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楽々航海②

 太陽の光の眩しさはいつぶりか。屈折光より何倍も目覚めがいい。目覚めが良すぎて変に早起きしてしまった。

 空が近いからだろうか、昨日は日没の速さを感じながら早々に寝た。

 おばあさんは以前宿だった建物を綺麗にして生活しているらしく、空いた一部屋を使わせてもらったのだが、普段使わない部屋のはずなのに掃除が行き届いていて、おばあさんのマメさを感じたのを覚えている。

 窓は割れているが窓枠から外の様子が見え、景色を堪能できるため最高だ。

 窓枠の先に映る空浜。そこにおばあさんを発見。うお、もう活動してるのか。

 感心しつつも二度寝の体勢に入るが、なかなか寝付けない。仕方がないので、朝の支度を済ませておばあさんのもとへ。

「おばあさーん! おはようございまーす! 朝も早いねぇ、って、何してるの!?」

 大きな声での挨拶を試みる。そしてそこには大いなる違和感。

「おー、おはようおはよう。なにってそりゃあ、島に戻る努力じゃよ」

 おばあさんは少し大きな『いかだ』を作成していた。

「い、いかだ!? 島に戻るってどうやって」

「ん? 海を渡るんじゃからそりゃいかだや舟がいるじゃろう。現に何回もいかだやらなんやら浮かべとる。すぐ転覆してしまうがな」

 どこにあったのか、木の板やプラスチックなど様々な種類のものを組み合わせて紐で縛っていき、いかだを作り上げているおばあさん。

 手並みはプロ並みで、慣れているのがわかる。

 ただ、

「いかだって言っても、浮かぶんですか……?」

「そりゃ浮かぶじゃろう。浮かばんいかだは、いかだでなかろうて」

「いや、でも、空ですよ……?」

 おばあさんは狐につままれたような顔をしている。

 私がしたい。

 しばらく考え込んで、ふと空を眺め始めたおばあさん。

 長時間の熟考のすえ、なるほどといったふうに手を付き、興味深そうに空と海を交互に観察し始めた。

 そして腑に落ちたのか満足そうに衝撃の言葉を放つ。

「ああ、おまんさんにはこれが空に見えとるんか。そうだととしたら、そりゃどんなに工夫しても、いかだが浮かばんわけじゃ。落っこちてくからの」

「え、おばあさんは何に見えてたんですか?」

「一言で言うとしたら海じゃ」

 え

「こんなに無色なのに……?」

「うむ」

「こんなに太陽光が差してるのに……?」

「そうじゃ」

「夜は月光が天海を照らしてたでしょうに」

「まぁ、言われればそうかの」

 まじか、おばあさんは未だに海は海の場所にあるはずだと信じて、空を海と認識していたってことなのか?

 よく考えたら空が海っておかしいもんな。私が常人だったら何言ってるのって感じだもん。

 天から幾度となく注ぎこむ海水を私はリアルタイムで経験した。だからこそ現状を受け入れられているのかもしれない。

 気づいたら砂浜にいたおばあさんからしたら、世界の崩壊は感じられたとしても、リアル天変地異までは理解が及ばなかったのかも。

 いや、さすがに鈍感すぎるけど。

「儂だって海そのものでないことは気づいておったよ。ただ、海であった場所が空に見えるからといって、それが本当に空とは限らんと思うがな」

「でもどう見ても空……」

「この世界で当たり前が通用するかは、分からんぞ。儂は海と信じた方が都合が良かった、それが空とまでは思い至らなかった。それだけじゃ」

 言い回しが引っかかるけど、おばあさんが言うことにも一理あるのかもしれない。

 きっと、都合の良い世界の方が疲れずにすむ。

「……おばあさんが泳いで島まで渡ろうと思わなくて本当に良かった」

「思いはしたが体力的に無理で諦めたんじゃ」

「危ねぇ」

 ニアピンでこの世におばあさんがいなかった事実。本当におばあさんは運がいい。

 しかしながら、おばあさんの気持ちを考えると同情に堪えない。海だと信じ続けていれば島に戻るという希望もあっただろうに、それを潰えさせてしまったのだ。

「あぁ、海と空がひっくり返っているなんて思わんじゃろうて、これじゃ儂はどうすれば……」

 ボソボソとつぶやくおばあさん。なにか慰めの言葉をと近寄るが、彼女は強い。

「じゃあ、他の方法で島に戻る方法を考えんとな」

 !?

