楽々航海④
真理ってなんだろう。絶対的なものなのだろうか。それとも覆る可能性がある概念なのだろうか。
人間的な考えと世界の事実が一致していないとき、それは真理たりうるのだろうか。
やっぱり、人間が完全に理解できない法則や決まりみたいなものが真理なのだろうか。
禁忌と何が違うのだろうか。
考えすぎて馬鹿になりそう。
あの日、空が生物だと知ってしまった後。
脳が現実を拒絶しまくり、私は寝込んでしまった。
寝込み始めて三日目にもなれば、精神面ではさすがに落ち着いてきたものの、思考はそうもいかない。
日を追うごとに迷い込む真理の迷宮は暗く深くて、なかなか抜け出せそうにない。
そんな私と正反対なのがおばあさんだ。
前からある程度ポジティブだったが、格段とレベルアップした前向き度に進化している。
何があったんだか……。
「おまんさん、そろそろ外で飯食わんか。今日も極上の一品を作っておるぞ」
ドアの方から声が聞こえる。
最近は食事も億劫でストックの干物をかじっていたが、味気なくなって来ていたところだ。
あの絶品飯を食べれば、もしかしたら気分も晴れるかもしれない。希望的観測だが。
「少し…してから行きます」
「おー、待っとるぞ」
ずっと横になっていたので体が重くて髪もボサボサ。
とりあえずクシで髪をとかして一つ結びに仕上げる。
「行きます……か」
砂浜で待っているであろうおばあさんの元へ。
空の近くに行くというだけで足取りも重くなる。
うわぁ、気分最悪だ。おばあさんの焼き魚だけが今の心の支え。
砂浜に近づくごとに色濃くなる至高の香り。
「よし、食うぞ!」
決意を新たに砂浜に足を下ろす。そしてその先には、見渡す限りの生命体、空。
「う、やば、まだ脳が痒い」
反射で反応する体、咄嗟に膝をつく。意識的に気にしていなくても体が拒否反応を出す。
「おや、どうしたんだ大丈夫かい。これでもお食べ」
「いただきまふ」
突っ込まれる切り身、口に入れた魚はもちろん
「おいひぃ」
ちなみにこの言葉も反射で出る。
「おまんさん、最近どうした。砂浜にも顔を見せんで」
さすがに怪しまれれていたようだ。
「いやぁ、これは多分知らない方がいいと言うか」
なんとか誤魔化そうとするがおばあさんが引かない。
「なんじゃ言うてみぃ」
「いやぁ」
「ほら、はよ言わんかい」
「うーん」
「もう飯抜きじゃな」
「空が実は生きてるってわかっちゃって」
あ、つい言ってしまった。まぁ、背に腹はかえられぬというやつだ。
「ほーん、空がねぇ」
と空を一瞥するおばあさん。
「なんだそんなことかい」
え、え?
「え、おばあさん知ってたの!?」
「いや、知らんよ」
「んんん??」
「この空みたいなものが生きているとは知らなかったが、空でないことは知っていたということじゃ。とはいえ儂は『海そのもの』が何かしらに変わってしまったと思っておったがの。だからこそ定期的にいかだを浮かべようとチャレンジしておった」
「おばあさんも異常性には気づいてたんですね」
「これだけ近くで住んでおったらさすがの儂でも異変を感じるわ。あと海の水を汲んだとき変じゃったし」
おばあさんも何となく理解していたのか。
「……空が生きているって知っても驚かないんですね」
「驚けないだけじゃ。確かにとても不気味で知りたくもなかったことじゃがな。逆に腑に落ちたわ」
「私はこの事実知ったとき数日寝込んだのに……」
「あぁ。だからぶっ倒れとったんか」
「逆になんでおばあさんは受け入れてるんですかぁ?」
「そんなもんだからじゃ」
「それですませていいんですかね」
「考えてもしょうがないじゃろうて」
「まぁ、そうかもだけど……」
このおばあさん、恐ろしい。
ちょっと引いていると、おばあさんが弁解というか説明をしてくれる。
「いやなぁ、儂はこの空みたいな生き物を海と誤認しておったじゃろう?」
「うん」
「それも、こやつが生きておったからこそかもしれん」
「というと?」
「あの島は海上安全の神様をを祀っておると言ったろう? 御神体はまさに海そのものでな。島全体で海とは密接な暮らしをしてきておったもんだから、『海そのもの』が自らの意思で姿を変えたと思っておったわけじゃ」
