威勢のいいガキども
体育館は、ひとつの建物というより獣人たちの巣だった。
見上げれば、三階建ての建物ほどもある天井。
太い梁が何本も走り、薄暗い空間を支えている。
埃っぽい空気の中に、汗と煙草と獣の体臭が濃く混ざっている。
下手な広場よりも広い床が、獣人たちで埋め尽くされていた。
狼、熊、豹、牛、猿。
ざっと見ただけでも百や二百ではきかない。
毛並みも体格も違う連中が、好き勝手にたむろし、笑い、怒鳴り、床を踏み鳴らしている。
その奥。
舞台のように一段高くなったステージの中央に、トルマンは腰を下ろしていた。
腕を組んだまま眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに智春たちを見下ろしていた。
その横にはアイゼン。
さらに後ろには、古傷の目立つ獣人たちが何人か壁にもたれていた。
パットンが、その奥のトルマンを見据えながら小さく言った。
「あいつは私がやりたいけど……智春ちゃんがやるのが筋よねぇ」
「あぁ」
智春の顔に笑みはなかった。
「あいつは俺がしばく」
パットンは頷いた。
「わかったわ。なら私とメガネちゃんで、あいつへの道を開くから、極力戦わないでね。一発でももらったら本当に死ぬわよ」
「だれがメガネちゃんですか……」
エリックが眉をしかめる。
「僕はエリックです!」
「あら、素敵な名前ね。エリックちゃん」
「ちゃん付けはそのままなんですね……」
智春は二人を見て、少しだけ息を吐いた。
「すまんな、二人とも」
その時だった。
「なによそ見してやがんだよ!」
前にいた獣人が吠えた。
それを合図に、周囲の獣人たちが一斉に床を蹴る。
何人もの影が智春へ飛びかかった瞬間、パットンが前に出た。
拳が腹に沈む。
膝が脇腹を打つ。
踵が肩に叩き込まれる。
何発もの衝撃が同時に響いた。
しかしパットンは、びくともしない。
獣人の顔が引きつる。
「なっ……入ったはずだぞ……」
パットンは静かに、はっきりと言った。
「男の頑丈さに……女の辛抱強さ」
口元がゆっくりと吊り上がる。
「私は……絶対に倒れない」
「なんなんだこのおかまは!」
「いつまで触ってるのよ変態!」
次の瞬間、パットンが腕を横に一振りした。
五人の獣人たちの体がまとめて吹き飛ぶ。
まるで重さが消えたみたいに宙を舞い、そのまま床を転がった。
「やるやないかパト子」
智春が感心したように言うと、パットンは急に真顔になった。
「智春ちゃん……言っとかなきゃいけないことがあるの」
「なんや?」
「私はね……オカマじゃない!
トランスジェンダーよ!」
智春が一瞬固まる。
「な、なんやそれ」
「後で説明してあげるわ。
とにかく、今はこいつらを片付けるのが先ね」
「あ、あぁ。そうやな」
パットンは両足を開き、床へ手をつけた。
「行くわよ……オカ魔法!」
「トランスジェンダーわい!!」
智春のツッコミと同時に、体育館の床が軋んだ。
板張りの床がうねり隆起する。
盛り上がった床材と土埃が絡み合い、巨大な拳の形を取って立ち上がった。
そのまま、獣人たちへ振り下ろされる。
重い衝撃とともに、獣人たちの体がまとめて跳ね上がり、床を転がった。
さっきまで怒鳴り声を上げていた獣人たちが、言葉を失う。
「……あいつ本当に1年かよ」
瓦礫の中から、ゆっくりとパットンが立ち上がった。
土埃を払いながら、肩を回した。
「久しぶりに……暴れるわよ♡」
エリックが深いため息をついた。
「はぁ、ギャグには付き合いきれませんね……そういうキャラじゃなかったはずなんですけどね」