 これまたびっくり。

「え、あの島にどうしてでも帰る気なんですか?」

「うむ」

「あの島、空島ですよ?」

「それでも目指さねばならんのよ。諦めたら家族もなにもかもが、あの島ごと消えてしまいそうな気がしてなぁ」

 遠く戻るべき場所を見据えるおばあさんの目からは、かなりの意思を感じる。

 到達不可能に見えても、目標があるというのは強い。

 あの島に戻ることこそ、おばあさんの生きる原動力でもあるのだろう。

「おばあさんは凄いですね。そんなになっても希望を捨てない」

「まぁ、儂は運がいいからの。どうにかなるじゃろうて」

「そんなもんですか?」

「そんなもんじゃ。あの島があそこに浮かぶ限りは希望を捨てられん――」

「――まぁ、執念ってやつじゃな」彼女はくしゃっと笑う。

 とは言っても、である。

 海だったらどうにかして渡れるイメージが湧くものだが、相手が空となるとてんで難しい。

 この空が液体かなにかだとまた変わってくるのだろうが、例えそうでも浮かべるイメージがない。

 というか、液体窒素とかありえん冷たいイメージしかない。人が触れたら即死ものだろう。

 どうにかおばあさんの力になりたいものだが、パッと浮かぶ感じでは詰んでいる。

「そういえば、知っちょるか、これはなぁ、縮小しよる」

「これって、空のことですか?」

 おばあさんに意味不明なことを言われたので聞き返してみる。空が縮小するわけないだろ。

「そうじゃ。ずっと観察してきた儂が言うんじゃまちがいない。1日にミリ単位の微妙なものじゃがの。わっしはあの島に近づけているんじゃ」

「え、冗談を言ってるわけじゃなくて?」

「儂はマジじゃよ」

「マジか……」

 これは大発見だ。崩壊の日から空と生活を共にするおばあさんしか知りえない情報だろう。

「え、じゃあ縮小が続けばいつかは島に到達するってことか。良かった、希望はあるんですね」

 楽観的な私とは反対に、いつもポジティブなおばあさんの顔が急に暗くなる。

 やば、禁句を言ったか。

「いや、これは儂にとっちゃ、何の解決にもならんのよ。儂ももう、80歳を超えておる。数年は待てても数十年も数百年もは待てん」

「いや、でも、希望はないよりもあった方が……」

 上手いフォローが思いつかずにもごもごする。

 きまずいのでもごもごを続けていると、おばあさんから話を振ってくれた。

「おまんさん、かくれんぼはしたことあるかい?」

「はい、あります。小学生のときに」

「良かった良かった。今の子もしたことがあるんだね。儂は小学生のときに良くしててねぇ。特に隠れるのが好きじゃった」

「私も隠れるのは得意でしたよ」

「儂もじゃ。かくれんぼ界のくノ一と呼ばれておったわ」

「す、凄い」

「でもねぇ、増え鬼だと終盤になるほど総力戦じゃろう? 公園や校庭も隠れられる場所なんて限られておるし、さすがの儂も最後には見つかってしまうんじゃ」

「走るの早かったら逃げ切れる鬼ごっことは勝手が違いますもんね。完走するのはほぼ無理なイメージ」

「普通ならそうなんじゃろうな。しかしながら、一度だけ最後まで見つけて貰えなかったことがある。二時間近くも同じ場所に隠れていたけど見つからなかった。儂がわけのわからないところに潜んでいたわけじゃない。儂がいじめられていたわけでも、儂の影のうすかったわけでもないじゃろう。たくさんかくれんぼをした中で、こんな体験は後にも先にもその一回だけじゃったから。ただただ運が良かった」

 細い目で懐かさに浸るおばあさん。当時のことをおもいだしているのだろう。私はただただ耳を傾け続ける。

「かくれんぼで見つからんとなぁ、ルール上勝っているのに、微妙な気分になってくるんじゃ。誰もそんなことしないとわかっていても、儂だけ除け者にされたような気分になる……。なんか無性に苦しくなってな、結局自ら捕まえてもらいに行ったよ」

 太陽に雲がかかる。それだけで世界の光度は致命的に下がり、様々なものを隠していく。

「海という鬼に攫われた方が楽だったのかもしれないと思ってしまう。儂はまだ『なにか』から見つかっていないだけなのかもしれない。それが不気味でたまらん。儂は確かに今回も運が良かったのかもしれん。でも、必要のない過重な幸運もあるじゃろうて」

 一層曇り続ける空。

 空島の存在が不確かになるくらい暗くなってしまった。空の波がどこまで来ているのか分からなくなる。

「この歳にもなると、生を繋ぐことに意味を見いだせないんじゃ。生きているか死んでいるかも分からない家族。生きることを強要するような環境。満たされない心。ただただ希望として浮かぶ島。全てが楽になるための足枷よ」

 じっと動かないおばあさん。見ているのは先の一点。

「あの島さえ……とは思いたくないのぉ」

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