俺の筋
体育館の空気は、もう完全に戦場のそれだった。
板張りの床はあちこちが盛り上がり、割れ、土埃と汗の匂いが熱気に混ざって渦を巻いている。
その中心で、三人は暴れていた。
パットンが床へ手をつくたびに、木の板がうねる。
隆起した床材は巨大な拳の形を作り、獣人たちへ叩きつけられる。
その横を、巨大なワシが旋回していく。
天井近くを滑るように飛び、翼の一撃で獣人を吹き飛ばしていく。
舞い上がった土埃の向こうでは、智春が獣人を振り回していた。
足首を掴まれた獣人の悲鳴など気にも留めず、その身体ごと迫ってくる連中を薙ぎ倒していく。
その光景を、ステージの上からトルマンは眺めていた。
腕を組んだまま、眉間には深い皺が刻まれている。
不機嫌そうなその顔の奥で、さっきの三年の言葉がまだ引っかかっていた。
(あいつが去年の俺に似てるだと?)
トルマンは鼻を鳴らす。
ふん、と胸の内で吐き捨てる。
(いけすかねぇな)
だが、視線は自然と智春を追っていた。
一方的に蹂躙しているように見える三人だったが、実際に削られているのはそちらの方だった。
パットンの魔法は広く重い。
だが、獣人たちも馬鹿ではない。
盛り上がる床の軌道を見切り、その隙間を縫うようにして懐へ入り込んでくる。
「っ……!」
パットンは舌打ちし、床から手を離した。
迫る獣人の顔面へ、拳を叩き込む。
「はぁ……しんどいわね」
額に汗が浮かぶ。
「流石にこの数は無茶だったかしら」
上空のエリックも楽ではなかった。
獣人たちの中に混じっている二年生たちが、的確に魔法を飛ばしてくる。
火球。
石弾。
風の刃。
エリックは翼を傾け、身体をひねり、最低限の動きでそれをかわしていく。
(思ったほど相手の数は減っていませんね)
冷静に分析しながら、翼を傾けて魔法を躱す。
(二年生たちが複数いるのも厄介……)
魔法を掻い潜り、翼で数人を吹き飛ばしても、その穴はすぐ埋まる。
智春も同じだった。
目の前の獣人を薙ぎ倒しても、新しい獣人がすぐ前に出る。
殴り飛ばしても、すぐ次が迫る。
ステージまでの距離は縮んでいるようで、なかなか縮まらない。
「くそ! ほんまになんぼほどおんねん!」
息は荒く、包帯の下の傷も、さっきからずっと疼いていた。
ステージの上で、トルマンが低く呟く。
「まぁ、この数相手に三人じゃどうしようもねぇだろ」
顎を少し上げ、下を見下ろす。
「潰れるのも時間の問題だ」
その横で、アイゼンは腕を微かに震わせていた。
銀灰の瞳は、ずっと智春を追っている。
(これが……俺たち獣人族のやり方なのか?)
胸の奥に、妙な引っかかりが残っていた。
数で押し潰す。
囲んで殺す。
それは勝つために正しいのかもしれない。
だが、自分が本当に見たかったのは、そんな景色だったのか。
「なんだよ、アイゼン。文句あんのか?」
トルマンの声に、アイゼンは肩を震わせた。
「い、いえ……」
トルマンはちらりと横目を向け、口の端を歪める。
「あの異物とか呼ばれてる転校生」
視線は再び下へ戻る。
「よっぽど気に入ったみたいだな」
「……はい」
「まぁ、ここで潰すがな」
その時だった。
「突っ込めぇぇぇ!!」
「獣どもを潰せぇ!」
体育館の外から怒号が響いた。
空気が震えるほどの声量だった。
体育館の中の視線が、一斉に入口へ向く。
次の瞬間。
壊れた入口から、人間たちがなだれ込んできた。
獣人に迫る勢いの数が一斉に突っ込んでくる。
「あぁ?」
トルマンの眉が跳ね上がった。
人間たちは止まらない。
そのまま獣人たちへ突っ込み、拳を振り、蹴りを叩き込む。
「なんだてめぇら! 戦争する気か!」
獣人の怒号に、先頭の人間たちが怒鳴り返した。
「うるせぇ! やれ! 潰せ!」
一瞬で、体育館の様子が変わった。
さっきまで獣人たちに包囲されていた空間に、人間たちが割り込んでいく。
獣人と人間が至る所で殴り合い始めた。
