな」


「こら!」


 ブレアが即座に叩いた。

 女はゆっくりとベッドの傍に近づいてくる。


「初めまして。私はヘクセ・モーラナ。この学園の保険医よ」


 小瓶を棚に置き、クリップボードに視線を落とした。


「あなたが転校生の智春くんね? 聞いてるわよー。初日朝から喧嘩ばっかなんですって?」


「俺は売られた喧嘩を買っただけや」


「ふふ、元気ね」


 モーラナは智春の包帯の具合を確かめながら、さらりと続けた。


「でも、無茶はダメよ。あなた、回復魔法も効かなかったんだから」


 智春の眉が上がった。


「回復魔法も効かんのか俺……」


「先生」


 ブレアが一歩前に出た。


「智春に魔法が効かない理由、わかりますか?」


 モーラナは少し考えるように視線を宙に向けた。


「私にも詳しくはわからないわね……おそらく核が関係してると思うんだけど」


「核?」


 智春が聞き返す。


「この世界の住民は全て、魔力を取り扱う魔導核と呼ばれる器官があるの」


 モーラナは静かに説明した。


「種族によってサイズや機能は多少異なるけど……智春くんには、それがないの」


 部屋の空気が、一瞬止まった。

 ブレアが目を見開く。


「そんなこと、聞いたことがないわね……でも、魔法が効かないのは少し納得がいったわ」


 エリックの声がわずかに震えている。


「核がないなら、魔力による攻撃が効かないのは……想像できます」


 ブレアは拳を握りしめた。


「でも、そんなことあり得るの?」


「私も聞いたことがないわね」


 モーラナはそう言い、少し考えてから付け加えた。


「二年生の凱人ときとくんに聞いてみたらどう?」


「凱人?」


 エリックが補足する。


「二年生の勇者ですよ。智春くんと同じ、人間の転生者。何か知ってるかもしれません」


「凱人さんも、アイゼン様に負けず劣らずのイケメンよ♡」


 パットンが嬉しそうに付け加えた。


「黙ってなさい」


 ブレアが一蹴した。

 そのままベッドの智春に向き直る。


「とにかく、今は安静にして。今後騒ぎを起こさないこと。わかった?」


「だから無理やって」


 智春はそう言って、ゆっくりと体を起こした。


「いてっ…… やっぱ少し痛むな…… エリック、あいつらの居場所教えろ」


 エリックが静止した。


「もしかして……」


「あぁ。今から行ってあの牛しばいてくるわ」


 ブレアの声が上がった。


「ふざけないで! あんた、死ぬつもり!?」


「死ぬつもりはないけどなぁ」



その時、 パットンが立ち上がった。


「智春ちゃん、行くなら付き合うわよ」


 ブレアが振り向く。


「パットン? なんであなたが獣人たちと戦うのよ!」


 智春が笑った。


「なんや、乙女は守ってもらうんちゃうんか?」


「ふふ、母性に目覚めたの。あなたのこと放っておけないわ」


 パットンは胸に手を当て、続けた。


「それに、私何かおかしなこと言ったかしら? ここは力が正義、天下のマルボルク学園でしょ?


 あんなやつが獣人たちを束ねてるなんて我慢できないわ。この際だから、私がこの派閥をもらっちゃおうと思ってねぇ」


エリックが眉をひそめる。


「でもあの数をまともに相手するのは……」


 智春は立ち上がりながら言った。


「数なんか関係ないやろ。背中預けれるやつが一人おったら十分や。なぁ、パト子?」


「いつのまにそんな仲良くなったのよ、あんたたち」


「あら、時間なんか関係ないわ。気に入った子の横に立ちたいのは当然でしょ? あと……」


 パットンはエリックに視線を向けた。


「あんたも来なさい。来たらご褒美にチューしてあげるわ♡」


「罰ゲームじゃないですか」


「じゃあ来なかったらチューするわよ!」


 パットンはエリックの頬に唇を寄せた。


「わ、わかった! 行く! 行きますから!!」


 ブレアは深く息を吐いた。


「なんなの……なんなのよあんたたち……」


 額に手を当て、もう一度息を吐く。

 そして、顔を上げた。


「死ぬなら勝手に死になさい! 私はもう助けないからね!!」


 ブレアは扉を開け、足音を立てて出ていった。

 廊下に足音が遠ざかっていく。

 

「追いかけなくていいの?」


 パットンが聞いた。


「まぁ、今は喧嘩が先やな。行こか」


 智春が歩き出す。

 その前に、白衣が立ち塞がった。


「智春くん」

 モーラナはクリップボードを胸に抱え、青い瞳で真っ直ぐ見ている。


「あなた、本当に行くつもり?」


「あぁ」


「死ぬかもしれないわよ?」


「かもしれんな」


「覚悟は?」


「しつこいなぁ」


 智春は目を細め、モーラナを見た。

 その顔からは一切の笑みが消えていた。


「どいてくれ、先生。無茶して遊ぶのは子供の特権やろ」


 モーラナは少しの間、智春の目を見ていた。

 それから、静かに横へ退いた。


「……ふふ。気に入ったわ、智春くん」


 背中に声がかかる。


「生きて帰ってくるのよ。生きてさえいれば、私が治してあげるから」


 智春は振り返らなかった。

 手だけを軽く上げ、扉へ歩いていく。


「あぁ、すぐ戻ってくるわ。あのアホのアイゼンと牛を引きずってな」


 扉が開き、三人の足音が廊下へ消えていく。

 医務室に静寂が戻った。

 モーラナは一人、青く光る小瓶を手に取った。

 その口元に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。


「良い器になりそうね……」

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