その呟きに被せるように、別の獣人が襲いかかった。
エリックは横から迫った拳を蹴りで弾く。
だが、一人では終わらない。
次々と獣人たちが距離を詰めてくる。
「面倒ですね……」
エリックの声が落ちた。
「ドッペルゲシュタルト」
詠唱と同時に、その身体が歪んだ。
次の瞬間、獣人たちの身長の倍はある巨大なワシへと姿を変える。
「でかすぎるだろ……」
ワシとなったエリックが翼を羽ばたかせた。
暴風が体育館を叩き、近くにいた獣人たちの体が横へ弾き飛ばされる。
エリックはそのまま天井近くまで舞い上がる。
そして──標的を定め、急降下。
鋭い爪が獣人の肩を裂き、翼の一撃が別の獣人を吹き飛ばした。
「あまり使いたくなかったんですけどね……」
エリックは低く呟き、ゆっくりと視線を動かす。
体育館の隅。
そこでは黒い蛇が、こちらを見ていた。
「エリックもやるやないか!」
智春が口元を上げる。
「俺もぼちぼちいこか」
智春はゆっくりと歩き出した。
目の前の獣人が爪を振り下ろす。
智春はそれを最小限の動きでいなし、空いた腹へ拳を沈める。
獣人の膝が落ちた。
智春は、その姿をじっと見つめた。
そしてにやりと笑う。
その足首を、智春は掴んだ。
「えぇ武器拾ったで」
足首を掴まれた獣人の顔が引きつる。
「え?」
次の瞬間。
智春はその獣人を振り回した。
「ぎゃああー!!」
悲鳴を上げる獣人の身体が棍棒のように振り回され、迫り来る獣人たちをまとめて吹き飛ばす。
右も左も関係ない。
獣人を振り回しながら、智春は真っ直ぐ前へ進んでいく。
パットンは床へ手をついたまま笑った。
魔法で隆起した床の上から、暴れ回る智春を眺めている。
「もぅ。極力戦わないでねって言ったじゃない」
巨大なワシとなったエリックは、天井近くを旋回していた。
その下で、獣人を振り回しながら突き進む智春を見下ろす。
「まぁ……智春くんに我慢なんて無理ですよね」
呆れたように呟いた。
3人が暴れ回る光景を、ステージの上からトルマンが見下ろしていた。
「威勢のいいガキどもだ……」
背後から、低い声がかかる。
「おい、トルマン」
振り返ると、熊の獣人が立っていた。
その後ろにも数人。
皆、古傷だらけだった。
この学園で三年まで上がれるのは一握り。
過酷な抗争の波の中で、生半可な者は途中で潰れるか去っていく。
三年まで残った者は、幹部でなくとも一年とは比べものにならない。
一年や二年の連中とは、纏っている圧がまるで違った。
「なんすか、先輩」
トルマンが面倒くさそうに返す。
熊の獣人は智春を見たまま言った。
「今さら一年を潰す気にならねぇ。
おれら三年は抜けるぞ」
「……ご勝手に」
三年の獣人たちは踵を返した。
去り際。
熊の獣人が、獣人を振り回して暴れている智春をもう一度見て、口の端を上げる。
「面白い一年だ。
去年のお前に似てるぜ」
トルマンの目が細くなった。
今度は、シカの獣人の女子が声をかけた。
細い足に長い睫毛。
だが、その眼差しは冷たい。
「あたいらは女同士の喧嘩しかしないの。
男の縄張り争いに興味はないわ」
「……勝手にしやがれ」
「悪いわね……」
女子の獣人たちも、三年の後を追うように体育館を出ていった。
残された空間が、急に広くなる。
トルマンが舌打ちした。
「っち! どいつもこいつも……」
その様子を、体育館の隅から一匹の黒い蛇がじっと見ていた。
梁の影に身を潜め、舌を細く覗かせながら。
その瞳には、暴れまわる智春たちと、苛立ちを隠せないトルマンの姿が、はっきり映っていた。