怒号と魔法が飛び交う。
人間と獣人が入り乱れ、体育館は一瞬で乱戦になった。
智春が足を止める。
「な、なんやこいつら」
その頭上から、巨大な影が降りてきた。
翼を畳みながら着地し、すぐに人の形へ戻る。
エリックが隣に立ち、眉をひそめた。
「どういうことでしょうか……」
二人が状況を見ようとした、その時だった。
少し離れたところから、甲高い悲鳴が上がる。
「ちょ、ちょっと! 私は違うでしょ!!」
パットンが人間たちに取り囲まれていた。
「ちょっと! ここは私はスルーでいいでしょ!」
「てめぇも獣人だろ!!」
「そうよ! そうだけど違うでしょ!!」
その場違いなやり取りに、智春とエリックが一瞬だけ顔を見合わせた。
一人の男が、混乱を割るように歩いてくる。
金髪のアンダーカット。
細く鋭い青い目。
制服を捲り上げた腕には、炎のタトゥーが走っている。
タバコの煙を吐きながら、男はゆっくりと智春の前に立つ。
「異物……嶽山智春だな?」
智春は睨み返す。
「誰やお前」
一歩踏み出す。
「なに人の喧嘩邪魔してくれとんねん」
「智春くん、抑えて!」
エリックがすぐに間へ入った。
そのまま男へ向き直る。
「フィリー・ルクレールさんですね?」
男は煙を横へ吐き、短く返す。
「あぁ。お前は?」
「エリックと言います」
エリックは礼儀正しく、だが警戒を緩めずに言った。
「この加勢の意味は?」
「さぁな」
フィリーは肩をすくめる。
「凱人さんの指示だ」
「勇者が?」
智春の声が低くなる。
「どういうつもりや」
「しらねぇよ」
フィリーは興味なさそうに言い捨てた。
そして顎でステージを示す。
「ほら、雑魚たちは引き受けてやるから」
煙草を咥えたまま、少しだけ笑う。
「お前はあいつと遊んでこいよ」
三人の視線がステージの上へ向かう。
トルマンの顔は、怒りに満ちていた。
「凱人ぉ……」
低い声が喉の奥から漏れる。
「あいつどういうつもりだ」
そしてすぐ横のアイゼンを睨みつけた。
「おい、アイゼン!」
怒鳴り声が体育館全体に響く。
「テメェなにつったってやがんだ! さっさと行って殺してこい!」
アイゼンは動かなかった。
拳を握ったまま、目だけを下へ向けていた。
「あいつとは……」
「あぁ!?」
「……あいつとは、万全の状態でタイマンでケリをつけるのが筋ではないでしょうか」
その言葉が落ちた瞬間、トルマンの目が細くなる。
「……誰に指図してんだてめぇ」
次の瞬間だった。
拳が鳩尾を打ち抜いた。
「ぐふっ──」
アイゼンの身体がくの字に折れる。
膝が砕けるように折れ、その場に崩れ落ちる。
「筋?」
トルマンの声は低かった。
そのまま倒れたアイゼンを蹴る。
「俺が筋だ」
完全に倒れた身体を、容赦なく踏みつける。
アイゼンの喉から、かすれた声が漏れる。
「……智春」
トルマンが拳を振り上げる。
肩が大きく揺れる。
「むしゃくしゃするぜぇ……どいつもこいつも」
歯を食いしばり、目を見開いた。
「……あの一年坊主がなんだってんだよ!!!」
アイゼンの視界が暗く、狭まっていく。
頭の中では耳鳴りが広がっている。
上から覆いかぶさるように、トルマンの巨大な影が伸びてくる。
拳が唸りを上げ、振り下ろされる。
その刹那だった。
視界の端に、別の影が割り込んだ。
包帯の巻かれた腕が伸びる。
次の瞬間。
轟音とともに、トルマンの拳が止まっていた。
正面から、その一撃を受け止めている男のシルエットが、くっきりと浮かび上がる。
床が抉れた。
足場が砕ける。
だが、その中心で。
智春は一歩も退いていなかった。
両腕でトルマンの拳を受け止め、足を床にめり込ませながら立っている。
智春の目が細くなる。
口を結んだまま、トルマンをまっすぐ見据えていた。
意識が落ちていく直前。
アイゼンの耳に届いたのは、低く抑えた声だった。
「……お前の相手は、俺やろ」




