暴力の学園
数百年前。
悪魔族の侵攻により、大陸は焼かれた。
それまで刃を向け合っていた人類と魔族は、背を預け合うしかなかった。
そこへ獣人、エルフ、ドワーフ。あらゆる種族が加わる。
敵は一つ。
生き残るために、手を取った。
長き戦の末、悪魔は退けられた。
各種族は和平を結び、国境を定め、共存を誓う。
二度と刃を向け合わぬと。
和平の証として築かれた都市。
ヴォルノクライ。
そこに交易と種族間交流の象徴として、学園が建設された。
理想は、そこにあった。
のだが。
城壁のような巨大な校舎が中庭を囲み、その内側から赤レンガの塔が空を突き刺している。
渡り廊下で繋がれたそれらは、まるで一つの要塞だった。
外壁には無数の亀裂が走り、窓は割れたまま放置されている。
正門をくぐった先は、広い石畳の広場だった。
中央には噴水の跡らしき石造りがあるが、水は出ていない。
その縁に腰をかけ、狼の獣人がブレザーの前を開けたままタバコを吸っている。
少し離れた場所では、角を生やした鬼がドワーフの制服の襟首を掴み、殴りつけていた。
周囲を囲む連中は止める気などなく、笑いながら囃し立てる。
また別の一角では、黒い翼を背に持つ少年が退屈そうに立っていた。
その足元には誰かが倒れている。
本来なら威厳に満ちた学園のはずだった。
怒号と笑い声が飛び交う。
喧嘩は景色になっていた。
その中央を、ひとりの男が構わず歩いていく。
学ランのボタンを外し、白いTシャツを覗かせている。
短く荒れた茶髪。
吊り上がった目が、周囲を一瞥する。
口元には、薄い笑みが浮かぶ。
校舎に入る寸前。
タバコを吸っていた狼の獣人が、煙を吐きながら声をかけた。
「おい、止まれ」
男は足を止め、振り返った。
「あ?」
「お前、見ねえ顔だな。新入りか?」
「ああ、嶽山智春。今日からマルボルクや。よろしく頼むわ」
智春は間を置かずに続けた。
「そんなことより、タバコ一本くれへんか」
獣人の眉がわずかに上がる。
笑いが消え、牙の先が見えた。
「あ? 人間のくせに調子にのるなよ」
獣人はわざとらしく肩を回し、周囲にも聞こえる声で言う。
「新入りに教えてやるよ。このマルボルク学園はな、力こそが正義だ。欲しかったらテメェの力で手に入れてみろよ」
智春は小さく息を吐いた。
「はぁ。お前みたいな奴がおって助かるわ。これ以上ト書きとか地の文増やすと説明的になりすぎるからな」
「あ? どういう──」
獣人が言い切る前に乾いた衝撃音が響き、拳が顔面にめり込んだ。
次の瞬間、獣人の体は壁に叩きつけられ、赤レンガにひびが走る。
獣人は呻き声も出せず、ずるりと崩れ落ちた。
智春は足元へ視線を落とし、獣人のポケットを探る。
タバコの箱を抜き取り、慣れた手つきで火を点ける。
「これがこの学園のやり方なんやな?」
智春は口角を上げる。
「なかなかおもろいとこやんけ。あのくそ王の話に乗った甲斐があるわ」
そのまま校舎へ向き直る。
扉に手をかけようとした瞬間。
「待ちやがれ!!」
怒号が背中を叩いた。
「次はなんやねん」
振り返ると、ハイエナの獣人が四人並んでいた。
「見てたぞてめぇ。俺ら獣人に喧嘩売っといて生きて帰れると思うなよ?」
「売ってきたんはそいつやけどな」
「細かいことはいいんだよ。人間如きが俺らに逆らうとどうなるのか」
獣人は牙を剥き、拳を強く握り込んだ。
「その体に教えてやるよ!!!」
