ちいさなすいそう③
夜も深まり、湖の境界線で焚き火を。
人魚さんは少し距離をとり、水中から上半身を出している。
チラチラと舞う火の粉と、海に乱反射する星々が、人魚さんの美しさを一層印象づけているように感じる。
じゅーじゅーという油の滴る音と、少し焦げた匂い。
人魚さんへのお詫びと言ってはなんだが、先日開いておいた魚を夜食用に二枚焼いている。
「人間は火が怖くなくってすごいのよ」
火をぼーっと眺めていた人魚さんが静寂を切る。
「あたしたちは魚の血が濃いから、火に馴れてないのよ。 とはいっても、馴れてる動物の方が少ないはずだけれど」
「確かに水中の暮らしじゃ火は使わなそう」
「逆にどうやったら使えるのか聞きたいのよ。水は冷たいし酸素もない。 火の天敵なのよ」
いい感じに皮目まで焼けた魚を人魚さんに投げ渡す。
それを華麗にキャッチしてハフハフかぶりついた彼女は、一口目からあからさまに目を輝かせていた。
「美味しい! 焼くと魚の旨みがでるとは知らなかったのよ! 」
焼き魚はどうやら初めての体験らしい。
「そう? 私は刺身が好きだけどね」
「生食ばっかじゃ飽きるってもんなのよ」
「やっぱり骨ごといくの?」
「人魚種にもよるけど、あたしは骨も鱗も気にせず食べるのよ」
「喉とか引っかからないの?」
「多分、そういう食べ方ができるように進化してるのよ」
「私たちが人間が、骨も食えないほどに退化してる可能性もあるか」
口に入った骨をぺっぺっと吐きながら人魚さんと他愛もない時間を過ごす。
彼女の方に目をやると、魚の頭にかぶりついているところだ。ワイルド。
「なんにせよ、水中暮らしで美食を求めるのは困難極まりないのよ」
「そりゃそうだ」
彼女らにとっての食での不便を考えてみる。
火が使えないことだけじゃない。肉や果実、野菜ももちろん手に入れるのは至難の業だろう。料理のレパートリーは絶望的。人魚さんは人間並の知能があるだろうから、食事は嗜好の一部になり得るし、だとしたら飽きもくるはず。
あれ、でも実際は食べる必要ないみたいなこと言ってなかったっけ……?
そんなことを考えてる最中のブッコミ。
「あんた、焚き火のやり方教えなさいなのよ」
「はい?」
「だから、あたし今、焚き火のやり方を知りたいのよ」
「え、なんで」
「料理したいのよ。 焼き魚」
「いや、やめといた方がいいんじゃない……?」
人魚さんの雰囲気とお話的に、彼女たちはあまり火に耐性のない種族に思える。
今もこれだけ焚き火から距離を置いているわけだし、特別熱に弱い可能性も高い。
そんな私の心配を他所に、人魚さんは駄々をこねる。
「あたし、たとえ自分一人になっても焼き魚が食べれるようになっておきたいのよ。ねぇ、お願いお願い」
「でも、火はけっこう熱いよ?」
「そんな当たり前なこと分かってるのよ。火傷はするでしょうけど、一瞬なら大丈夫なのよ。すぐ治ると思うのよ」
「そういう問題かなぁ」
人魚さんは立ち回りが上手いというか、譲らない性格のようで引き下がらない。言い方を変えたら駄々っ子ってやつ。
仕方がないのでしぶしぶ実演する流れになる。
「まず乾燥した葉っぱを集めて」
「無理なのよ」
「あー、そっか確かに。 じゃあ乾燥した枝を集めて」
「それも無理なのよ」
「」
「陸に上がらなくていい焚き火のやり方が知りたいのよ」
「なるほどねぇ」
こちらが「無理なのよ」って言いたいと思ってしまう私は心が狭いのだろうか。否。
私が絶望顔をしているのに対して、キラキラお目目で私を見つめる人魚さん。
あーなんか、分かるぞ、これ。私もお母さんに「車が運転してみたい!」って言ったときはこんな顔をしていたと思う。
でもお母さんは困っただろうな。ペダルを踏むのがまず無理、なんならハンドルにも手が届かないほどの小童に、何を教えるのだろうって。
「どえらい顔してるのよ」
他人行儀に心配される。
「教えてあげたい胸中と無慈悲な現実の狭間にさ、親心を見てるんだよ」
「意味わかんないのよ」
「だろうね……」
必死に頭をひねるが、ひねりすぎて取れそうになるくらいには何も浮かばない。浮かんでくるのは幼き日に見たお母さんの困り顔だけ。
そんなお母さんの対応を思い出す。
車のパチモンだとしても、ゴーカートに乗せてあげるのが親もとい母親のできた、せめてもの全力。
懐かしいなぁ。親に連れて行ってもらったゴーカート場のランキング表を、全て私の名で埋めたものだ。
私にできる全力……。火のパチモンでもと考えるが、水の中では火に関連するもの全部がだいたいにおいて存在不可能だ。
どうしたものかと辺りを見渡すと、あるではないか。
