空が落ちた日
さよなら。はじめまして。
20××年、空が落ちた日、空の代わりに、海が昇った。
海が新たな『空』になるまで、さほど時間はかからなかったが、海は『空』になるのに慣れておらず、地上には三日三晩、海水が降り注いだ。
一方の空は『海』となり、降り注ぐ海水を飲み込む。空の胃袋は無限に海水を飲み込み、普段通りに朝と夜を伝える。
乱反射した朝日と、星空を映しだす波。いつも頭上では鯨が泳いでいる。
私の感覚のままにこう書いたが、要は、空と海が入れ替わった。
これからこの日記を読むは人には、空は陸に続いているもので、海は天に広がるものだと思って欲しい。
空は、天から降り注ぐ海の終着点だった。多くの建物や動物が流されては、それらを飲み込む。
飲み込まれた彼らはどこに行ったのか。簡単なこと。海だ。思い出の場所や友達が、海から沢山降ってきた。
地上はそれこそ血の海。その血さえも海水に流されて空に飲み込まれる。安全な場所なんてなかったと思う。
私が目を覚ましたとき、肌がひりひりしていたのを覚えてる。
もうそこは、私の知ってる日本じゃなかった。
「国際色豊かだなぁ……」
なんて、私の一言目はこれだった。恐怖心や危機感、そんなものは感じない。それほどに、死んだ方がマシな光景。
死体、死骸、瓦礫、鉄屑。日本のものは見当たらない。
「あちゃあ……」
右腕がズキンと痛んで、腕を見る。
いや、ない。
右腕をなくしていた。
それくらいで済んだのはとても幸運だったと思う。
本当か?
私が本当に幸運なら死んでいるのかもしれない。
いや、よく考えたら私は左利きだ。幸運ということにしといてやるしかない。
「にしても痛すぎる……」
何日眠っていたのかは知らないが、右腕の血は止まっていた。腐ってなさそうだからそこまで日にちは経ってないのかもしれない。
「なにかしら手当をしなきゃ」
どうやって?
頼る人は、いない。
辺りを見渡すと、色んな肌の色をした人が倒れている。よく見ると、アジア人は一人もいない。ここが日本なのかさえ分からない。
起床一番乗りは私のようだ。はたまた、私以外はみんな死んでるいるのか。
急にくる悲壮感。
「助けて……。助けてよ」
救いのない世界でひとしきり泣く。何時間経ったか、少し冷静さを取り戻してから、死人の身ぐるみをはぎ、物資を整える。なぜか罪悪感はなかった。あるのは虚無だけ。これ以外に、私が生き残る方法はないのだ。
仮に他に方法があっても頭がまわらない。
ガラス片が危ないから。片々のゴムサンダル。
サイズが合うから。女子校のスカート。
高そうだったから。白無地にクソデカロゴのブランドTシャツを着て。
人の下着は流石に嫌だな。下着を着るのは服屋が落ちてるときまでのお楽しみってことでがまんする。
傷口はできるだけ綺麗な白い布地をかぶせて縛った。片手でも、口さえあれば結構どうにでもなる。
床屋が落ちてたから、ゴムひもとブラシを拝借して髪を整える。ポニテ。
自慢の髪だったんだけどな。海水で傷んでパッサパサ。
ついでにハサミを護身用に貰っておいた。
傷口が痛む。まだ手がある感じがするのに、空をきる命令。ないものを動かそうとした自分にゾクッときて、泣きそうになる。
でも、世界がそんなことの何倍も泣きそうな状況で。
「逆に涙、引っ込んじゃうよね?」
世界からの返答は、ない。
良く考えれば、外見がどうにかなったとしても、こんな世界じゃ意味のないことで。人に見られることのない世界では、坊主もロングも同じことで、髪を整えることに意味なんかないのかもしれない。
ぐぅ
腹の虫が鳴る。こんなときだってのに。別に空腹なんて感じてないのに。生理現象ってやつだろうか。
「ご飯なんて落ちてるのかな」
不安がこぼれる。とりあえずスーパーを探すのが先決かな。
そのとき、額に激痛が走る。「ぺちっ」
「い……いわし!?」(あじ)
とうとう天から魚が落ちてくる時代が来たか。空と海の崩壊の恩恵もあるにはあるらしい。私のまわりには、数匹のいわし(あじ)が跳ねていた。
これすなわち、いわし(あじ)以外の何かしらが落ちてくる可能性も出てきたわけですが。
「ふむ。まぁ、そうねぇ。今日はこれ食べますか」
火付けの道具もなければ、塩もない。とりあえず床屋のハサミで捌いてみる。一口。
「うお、骨ぇ……」
ハサミで魚を捌いたことなんてないから、身がけばだってすごいことになってる。まぁ、ハサミが云々以前に魚を捌いたこと自体ないのだが。
だいたい、うちでは青物の刺身がでたことがなかったし。
でも、日本人でよかったなぁ。脳は口に入った魚身を醤油なしの刺身と処理してくれている。ギリギリ美味しい。
陽が乱反射して海がオレンジに染っていく。天一面が水平線のようで、水平線の先に太陽はない。水面な世界でも、私は生きていけるのだろうか。
分からない。これから何が起こるかも。
あぁ、
不安だなぁ。
歩き続けて夜も更ける頃、近くに教会があった。明らかに日本の作りじゃない。世界史の教科書があったなら……。記憶の限りを尽くした結果、ロマネスクだかゴシックだか塔が尖っている方だとまでは推測。
斜めに伸びる尖塔と粉々に割れたステンドグラス。入口が見渡らないほどに大破している。
おかしな話、だからこそ綺麗だった。
瓦礫と瓦礫の間に人ひとり通れるくらいの隙間がある。
「今日は教会に侵入して寝ますか……」
屋根はちょうど欲しかったところだ。野ざらしで寝ていて、いわし(あじ)の空襲にあわないという保証もない。
身を守れる環境があるのはありがたいことだ?
なんならここをしばらく本拠地にしてもいい。
近くに小さな商店も落ちていたし、しばらくは食料にも困ることはなさそうだからな。
……まぁ、明らかに日本の商店ではなかったから、食べ方が分かるのか不安だけど。多分東南アジアの露天だとは思う。どんな屋台でも、ないよりマシ。
「失礼しますよぉ……」
瓦礫を掻き分けて教会の中に入る。意外なことに、内部は損傷が少ない。月明かりがステンドグラス越しにあたって、朧気ながら祭壇中央の十字架を照らしていた。
「なんか……いいな」
そう思うと同時に不信感。
あれ……。なんでこんなに美品なんだ?
海から落ちてきたはずのこの教会。いや、私がこの教会のある地域に落ちてきた可能性もあるか?
衝撃で十字架が折れていないのは『大いなる神の御加護』で、長椅子が綺麗に並んでいるのも『大いなる神の御加護』なのかもしれない。
でも、入口も外壁もあれだけ大破していているのに、内部だからって、塵のひとつも落ちないものか……?
「なんか不気味だ」
今一度、教会内を見渡してみる。
十字架、ステンドグラス、マリア像、長椅子、中央に並べられた大量の死体、美味しそうなタコ……、とそのタコ追い詰められている少女。
「あ、悪魔め近寄るな!」
と、タコに言ってる。何だこの光景。疲れてんのかな?私。
「お、おい、そこのもの、我を助けなさい! はやく!」
しばらく待っても誰も動かない。どうやら私に言っているらしい。
さてさて。どうしたものか。




