差別化の末路
智春はブレアに職員室まで案内され、そこで今年赴任してきたばかりの頼りない教師を紹介された。
跳ねた癖毛にメガネ。
肩をすぼめた姿勢で、歩くたびにネクタイが少しずれる。
いかにも頼りなさそうな男だった。
その教師に連れられ、智春は一年の教室へと向かった。
教室に入った瞬間、智春は眉を上げた。
机と椅子は揃っているのに、人がいない。
空席だらけで、いるのは壁際に固まった数人だけだった。
「えらい少ないやんけ」
教師は黒板の前に立ち、困ったように笑う。
「みんな授業になるとどっか行っちゃうからね……」
智春が教室を見渡すと、窓際の席にブレアがいた。
「なんや一緒のクラスなんか」
ブレアはため息を落とす。
「はぁ。騒がしくなりそうね……」
教師が二人を見比べ、少し首を傾げた。
「知り合いなの?
じゃあ嶽山くんはブレアさんの隣の席で。
朝の騒動でみんな嶽山くんのことは知ってると思うから。早速授業を始めましょう」
智春は席に向かわず、そのまま教室の後ろへ歩き出した。
教師が慌てて声を張る。
「嶽山くん! どこ行くの?」
智春は振り返り、平然と手をひらひらさせた。
「すまんな、先生。
今さら退屈な授業なんか聞いてられんわ」
教師はただ困った顔でメガネを押し上げた。
「別にいいけど…… 嶽山くん、この世界の字は読めるの?」
その言葉に智春の足が止まる。
ゆっくりと振り返り、ズカズカと先生に歩み寄った。
「あ?バカにしとんかい!
字くらい……」
教師が配ろうとしていたプリントを、智春は乱暴に奪い取った。
そして、胸の前で広げて目を通す。
そこには、わけのわからないミミズ文字が並ぶ。
線がうねって、点が散る。
どこが区切りなのかも分からない。
智春の表情が固まった。
指先で紙をひっくり返して裏も見る。
裏も同じだった。
「なんやこれ。落書きか?」
「ほら…… 転生者の嶽山くんは会話はできるみたいだけど、文字は全然でしょ?
今日は小学生レベルの授業にするから。
座ってくれないかな……?」
智春はプリントを握りしめ、肩が小刻みに震えた。
歯を食いしばり、息を吸い込む。
「くそっ!!!」
そのままドスドスと戻り、椅子を引いて座った。
隣の席のブレアが横目で見て、呆れたように言う。
「あなたは何がしたいの? バカなの?」
智春はプリントを机に叩きつけ、視線を逸らした。
「……うるさい」
教室に残っていた少ない人間の生徒たちが笑う。
遠慮のない笑い声が、空席だらけの教室にやけに響いた。
「笑うなや!」
智春はプリントを丸め、勢いよく投げた。
丸めた紙が、笑っていた生徒の額に当たって床に落ちる。
生徒が椅子を蹴って立ち上がる。
「あ? やんのかこら!」
智春も立ち上がり、机を押しのける。
「上等や! かかってこい!」
「字も読めねぇくせにいきがってんじゃねえぞ!」
智春の顔が赤くなる。
「それは言うなや!!!」
そのまま殴り合いが始まった。
教師は黒板の前で肩を落とす。
「はぁ…」
ブレアが視線だけ教師に向ける。
「先生、止めなくていいんですか?」
「いいでしょ。
止めに入ったら僕なんか殺されちゃうから」
ブレアは頭を抱えるように額に手を当てる。
「なんであなたはこの学校の教師になったのよ……」
授業終了後。
智春は机に伏して泣いていた。
「1日授業受けて1文字もわからんかった……」
智春と喧嘩をした生徒は教室の後ろでボコボコにされ倒れていた。
智春は机の上に頭をつけたまま、肩を小さく揺らしている。
そこへ、落ち着いた声が降りてくる。
「嶽山智春くん……ですよね?」
「あ?」
智春が顔をあげる。
その先には黒髪にメガネをかけた、妙に整った顔立ちの少年が立っていた。
「転校初日から随分と印象的でしたね。
……ここまで目立てる方は、なかなかいませんよ」
智春は鼻を鳴らした。