海のパチモンと化したこの湖に鎮座する、森のパチモンが。
「ちょっとこっち来て」
「分かったのよ」
人魚さんを連れて干物の森改め、マングローブ森へ。森の近くの湖は少し浅瀬になっているが、人魚さん的にも移動に問題はないようだ。
「マングローブの枝とか葉っぱを採集できる?」
「楽勝なのよ」
人魚さんは尾びれを軸に跳ね上がって優雅に舞い、颯爽と折った枝を採集していく。
やはり運動神経がいい。超人的に。
「採れたのよ」
腕いっぱいに抱えられた枝葉を湖の岸辺に並べてもらう。
次は火付けの実演だな。
「並べてもらったやつは乾燥したら使えると思う。マングローブだから燃え尽きるのが早いかもだけど、要領は変わんないから、すでに集めて乾燥させてる枝葉で火付けの実演するね」
ポケットからライターを取りだして、木の葉に火をつける。
小さな火を大切に育てて大きな火に育てている途中、ふと気づく。
「そういや人魚さんさ、陸には上がれないよね?」
「うーん、正確には、陸に上がってもあまり支障はないのだけれど、足がないから歩けないって感じなのよ」
「なるほどね。いやさ、私は火種にライターを使ってるわけだけど、それこそ文明の残り火というか、さまよい歩いてやっと見つかるものなんだよね」
「その、らいたーっていうのがないと火はつかないものなの?」
「いや、そういうわけでも、ないんだけど……」
これは困ったぞ。火打石とかを探そうにも、どういうものを指すのか知識がないし、虫眼鏡で火使おうにも太陽が出ていない。
原始的な方法だと摩擦発火になるだろうが、私は道具の作り方を知らないし、なにより人魚さんがやっているイメージが湧かない。
「あら、どうしたのよ、黙りこくって」
「棒を板に擦り付けたときの摩擦で発火させる方法なら、人魚さんでもできそうかなって思いはするんだけど。火をつけるのって身体能力的にも技術的にも結構難しいから、それ用の道具を使ったりするんだよね。錐揉みだっけ。でも作り方分かんないなぁって思って」
「その摩擦ってのをすれば火がつくってことなの?」
「うん。要は物が触れ合う瞬間に起きる力でさ、高速でやると発火するんだ」
「ふーん。それならいけるのよきっと」
「え、いけるっていうのは?」
人魚さんは私の質問に答えることなく、淡々と話を進める。
「これと、あれがいいのよ。取って」
私の用意していた中から手頃な薪と枝を人魚さんが選ぶ。
「要は、こういうのは原理なのよ」
人魚さんは言うが早いか一瞬で枝に火を灯す。
「こんなもんなのよ」
「どゆこと?」
つい、言葉が漏れる。
人魚さんはドヤ顔。枝を適度なところで折って、火のついた方の枝を、私の作った炎に投げ入れる。
「もう一回見せてあげてもいいのよ」
言うが早いか、人魚さんは薪に枝を沿わせて、
次の瞬間発火した。
「さっぱりわからん」
私が思ってた摩擦発火だと、棒を板に突き刺して回転させてたんだけどな。なんか擦ったら火がついてる。不思議だね。
「人間の目じゃ視認できないのよ」
「つまり、人の目には早すぎる程のスピードってこと?」
「そういうことなのよ」
「そんな漫画の世界みたいなことを」
「あたしは自分のことを、そっち側の存在寄りだと思っていたのよ」
「ぐぬぬ」
その通りすぎる。しかも自覚があるとは。
「人魚の伝承って、世界各国津々浦々で内容が違って、しかも時代にも左右されるのよ。慈悲深かったり、不吉だったり、恵だったり、ひ弱だったり、はたまた不死の象徴だったり」
人魚さんはにっこり、だけど少し意味深に言葉を紡ぐ。
「少なくとも、あなたの考えるあたしは、超人的な身体能力を持っているのよ。それか、絶食しても死なないあたしに対して、美味しい食事をさせてあげたいなんて心の底から思っているのか」
彼女の言葉が妙に引っかかり、思考を深めようとしたが、妙に頭がぼやっとしてきて諦めた。
「あ、この枝葉、どうせなら火の近くで乾かすのよ」
人魚さんが先ほど並べたマングローブの枝葉を集めて、焚き火の近くに配置していく。
「これで少しは食の楽しみが広がるのよ〜っ」
テンションが上がり、鼻歌混じりに歌い出した人魚さん。
彼女の美しい歌声が響き渡り、まどろみの世界へと誘われていく。
あぁ、この声だやっぱり。
さて、人魚は美声だというのは、一体どこの伝説だろう。
人魚のように、地域によって全く違うイメージを持たれるタイプは、神や天使などよりも随分『ズレ』が出る生物だろう。だとしたら彼女は、どんな想いを背負った人魚なのだろうか。
仰向けに倒れて遠のいていく意識の中、私は天海に揺蕩う人魚を見た。
気がした。




