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楽々航海①

 私は今、砂浜を目指し歩いている。

 そう、一人旅に戻った。

 数日の間は人魚さんと暮らしていたのだが、十日ほど前に荷物をまとめて次の場所に旅立った。

 湖での暮らしは食が揃っていて最高だったし、会話相手がいるので幸福感もあった。

 はっきり言って、あそこに骨を埋めるのもある意味得策だろう。だが、いかんせん真水がなかった。

 人魚さんは水を飲まなくていい。なんなら本来、食事しなくても死なないくらいだろう。

 一方の私は人間であり、ある程度の真水が必要だ。毎日フルスロットで湖の水を蒸留してもなお、いまいち足りない真水。

 そして燃料として消えていく流木、マングローブの枝葉。

 今は緩やかな消費だが、塵も積もれば普通に環境破壊の域に至る。

 一方で、自発的に火を起こし魚を焼くものの、火が苦手な人魚さん。

 私に気を使ってよく顔を見せてくれるが、乾燥して赤くなった肌を隠しきれていなかった。

 これ以上迷惑はかけられないということだ。なにより私の心が苦しい。

 もちろん人魚さんのことは大好きなので、できることなら一緒に旅に出たいくらいだったが、大前提、彼女には足がない。

 「あら、あなたたち人間が人魚に足はあるってイメージを持ってくれていれば、人魚も水なんかに縛られずに生きられたのよ」なんて言われたけど、尾ビレあらずんば人魚に非ず。

 多分それでは人魚じゃなくて魚人になってしまうだろう。

 概念の世界とは難しいものだ。

 そして、まぁなんやかんやで彼女と別れ、油だまりや池などを転々と探索して今に至る。

 そういえば()()()()()()()()がある程度溜まっている場所に滞在していると、夜たまーに人魚さんの歌声が聞こえてくることがある。

 人の声どころか、自分の声を忘れそうになる一人旅において、これほど心を癒してくれることはない。

 再度彼女を孤独にしてしまったことだけが心残りの旅路。

 彼女もまた、たまーにする焚き火の中に私の面影を感じてくれているとそう信じている。

「着いた〜」

 西日が眩しくなってくる時間帯、やっとのことで目的地に到着。砂浜に来るのなんていつぶりだろう。

 普通なら「海に来るのなんていつぶりだろう」って言うところなのだろうが、肝心の海が高すぎるところにあって届かない。

 サラサラとした砂の感覚を噛み締め、世界がこうなる前のとある日、浜辺を歩いていたときのことを思い出す。

 波の音を聴くと悩みが吹っ飛んだり、心がしんみりしたり。

 私はそういう感覚が結構好きで、嫌なことがあったらよく行ってた。

 いや、嫌なことがなくても行ってたな。

 綺麗で、落ち着く場所。それが海浜。

 じゃあ、それに対して、空沿いを歩くという行為。

 みんなはどんな気分だと思う?

 良いところをあげるなら、ちょっとスッキリする。上を見上げても水ばっかりだから、空を見るのは気分転換になるね。

 でも悪いところもある。

 一つは眩しいところ。日光に当たることは体にいいことらしいから、悪いことじゃないのかもしれないけれど。日差しになれないこの世界においては少しきついものがある。

 そしてもう一つは、おっかないところ。死と隣合わせとか、そういうレベルじゃなくて。

 私は今日、世界が崩壊してから、初めて空に近づいた。そして、境界の曖昧さを認識した。

 ぽっかりできていると思っていた空。

 そういえば、海って干潮とか満潮とかあるもんね。

 空にもあるんだよ、それ。信じられる?

 世界崩壊後でも余裕のあるかっこいい大人なら疑問に思ってたのかもしれないけど、私は微塵も考えたことがなかった。

 海の波に浸食され、緩やかな傾斜になった砂浜。

 その砂浜を這い、押し寄せる空。歪な理。

 試しにちょっと大きめの石を置いといてみる。押し寄せた空がかかるが、消えない。

 じゃあこれならどうだと、押し寄せた空際に石を投げ入れてみると、消えた。

 どうやら上からじゃないと落っこちないらしい。

 だからって、空波に浸かりに行こうなんて思わないけれど。

 ザザーなんて効果音もなく無音で迫ってくるから、万が一に備えて、空と間隔をあけて歩く。

 てか、ますますこの世界の仕組みが分からなくなってきた。

 砂浜が見え隠れするということは、砂浜は空の下にあるということだろう。

 大空の下には岩盤かなにかが存在しているのだろうか。

 うーん。

 仮に空の『下』にあるものならば無事なのだとしたら?

 波のように『押し寄せてくる空』には物を落とす力がないとしたら?

 空は、特定の条件でないと落とし穴とならないことになるのか?

 ダメだな。分からない。

「知りたいのは条件……だよなぁ」

 いろいろ試したっていい。ただ、空の脅威を克服できるならばいいが、実験中に間抜けなことして自分が落っこちる可能性だって否定できないし、空に大しけや津波みたいな現象があるかないかも分からない。

 あったときは高確率で死んでしまうだろう。

 だいたい、なんで海と空が入れ替わってるのかさえ分からないのだ。

 考えるだけ無駄な気もする。

「困ったなこりゃ」

 ちなみに現実に困ったわけではない。空の仕組みについての収穫はあったものの、それを活かせそうにない自分の頭に困ったのだ。

 何か適した道具でもあればいいんだけど……。

 頭をひねらせている間にも引いていく空。どうやら引き潮らしい。そして、魚を焼くいい匂い。

 いつも焼いている魚より、なんというか、玄人感がある。

 これは美味いぞ。

 そろそろそろ時刻も夕食どきで腹が減る頃なんだ。

 いや、待てよ。魚を焼く……イコール、人。誰か近くにいる!?

