獣王の誤算
「塵一つこの世に残らねーと思え……!!!」
トルマンが吠えた。
その咆哮に、校庭の空気が震えた。
続けて、巨体が地面を踏み砕きながら一直線に突進してくる。
踏み込むたび黒い土が弾け、校庭に深い抉れが刻まれていく。
その暴力的な突進に、見ているだけの獣人たちですら息を呑んだ。
智春は横へ飛んだ。
トルマンの腕が空を裂き、地面へ炸裂する。
爆発が地を割り、土が柱のように吹き上がった。
爆風が校庭を横断し、見守る獣人たちと人間たちの前髪を激しく煽った。
制服の裾がばたつき、砂が頬を叩く。
誰も声を上げなかった。
唾を飲む音だけが、あちこちから聞こえた。
智春は着地しながら、口元を拭う。
「……汚い花火やな」
トルマンの目が血走る。
「ふざけんなぁ!!」
再び地面を蹴った。
怒りに任せ、智春をさらに追う。
その光景を、渡り廊下からブレアが見つめていた。
柵を強く握り、唇を固く結んでいる。
その背後から歩み寄ってきた影が、静かにブレアの隣に並んだ。
黒髪に黒い角。
大きな黒翼を緩やかに折りたたみ、両手をポケットに突っ込んだまま校庭を見下ろしている。
制服のボタンは開き、赤いネクタイが胸元で緩く揺れていた。
足元には、一匹の黒い蛇がとぐろを巻いていた。
イオセブ・ヴェレス。
学園の3年にして、魔族の王子。
学園の魔族を束ねる男が、静かにそこに立っていた。
「あれがお前の言っていた調査員か?」
ブレアは姿勢を正した。
「はい。兄上」
「おい、お兄ちゃんと呼べ」
「はい。兄上」
「……まぁいい」
ヴェレスは溜息をつき、校庭へ視線を戻した。
「智春には魔法が効きません……」
ブレアが静かに言う。
「なぜでしょうか」
「魔法が効かない?」
ヴェレスは金の瞳を細めた。
「私には魔力が干渉していないように見えるが……この世界においてそんなことがありえるのか?」
低く、独り言のように呟く。
「異物とはよく言ったものだな」
少し間を置いてから、ヴェレスは視線をずらした。
「それより、あのメガネの小僧は?」
「エリックのことですか? 私も知り合ったばかりで……」
「体育館の戦闘を見ていたが……」
ヴェレスの声に、わずかに温度が落ちた。
「姿を変える魔法は数あれど、あいつは魔導核すらも変化させていた。そんな魔法は聞いたことがない……」
風が吹き、黒翼がかすかに揺れる。
「どこにでも侵入できる便利な魔法だな。調査員にうってつけというわけか」
校庭ではトルマンの猛攻がさらに激しさを増していた。
腕を振るうたび爆発が連鎖する。
弾けた衝撃が次の爆発を呼び、抉れた地面からさらに土が噴き上がる。
爆風が重なり合い逃げ場を塞いでいく。
智春は後退しながら躱すしかなかった。
拳を避けても、爆発の余波が追いかけてくる。
「逃げてんじゃねぇ!!」
トルマンが怒鳴る。
右腕が大きく振られ、爆発が地を抉った。
先ほどまでとは比べものにならない爆風が智春を横から叩きつけ、その身体を吹き飛ばした。
「獣人族の長、トルマン」
ブレアが呟く。
「流石に強いですね。隙がない」
「そう見えるか?」
ヴェレスは片眉を上げた。
「私からしてみれば、怒りに身を任せ魔力を無駄に消費しているようにしか見えないが」
「智春は……勝てるでしょうか」
ブレアの声が、わずかに揺れた。
ヴェレスは答えなかった。
しばらく校庭を見てから、静かに口を開く。
「さぁな」
風が渡り廊下を抜けていく。
「だが、このまま戦闘が長引けば不利なのはトルマンの方だろう」
「……小僧の体がもてばな」
智春はまだ笑っていた。
唇の端は切れ、頬には土が張り付き、息もかなり荒い。
それでも目だけは死んでいない。
「なんや、それだけか?」
血が滲む口元を袖で拭い、トルマンを煽る。
「アイゼンのがよっぽど速かったわ」
「このぉ……!!」
トルマンの青筋が浮く。
その首筋は今にも破れそうなほど盛り上がっていた。
智春の足は動き続けていた。
爆発を見切り、最小限の動きで躱す。
紙一重でずらし、爆風の外へ逃れる。
だが、包帯はもう真っ赤だった。
腹から滲んだ血が布を重たく濡らし、学ランの裏にまで回っている。
(くそ……あの爆発が鬱陶しい)
頭の中で整理する。
(あいつの魔法は、殴った先を爆発させる。
避けても、地面に当たって爆発する)
智春が横へ跳ぶ。
次の瞬間、拳が地面に叩き込まれた。
衝撃が背中を叩き、智春の体が弾かれる。
(これや……これのせいで前に出れへん)
智春は顔を上げた。
(……なら、避けんかったらええ。
あの大ぶりなら、一発防げば隙ができる)
再びトルマンが両腕を頭上に振り上げた。
全体重と魔力を乗せた真上からの叩きつけ。
凱人が顔を歪める。
「あいつ……この学園ごと吹き飛ばすつもりかよ」
「智春!!」
ブレアの叫びが響いた。
その声に、智春は口の端をわずかに上げた。
「なっ……」
トルマンの目が見開かれる。
智春は両腕を交差させ、振り下ろされる拳を退かずに受け止めた。
轟音とともに衝撃が腕を貫いた。
骨が軋み、包帯が裂け、血が噴き出す。
それでも地面を踏みしめ、受け止めた。
トルマンの拳は、智春の腕の上で止まったまま爆ぜなかった。
校庭に、信じられないものを見る沈黙が落ちた。
(やっぱりや)
智春は歯を食いしばった。
次の瞬間、右足を振り上げた。
トルマンの顔面へ、思い切り蹴りを叩き込む。
鈍い音が夜空に響き、トルマンの巨体が横へ吹き飛ぶ。
二度、三度と地面を転がり、土を抉って止まった。
校庭が静まり返った。
さっきまで怒号を飛ばしていた獣人たちも、人間たちも、誰一人として口を開かなかった。
智春は荒い呼吸のまま立っていた。
両腕は痺れ、指先の感覚も怪しい。
それでも口元だけは、まだ上がっている。
地面に転がるトルマンを見下ろしながら。




