敵国に嫁がされた薄幸の姫君は強かった
リヴィエール王国とクレスト王国の戦争は、長期化の末にクレスト王国が有利な形で和平条約や同盟を結ぶこととなった。しかし両国間に信用というものはなく、結果としてリヴィエール王国のルイーズ王女殿下は輿入れすることとなった。とどのつまり、婚姻という名の人質である。
「……お初にお目にかかります、陛下」
ルイーズ王女殿下は、儚いという言葉の似合う方であった。日に透ける白髪、菫色の瞳。華奢な体に、か細い声。消えてなくなりそうな雰囲気。
その上病弱でめったに表舞台に出ず、戦争で母君も亡くなったものだから幸までも薄かった。
「ッチ!」
対して眉目秀麗な黒髪赤眼、クレスト王国のカルヴィン陛下は、継承権の低い庶子でありながらも、無能な兄共や実の父を殺し若くして王位を継いだ狂血王であった。自ら戦場に出て敵を蹴散らし、長期化した戦争を終結させた立役者でもある。それ故に正当な継承者でありながらも無能である者を忌み嫌っていた。
……つまり、この婚姻は、うまくいくはずもなかった。
かろうじて結婚式は行われたものの、諸外国へのアピールとしての愛も糞もないパフォーマンスに過ぎず、初夜どころか食事すら共に行わなかった。
「やっぱり、こうなるのね……」
長年の戦争による恨みつらみから、使用人たちも王女殿下のことをよく思っていなかった。母国からメイドの一人も連れてくることは許されなかったため、周りは敵ばかり。しかしながら、もう婚姻届けにサインはしてしまったし、天と地がひっくり返ったとしてもすぐには離婚することはできない。本当に薄幸の姫君……なはずだった。
バチン!
早朝の部屋に、鋭い音が響く。
「えっ、殴……」
「何か?」
「へっ」
そこにはルイーズ王女殿下が立っていた。へたり込んだメイドの頬を持ち、強制的に目を合わせさせる。蛇に睨まれた蛙とはこのことであった。
「主人が不届き者を折檻して何か悪いかしら?」
か細い声から思いもよらぬ言葉が飛び出してきて、壁際に立っていたメイドたちも動揺する。
「顔を洗う水を持ってこない、痛いと言っても無視して適当に髪を梳かす、ドレスは流行が過ぎたものばかり選んでくる。宝石の一部も盗んでいたでしょう。理由としては十分よね」
王女殿下はジュエリーボックスの不自然な開きを見ればわかる、と続けた。
部屋は恐怖の色に染まる。メイドたちの目にはもう儚い姫君は映っていない。
「だんまりってことは、あなたたちも折檻されたいの? これ以上は私の手が痛くなるから、鞭か何かを用意しなければならないわね」
先ほどメイドを叩いた方の手をひらひらと振るルイーズ王女殿下。感情のカケラもない冷徹な瞳が、冗談ではないことを告げていた。
「「っも、申し訳ありませんでした!!」」
メイドたちは急いでやり直した。が、鏡の前に立ったルイーズ王女殿下は鼻を鳴らして「ご苦労様」と仰っただけであった。そしてスタスタと部屋を出ていってしまう。メイドたちは急いで追いかけた。
「あの、ルイーズ様。どちらへ……」
「食堂よ」
「まだご朝食の準備が整っておらず、その、待機していただきたいのですが……」
冷や汗を流しながら顔色を伺うメイドたちを一瞥し、足を止めることなく、王女殿下は答える。
「嘘は結構。陛下がお食事中なのでしょう。食堂の場所は覚えているから下がっていいわ」
メイドたちはその場で天を仰ぎ見た。
ルイーズ王女殿下は気にも留めず、嫋やかに食堂のドアを開ける。美しくドレスの裾を持ち頭を下げた。
「王国の光たるクレスト国王陛下にご挨拶申し上げます」
「……何の用だ」
カルヴィン陛下の怪訝な顔に、給仕の使用人たちは震えて怯えた。王城で働けるようなベテランでもなければ泣き出すような恐ろしさだった。それなのに、ルイーズ王女殿下は動じない。ただ口元だけ微笑んで、ゆっくりとそのか細くも通る声で話し始める。
「私の身の回りを世話するメイドのひとりが、宝石を盗むという不届きな行いに及んだ次第です。このような行為は、陛下の御名を汚すものと存じ、深く心を痛めております。つきましては、速やかに解雇したく、陛下のご許可を賜りたく存じます」