「でも正体はこいつだったと」
「そうじゃな」
「太陽とか雲とか出てたのに空とは微塵も思わなかったんだ」
「空の真似事をしとるのかと思っとったわ」
「なんか、絶妙に合ってるんだよな」
関心という名の苦笑いがこぼれる。
「ちなみに、こいつのことを海そのものだと思っていたなら、天に広がる海のことはなんだと思ってたんですか?」
「あー、毎日曇天だなくらいにしか」
「察しが悪いのか楽天的なのか……」
「どっちもかもな」
「ハハハ……」
なんか疲れたのでで座り込む。砂のクッションが心地いい。
「なぁに、空に命があるとわかったなら、海にも命があるかもしれんということでもある。命に囲まれて生きているとしたら、それはありがたいことじゃろうて」
「そうかなぁ」
「儂からすれば、空が生きておっても砂が生きておってもどうでもいいんじゃ。自分の命は海神様に助けて貰ったと思っとるし、あの島に戻ることが儂の目標。それだけじゃ」
「おばあさんがそれでいいなら別に構わないよ」
私が精神的に滅入っている間におばあさんは元気百倍。
なんだか悩んでた私こそ馬鹿みたいに思えてきてしまって、ちょっといじけてきた。砂浜に猫でも描いてやろ。
おばあさんはまだ七輪の炭をいじっている。
「実はなぁ、おまんさんに少し愚痴を漏らしてしまった日に考えたよ。そして熟考した結果、深く考えることはやめたわ」
「結論が適当すぎる」
「いや、適当なことはない。儂は歳じゃ。悩む暇がない。孫に会いたい、息子に会いたい、じいさんに会いたい、行動の源なんてそれだけでいいことに気づいた」
「でもずっといかだを投げ込んでいるようじゃ、あの島には一生着けないよ」
ちょっと皮肉った返事をしてしまい、しくじったと内心冷や汗をかく。
でも、本人はさして気にしてないようだ。
「それでも儂は続ける。どうにかしてあそこに行く。あの島に残してきたもんが沢山あるんじゃ。あの島に着けば死ねるんじゃ。空っぽで、得たものが絶望だとしてもいい。落ちるところまで落ちないと、死ぬにも死ねん」
「おばあさんは強すぎるよ。おばあさんがそんなもので終わることでさえ、私は簡単に受けいられなかった」
「おまんさん、真理や禁忌なんかない。全て受け入れろ」
「そんな考えなしなことしたら、いつか後悔するかもよ」
「そんなの旅の終着点ですればええ。楽に生きるんじゃ」
後悔は旅の終着点ですればいい、か。
雑なようでいて的を得ていて、心に刺さる。
先人の言葉を真に受けるのも悪くないのかもしれない。
顔を上げて空を眺める。
さてさて、現状を受け入れると心で決めても、すぐに切り替えられるわけじゃない。
消化不良のままでいればいいのに、無駄な問いが頭に浮かぶ。
はたして、空、こいつは敵なのか味方なのか、はたまた中立なのか……。
「へ」
気のせいで片付けられない感覚が走る。空が一度だけ深く息を吐いたような気がした。
ただの風かもしれない。でも、その瞬間、砂の一粒一粒が波打ち、空島がひとしきり光ったように見えた。
なんだあれは。
おばあさんに目配せをしようと振り向くも、彼女は何事もないように魚の骨を噛み、空波を見つめている。
私だけが感じたそれは、視野を広げてくれるような感覚にさせてくれる、そんなふわっとした何かで。
「行かなきゃ、進まなきゃ行けない気がする」
言葉に出てくるほどの衝動。
「若いのぉ。そう思ったならそれが正解なんじゃ。突き進みなさい」
「うん。ありがとうおばあさん。なんか、少し素直になれた気がする」
規則的に波をつくる空。こいつが何を考えているかは分からない。何も考えていないのかもしれない。
ともかく、こいつがどえらい気まぐれでもない限り、私に興味なんて持たないだろう。
「ねぇ、おばあさん最後にいい?」
「なんじゃ?」
「空が生きてるならさ、何を考えてるんだろうね」
おばあさんは質問に被せ気味に答える。
「そりゃあ、――」
見るは一点。
「儂をどうやってあの島まで運ぶかじゃろうて」