一人目が殴りかかる。
「遅いわ」
智春は体をわずかに傾けただけだった。
拳が頬の横をかすめる。
と、同時に顔面を鷲掴みにし、勢いそのままに地面へ叩きつけた。
獣人は後頭部から石畳にめり込んだ。
その隙を狙って、もう一人の蹴りが背後から入った。
鈍い衝撃が腰に走り、智春はわずかに体勢を崩した。
「痛いやんけボケ」
智春はゆっくりと振り返り、そのまま無造作に歩き出す。
確かな手応えを感じたはずの獣人は、思わず声を漏らした。
「入ったと思ったが……効いてないのか?」
距離が詰まった瞬間、鋭い爪が智春の顔面へと突き出される。
だが、その動きは途中で止まった。
智春は獣人の手首を掴み、握り潰すように力を込める。
そして、智春の拳が鳩尾に沈んだ。
息が抜け、獣人の膝が崩れる。
無防備になった頭へ、踵が振り下ろされた。
石畳が砕け、頭部が深く沈み込む。
残った二人が、目を見開いた。
唾を飲む音が聞こえる。
「な、なんだこいつ」
「普通じゃねえ。クソが、燃やしてやるよ!」
二人が同時に詠唱を始めた。
短い呪文が重なり、空気が歪む。
風が唸り、地面の砂を巻き上げる。
もう一方では炎が膨れ上がり、掌から解き放たれた。
左右から挟み込むように、智春へ迫る。
だが。
智春は避けようともしなかった。
逆に一歩踏み出し、躊躇なく拳を振り抜いた。
炎が砕け、風が散った。
「で?」
獣人たちの間に、沈黙が落ちた。
「魔法が……効いて、ねぇ……」
「ち、違う……消された……?」
獣人は歯を噛みしめ、叫んだ。
「そ、そんなの聞いたことねぇぞ!」
もう一人が後ずさりしながら吠える。
「くそ! もっと人数呼んでこい!」
智春は煙を吐いた。
「なんや、結局は数に頼るんか?」
獣人は牙を見せて笑う。
「調子に乗るなよ。いいこと教えてやるよ、転校生。獣はな、群れで狩るんだ。これは喧嘩じゃねえ。狩りだ」
智春はタバコを吐き捨てた。
「しょーもな。要はタイマンじゃ敵わんから囲むだけやろ」
一歩踏み出す。
笑みは消えていない。
「おら、かかってこい。何人でも相手したるわ」
「後悔するなよ?」
一瞬、静まった。
次の瞬間。
校舎の影から。
渡り廊下の上から。
中庭の柱の裏から。
ぞろぞろと、獣人が出てくる。
目が光り、爪が石を削る。
智春のこめかみに汗が一筋落ちた。
「思ったより多いな」
さらに増える。
窓からも。
噴水の裏からも。
「いや、ちょっと待て」
ぐるりと囲まれる。
一人、二人、三人……。
数えるのをやめた。
「いや、多すぎるやろ!!」
一拍。
深呼吸をした次の瞬間、踵を返す。
全力疾走。
「やってられるか!!」
「待てぇぇぇ!!」
「止まれこらぁ!!」
「止まるわけあるかぼけ!! 初日から袋にされてたまるか!!」
獣人の群れから全力で逃げる青年。
その光景を、渡り廊下の上から見下ろす影があった。
ブレザーに身を包んだ少女。
長い黒髪が揺れ、額には二本の角がある。
背には黒い翼。
「あれが聞いていた調査員かしら。人間の王も随分と変なのよこしたわね」
赤い瞳が、逃げていく背中を追う。
「でも、魔力に耐性のある体」
口元が、わずかに緩んだ。
「使い道はありそうね」
「待てぇぇぇ!!」
「止まれこらぁ!!」
「やってられるかぁぁぁ!!」
石畳を蹴り上げながら、嶽山智春は全力で駆け抜けていた。
マルボルク学園、転校初日。
絶賛、命の危機。




