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10, 心配

「香澄、大丈夫なの? 何かあったの?」


 玄関のドアを開けた途端、香澄の母・梓が不安そうな顔で駆け寄ってきた。

 LINEでは一応連絡していたとはいえ、箱入り娘の香澄が突然外泊するなんて、今まで一度もなかった。


 旅行に行く時でさえ、事前にきちんと行き先や宿泊先を両親に話すのが香澄の“普通”だった。

 けれど昨晩は──たった一通のLINEを送ったきりで、帰宅しなかったのだ。


「真也さんは、香澄はもう子供じゃないんだから心配しすぎだって言ってたけど……子供じゃないからこそ、心配なこともあるでしょう? こんなときに限って、真也さんがいないんだもの」

 香澄の父・真也は、月に数回は仕事で地方出張が入る。

 昨夜はちょうどそのタイミングだったようで、梓は香澄の外泊をわざわざ真也に報告していたらしい。


「ママ、パパの言うとおり、私はもう子供じゃないのよ。昨日はちょっといろいろあって……LINEで話した通り、 友達の家に泊まっただけ。心配かけてごめんね。疲れちゃったから、ちょっと部屋で休むわ」

 香澄はそう言って、できるだけ穏やかに母を宥めた。


 もちろん、親が子を心配するのは分かる。

 でも──香澄はもう23歳。社会人として働き、自分の意思で動く年齢だ。なのに、まるで中学生のように心配し、干渉し続ける母の姿に、逆に不安を覚えた。


(もし私が家を出たら、ママはどうするんだろう……まあ、伊吹が戻ってくればいいか。この家の跡取りだし)


 弟・伊吹は現在、留学中で家を空けている。香澄は、彼が帰ってきたら実家を出て、一人暮らしを始めようと密かに考えていた。


 部屋に入ると、香澄はベッドに腰を下ろし、ふと昨夜の出来事を思い返した。

「……百合子さんに茜ちゃん、それに……チチ。あんなに親切にしてもらって……どう感謝したらいいのかしら」

 出会ったばかりなのに、まるで家族のように寄り添ってくれた彼女たち。

 中でも、黒猫の“チチ”はやはり特別な存在だった。


「でも、あの猫……チチだったっけ。不思議な猫だったわね」

 茜はあの猫と、まるで人間同士のように会話をしていた。

 けれど香澄は、さすがにそこまで本気では受け取っていない。


 猫の鳴き声を“言葉”に変換する──愛猫家にはよくある光景だと思っている。

 百合子が言っていた「霊感猫」という言葉も、たぶん冗談交じりだったのだろう。


 そう思えば、あれほど不可思議なやりとりにも説明がつく。

 香澄はバッグから、茜に渡された緑色の石を取り出し、じっと眺めた。

(この石の色が赤に変わったら……本当にそんなこと、あるのかしら?)


 信じたくないわけじゃない。

 でも、信じきれるほど純粋でもない。


 石の色が突然変わるなんて、科学的には説明がつかないし、どうしても半信半疑なままだった。


「……なんだか、疲れた」

 呟いた声は小さく、誰にも届かない。


 そのままベッドに横になると、自室の静けさと布団の温かさに包まれ、香澄はいつの間にか眠りに落ちた。

 

 目が覚めると、部屋の中はすっかり薄暗くなっていた。慌てて時計を見ると、午後5時を過ぎている。

「え? もう夕方? 寝すぎちゃった……!」


 香澄は慌てて立ち上がり、リビングへ向かう。

 ドアに手をかけると、中から両親の声が聞こえてきた。

「それで? 香澄は大丈夫なのか?」

「ええ、少し疲れてるみたいだったから、寝かせてるの。でも、それにしても寝すぎよねぇ」

どうやら、父・真也が帰宅していたらしい。


(うわ……絶対、昨日のこと聞かれるよね……)


 香澄は深呼吸し、覚悟を決めてドアを開けた。

 案の定、両親は昨夜の出来事について説明を求めてきた。

 香澄は、できるだけ簡潔に、かいつまんで話した。


 彼氏に誤解されて一方的に別れを告げられたこと。そのことで会社を辞めることになったこと。そして、帰り道で雨に打たれていたところを百合子に助けられたこと。


 両親は真剣な表情で話を聞いていた。

 ふたりとも、香澄に付き合っている相手がいるのではないかと以前から気づいていたが、本人が話すまではそっとしておこうと黙っていたのだ。


 それだけに、まさかこんな形で破局を迎え、さらに会社も辞めていたとは思いもしなかった。

 さらに、娘が見知らぬ女性に助けられ、その家に泊まっていたという事実に、親として不安と感謝の入り混じった複雑な感情が浮かんでいた。


「そうか……なら、その百合子さんという方に、一度ご挨拶に伺わないとな。娘がここまでお世話になったのだから」

「えっ? でも……」

「そうね。私もお会いしたいわ。娘が命を預けるような相手なのだから」

 香澄は思わず言いかけたが、母・梓の真剣な眼差しに口をつぐんだ。


「……わかったわ。じゃあ、百合子さんに都合を聞いてみる」

渋々ながらそう答えるしかなかった。


(本当は……あんまり関わらせたくないのに……)


 けれど、家族というのは時に、本人よりも強引に“恩”を返そうとする。

 香澄は、その夜少しだけ気が重くなった。

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