最上級の獲物
智春の不意の一撃が、アイゼンの顔面に叩き込まれた。
体が後ろへ傾き、一歩、二歩と後退する。
口の端から血が一筋垂れる。
それを拭いもせず、銀灰の瞳が智春を真っ直ぐ捉えた。
「テメェ……」
智春は肩をすくめた。
「なに喧嘩相手に背中向けとんねん。
時間くれたり条件出したり。思ったより甘いやつやな」
アイゼンの眼が細くなる。
「それが答えなんだな……?」
「まぁ」
智春は小さく息を吐いた。
それから、誰にも届かない声で続ける。
「数に頼らな喧嘩できんやつらの頭やしな。俺の買い被りやったかな……」
右手を前に出し、挑発するように指先を二度曲げた。
「ほら、こいや」
「なめやがって……」
アイゼンが動くより先に、獣人たちが走り出していた。
「テメェ! アイゼンさんになにしてやがんだ!!」
号令を待てなかった。
怒号が重なり、足音が石畳を叩く。
智春は最初に飛び込んできた1人の鳩尾に蹴りを叩き込んだ。
折れる体を掴み、後続へ向けて投げつける。
2人がまとめてよろめき、隙間が生まれた。
その一瞬の隙によろめいた2人の頭を掴み、そのまま石畳へ叩きつける。
だが、数人程度の隙間はすぐに埋まる。
「始まっちゃいましたね」
エリックが静かに言った。
「はぁ」
ブレアはため息をひとつ落として、乱戦の中心を見る。
「でもあいつ、なんであんなに強いのかしら」
「さぁ。国王はそこだけを見込んで派遣してきたんでしょうね」
エリックは眼鏡の位置を直しながら続けた。
「朝の騒動、僕も見てましたが明確な一撃はもらってませんし。
魔法を使用しない肉弾戦ではこの学園でも指折りですかね」
「この学園でも指折りのバカだけどね」
「姫様は止めないんですか?」
その言葉にブレアの目つきが鋭くなる。
「姫はやめてって言ったでしょう」
「おっと……失礼しました」
「助けるのは一度だけ。忠告もちゃんとしたしね」
ブレアは智春に視線を戻し小さく言う。
「まぁ骨ぐらいは拾ってあげようかしら」
「では、僕もそんな感じで」
ブレアの口元が、わずかに緩んだ。
「バカはそれを許してくれないみたいよ」
ブレアはそう言うと、翼を広げて軽く飛び上がり、距離を取った。
「えっ?」
乱戦の中、智春は笑っていた。
目の前の獣人の襟首を掴む。
体重を乗せ、そのままエリックへ向けて投げ飛ばした。
「おらぁ! エリック! 行ったぞ!」
「なっ!」
エリックは反射的に飛んできた獣人を蹴り上げた。
だが、周囲から獣人たちが一斉に飛びかかる。
「智春くん! 君は本当に……めちゃくちゃだ!」
「はっは! おもろいやろ!」
「おもろくない!」
少し離れた場所で、パットンが片手を胸に当てた。
「ふふ、あの子……好きなタイプね♡」
その近くへ移動していたブレアは、アイゼンに視線を移した。
乱戦の外。
銀狼は静かに俯いていた。
動かない。
ただ、その場に立っている。
アイゼンの頭の中で、さっきからひとつの問いが回っている。
(なんなんだこいつは……)
数に怯まない。
選択肢を与えても意味がない。
退くどころか、笑いながら暴れる。
(こいつは……)
そこで、アイゼンは気づいた。
口の端が、自然と上がっていた。
(最上級の獲物だ)
アイゼンが高く笑った。
「はっはっは……!」
その声に乱戦が止まった。
獣人たちが戸惑った顔でアイゼンを見る。
「アイゼン……さん?」
アイゼンが一歩踏み出す。
「お前ら手ぇ出すな。
今からこいつとタイマンでケリつける」
低い声が落ちる。
「口答えするやつは殺す。どけ」
ざわめきが消えた。
獣人たちが割れ、道ができる。
エリックからも獣人が離れる。
エリックは襟を直し、小さく息を吐いた。
智春が口元を拭った。
「やっと出てきたか」
アイゼンが歩み寄る。
「あぁ、待たせたな。異物……いや、智春」
「別にええ。それより会話長いわ」
智春が拳を握る。
「ほら、かかってこい」
アイゼンが低く構える。
「いくぜ……?」
アイゼンが地面を蹴り、まっすぐに突っ込んでくる。
智春がタイミングを合わせて拳を振り下ろす。
だが、拳は空を切った。
智春の視界から、アイゼンが消える。
そして背後から声。
「どこ見てんだよ」
智春は振り向きざまに裏拳を放つが、それも避けられる。
「遅ぇ」
腹に膝がめり込み、視界が反転する。
鈍い衝撃と共に肺の空気が押し出される。
「ぐっ……」
智春の足が石畳を滑り後退する。
腹を押さえ、歯を食いしばる。
息を一つ吐いてから、アイゼンに殴りかかる。
アイゼンは軽く避け、その流れのまま顎へ掌底を叩き込んだ。
頭が揺れる。
智春は無理やり踏みとどまろうとするが、その隙を逃さずアイゼンの蹴りが太ももに突き刺さる。
智春は思わず膝をついた。
ガラ空きになった顔面へ、アイゼンの蹴りが容赦なく叩き込まれた。
智春は吹っ飛び、背中から地面に落ちた。
(こいつ速すぎる……)
息が荒い。
脚は重い。
腹も熱い。
だが、自然と笑みがこぼれていた。
「やるやんけ…… お前とはとことんやったるわ……」
アイゼンの呼吸は乱れていない。
「ああ……もっとこいよ智春……」
銀灰の瞳が光る。
「死ぬまであそぼーぜ?」
智春が血を吐き捨て、立ち上がる。
二人の視線が交わる。
どちらも笑っていた。
そして二人が、同時に地面を蹴った。