「なんや、お前も喧嘩売ってるんか?」
少年は首を振る。
「まさか。僕はエリック・ネッカー」
エリックは一歩踏み込み、智春の耳に口を近づけて周囲に聞こえない声で呟いた。
「僕も王国に派遣された調査員です。
君が暴走しないよう見張れと言われてます」
「お前が調査員?」
その声に反応して、ブレアが椅子を引く音を立てて近づいた。
「なんの話をしてるの?」
智春が指でエリックを示す。
「あー、こいつが調査員の1人らしくてな」
ブレアの目が鋭くなる。
「ちょっと!」
エリックは相変わらず淡々としている。
「声が大きいですよ。
僕たちがそれぞれ王国から派遣されてることは内密でお願いします」
智春は頭をかいた。
「そうなんか、すまんな」
ブレアが即座に返す。
「考えたらわかるでしょ」
エリックは小さく笑って、肩をすくめる。
「本当に、元気な人ですね」
「それ褒めとんか?」
エリックは迷いなく頷く。
「ええ、心の底からね」
ブレアが一歩前に出て、エリックに手を差し出した。
「私はブレアよ。
よろしくね、エリック」
エリックは軽く頭を下げる。
「存じてますよ、姫」
ブレアの眉がわずかに動く。
「姫はやめなさい」
「ははは、すいません。
あと、僕は戦闘はそこまでなんで戦力としては期待しないでください」
智春はエリックをじっと見つめる。
教室の騒がしさがまだ残る中で、エリックだけが空気の外にいるみたいだった。
「それ……ほんまか?」
エリックは肩をすくめる。
「ええ。
とにかくこれからはあまり目立たないようにお願いしたい。
特に獣人族を相手にするのは面倒です」
智春が顎を上げる。
「あいつらが?」
「はい。
獣人族は数が多いですから。
この学園で最大規模の派閥を形成してます。
その長が2年のハリス・トルマン。
2年で勇者様と並ぶ猛者ですね」
智春は鼻で笑った。
「へぇー。強いんかそいつ」
エリックは薄く笑う。
「少なくとも、あなたよりは」
智春の口元が上がる。
「へぇ」
エリックは言葉を続ける。
「で、先ほど獣人たちを止めた銀狼がドワイト・アイゼン。
荒くればかりが集まる獣人たち1年のトップに立つ男ですね」
智春の脳裏に、銀色の毛並みと鋭い目が浮かぶ。
「あいつか…… なかなかやばそうなやつやったな」
エリックは釘を刺す。
「まぁ、ブレアさんと行動してれば獣人たちも事を起こしてこないとは思いますが。
刺激しない方がいいですね……」
智春が横目で見る。
「なんや含みのある言い方しやがって」
ブレアが被せる。
「何回も言うけど、次は助けないからね」
智春は両手を上げた。
「わかったわかった
とにかく帰ろうや。
こっちは慣れへん勉強して疲れとんねん」
3人は校舎を出た。
外はもう夕方だった。
中庭を歩いていると、女の叫び声が上がった。
視線を向けると、獣人族数人が誰かを囲んでいる。
智春の足が止まる。
「あいつら女まで……
ほんましょうもない奴らやな……」
智春は静かにキレながら近づく。
エリックが腕を伸ばして止めようとする。
「智春くん!
あれは放っておきましょう」
智春は腕を振り払う。
「黙って見てられるかい」
獣人族に近づき、智春は低い声で言った。
「どけお前ら。女相手に何を……」
智春が獣人の1人をどかして女を見る。
「なっ!なんやお前!」
そこにいたのは、やたらデカいイノシシの獣人だった。
広すぎる肩。
丸太みたいな脚。
黒髪をオールバックに流し、顔には濃いめの化粧。
そして。
腰には堂々とふんどしを締めている。
イノシシが頬に指を当てて首を傾げる。
「うふ♡」
智春は言葉が詰まる。
「な、なんやこいつ……
差別化意識しすぎて奇をてらいすぎやろ……」
イノシシは胸を張る。
「この作品のヒロインは私よ!」
これが、智春と奇妙な相棒との出会いだった。




