13, 真実
「間違いない。この人が生き霊を飛ばした主だよ。黒い思念が、はっきりと纏わりついてる」
茜がきっぱりと言い切ると、その場にいた全員の視線が、一斉に由真へと向けられた。
「な、何よ……? 何の話をしてるの? 意味がわからない!」
怯えたように目を見開き、由真は声を荒げた。
「お姉さん……あなたが香澄さんを恨む気持ちが強すぎて、生き霊になってしまったんだよ。でも、それはお姉さん一人のせいじゃない。最近亡くなったお姉さんの大切な人の思念が、あなたの心を刺激して、恨みを増幅させたんだ」
茜は穏やかな声で、ゆっくりと説明を続けた。
「……だから、生き霊って何よ」
「お姉さんの魂の一部。強い恨みや執着があると、それが無意識のうちに相手に飛んでしまうの。気をつけて。憎しみは、いつか自分に返ってくるから」
香澄の両親、真也と梓は顔を見合わせ、困惑したように茜と猫のチチを見つめる。
百合子が場を和ませるように口を開いた。
「ええと、皆さんにご紹介するわ。この子は私の娘、茜。そしてこちらは、香澄ちゃんのお父様と……お母様で間違いないかしら?」
「はい、ご挨拶が遅れました。香澄の母の梓です。娘が大変お世話になりまして……本当にありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。香澄さんには店を手伝ってもらって助かっているのよ。……それと、娘の茜には少し霊感があってね。それに、この猫、チチにも不思議な力があるの」
百合子の柔らかな説明に、真也と梓、そして由真も半信半疑といった表情を浮かべていた。
それでも、百合子は話を続けた。
「茜とチチが見たところ、香澄ちゃんの後ろには強い生き霊が憑いていたの。でも、今は茜が祓ったから、もう大丈夫よ。そして、その生き霊の“主”が──あなたなの」
百合子は目を鋭くし、由真に視線を移した。
「生き霊の“主”って……意味がわからないけど……とにかく言わせてもらうわ。私はこの人、早瀬真也の娘よ!」
由真は怯みながらも、真也を指差してはっきりと言った。
「待ってくれ! 私は本当に君のことを知らない。そんな覚えは一切ない!」
真也は妻と娘の目を意識し、弁明せずにはいられなかった。
だが、こういう場面では、否定すればするほど信じられなくなるものだ。香澄と梓の冷たい視線に、真也は言葉を詰まらせた。
「パパ、怒らないで。ちゃんと話して。嘘じゃないって、証明してよ」
香澄は冷静な声で言うが、その目は鋭く父を追及していた。
「真也さん……」
梓の声には、哀しみがにじんでいた。
耐えきれなくなった真也が、声を荒げた。
「いいか、君の母親は誰なんだ? 本当に私の知っている人なのか?」
「当たり前でしょ。母の名は、村上由香里。かつてあなたの恋人だった女性よ」
その名前に、真也だけでなく、梓までもが目を見開いた。
「由香里さん……あなた、あの人の娘さんだったの?」
思わず口を開いたのは梓だった。
村上由香里は、かつて梓と同じ職場で働いていた女性だ──梓の父が経営していた会社で。
「そうよ! あなたはお母さんの恋人だった。でも結局、あなたはこの人──お母さんの親友を選んだ。お母さんはあなたの幸せを願って、身を引いたのよ!」
梓はその言葉に眉をひそめ、目を伏せた。
「私は……そんなつもりじゃ……」
潤んだ目でつぶやく梓。
「ママ……」
香澄がそっと、母を気遣うように声をかけた。
「ちょっと待ってくれ。確かに、学生の頃、由香里さんと交際していたのは事実だ。でもそれは、もう二十年以上も前の話だ。梓と付き合い出したのは、就職してしばらく経ってからだ」
「嘘よ! お母さんは言ってた。あなたが私の父親だって。私は本来、社長令嬢になるはずだったって!」
「それはあり得ないわ」
梓が静かに告げた。
「なんでよ!」
「だって、早瀬商事は私の父が創業した会社よ。真也さんは、私と結婚したことで社長に就いたの」
由真は、その言葉に打ちのめされたように、言葉を失った。
「……そんな……」
絶句し、震える声でそう呟く。
「だから、言っただろう。私は君とは何の関係もないんだ」
真也の言葉が、冷たい現実として突き刺さる。
「でも……母は確かに言ってたのよ。私の父親はあなたしかいないって!」
「だから言ってるだろう。学生時代以降、彼女とは縁が切れていた。社会人になってからは、取引先で偶然何度か顔を合わせただけだ」
「真也さん、それ……本当なの?」
「梓、お前まで疑うのか……?」
真也の声に、梓は俯きながら答えた。
「あなたと結婚することが決まったとき、由香里さんに言われたの。“真也さんはあなたの父親が社長だから付き合ったのよ”って。……私は、それを信じてしまったの。怖かったのよ、真也さんを失うのが……」
「バカな……そんな理由で君を選んだわけじゃない。私は自分で会社を興すつもりだった。だが、君の父親に説得されて、社長を継ぐ道を選んだ。それも、君と結婚するためだったんだ」
「……嘘よ……嘘……! じゃあ私は、一体誰の娘なのよ!? お母さんは、あなたが私の父親だって……!」
「知らない。だが、私は君の父ではない。DNA鑑定をしてもいい。費用は私が負担する。それで納得できるならな。特に──妻と娘のためにもね」
その言葉に、由真は完全に言葉を失った。心の支えだった“父の存在”が、目の前で否定された。
(全部、嘘……お母さんが言ってたこと、全部……嘘だったの?)
崩れていく自己の存在。由真はふらふらと立ち上がり、誰にも何も言わずに「花衣」を後にした。
「私は……誰の娘なの……? 私は……何のために……」
呟きながら、かつて母と二人で暮らした小さなアパートへと向かう。そこにはもう、母の姿はないと知っていながらも──
茜がふと香澄の背後を見ると、そこにあった“気配”はもうなかった。生き霊も、その“主”も──すでにこの場から去っていた。
「……あの人、大丈夫かな……」
茜がぽつりとつぶやく。
その言葉に、黒猫のチチは「にゃあ」と鳴き、そっと由真の後を追って静かに店を出ていった。