 辺りを見渡すと、遠く砂浜の端辺りに、細く立つ煙と人っぽい動き。

 え、結構距離あるよ、よく匂いが分かったな私。最近五感が鋭くなってきた気がする。それかただの食いしん坊ゆえか。

 とにかく、接触を試みるしかない。小走りで砂浜を駆ける。

 一キロメートルくらい走っただろうか。七、八分近くは腕を振った気がする。息も上がってしまった。

 そこにいたのはまさかのおばあさん。スモックというのか、割烹着というのか、田舎でよく見る服を着ていらっしゃる。

「おばあさーん! その焼き魚美味しそうですねー!!」

「ん、おやおや、儂以外にも生き残りがおったとは。喜ばしい出会いだねぇ」

 腰の曲がった優しそうな雰囲気のおばあさん。

 手招きされたので、近くに歩み寄る。

 断定はできないものの、おばあさんには人外の雰囲気がない。見た感じ人間のよう。

「おまんさんが来るのを察知してたのかねぇ、偶然二枚焼いていたんだよ。ほら、一枚お食べ」

「ありがとうございます」

 かなり贅沢に切られた魚の切り身。

 口に入れると、普段の食事とは比べ物にならないほどの香ばしい風味が広がってくる。

 それもそのはず、おばあさんは炭の使い手。七輪で焼かれた達人の逸品。格が違う。

「う、美味すぎる」

「ふふふ、備長炭で焼いているからねぇ」

 あっという間に食べきって一息つく。

 おばあさんはまだ半分も食べていない。というか、私が早食いすぎるのか。

「あぁ、おまんさんは腕をな」

 正面から声を掛けられてようやく気づく。布をぐるぐる巻かれた左頭部。

 「儂は左耳と左目をやられたわい。しかも左半身は麻痺が酷くてなぁ、自由が効かん」

「おばあさん……」

「いやいや、生きてるだけで奇跡中の奇跡だというのは分かっとるんじゃ。そんな悲しい顔をせんでくれ」

 ついつい暗い気分になってしまっていたところを気遣われる。

 いけないいけない。人と出会えること、この出会いもなにかの奇跡なのだ。明るくいよう。

「うむ。若い子には笑顔の方が似合う」

「へへ」

 照れくさくて苦笑い。

 少し小話をしていると、いつの間にか会話に花が咲いていた。

 大人の余裕というのだろうか。会話の節々に人柄の深さを感じる。

 長々と話し込んでいたためか炭の火が消え、沈黙が一気に辺りを包み込む。

 そういえば。ここは空との境界の地。どう考えてもリスキーなお土地柄だ。どうしてこんなところにおばあさんはいたのか。

 できるだけ調子を上げて声を掛ける。

「おばあさん、ここでの生活は結構長いんですか?」

「長いねぇ。越してきてから六十年以上になる」

「え?」

 想定外すぎる返事に思考が停止する。

「あぁ、その反応を見る限り、世界が崩壊してからのことを聞いていたのかい? 実はのぉ、儂はあの崩壊でほぼぼぼ流されとらん」

 !?

 お人間さんで初めてのケース。固まっている私が面白いのか、少し笑みをこぼすおばあさん。

「まぁ、驚くのも無理もないわな。あそこの島、見えるか?」

 おばあさんが指さす先にある塊。なぜ今まで気づかなかったのか、不自然に空の上にぽっかり浮かんだ島がある。空島だ。

「あの島に元々住んでいたんじゃ、じいさんとな。海上安全の神様を祀った神社があるだけの孤立した島でなぁ、買い物に行くにも仕事に行くにも船を出さねばならんかった。この砂浜の先には船着場があってなぁ、島と毎日のように行き来してたよ」

 懐かしむように話し出したおばあさん。表情は柔らかいままだが声が硬い。

()()()はちょっとした祭りの日だった。息子たちがサプライズで孫を連れて来たんじゃ。ご馳走を作ってやろうとしたんじゃが、材料が足りんと思ってな。儂一人で小型の船を出したよ」

「おばあさん一人で……」

「じいさんや息子がついて来ると言ってくれたが、慣れておるから大丈夫じゃと断った。未だにそれが正しかったか否かは分からん。島を出たらすぐじゃったからなぁ」


 二分後、海が消えておったよ


「それからはなぁ、船から放り出されて、足元が海になったり消えたりを繰り返して……それからの記憶はない。気づいたらこの砂浜に倒れておった。まぁ、ただ都合のいいことに、ここらには難破船が無数にあってな。大破はしておるものの魚が溜まって生簀のようになっとるわ。難破船に残った燃料で火もつけやすくて助かっとる。地下水の染みでる地形もあって生命維持には困っておらん」

 辺りを見渡してみる。多様な瓦礫と残骸に紛れてはいるものの、言われてみれば難破船は多い。海の水の終着点『空』の近く。ギリギリで砂浜にとどまった船も多いかもしれない。

「どうじゃ? 豪運と言うに余りあるじゃろう」

 顔をこちらに向けるおばあさん。それが本物の笑顔かは分からなかった。

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