追いかけてきたメイドが、床に崩れ落ちる。絶望を隠せない顔に、誰しもが嘘ではないことを悟った。
王女殿下は胸に手を当てて、さも心細そうに続ける。
「また、恐縮ながら申し上げますと、クレスト王国のメイドの務めに、ほんの少し物足りなさを感じたことも事実でございます。陛下の輝かしい御治世のもと、宮廷の品格をさらに高めるためにも、私の母国リヴィエール王国より、忠誠と技量に優れたメイドをお迎えすることをお許しいただければ幸いに存じます」
それは柔らかでありながら、痛い一撃だった。クレスト王国の過失であることは間違いなく、何もおかしなことは言っていない。
「さもなくば、当地のメイドを礼儀正しく、職務にふさわしい者へと導くため、適正な指導用の鞭をご用意いただきたく存じます。私の手では、少々力不足かもしれませんので」
自分の手をさすり憂いるその姿と控えめに微笑む口から指導用の鞭なんて言葉が出るなんて、誰が想像できただろう。
「何卒、陛下のご英断を賜りますよう、伏してお願い申し上げます」
誰も口を挟めなかった。あまりの変わりように狂血王でさえ目を見開いた。そして、大口を開けて笑った。使用人たちはあまりの光景に口を半開きにしたまま固まっていた。カルヴィン陛下が笑ったことなど、前王が死んだ時と戦争に勝った時くらいだった。
「ははっ……病弱な王女じゃなかったのか?」
「単なる噂です。能ある鷹は爪を隠す、と言うでしょう?」
ルイーズ王女殿下は薄幸な姫君の仮面を捨て、圧倒的強者の笑みを浮かべる。カルヴィン陛下は密かに胸を高鳴らせ、気高く美しい王女殿下に見惚れていた。
これは王女殿下の長く緻密な反撃のはじまりであり、孤高の狂血王が生まれて初めて恋に落ちた瞬間であった。
*
「ルイーズは大丈夫だろうか」
リヴィエール国王陛下……つまりはルイーズ王女殿下の父君は墓前でため息を吐く。
『お父様、ルイーズは必ずやり遂げて参ります』
半ば人質のような形で敵国に嫁いだ娘を憂いているのはもちろんだが、それ以上に恐ろしいことがあった。
「なんといっても、君に似ているからなぁ。苦情とか返品とかされたらどうしよう」
そもそも、王女殿下は病弱でもなんでもなかった。むしろ強くたくましかった。国を愛し、国に愛され、齢九歳にして政治の裏舞台に立ち、負けかけていた戦況を立て直した。結局、予想だにしなかった政権交代により負けてしまうのだが、それさえなければ勝てていたかもしれない天才の所業であった。
しかしそんな有能な彼女を病弱設定にさせて、目立たないようにした人こそ、亡くなった王妃殿下であった。彼女自身が他国から嫁いできた姫様だったこともあり、娘にこう教えた。
『能ある鷹は爪を隠す、という言葉が私の母国にはあります。これから何があるかわかりません。できるだけ弱く見せなさい。そしていざという時に、油断した相手に爪を見せつけてやるのです』
女傑とも言える母君を尊敬していた王女殿下は言う通りに弱く見せる立ち回りをした。結果として、中身は母譲りの女傑でありながら、薄幸の姫君として名を馳せることとなったのである。まんまと騙されたクレスト王国は都合のいい姫君だと思い込み懐に入れてしまった。
「まあ、多分私のように心底惚れるだろうから、大丈夫だろうけどねぇ」
リヴィエールにおいて、国王陛下の溺愛ぶりと王妃殿下の塩対応を知らぬ民はいなかった。
「我が娘ながら怖いことだよ」
戦争に勝ち、人質を得たとしても、それが本当の勝利かはわからない。その人質の姫に心を奪われ手玉に乗せられてしまえば、逆に乗っ取られたも同然である。
────ここにも、自分より強い女性に狂わされた国王が一人。
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追記 希望があったので短編で親世代の前日譚とほんのちょこっとのルイーズ様たちの続きを書きました。シリーズの方から飛べます。今作より少し重めです。